Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

North Harbour に響いたニッポンコール…. Japan 21-47 France 10.09 2011

2011-10-01 | 夏季五輪

9月26日。会社を出てバス停で先月買ったばかりのスマホをいじっていた。
本当に便利になったなぁ… どこでも web site を見られる… 今夜ジャイアンツはどうなったかなぁ…この前の阪神3連戦は久し振りにみっちりテレビ観戦したしなぁ…と Yahoo のスポーツページを開いた。

アッッ と思った時はもう遅かった。 “日本20年振りの白星ならず。”こういう見出しが目に飛び込んで来た。

しまったぁ…この日の深夜、録画中継されるカナダ戦を結果を見ずにテレビ観戦する事を楽しみにしていたのだった。
あぁ結果が解ってしまった。 そして日本のワールドカップが前回と同じ1分3敗で終わった事も…..
振り返れば約2週間前のフランス戦で始まった Blossoms のワールドカップの挑戦はもう遠い昔の様に思えた。あの時は2勝してくれるかな…と期待出来たのだけど。

降雨で気温の下がったオーストラリアのシドニーからオークランド入りした日は大変な好天気だった。いつもオーストラリアからニュージーランドに入った時は逆なんだけどなぁ…



キックオフ前の国歌斉唱で君が代を精一杯歌いながらNorth Harbour Stadium でフランス戦の臨む日本代表 Blossoms の雄姿を見てワールドカップに母国が参加しているその幸福感を感じた。 しかしその後のフランス国歌 La Marseillaise の大合唱を聞いた時は“頼むから惨敗だけは喫さないでくれ。少しは形になってくれよ…” との哀感に変わった。
学生時代2年連続で ( 1984,85年 ) フランスと対戦したけど当然4戦全敗。スコアーも 0-52, 12-40, 0-50, 0-52 。1985年はフランスでテストマッチが行われたが1得点も挙げられず、当時フランス遠征をレポートしたスポーツ雑誌には当時の中心選手が上半身裸で踊っている姿の写真が“試合後のレセプションでは日本の勝ちと現地マスコミに報道された。”と言うキャプションの付で紹介されたとの記事があった。
私は当時“よくフランスが日本と試合を組んでくれたなぁ。前年にアームズパークで健闘したからかなぁ…” と思った。
だけど 2003年のワールドカップオーストラリア大会では 29-51と結構健闘していた。出来ればこういう試合を見たいなぁ…と思った。

日本のスタメンは⑪小野澤と④ ルーク=トンプソン 以外は8月13日のイタリア戦と同じスタメン。現時点でのベストメンバーと言えると思った。日本人以外の選手が6人入っていた。
一方のフランス。② Servat, ③ Mas ④ Pierre ⑤ Nallet ⑥ Dusautoir ( C ) ⑦ Harinordoquay ⑩ Trinh-Duc そして⑬ Rougerie らが今年の Six Nations でほぼレギュラーとして起用されたメンバー。 8月20日の Ireland 戦で起用された① Barcella, ⑮ Heymans ⑫ Estebanez らがスタメンに。Fabien Barcella はアキレス腱の断裂から復帰した PR。Cedric Heymans は2007年大会も出場した Cap数55 のベテラン。そして Fabrice Estebanez は Rugby League の大スター選手だったらしい。 こうして見るとややコマ落ちと言ったところか….



日本のキックオフで始まった試合は出来れば先制点を…と願うが開始早々フランスが日本陣内にライン攻撃を仕掛け攻め込みEstebanez が抜け出すが日本選手の好タックルで何とかストップし胸をなでおろす。タックルをしたのはベテラン小野澤だった。 
しかし4分、13分に連続してトライを決められ 0-14 とあっという間にリードを喫してしまった。しかもその流れが日本にとっては悪かった。 先制トライのシーンはターンオーヴァーされ Mas, ⑧ Lakatia, ⑨ Yachvili と繋がれ最後は ⑦ マイケル=リーチ が追いすがるも Pierre にトライを決められた。しかし後で見たテレビの再放送を見ると一旦倒された Yachvili が倒れたままこぼれ球を拾って Pierre にパスを出していた。本来ならファールのはずだけど…このシーン何度が繰り返し映された。先制トライを喫した後、日本は良い位置でファールを誘い ⑩ ジェームス=アレジ が当然PGを狙うが外してしまった。その約4分後にも日本は連続攻撃を見せ アレジを起点に⑫ライアン=ニコラス 再びArlidgeに渡り⑬平浩二に出したパスを Trinh-Duc にインターセプトされそのまま独走されトライを決められた。 これも リーチ が必死に追い掛けたのだけど….
アレジ がPGを失敗する前にも日本はフランスゴール前に迫ったがそのチャンスはニコラスがボールを落としてしまって行かせなかった。



18分日本はようやく日本は連続攻撃からファールを誘いPGを得て今度は アレジ が決めて3点を還す。よしよしこれから。このPGの前に日本選手の素晴らしいタックルがあり場内を沸かすシーンも…と思うもどうも我が日本代表はノックオンを冒す等落ち着かない。マイボールスクラムになってもそこから前のボールを繋げない。 それだけフランスのパワーが強いのか….




日本がPGで3点を還した直後の22分にもPGを決められ、その後しばらくはよく失点を防いだのだけど29分にも何度もフランスボールスクラムが続いた後に反則をとられ PG を Yachvili に連続して決められ 3-20 とリードを広げられていた。
このPGは共にスクラムの圧力から反則を奪われたもの。フランスのスクラムの強さを目の当たりにした見たいだった。
フランスのリードが広がる度に “ Allez France !! “ のコールが鳴り響いた。 
う~ん、やっぱり世界ランク4位が相手では…このままジャブを的確に決められる様に徐々に点差を開けられるのを見るのも辛いなぁ…と思った。



しかし31分観客席の日本人サポーター達が沸き上がるシーンが。粘り強く前に出る我が Blossoms 。アレジがキックしたボールが相手ディフェンスに当たり、こぼれたボールを Alridge が拾いそのまま誰も遮らない前方を一直線に突き進む。
おぉ..と思うと後ろの Kiwi が私の背中をポンと叩く。そして Alridge が飛び込んでトライを決めた。 2006年FIFA ワールドカップ のクロアチア戦で見られなかった日本のゴール、いやトライがここで見る事が出来た。 
背中を叩いた後ろの Kiwi はちょっと年配のラグビー観戦歴ベテランといった紳士。 思わず握手を交わす。
周囲の Kiwi 達も拍手を送ってくれる。そして私とハイタッチをかわし、後方に座っていた日本の方々とも目を合わせてお互いに手を挙げた。しかしこのあとの Conversion を決めてくれたらもっと良かったのだけど…..
折角の日本のトライに冷や水を浴びせる様に3分後フランス ⑭Vincent Clerc にトライを決められた。それまで日本のディフェンスラインの中央を力で突破して来たフランスだったがオープンに回して右隅に決められた。 
さすがフランスやなぁ…とこだまする“ Allez France “ の叫びを聴きながらそう思った。そして36分 No.8 のホラニ龍コリニアシが怪我でベンチに下がってしまい⑲谷口が入った。ホラニはこの後ワールドカップでプレーする事は無かった。



だけど我が Blossoms は怯まない。 39分にアドヴァンテージを受ける中よくボールを繋ぎ最後は中央で反則を誘いPGを アレジ が決めて 11-25 とまた得点差を詰める。そしてその後のフランスのキックオフからもボールを繋ぎ攻勢に出るなか前半終了のホイッスルが鳴った。リードは許しているが最後に得点を挙げて終わる。前半の終わり方としては良い方だと思った。そして周囲からは“なかなかやるじゃないか..”と色々声を掛けられた。

ハーフタイムの間、“御近所”としばし歓談。みな異口同音にこれまでの日本の健闘を称える。だけど問題はここからフランスが更に調子を上げて点差が広がるのでは…ベンチのメンバーは…と思うが日本はほぼベストメンバー。フランスはどれだけ余力を余してのスタメンなのだろう….

フランスのキックオフで始まった後半。日本はいきなりファールを取られたり、ノックオンをしたりスクラムでファールを取られたり…
42分には Harinordoquayにゴールラインを割られるが何とかトライは食い止める。ちょっと大丈夫かいな…と思うもすぐに落ち着きを取り戻し素早いプレスを見せる。出足は前半よりは良くなっている様に思えた。フランスとほぼ互角に戦っている様に見えた。43分に⑰藤田が③畠山に替って投入されたのが良かったのか….? 44分には Nallet がゴールラインに迫るがリーチが今度はストップ。 観衆から拍手が沸き上がる。



そして49分、連続攻撃を見せて中央から再び Alridge がトライを決め今度は conversion kick を決めて 18-25 と 1TG 差に迫った。 この連続攻撃は中盤から上手く繋ぎ最後はラックから SH⑨田中が持ち出してアレジに繋げた見事なトライだった。
周囲の方々からは Kiwi から Aussie ( 翌日のイタリア戦も見に来るそうだ。)からも、後ろのフランスの御婦人を除いて祝福の嵐だった。
53分日本ベンチは CTB⑬平に替えて 110kg の巨漢22トンガ人アリシ=トゥプアレイが投入された。そして日本の粘り強い攻撃が続く。スクラムの度に、ラインアウトの度に、“ニッポン!ニッポン!!”コールが響き渡る。それは日本人からだけでは無かった。ハーフタイム中に“ ニッポンとはどういう意味ですか?”と訊ねて来た隣の隣の御婦人も一緒になって“ニッポン !ニッポン!!”と大声援を送ってくれる。 
私は彼女に“ニッポンとは Japan の事で我々日本人は祖国の事を Nippon と呼ぶ。”と漢字とアルファベットを交えて書いて説明した。
そのニッポンはピッチ上でも Six Nations 上位常連のフランス相手に引けを取らない。 特にトゥプアレイとリーチが良く効いていた。そして58分、連続攻撃からフランスから反則を奪いアレジがPGを決めて遂に21-25 と4点差に迫った。1トライ上げれば逆転だ。私はピッチに向かって叫んだ。

“おい、勝てるぞ、勝つぞ。この試合勝つぞ !! 負けたら勿体ない。勝つぞ !! “

いくら健闘しても後に残るのは記録だけ。負ければそれしか残らない。あそこまで健闘して惜敗した…なんて日本人以外憶えていない。だから勝ってほしかった。
日本ボールになると“行け!行け!!行け!!!”、フランスボールになると“止め!止め!止め!止めろ~!!” と怒鳴りまくり周囲の人達には迷惑かけたかなぁ….後半に入りと言うよりももう何分間フランスに失点を許していないのだろう..
兎に角、マイボールの時間を長くしてくれ、そうすればチャンスがある…と願い続けた。



しかし、67分日本に反則があり ⑨ SH Yachvili にPGを決められ 21-28 と7点差に広げられる。それでもまだ1TG差、希望はあると思っていたけど71分にNallet にトライを決められその後のゴールも決まって 21-35 になってしまった。
攻撃の中でオープンに展開しだしたフランスが一転して一気に中央突破をはかりだし最後は Nallet が正面から来た小野澤を弾き飛ばしながら決めたトライだった。Nallet 115kg、小野澤85kg。体重差30kgあってはちょっと…..
それでも73分連続攻撃から反則を誘い、ラインアウトを選択しボールを蹴りだすと会場からは拍手とニッポンコールが沸き上がる。 こうなれば最後に意地のワントライを還してくれ~…と願った。
しかしトライを決めたのはフランス。77分と終了直前にもトライを許しそして Allez France !! の中ノーサイドのホイッスルが鳴った時はスコアーは 21-47 と前半終了前よりも得点差を付けられていた。
最後の連続トライもニコラスのノックオンを拾われてからとパスミスを取られて、と日本のミスからだった…..



それでも終了の笛が鳴った後は日本代表に暖かい拍手が送られた。 周囲の人達からも“ナイスゲームだった。下を向くな。”と言われた。 隣の紳士には
“日本には Six Nations も Tri Nations も、来シーズンから Four Nations か、もない。ワールドカップ以外世界の列強と戦う機会が無い。その差が出た….” と言うと、
“日本とニュージーランドは季節が逆だ。日本のオフシーズンに選手をどんどんこちらに送ってここでプレーさせればいい。”と言われたので
“日本選手を受け入れてくれるのかな?”と訊くと
“この日の選手達だったらどこでも受けてくれる。”といってくれた。 それも良い考えだなぁ….
周囲の人達と握手を交わし応援の御礼を行って席を立った。ある人には
“次は日本はどことやるんだ?”と訊かれたので
“ハミルトンで All Blacks だ。”と言うと何とも言えない表情をしていた….

立ち上がりの2トライ喫した事。そしてPGを失敗した事がやはり痛かった。 健闘はしたと思うだけど得点差を見れば8年前 ( 29-51 ) よりも開いた26点差だった。



翌日の新聞は日本の健闘を称える記事満載だった。 Blossoms bravery in vain。 Day of the Minnows。 Livermont worried about inconsistency …. こういう見出しが見られた。
“我々はハッピーでは無い。 失望している、最初に2トライを挙げた時、我々はもう満足していた。おそらくこの日はずっと楽だろうと考えたのだろう。 結果的にそれは警告であり、我々にとっては良い夜ではなかった。日本選手達は大変良くプレーしており恐らくこの得点差を喫するほどではなかったと思う。 試合開始直後、我々は相手よりずっと上回っている。そしてイージーだと思った。こういう考えが後で災難を招く。” Livermont フランス代表監督はこの様に語ったらしい。
そしてフランスのメディアから何が足らなかったのかとしつこく聞かれた時は
“我々は何も案じていない。なぜなら勝ったからだ。 しかし、我々はただ充分な事をやっただけだった。これは警鐘だ。しかし我々は勝った。” と落ち着きを失いながらも答えたらしい。
また地元の英雄 John Kirwan 日本代表監督は
“選手達は勇気を持って闘ったので観客は暖かかった。 我々は東北地方で津波の被害に遭われた方々に勇気あるプレーをすることに就いて話し合った。 結果は関係ない。リビングでテレビ観戦をする人々は何が勇気かを解っている。我々はプレーを続ける事、立ち上がり続ける事、タックルを続ける事で勇気を示す必要があった。 地元のニュージーランド人は解っている。後半は勝利の窓が見えた事を。それは勝てる試合であった。守備で、攻撃で勇気を見せただけでなく70分までフランスと互角に戦った。ニュージーランド人は称えてくれたと思う。” と結果を称賛しながらも
“このレベルので1インチに就いて何度も話した。いくつかの判断ミスやノックオンが重要な時間帯であった。”とミスを悔やんだ。そしてルーク=トンプソンに就いても記事が載っていた。妹の Anna がネットボールのニュージーランド代表 Silver Ferns のメンバーだと言う事や日本に来た経緯。そして次の All Blacks 戦に就いても….
そして日本の選手はフィジカルに限界があると掲載紙は述べていた……

試合後、夜の Auckland はフランス人達が大騒ぎだった。しかしジャパンのレプリカを着ていた私を見ると皆好意的に駆け寄ってきた。その表情は“負けたけど日本はなかなかやるじゃないか…”といったところか…私も心中思った。サッカーなら勝てる。女子は当然。男子も今のフランスなら自信がある…( あまり関係ないか…? )
あるフランス人の御婦人が言っていた。“日本人は素晴らしい。イタリア人は文句ばっかり言うけど。”と言うので
“あぁ… マテラッツィ~~。”と言うと大受けした。 一矢報いたか…? ( 関係ないか?)

このお祭り騒ぎを見てワールドカップに来たんだと言う幸福感が沸き上がって来た。そして少なくともトンガ戦とカナダ戦は期待できるだろうなぁ~ とこの時は思った……..


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