Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

アウェー連戦。 タジキスタンでの報道から… Tajikistan 0-4 Japan 11th November 2011

2011-12-04 | 夏季五輪
ソ連邦が突然崩壊する数年前。私はようやく社会人にデビューする事が出来サラリーマン生活をスタートする事が出来た。
当時私の勤めていた会社は小さいながらもモスクワやワルシャワ、ブカレストに駐在事務所を持つ貿易会社でソ連貿易のボリュームの大きさに舌を巻いていた。
会社からは“若いんだからロシア語をどんどん勉強しろ。金は出してやる。”と言われたが、英語もまだまだおぼつかない自分はとてもそんな余裕はなかった。今となっては無理してでも勉強しておけばよかったと少し後悔している。
あの時大きなプロジェクトが決まったらしく、毎月多くの取引先の技師の方達がソ連邦に出張に出掛けていた。
当時でも(いや当時だからこそ)当然マルチビザを取得しない限りソ連の公団から invitation visa を貰わねばソ連各地には行く事が出来ず新人社員でロシア語も話せない自分はモスクワ所長といつもビザ発給の作業を手伝っていた。
そして様々な都市の名前を覚えた。ドシャンベと言う街の名前も初めて聞いた…..
それから僅か2年程でソ連邦は崩壊した。あれほどのボリュームのあった引き合いはまったく霧散してしまい旧ソ連邦は一気に“最貧国”みたいな扱いになった….この冬は餓死者がでるとか言われた…..
1992年タジキスタン共産党系の政府とイスラム系野党反政府勢力との間でタジキスタン内戦がおこり、1994年の暫定停戦合意およびエモマリノフ(現在はラフモンと改名)大統領の就任以来、国際連合タジキスタン監視団 (UNMOT)のもとで和平形成が進められてきたが、1998年には監視団に派遣されていた秋野豊筑波大助教授が、ドゥシャンベ東方の山岳地帯で武装強盗団に銃撃され殉職する事件が起こった。1997年に内戦は終結、その後ラフモン大統領の長期政権によって、ロシアや中国、米国との関係強化が行われ、日本を含む各国の手厚い支援や国連活動によって、21世紀に入ってからは年10パーセントの高成長率を維持しているようである。
しかし、タジキスタンのマクロ経済指標の状況はアフリカ諸国並みであり、将来にわたる世界不況に対する不安が残っている。特に、もともと資源・産業の多様性は乏しい上、所得の再分配がうまく機能せず、国民の大多数は年収350ドル未満の生活を送っている。旧ソ連各国の中でも最も貧しい国の一つであるが、近年のロシア経済の好転により、出稼労働者からの送金額が上昇したことから、公式経済データと実体経済との乖離、及び出稼労働者のいない寡婦世帯における貧困の深化が問題となっている。特に、ロシア語の話せない村落部出身の男性は、ロシアでの出稼先では低賃金肉体労働しか選択肢がなく、過酷な労働による死亡、AIDS若しくは性感染症の持ち込み、或いはロシア国内での重婚による本国家族への送金の停止など、都市部・村落部を問わず社会的問題は単純な貧困を超えた現象となりつつある。
2011年1月12日、タジキスタン下院は、中国との国境画定条約を批准し、パミール高原の約1000平方キロメートルが中国に割譲されることになった。 ( この部分 Wikipedia より抜粋 )

ワールドカップ2次予選では御周知の通りシリアに 1-2, 0-4 で連敗し3次予選進出はならなかったはずだがシリアが出場資格の無い選手を起用した事が発覚し失格となり繰り上がりで3次予選に進出したタジキスタンは第1戦のホームでのウズベキスタン戦、続くアウェーでの北朝鮮戦は 0-1 で連敗するもまずまずやるなぁ…と思ったが第3戦のアウェーでの日本戦は 0-8 で粉砕された。しかし楽観視するのは胸算用だと思う。ホームではウズベキスタンに敗れたとはいえ 0-1 だった。代表選手達は決して侮りはしていないだろう…



日本から120人のジャーナリスト達が同行  11月3日
11月11日ドシャンベで行われるワールドカップ予選。タジキスタン対日本戦に日本から約120人のジャーナリスト達が訪れる予定。
タジキスタン協会にAP通信から入った情報によると日本選手と報道陣は試合の2日前にカタールからチャーター便でドシャンベ入りする予定であるとの事。

ドシャンベの地元クラブ Istigol の Official Site によると Alberto Zaccheroni 監督が選出したウズベキシタン戦のメンバーは23人であり GK 3人、DF 8人、MF5人、FW7人の構成となっており日本国内でプレーする選手が11人。その他にベルギー ,クロアチア, イタリア、ドイツ, オランダ, イングランドでプレーする選手達が含まれている。との事であった。

メンバー発表。  11月5日
11日日本戦 ( Dushanbe ) 15日ウズベキスタン戦 ( Tashkent ) に向けての22人のメンバーが発表された。

メンバーの中にはワールドカップ3次予選初選出の4選手が加えられた。17人しかベンチ入りしなかったが日本戦からは MF Ortikov Ilhomzhon がそして北朝鮮戦でベンチ入りを果たした FW Rustamov Nazvruz らがメンバーアから外れたがいずれも出場機会は無かった。新たに加わったのは Dushanbe Energy でプレーするAktham Nazarov, Abdusamad Hodzhibaeva, Vahdat Hiram でプレーするIdibeka Habibulloeva そしてFW Tursunzade Regar-TadAZ のAktham Hamrokulova.
しかし今回も期待の MF Regar でプレーするJamshed Ismailov は怪我の為に召集は見送られた。

The national team in Tajikistan:

Goalkeepers: Alisher Tuychiev ("Istiqlol", Dushanbe), world Murodov ("Energetic", Dushanbe), Vladimir Sysoev ("Regar-TadAZ" Tursunzade);

Defenders: Davrondzhon Ergashev Eradzh Radjabov, Akmal Saburov Sohib Suvonkulov (all - "Istiqlol", Dushanbe), Farrukh Choriev ("Regar-TadAZ" Tursunzade) Idibek Habibulloev ("Khair" Vahdat), Ahtam Nazarov ("Energetic "Dushanbe);

Midfielders: Jahangir Djalilov Rabimov Ibrahim, Fatkhulla Fathulloev, Nuriddin Davronov, Dilshod Vosiev, Mahmadali Sadykov (all - "Istiqlol", Dushanbe), Khurshed Makhmudov, Jamshed Ismailov (both - "Regar-TadAZ" Tursunzade) Abdusamad Hodzhibaev (" Energetic ", Dushanbe);

Forwards: Komil Saidov (CSKA "Pamir", Dushanbe), Ahtam Hamrokulov ("Regar-TadAZ" Tursunzade), Farhad Tohir ("Istiqlol", Dushanbe.)


日本の Blue Samurai 達タジキスタンに到着  11月9日 16;59
本日 Alberto Zaccheroni 監督率いる日本代表チームがドシャンベに到着する。選手達を乗せた飛行機は本日20:00 に首都の空港に到着する。翌日10日にはAlimdzhon Rafikov タジキスタン代表監督と共に Zaccheroni 監督はHotel Tajikistan で行われる前日記者会見に臨む。同日日本代表選手は試合が行われる Central Republican Stadium で練習を行い、タジキスタン代表チームは引き続き The Aviator 競技場で最終調整に入る。

ザッケローニ監督ピッチ状態を懸念。 ラフィコフ監督汚いゲームにならない事を確認。 11月10日
11月10日 Hotel Tajikistan で両監督は試合前日記者会見に臨んだ。
両チームの監督はジャーナリス達の質問に応えドシャンベの Central Stadium で行われる翌日の試合はワールドカップ予選に置いて重要な試合になると答えた。日本選手団は11月9日水曜日カタールからチャーター機で到着した。
“勿論我々は既に日本で彼らと対戦しており我々のレベルも解っているが明日は地元ファンを喜ばせる為に良い試合を御見せする。そしてこの試合の Visitor ( 日本代表 ) にダーティーな試合をしない事を約束する。”この様に Rafikov 監督は語った。
イタリア人の Alberto Zaccheroni日本代表監督は翌日は良いサッカーを披露できる事を願っていると語った。
“我々はすこしばかり Central Stadium のピッチコンディションを懸念している。本日 Central Stadium を訪れ雨が降った後の状態を危惧したが問題は何も見られなかったという事が出来る。”と語り翌日の試合に就いては
“タジキスタンチームもしっかりと準備をしているのでそんなにイージーには行かないだろう。”と話した。

試合当日はよく晴れて雪も除かれピッチコンディションもかなり改善されていた。
日本は怪我で合流出来ない本田に替って中村憲剛がトップ下に入り怪我の長友に替って駒野が左SBにそして内田が故障からも戻って右SBに入った。
ホームの Tajikistan は10月11日の日本戦のスタメンからメンバーを3人替えて来たがフォーメーションは Saidov Kamil と Makhmudov Khurshed の2トップ。この試合では起用された3選手は日本には帯同しなかったCBの Vasiev Farkhodと2列目左の Vasiev Dilshod と左ボランチの Rabimov Ibragim。そして地元と言うこともあり東京には18人しかメンバーが帯同しなかったがこの試合は23人の選手がベンチ入りした。 2トップの Saidov ( CSKA Pamir Dushanbe ) 、Kharshed Makhmudov ( Regar TadAZ Turshunzade ) そしてCB Vasiev Farkhod (Regar TadAZ Turshunzade ) 以外の選手は全て地元 Dushanbe の Istiqlol の所属選手だった。
日本のキックオフで始まったこの試合は開始早々からタジクの選手達が積極的に前に出てきて MFの Dzalilov Dzhakhongir が粘ってCKを奪う。長居ではボール支配率が僅か28.3%だったタジキスタンであったがこの試合は地元観衆の声援を受け長居で晒された様なゴールラッシュだけはと言う思いが感じられた。
そしてスタンドには軍服姿が目立った。
ピッチではタジキスタンは長身FW Saidov にロングボールを集めていく意図がはっきり見え、長居では良い様にやられたハーフナーにはかなりタイトなマークを付けて来た。 やはり地元観衆は勇気を与えるのだろう、CK
数では10分迄に日本が得3本に対してタジキスタンは既に5本のCKを得ていた。 そして16分にはボランチの Davronov Nuriddin, Ibragim が連続シュートを放ち観客を沸かせた。長居ではシュート1本に終わったタジキスタンであったがこの試合は先制ゴールを奪うのではと言う勢いだった。
日本も21分41秒には左サイドからボールを受けた憲剛が前線の香川にワンタッチパスを送るがピッチに脚を取られてか香川はシュートが撃てない。23分には長谷部が中央をドリブルで上がりハーフナーに送りシュートに持ち込むが惜しくも外れる。
タジキスタンは守勢に回ってもPA内に多い時は8人の選手が入り必死の守りを見せる。長居では8失点を喫したが好セーブも見せたGK Tuychiev Alisher は駒野のミドルシュートをパンチで防ぐなど観客に期待感を持たせた。
そして31分57秒。ゴール前でこぼれ球を拾った FW Makhmudov が右の Dilshod にはたくと Dilshod が放った強烈なミドルはポストを叩く。最も地元観客が沸いたシーンだった。
このシーンを見て一瞬冷や汗をかきそうになったがそれでも“先制ゴールを奪われた方がいい。アウェーでリードされた状況で勝試合にすることも最終予選に向けていい勉強になる。”と勝手な事を思っていた。
しかしその直後に日本に先制ゴールが生まれた。長谷部が左前方の憲剛に渡しリターンを貰い再び憲剛に送り憲剛が放ったショットはGK Tuchiev が一旦は弾くがそこに詰めた今野がこぼれ球を蹴り込んだ。トップにいたハーフナーも上手く相手DFを背負って動けなくしていた。 
さっきまで“いい勉強になる”と思っていた自分だったがこのゴールでやはり安堵の嘆息を漏らした。
だけどこの直後にこぼれ球を拾った右SBの Ergashev が強烈なミドルを放った時はまたもひやりとした…..
前半は何とか先制ゴールを挙げたけどそれだけに終わったのは想定外ではなかったか…でもそれだけアウェーの戦いは難しいと言う事だろう。



後半は開始早々香川のドリブルシュートで幕を開けたが47分には FW Makhmudov のミドルが飛ぶ。55分には Vosiev のアーリークロスが前線に飛ぶが僅かに Saidov に合わない。前半からタジキスタンはトップの2人にアーリークロスを単純に放り込み続けているがそれが意外に効果的だった。ただこのこぼれ球を拾う選手がいなかったから得点に結びつかなかった。
追加点の欲しい日本は55分ハーフナーを下げて前田を投入。ワールドカップ予選初登場だ。ハーフナーもタイトにマークされると厳しいか?? タジキスタンベンチも57分に Dzalilov を下げて Fatkhuko Fatkhulloev を入れる。Fatkhuko は長居での日本戦にはスタメン出場したMFだ。しかし Dzalilov を何故下げたのだろうなかなか良い動きを見せていたのに。スタンドからは同点ゴールを求めて歓声が飛ぶ。
しかし日本にあっさりと追加点が入る。61分左サイドをドリブルで上がった香川が入れたクロスにファーサイドから走り込んだフリーの岡崎がヘッドで押し込んだ。 まるでシュート練習を見ている様なゴールだった。
これで2点差となり日本が負ける事がまず考えられなくなって来た。
それでもタジキスタンは“強豪”日本からの得点を目指してボールを追う。67分にはFW Saidov を下げて MF Turaev Lutfulla を入れ Fatkhuko を前線に上げる。68分にはMF Davronov がミドルを放つ。69分にはボランチの Rabimov を下げて FW Sadykov Makhmadali を入れ前線の数を増やす。MF Vasiev がクロスを入れるが Makhmadali には合わない。ゴール前で FW Makhmudovにボールが入るがシュートは撃てない。Makhmudov はその直後も身体をターンさせてシュートを放つがゴールに届かない。
80分を過ぎると日本が再び攻勢に出てきて82分に駒野からボールを受けた憲剛がスルーを前田に通すと前田は狙いすました様にミドルを放ちタジキスタンゴールに突き刺した。
これで3次予選突破に大きく前進した日本は86分に憲剛、内田を下げて清武、伊野波を投入する。この時は原口の出番は次の北朝鮮戦か…と思ったけど….
ロスタイムに入り清武のゲームメイクから岡崎が日本の4点目となるゴールを決めてタイムアップのホイッスルが鳴り響いた。

タジキスタンの抵抗もあったが終わって見れば 4-0 の快勝だった。



3次予選突破を決めた日本だけど最後の試合は敗れた北朝鮮戦。
1985年は力の差では上だった北朝鮮にまだ共に次のラウンドに進出の可能性が残る両者が対戦して引分けを演じた。
今回は力関係は日本がかなり上でしかも予選突破の可能性の無くなった北朝鮮に敗れたのだ。 最終戦に臨む前にこの悪い流れを払拭する為に2月のウズベキスタン戦はすっきりと勝ってほしいと思う。
だけどどこで試合をするのだろう?さいたまスタジアムかな…. 最終予選も全てここでやってほしいなぁ…….


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