Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

サンガを舐めたらしょっぱいよ….. 04.Dec. 2010 京都サンガ 2-0 FC東京 

2010-12-19 | 夏季五輪
12月4日…. 家族でJ-League をテレビ観戦したのは何年振りだろう…
子供が小さいときには何度か家族でさいたまスタジアムに行ったものだけど…

J-League の最終戦が各地で一斉に行われてたこの日、NHKのBSでは浦和レッズ対ビッセル神戸の戦が中継されていた。これが Bundesliga なら最終戦の全試合がリレー式で中継されるところなんだけどなぁ…
息子がサポートする浦和レッズは最終戦、地元さいたまスタジアムの大観衆の前で苦戦をしていた。31分吉田に先制ゴールを決められ、後半開始早々にはPKを献上して追加点を決められた。この2失点にはスタメンで起用されていたCB濱田が寄与していた。そして濱田はこのPKを機にベンチに下げられてしまった。
“他に選手いなかったのかよぉ…..” 息子の嘆き声が聞こえてくる。
今シーズン4試合目出場の濱田、この試合にめげずに来シーズンは頑張って欲しいなぁ……
神戸はJ2降格がかかっているとは言え、REDS もポンテが J-League 最後の試合だし40,000 人以上の大観衆を集めた地元の最終戦で何とか意地を見せたいとは思っていたはずだ。しかし得点を重ねるのは神戸ばかり。その度にさいたまスタジアムに駆けつけた神戸サポーター達の歓喜の様子が映し出される。 
私は携帯で西京極で行われている愛するサンガの最終戦の進行をチェックしていた。前半34分ドゥトラがヘッドで決めた1点を守り続けていた。
テレビで映し出されるさいたまスタジアム試合は59分に朴康造のゴールで神戸のリードが 3-0 となり、どう考えても浦和の勝利は考えられなくなってきた。神戸が勝点を38に伸ばす事は確実だった。神戸サポーター達は西京極の経過を知っているのだろうか…
そしてロスタイムに入り愛するサンガが追加点を上げた事が知らされた。いつも先制され主導権を握られては終了前にカウンターから失点して黒星を重ね続けていたのはサンガの方だったのだけどこの最終戦は会心の試合運びだった。
そしてさいたまスタジアムでは神戸の小川のゴールが決まり遂に4点差となった。
“神戸残ったなぁ….” “ あぁ・・・東京落ちた。神戸が残るなんてなぁ….”
息子は東京が京都に勝ってJ1残留を果たすと予想していたらしい。
そして家本主審の長いホイッスルが鳴った。一瞬置いてJ1残留を知ったのだろう神戸の選手、そしてサポーター達の喜びが爆発している。
そしてテレビ画面の片隅には失意のFC東京の選手達が映しだされた。

    


そして私は拳を握りしめた。 そして呟いた…

ざまぁ見ろ…. サンガを舐めてただろうが…

誤解の無い様に説明させて貰うがこの “ざまぁ見ろ” は決してFC東京の選手達やサポーター達に向けたものではない。スポーツは対戦相手、競合相手がいて成り立つもの。従い常に共に参加をする選手、チームは常に尊敬の念を払うべきと現役時代に思っていてその哲学は今も忘れていない。

ざまぁ見ろ…. はいつも同様マスコミに向けてのものだ。  
最終戦を前に残留争い対象3チームの対戦試合、仙台 vs 川崎、浦和 vs 神戸、
東京 vs 京都 の中で最も“専門家、解説者”のコメントが少なかったのは京都だった。既に“東京が勝った前提”での星勘定解説をする者やFC東京の戦術ばかり載せる媒体ばかりであった。既にJ2陥落が決まっている京都なんて….と思っていた“ジャーナリスト”ばかりだった。そして京都の事を全く知らない“専門家”にとってはその様な予想で誌面を埋めようとしていたのは見え見えだった。
“ベルディの存続が危ぶまれる中、FC東京はJ1に残るべき。”てな“コラム”も見た。良きにつけ、悪きにつけJ2降格のとっくに決まっていた愛するサンガの試合が初めて注目された最終戦を前に私はこころの底から思った

“よ~~し。やってやろうじゃないのぉぉぉ~。”

出張中、アジア大会男女サッカーの快進撃の結果を知る度に勇気付けられていたが、もたらされるのは良い知らせばかりでは無かった。
11月14日、愛する京都は浦和 REDS に 0-2 で敗れ4度目のJ2降格が決まった事を知った。 第26節清水戦の土壇場で引き分けた時は希望を抱いたものの28節で川崎に激戦の末敗れた時は覚悟を決めていたが、やはり実際に現実を突きつけられると….. その後も糸の切れた凧の様に意地を見せることなく敗戦を重ねたサンガの勝点は最終戦を前にわずかに 19のままであった。

今季4勝目となった最終戦はテレビ観戦すら出来なかった。正直、日本代表に何人も召集さんれたFC東京に大苦戦はすると思っていた。その反面4月17日の第7節の対戦では 1-1 で引き分けている。決して勝てない相手では無いと思った。
勝利の要因は何と言っても今までなかなか挙げられなかった先制ゴールが挙げられた事。ドゥトォラの今シーズン5ゴール目となるナイスヘッドだった。
後半はFC東京がシュート10本を放つなど攻勢に出る時間が長かったと聞いているがロングボールが多用されたらしい。だがいくらサンガが弱いと言われていてもCBの水本は北京五輪のレギュラーで郭泰輝は韓国現役代表レギュラーだ。空中戦は苦手ではなかった。むしろ試合前は大黒や大竹の様な選手がスタメンで使われる事を私は懸念していた。 大竹は試合後
“投入された時はパワープレーみたいになっていて、僕の頭を越える様なボールが多くて….” とコメントしていた。

        
シーズンいっぱいでサンガを去る柳沢のゴールは生まれずついに73分にピッチを去ったがロスタイムに入りGK守田からの“パス”を繋ぎあっと云う間に東京ゴール前に迫ったドゥトラがGK権田に倒され得たPKをディエゴが決めた。 サンガ会心の試合運びだった。やっと最終戦で、見せてくれた。降格がとっくに決まった後だったけど対戦相手は勝つ必要があった。その相手から勝利を収めたのだった……

   

今シーズン見せた最高の試合だった。
試合翌日、マスコミの主役は神戸と東京だった。そしてFC東京の降格を憂うコメントが躍っていた。 “このまままでは東京都の子供達がサッカー離れをおこしてしまう。”と云う行もあった。
もっとも疑問に感じたのは元川崎フロンターレでプレーした解説者が翌日の出演番組内で言い放った一言。

“FC東京のサポーターは本当に熱いんです。そして今本当に悲しんでいるんです。だから是非1年でJ1に戻って来て欲しいですね…..”

   あのなぁ….

降格するのはFC東京だけじゃないの。湘南も京都も降格するの。ベルマーレやサンガのサポーター達は冷めているっていうのかい? そして降格を悲しんでいないっていうのかぃ? 解説者として話したり書いたりしたことで稼いでいる人がそんなこと言って良いんかいな????

その後愛するサンガは大木新監督そして祖母井ディレクターの登用を決め新体制で来シーズンに臨むことが発表され、FC東京は主力が殆どチームに残ってJ1復帰を目指すとの報道があった。
降格したチームが容易にすぐに昇格出来るほどJ2は甘いとは決して思わない。しかし私はサンガの1年でのJ1復帰を願う。例えマスコミに取り上げられなくても……

  

日本男女戴冠 アジア大会を制す 

2010-12-09 | 夏季五輪

11月23日商用で欧州を訪れていた私は最後の訪問地ポーランドの首都ワルシャワからようやく帰途に着いた。
久々に訪れたワルシャワの街の激変に驚きながら、雨の中タクシーで Warszawa Chopin 空港に向かう車中ではラジオがかかっていた。すると運転手が私に “ Korea, war start, both Korea battle each other “ と教えてくれた。また南北間で軍事衝突らしきものがあったか北朝鮮がまた韓国軍に向けて発砲をしたんだろうなぁ…くらいに思っていた。“ Dziekuje, I’m Japanese. “ こう答えると、運転手氏は私に、”Oh you no problem “ と笑いながら云った。
だが翌日に黄海上の北方限界線付近に位置する韓国側の延坪島に朝鮮人民軍が実弾を発砲し韓国民間人にまで被害が及んだことを知った時は本当に驚いた。
そして思った。“アジア大会期間中なのになぁ…”

Warszawa Chopin 空港もすっかり新しくなっていた。初めて来た時はまだヴィザが必要だったけどとっくにそんなの無くても入国出来るようになっている…
搭乗する前に携帯電話でキックオフされたばかりのアジア大会の男子サッカー準決勝戦、日本対イラン戦の経過をチェックする。こういう事が出来る事自体が隔世の思いだ。 しかし6分にイランのアフシンに先制ゴールを奪われていた。今大会日本男子、初の失点だった。さすがに決勝トーナメントにはいると対戦相手は違う。タイは何とか無失点に抑えたが、やはりイランは…と思った。
今大のイランは1次リーグ 4-1 トゥルクメニスタン、 1-0バーレーン、1-0 ベトナム 決勝トーナメントに入って1回戦 3-1 マレーシア、1-0オマーン、5連勝で準決勝に進んで来た。メンバーも U-23 に GK Rahmati, MF Hosseini ら前のワールドカップ予選メンバーを含む over age 選手3人(もう1人は FW Rezaei ) がいる。
他にも FW Ansari Forad Karim の様なA 代表 21caps 24 goal と云う選手も含んでいる。アジア大会も1974、1998, 2002 大会で優勝をしている。釜山大会の決勝戦で日本が敗れた相手がイランだった。苦戦は必至だった。ひょっとしてここまでかもしれないかなぁ..と少し思った。そして搭乗時間になったので機内に乗り込んだ。こういう事も航空機内で知ることが出来る日もそのうち来るだろうなぁ…と思いながら。 

トランジット空港のヘルシンキ空港に到着したのは1時間半後。試合は丁度終わったばかりの頃だった。飛行機を降りて早速携帯を取り出す。すると“日本男子サッカー逆転で決勝進出。”という見出しが目に飛び込んだ。またも思わず握りこぶしを握った。そして呟いた。 “日本勝ちました。決勝進出です。勝ちました。”
我に帰ると周りに日本人が10数人いたのに気が付きの急に恥ずかしくなってすぐ近くの Duty Free Shop に駆け込んだ…… 

 


決勝戦はこれで日韓戦だなぁ…でも今度こそ苦戦するなぁ…朴主永のガッツポーズが浮かんだ、逆転勝利の嬉しさと決勝戦で苦戦する事が入れ混ざり複雑な気持ちになった…でも勝利の余韻の方が強かったかなぁ…

雪のヘルシンキからの搭乗機が成田空港に到着してさっそく売店に立ち寄り決勝ゴールを決めた永井が一面を飾っているスポニチを購入した。そして決勝戦の相手がUAEとなった事を知った。韓国負けたのか…



それにしても UAE は何て粘り強いんだろう。準々決勝ではワールドカップメンバー10人を含む北朝鮮にPK 勝ち。準決勝でも延長戦の末に韓国を降している。北朝鮮、韓国を完封する守備力に対し日本の攻撃陣が得点を挙げられるだろうか、と思った。しかし決勝戦の相手が韓国で無かったので優勝の可能性は大きくなったと思った。

帰国した翌日に行われたアジア大会男子サッカーの決勝戦。
90年代に入り日本はアジアで最列強国となりワールドカップに出場出来たり Asian Cup で優勝を収めたりしたがアジア大会でのタイトルはまだなかった。
今は U-23 の大会となり、かつての様にアジアサッカー界では重要な大会で無くなったかもしれないがここまで来たら優勝して欲しかった。日本が優勝すれば初優勝だけど東アジア勢でも1986年ソウル大会で優勝した韓国以来となる。これまで5大会連続で西アジア勢とウズベキスタンにアジア大会のタイトルを独占され続けていたのだった。
UAE サッカーの印象は一言 “ 粘り強い守備 ” 。1990年ワールドカップイタリア大会では韓国とともにアジア地区予選を突破し本大会出場を決めたが、1次予選を勝ち抜いた6カ国が集ったシンガポールで開催された(一部試合はマレーシアで開催された)最終予選は韓国が頭一つ抜け出ておりあとの5カ国はほぼ横一線。
日本は最終予選には進出できなかったがNHK BS で中継されたこの予選、どこが勝ち抜くか楽しみだった。そして本命韓国と並んで勝ち抜いたのが UAE。1勝4分勝点6でカタール、中国を抑えて2位に入った。その1勝が中国戦。韓国とは最終戦で当たり、韓国はその前の試合で既に予選突破を決めていたと言う幸運も手伝い引き分ける事が出来たのが大きかったと思った。

以降はワールドカップ予選では2度日本の軍門に降り目立った戦績は1996年地元開催の Asian Cup での準優勝くらいであった。
今大会のUAE はU-21 が15人でU-23 の選手が5人のメンバー構成。決勝戦は韓国戦、北朝鮮でスタメンだった FW Al Kathiri と MF Alfalasi がベンチスタートとなり FW Aljenaaiby と北朝鮮戦は出場停止だった MF Al Musabi がスタメン起用された。 
日本は同じスタメン。疲れが心配されたが、UAE は2試合連続で120分試合をしていたのでまだ疲労は日本の方が少ないかと思った。
UAEは今大会、引分けた初戦の香港戦 ( 1-1 ) でゴールを許したが、以降は無失点。試合前日本は先制を許すと逃げ切られて勝てないと思った。そして最も警戒すべきはこれまで2得点のサイドバック Bloushi Abdula と3得点の FW Aljenaibyだと思った。

試合はUAEが立ち上がり攻勢に出て来た。特にMF Al Amoudi の前線へのロングパス、ミドルパスが効果的。3分 DF Bloushi のスローインを受けた Al Amoudi が入れたロブに FW Al Musabi が園田と競りながらゴール正面から走り込むが僅かに届かなかったが危ないシーンだった。
更に5分にもFKから Al Amoudi がゴール前にいれるが僅かにフリーの Al Musabi に届かない。その1分後園田が右サイドでAl Musabi を倒して与えたFKを AL Amoudi が中に入れるが走り込んだ MF Al Hammadi が空振り。9分には FW Al Jenaby とのパス交換で右サイドから抜け出したAl Moudi が逆サイドに振りFW Al Alabry がオーバーヘッドシュートを放つがGK安藤の正面に。
UAEは中盤でもパスを繋いで来て時折ロングボールも入れるがそれを日本DF陣が跳ね返してもそのクリアーボールを拾われてしまいまたUAEの攻撃にさらされる。
前線は永井と中盤が寸断されてしまいシュートに持ち込めない。そしてUAE DF陣はマークに着くのが早い。さすがに永井は簡単に捕まらないが、山崎がボールを持つと2人、3人とすぐに囲んでしまう。恐らくUAEは日本は北朝鮮、韓国ほど攻撃力が無いと見て、何とか先制ゴールを奪って後は強固なDFで逃げきろうと思ったのではないか?
それでも17分にカウンターから山崎がドルブル突破で上がって来て DF Albalooshi にファールで止められ、19分には左サイドを永井が水沼とのパス交換で抜け出しシュートを放つと日本もリズムを掴みだした。
と、思うも23分には Alabry が實藤をかわしたところを永井が戻ってチャージに入ったプレーがファールにとられ与えたFKを Al Hammadi が放り込むと Almusabi が走り込みヘッドで合わすが GK 安藤がナイスセーブで防ぐ。34分には Al Amoudi が日本ゴール前に縦パスを入れ、一旦は左サイドに出され、再び入ったクロスを Alabry が後ろに戻し走り込んだ Al amoudi が正面から放ったショットはクロスバーを越えた。前半途中から Al Amoudi が左から中に入って起点になりボランチの Al Hammadi が攻撃に絡むようになってきた。日本も35分に山口のドリブル突破がAl Hammadi のファールで止めれれ得たFKを水沼が直接狙ったがポストの左に外れ、43分には中盤から UAE ゴール前にいれられたボールに永井が走り込みダイレクトで惜しいシュートを放つなど押し返したが全般的にUAEが優勢に試合を進めた前半であった。
シュート数は UAE が4に対して日本は 2。枠内シュートは UAE が 2 に対して日本は 1 であった。 

    

準決勝では韓国に一方的に押されていたらしいが、決勝戦のUAE は攻撃する時間も長く DF も押し上げて来れるので、その裏をとる反撃が出ればと思った。
そして地元中国の観客のブーイングもよく目立っていた。

後半に入って開始早々の48分、 Al Musabi が中盤から右サイドをドリブルで突破、山崎、比嘉をかわして入れたクロスを Alabry が放ったシュートはポストに当たりその跳ね返りがGK安藤にあたり再びポストに当たりまたも安藤に戻って来て奇跡的に失点を防いだ。前半から何度もゴールを割られてもおかしくないシーンが続いていた。 50分には Albalooshi が山崎からボールを奪いミドルを放つがポストの右に外れて行き、62分には Alhammadi がCK から Al Amoudi とのパス交換で上手く抜け出しシュートを放たれるがここもGK安藤がストップ。64分には Bloushi が真ん中から抜け出し放ったシュートはまたもGK安藤がセーブ。 この試合の殊勲者は間違いなく安藤だった。
観客席からは UAE が攻撃時は歓声が上がり、日本が攻撃に転じるとブーイングが起こる。 それでもスタンドには日本人サポーターの姿も見られ、時折テレビからも“ニッポン、ニッポン” の歓声が聞こえて来た。これはテレビを見ている私でさえ勇気付けられた。
そして72分左CKを得た日本は水沼がまず東に渡し再びPA付近でボールを受けた水沼が逆サイドにクロスを送ったところを實藤がフリーで受け放ったショットが逆サイドゴールネットに突き刺さり、北朝鮮、韓国が奪えなかったゴールを日本が奪った。 實藤のポジショニング、トラップ、シュートの一連の動きも素晴らしかったが水沼のクロスも素晴らしかった。 彼の父親が現役時代、何度か日本代表の為にゴールを挙げた事を思い出した。


先制を許した UAE は失点から2分後に Al Musabi, Al Jenary を下げて Al Kathir と Al Shehhi を入れる。 Al Shehhi は長身選手。真ん中に入り左に Al Arby 右に Al Jenary が入り最前線は3トップに。 82分にはクリアーボールを拾った Al Balooshi がすぐに前に送り Al Shehhi がヘッドを放つがポストの左に外れる。だが、Al Shehhi の高さを生かす攻撃はこのシーンくらいであとは中央からスルーパスを狙うシーンが続く。
だからかえって日本がピンチを招くシーンが減り、日本の攻勢が見られる様になった。 特にFW永井は最後まで UAE DF 陣に走り負けする事なく終了間際に2度UAEゴールに迫るシーンがあった。 4分あったロスタイムも守り切りウズベキスタン人の Kovalenko 主審の試合終了のホイッスルが鳴り響き、日本サッカーが今大会男女揃っての金メダルを勝ち取った。 

 

男子サッカーは対戦相手に恵まれた、とも言われているが初戦で中国を 3-0と撃破する事など誰も予想出来なかっただろう。タイもイランも U-23をベースにした構成。 UAE は U-21 をベースにして選手達で主力はイエメンで行われていた Gulf Cup of Nations に出場していたが GK Housani Ali Khasei は over age でワールドカップ予選の第一代表GK。 AFC の大会と異なり世界大会への予選を兼ねた高いでは無く各国の力の入れようも揃わなかったが、日本チームは大会への準備期間も皆無に等しく、マスコミからの注目もあまり高くなかった中でも快挙は高く評価されるべきだ。
そしてこのアジア大会では中国、韓国に大きくメダル数で水を開けられたがサッカーは男女揃って金メダルを勝ち取った事で“一矢を報いた”といえるだろう。 

 

“あの時(アジア大会)はよかったな~、と後で思わない様にこれから頑張りたい。” 大会得点王の永井がこう語っていた。大学生7人を含んだこのチームのメンバーが更に飛躍し五輪、ワールドカップメンバーにどんどん入っていく事を願う。

それにしてもよく決勝戦に残ってくれた。私がテレビで観戦出来た唯一の試合が男子の決勝だったから….

大会後地元中国紙より

日本で造り上げた事が自信を与える

11月25日アジア大会男子サッカーの決勝で日本が UAE を 2-1 で降し金メダルを勝ち取り。銀メダルは UAEそして韓国が銅メダルを獲得した。香港が全体の12位に入り、中国は10位に終わった。

實藤のゴールで勝利を収めた後の記者会見で節か監督はこう語った。
まず最初に対戦相手の UAE を彼らは大変タフであったと称え、この日の日本の出来は普通であった事とサポートしてくれた人達を大変感謝していると述べた。大会に就いては毎試合終了ごとにその試合を分析し次の試合に備えた。我々は常に同じ目標を持っている事を確認しあってその目標に向かって努力を惜しまなかった。
それが日本のやり方で、大会に参加した選手達は皆精一杯プレーしてくれてその事に大変感謝している。

決勝戦に就いて尋ねられると、試合前に選手達に中盤でのチェックを厳しくするように。特に10番Al Musabi と27番Al Amoudi の2人は要注意だったがDF陣は良く対応してくれて耐えてくれた。と答えた

決勝ゴールを決めた實藤は“決勝戦でゴールを決められて大変嬉しい。なぜなら準決勝のイラン戦では少なからずミスを犯してしまったからだ。だから決勝戦ではそれを取り返したかった。ゴールを挙げられて本当に嬉しかった。我々のチームはコミュニケーションが非常に良く取れているこれが勝利のカギとなった。五輪に出場する為に日本代表にならねばならない。この様に語った。

日本がアジア大会のサッカーで金メダルを勝ち取ったのは初めてである。この大会での経験を関塚監督はどうやって生かすのだろう? “私にとってアジア大会での優勝は大変嬉しい結果だが、最終目的では無い。将来は更に上を目指していくように努力していきたい。” この様に結んだ。

張路:日本の様になるには20年はかかる。


中国では著名はサッカー解説者である張路氏は今大会を振り返ってこの様に語った。アジア大会はエキサイトな大会だった。そして今大会は今のアジアの様相を反映していた。大会には多くの有望な選手が見受けられ、準決勝、決勝戦では3,4人の今後のアジアサッカー界を担う様な選手達が見られた。
日本が男女ともに金メダルを勝ち取る事は予想できなかった。女子は比較的レベルが高いと思われていたが日本男子はあくあまでもベストなチームでは無かった。それでも対戦相手に勝ち続けられたのは日本のサッカーのレベルが高いからである。長年を掛けて人気を得て若い選手育成に成功しここ何年間で日本の進歩は着実に効果を出している。見ての通りに日本サッカーは多くの支持を受けそれが進歩の要因となっている。そして各年代で多くの優秀な選手達が生まれており、その見通しの良い将来性のある選手達と我々は対戦せねばならない。

また決勝戦で敗れはしたが UAE は決して日本よりも劣ったレベルでは無かった。
彼らは日本ゴールに何度も押しかかりむしろ日本より優位に試合を進めていたが幸運に恵まれなかった。彼らもまた大きなライバルとなるだろう。

アジア大会を通じて中国サッカー協会の指導者達は中国サッカーのステータスを理解してほしいと思う。今のアジアでの位置づけを良く理解し、これからどうやってその地位を上げて行くかを考察せねばならないだろう。

良い試合をしたが勝てなかった UAE 監督

決勝戦後UAEの Redha Mahdi Ali 監督と MF のAl Musabi が記者会見に臨んだ。 Redha 監督はまず最初に優勝した日本チームを称え祝辞を送った。そして潜在能力を見せたUAE の選手達にも賛辞を贈った。

この日の試合に就いては、と云う記者からの質問に対し
“準決勝戦よりは良いパファーマンスであった、しかし日本のゴールを破れなかったと語った。 選手達は決勝戦を楽しんだと思う。そして観衆を満足させられたとも。我々の攻撃陣はゴール前まで何度も迫ったがあと一歩及ばなかった。 彼らは良くやってくれたが結果が出なかった。それがfootball だとおもう。

アジア大会での UAE のパフォーマンスはあまり多くの人が予想していなかったのではないかとの問いには Al Musabi は
”対戦相手はどこも大変強かった。韓国戦などは我々の攻撃機会が無いくらい攻め込まれた。しかし我々はゴールを上げる事が出来た。それはアジア大会でメダルを勝ち取った事で証明出来た。 我々は五輪予選を突破出来る事を願っている。この大会の結果によって一度失った自信を取り戻せる事を期待している。

アテネ五輪予選では UAE と同組だった。また同組になっても日本が勝ち抜いてくれることを信じよう.....


Hamburg に届いた吉報 撫子アウェーで中国を3連破 !!

2010-11-22 | 夏季五輪

11月21日、商用で訪れたドイツの港町ハンブルグ。
いつもお世話になってばかりのGさん宅にまたまたお邪魔する。
商売の話や今の経済、政治、外交の話や当地の邦人事情など話は尽きない。
そしていつも厚かましい私はこの日もおいしい日本式の家庭料理を頂いた。
海外出張で一番有難いのはここで頂く様な家庭料理だ。私は辛口料理以外は比較的何でも食べられる方なので外食やファーストフードが続いても全く苦になら無いが、2週間以上も出張が続くと本当に暖かいごはんや御味噌汁そして卵焼きを出して頂くと涙の出るほど有難く感じる。
10年以上もお付き合いさせて頂いているGさんとは外交の観点も一致している。(と、いうか自分はこれが正しいと思っている。) 

昨年夏からいつも話題に上るのは与党となった民主党政権の外交。
“日本は一気に共産主義国家、いや中国の属国にならねばならない様な気がして来ていて逆に一般市民は国体保持に何が大事かが分かり始めているみたいですよ…しかし今の官房長官は何か中国に弱みを握られているんじゃないですか??女とか金とか…”
“そうかもしれないけど、元々彼奴は ”共産主義推進者“だ。日韓条約の正当性を疑う発言をしたりそうかと思えば村山談話を崇拝したり。早く官房長官を降りて貰わないと。”

てな、話をするのだけど、それがGさんの様に海外在留の邦人の方々は本当に心配でたまらない様だ。ある時オーストラリアのお客さんと電話で商談をしていた時は最後に
“私が帰国するまで日本は残っていますか?北方4島も竹島もそして尖閣諸島も上げて良いって今の政府は思っているんでしょう?...心配ですよ、何で民主党に投票したんですか?”
“いやいや私は昔から民主党の支持などしていないですよ。大丈夫です、領土は我々一般市民が守ります。私が守ります。だから安心して機械を新たに購入してそちらで商売続けてください。….”

でもまだ注文は来ないなぁ…??

中国広州で開催されているアジア大会。Gさんも日本人選手団への不可解な判定やいわれなきブーイングを懸念されている。
選手同士はお互いにスポーツマンシップに乗っ取りフェアーにやっていると思うけど、やや日本不利な判定が行われたことも御存知らしい。金メダル数で韓国に差をつけるのも気になるけど....
 
そんな中サッカーは男女揃って地元観客を静まりかえらせる快挙を成し遂げた吉報が入って来た。女子サッカーの準決勝戦、中国スポーツ紙のサイトで試合の経過を追っていると延長戦に入った 107分日本先制を知った。そしてそのままタイムアップ。激務の続く出張の道中に入った吉報に思わず拳を握った…

何度でも言わせてもらう。2007年中国で行われた 女子のFIFAワールドカップ。
日本選手がボールを持つ度に浴びせられるブーイングに彼女達は耐えながらも1次リーグを突破出来ずに大会を後にした。最後に“観客に向けて”選手達は“ARIGATO謝謝。CHINA “ の横断幕を掲げて一礼したがピッチをさる彼女達に観衆は嘲笑と後ろ指を指し続けた….. そういう報道を日本のマスコミはしない。 

     

だが我々日本人は他国の国旗を燃やさない。そして撫子達は次のステップに向けてただ全力を尽くすだけだった。
北京五輪準々決勝、ワールドカップ予選を懸けたアジア選手権そしてこのアジア大会、いずれも中国で行われた試合で中国女子代表と云うよりも “ブーイングを楽しむ” 下等な中国人観客たちを見事に黙らせて捻じ伏せたのだ。

こういうのを“胸のすくような思い”と云わずして何と言うのだろう !!!!

11月18日 中日戦が決まった……

グループA2位となった中国女子代表は準決勝戦で日本と対戦する事となった。
試合は28分に中国の庬豊月が危険地域から放ったボレーシュートがポストをかすめ、86分には劉華娜のシュートがサイドネットを直撃するなどチャンスはあったが得点に至らず韓国女子代表とのグループリーグ最終戦は0-0 のまま90分間で勝負が付かず、両チームは得失点差、総得点で並び直接対決でも引分けに終わったのでグループ順位を決める為に大会規定により行われた PK 戦は3人目に登場した庬豊月と9人目に蹴った屈珊珊の2人が失敗した中国女子が 7-8 で敗れ、準決勝の対戦相手は日本に決まった。
中国、韓国共にベトナムとヨルダンを降し得点11、失点1で臨んだグループリーグ最終戦は準決勝の対戦相手が日本か北朝鮮かを決める試合となった。中国女子はフォーメーションをいくつか替え、翁新芝と組むCBは袁帆、于雅慧が左サイドバックに、中盤は孫莉莎と張娜が中盤に入り徐媛と組む2トップには王一航が起用された。
試合は開始直後の2分中国が韓国ゴールに迫り右サイドでボールを掴もうとした韓国GK金民烔がファンブルをするがここはキーパーチャージの判定。 6分には韓国の田佳芝が右サイドを上がりロングボールを受け、マークに入った袁帆に倒されるがノーホイッスル。 9分には中国FW徐媛が右サイドを上がり弾道の低いシュートを放つがゴールには至らない。開始15分はお互いに速い動きで相手ゴール前に迫るシーンが続いたが韓国女子の方が危険地帯で人数を掛けて攻め込んでいた。18分から韓国女子はロングボールを多用する様になりボール支配率も60%にもなった。
しかし中国DF陣も組織的に守備を形成し対応した。だが26分に危険地帯で王一航がヘッドをミスし、シュートを許した。その1分後には韓国MF陣に中盤でボールを奪われシュートに持ち込まれたがGK 張越がストップ。28分、今度はスローインから繋いだ中国が最後は攻撃参加した劉華娜がシュートを放つが韓国DFに当たってCKにその左からのCKから劉華娜がエリア外正面から放ったショットはブロックされ、庬豊月がこぼれ球を拾いシュートを撃つが大きく外れた。
韓国チームは時折FKを得るがそこから中国チームに脅威を与える事は無かった。34分には李銀美がロングボールに走り込むが対峙する中国DF陣が対応、40分に中央突破を見せた韓国は朴希英がエリア外の正面からシュートを放つがGK張越がキャッチ。 44分、朴希英が振り上げた足が翁新芝の胸に入り中国がFKを得るがそのFKからの袁帆のヘッドは大きく外れた。 その1分後今度は韓国が攻撃に転じ池笑然が抜け出すがシュートはGK張越の正面に。前半ロスタイムに入り庬豊月からのロングパスを受けた王一航がミドルシュートを放つが韓国 GK 金民炯がキャッチ。前半は両者無得点のまま終わった。 

    

50分韓国は袁帆のトラップミスを池笑然が拾ったが朴希英へのパスが遅くシュートが撃たせられなかった。そして更に外に回して左からのクロスに朴希英がヘッドで狙ったが高く外れた。 56分には中盤でボールを奪った韓国が中国ゴールに迫るが翁新芝がクリアー、更に韓国は攻撃を続け最後に朴希英が放ったシュートはサイドネットを直撃した。
劣勢続きの中国は52分に孫莉莎を下げて屈珊珊を投入したのに続いて59分に劉華娜を下げて古雅莎を投入した。 後半に入り中盤でフォーメーションを形成出来なかった中国であったが徐々にボール支配率も対等になりつつあったが決定的ななかなかチャンスは作れなかった。 69分には張娜が右サイドを突破し中央の徐媛にボールを送るが韓国DF陣の堅いマークにシュートが撃てず、77分には于雅彗が倒されて起き上れずそのまま周高萍に替ってベンチに下がった。
韓国の右サイド攻撃には于雅彗が対応していた。試合が終盤に差し掛り両チーム先制ゴールを求め続けたがどちらかと言えば守備的な戦いになって来ていた。
82分には左からのクロスに攻撃参加した韓国CB 金度研がヘッドで狙うがクリアー。86分には速攻を見せた中国FW王一航が庬豊月にボールを送るが韓国DF陣の戻りも遅くなくシュートを撃てない、こぼれ球を拾った劉華娜が右から中央に向けてシュートを放つが惜しくもポストをかすめた。 88分には屈珊珊が左サイドを上がり周高萍がコーナー付近からクロスを入れるも韓国DF陣がクリアー、ロスタイムが4分と表示され92分には交替出場の金达莱が中央からシュートに持ち込むが屈珊珊がブロック。さらに終了直前右サイドから柳志恩が切れ込むが一瞬シュートをためらった為に張娜にブロックされた。
試合は90分ではスコアレスのまま決着が付かず大会規定によりグループ内順位を決める為のPK戦が行われた。中国の1人目はGK張越。ベテラン張越が決めた後には翁新芝、徐媛が連続して決め、韓国も最初の3人は全て決めた。
しかし中国4人目の庬豊月と韓国4人目の柳志恩のショットは高く浮いてしまった。以降中国は劉華娜、袁帆、王一航、周高萍らが4人続けて決め、韓国も同様に外すことなく9人目のキッカーを迎えたが中国、屈珊珊のPKはGK金民炯に弾き出され、韓国は9人目の柳英雅が決めて中国がA組2位となり準決勝のカードは中国対日本、北朝鮮対韓国と決まった。 

    

中国:13-張越;15-于雅慧(77分,3-周高萍)、5-袁帆、6-翁新芝、2-劉華娜;7-孫凌(59分,11-古雅莎)、4-孫莉莎(52分,18-屈珊珊)、16-張娜、17-庬豊月;8-徐媛、12-王一航

韓国:1-金民炯;6-柳志恩、4-金度研、5-洪庆淑,3-柳銀美;14-田佳芝,
10-池笑然、8-朴仁正(72分、16-金达菜 ), 7-権丙娜;19-崔妍喜(46分11-金守韻) 9-朴希英 (80分,17-柳英雅)

中国男子五輪チームが韓国チームに 0-3 で敗れ約30,000人の観衆から“解散”コールが起こったがこの日PK戦で敗れた中国女子チームには次戦に向けての“加油”が沸き上がった。
試合前中国女子選手達は韓国戦に向けて自信を覗かせていたが、男子五輪チームの事もありこの試合は少し難しい雰囲気にもなっていた。 前半選手達の動きは切れが無く韓国チームのプレシャーに後手を踏んでいたが後半李霄鵬監督の2人の選手交替が功を奏して次第にペースを掴み韓国ゴールに迫るシーンが見られる様になったがミスもありゴールは割れなかった。
90分が0対0で終わった時、観客は拍手を送りながら帰途に着き出したが“グループ内順位を決める為に PK 戦を行います。”と云う場内アナウンスを聞いて慌てて席に戻る観客が多かった 試合前にもし両チームが引分けたならPK戦を行うと言う事は解っていたが誰も予想をしていなかった様だった。
PKを蹴った17人の選手の中で、庬豊月がPKを失敗した時、主審がGKが早く動いたと蹴りなおしを認め、観客から大歓声が沸き上がり固唾を飲んが観客の見守る中再び庬豊月はPKに臨んだがまたも失敗をしてしまった。しかしその直後の韓国側のキッカーも失敗しPK戦は9人目までもつれ込んだ。
そして中国9人目屈珊珊が外し勝負が決まった後でも李霄鵬監督は、“どんな結果であれ騒ぎはしない、サッカーは楽しいスポーツだ大勢の観客の前で行うPK戦は良いメンタルトレーニングだ。このPK戦は選手達のプレッシャー対策の手助けとなるだろう。” この様に結び次の試合に備えた。 
      

アジアの球技の中では女子サッカーは比較的世界レベルに肩を並べられる種目と思う。従って来年のワールドカップに向けてこのアジア大会で結果を残す事は重要だとも思う。韓国、中国はアジア地区予選を突破出来なかったけど、本大会に進出していればベスト8を争う実力はあるのではないかな??
特に最近は韓国女子の台頭が目覚ましい。今年 FIFA U-20 で3位,そして U-17 では日本をPK戦の末に破って優勝を果たした。一時、女性がスポーツ等を…と言われた時期もあったらしいが1986年ソウルアジア大会からそれまでバレーボールしか目立たなかった女子のレベルが上がって来た。そしてついにサッカーまでも…

一方まだ世界ランクでは上位に位置しているが中国女子サッカーの凋落は深刻だと思う。
一時は世界のトップクラスだったのだけど、今年はワールドカップ予選を兼ねたアジア選手権で日本に敗れ来年のワールドカップ出場権を失ってしまった。
今中国ではその凋落ぶりが様々な角度から議論されているらしいが私はその原因は一人っ子政策にあるとおもう。 政策により女の子が少なくなっていてしかも結婚市場は“売り手市場” スポーツなどしなくても欲しいのもは手を伸ばせば何でも周囲の男が準備してくれる世の中であると思う。 

私が学生時代はまさにそうだった。普通の女の子だったらそれだけで2~3人男が参加して争奪戦が始まり、平均以上の綺麗さや可愛さを持った女の子を巡ってはまさに自家用車の車種が決め手となる “ハイレベルな大激戦”がはじまり、更には傷害事件、殺人事件まで発展したという報道も少なくなかった。 それだけ男もまさに肉食系のがつがつした奴等が多く飢えていたんだろう…

あぁまた同じことを愚痴ってしまった….   中国戦に続く……..


New Zealand All Whites ここにあり 楽しみは4年後に....

2010-08-15 | 夏季五輪

イタリアベンチは後半に Gilardino に替えて Di Natale , Pepe に替って Camoranesi を投入したけど、 Pepe はどうして替えるのか?と思った。
それでもイタリアの総攻撃で後半の幕が開けた。48分47秒 Montolivo から右サイドの Di Natale に送られ Tommy Smith がマークに入る前にシュートを放つがPaston の正面に。55分には Criscito が左サイドからクロスを入れるが Vicelich がクリアー。 55分47秒には Lochhead が Camoranesi を倒してFKを与える。しかしここも長身揃いの All Whites DF, MF陣が跳ね返す。All Whites とは言え空中戦ではアズーリ相手でも大いに分があったがそれだけでない、肘をせり出す“イタリア的なタフ“ なプレーもこれは日本を含む今大会参加国全てにあるわけではない彼らの Advantage だった。
しかし Bertos のドリブル以外攻撃は列強のイタリアDF陣を破る事はほぼ不可能に見えた。60分9秒 De Rossi から Iaquinta にスルーパスが入りフリーでシュートを放つが痛恨のミス。
その直後に Lippi 監督は最後の交替選手 Pazzini を Marchiso に替えて投入する。すると Herbert 監督も FW Fallon を下げて FW Chris Wood を投入する。まだまだ守備の選手を増やさない。まだまだ戦うぞと云うサインだ。 62分40秒には Cannavaro のスローインから Criscito がシュートを放つが僅かに外れる。 69分52秒には Montolivo のミドルがさく裂するが Paston がまたも右手一本でセーブ。72分、久々に All Whites がイタリアゴール前にまで迫るがそこからイタリアはカウンターに転ずる。しかし最後は Nelsen が必死に戻ってクリアー。その前に Smith が倒されたけど笛は鳴らなかった。
79分、CKから Iaquinta がヘッドで Camoranesi に折り返そうとするがその直前に Reid が高さで制してヘッドでコーナーに。そのCKから Camoranesi がシュートに持ち込もうとするが今度は Vicelich がブロック。 
81分 Vicelich に替ってJeremy Christie が投入される。 Christie は中盤の選手。これで Elliot がDFラインに入った。だがまだまだ専守防衛に移りはしない。
そして82分ニュージーランド国民が一斉に身を乗り出すシーンが。PA付近で縦パスを受けた Chris Wood が Cannavaro を振り切り右ポストを目がけて放ったシュートはスロービデオを見ている様に右ポストをめがけて転がるがポストの左を通過してしまった。イタリア国民は心臓が凍る思いだっただろう。だがこのシュートがAll Whites の選手達を勇気付けたのは言うまでも無い。そしてイタリアDF陣も容易に後ろを開けられなくなって来た。
85分、 イタリアの猛攻に立ち向かい続けた Nelsen が倒れて動けない。脚がつったようだ。担架が持ち出されるが、これに乗せられると一時的に All Whites は1人少ない状態で戦わねばならない。なかなか動かない Nelsen に Batres 主審からイエローカードが出される。 時間稼ぎと取られたか?
87分55秒 Camoranesi のミドルが飛びCKに。そのCKから Iaquinta がヘッドを放つがゴールポスト左に外れる。89分57秒には右サイドから中に切れ込んだ Zambrotta が Smith を外して放ったシュートは Camoranesi の前で Nelsen が身を呈してブロック。 ロスタイムは4分と表示された、イタリアが逆転するには充分な時間だ。 90分55秒には Montolivo が放ったシュートは Paton がキャッチ。スタンドの白色の衣装をまとっていた All Whites サポーター達はその白いシャツ等を振りまわして声援を送る。その中に女性1人、彼女のブラは Black だったけど…

そして91分55秒、今大会私が日本戦以外で最もエキサイトをした瞬間が訪れる。  Herbert 監督が13番 Andy Barronを伴ってピッチサイドに出て来た。 昨年11月 Play Off のバーレーン戦にも途中出場をしたアマチュアの選手だ。 普段は Wellington の Westpac Bankに勤めるサラリーマン選手だ。 彼の年棒は知らないが対戦相手の選手達の給料は彼の何十倍、何百倍。 それでなくても選手の年棒が激増する中で彼の様な選手がワールドカップでプレーする事がたまらなく痛快だ。  94分27秒両者に異なる意味の勝点1ずつが与えられるホイッスルが鳴った。



Herbert 監督がすぐに Lippi 監督の元に寄り握手を求める。2人は何語でどんな話をしたのだろう…… ピッチ上、観客席では明暗が分かれる。 
CK 数はイタリア15に対してニュージーランド 0 。シュート数はイタリア23に対してニュージーランドは3 が示す通りイタリアが圧倒的に試合を支配していた。イタリアは1次リーグ敗退の可能性が出て来た。
そして All Whites は決勝トーナメント進出も夢では無くなって来た…だとしたら次から Moss が出場出来るのだけど次のパラグアイ戦もGKは Paston だろうあぁ…

後日ある新聞には両チームスタメンの年棒は16倍も差があったらしい… さらにイタリアの footballer ( 恐らく登録者だともうけど ) 登録はプロ選手 3,541 人を含めて490万人でニュージーランドの人口を上回るそうだ。
試合後、 Herbet 監督は Andy Barron の起用はアマチュア選手が億万長者に対抗できる証明をする為だと認めたらしい。大会前の最終メンバー決定の過程でかつての代表選手、 Wynton Rufer や Danny Hay らはアマチュア選手はワールドカップに連れて行くべきではないと語っていたらしいが。
“まさにそれが我々の全てだ。 確かに Ryan Nelsen の様なプロのスター選手がいるが、これまでの2試合の様にハードワークの元に好結果を捻りだすのが私達のやり方だ。それがニュージーランドで、我々のスピリットの全てだ。それはニュージーランドスポーツの特別な瞬間だった。 我々がここでやり遂げた事全ての瞬間が歴史を作っている。” 
Barron は“我々は昨年ここでイタリアと試合をしているその時に破っておくべきであった。” それは FIFA Confederations Cup 前の調整試合で 3-4 で敗れた試合の事であった。イタリアから3度リード奪っていたのだけど… “ 以上の様に語った。

我々はワールドカップには不充分でプレーすべきでないと言われていたアマチュア選手を含むチームにOKが出されようとしている。我々はただ4度世界王者となったチームと戦い引き分けただけだ。多くの人達は我々はワールドカップに出場に値しない、我々は簡単に予選を突破したと..ならば自分のストーリーを書きつづれば良いだろう。しかし掲示板の示されたのは最も信じられない結果だ。“  Nelsen のコメントだが同時にPKの判定に怒りを隠さない。

“ペナルティーはあんまりだ。 Di Rossi でさえ私に向かって笑っていた。彼もPKを信じられなかったのだろう。明らかに主審は我々を助けなかった。 もし彼がFIFAが勧めた最高の主審であったとしたらそれが最悪と見なければならないだろう。 それは残念なことだろうが試合を台無しにしてしまった。 我々は空中戦が得意だ。イタリア人達はそれを知っている。だから競り合った後に地面に倒れてひじ打ちを受けた様に振舞う必要があった。主審は最初からそうだった。もし我々に不利なミスジャッジをしても世界は誰も指示しないがそれがイタリアに不利になるジャッジであれば世界中が指摘する。 彼はそれを解っていたのだ。 “



そして続くパラグアイ戦に臨むにあたり、“我々は引き分けても次のラウンドに進出する可能性が出て来た。それは素晴らしいチャンスだ。 誰が考えただろう?最終戦に我々がまだ真剣勝負が出来るだなんて?パラグアイ戦は難しくなるだろう。 前にチームメイト( Blackburn Rovers ) であった Roque ( Santa Cruz ) と話を既にした。次に彼と対戦するのが楽しみだ。”….. そしてこう付け加えた。

“我々は数合わせの為にやって来たのではない事が証明された。”

最終戦のパラグアイ戦は引き分けたがスロヴァキアがイタリアを破った為に All Whites の挑戦はそこで幕を閉じた。だが世界にニュージーランド人は楕円形以外のボールを扱える事を証明しただろう。日本のジャーナリストにはそれが難しい事なのだろう。

8月6日、West Ham はスロヴァキア戦で同点ゴールを決めた Winston Reid の所属するデンマークのFC Midtjylland から獲得をしたとの報道があった。移籍金は £400万 ( 約 5億2千万円 ) だったらしい。この金額は新シーズンに向けて West Ham が獲得した Thomas Hitzlsperger ( Lazio £248万 ) Pablo Barrera ( Pumas Mexico £389万 ) らよりも高額だ。 

     

そして Rickie Herbert 監督以下多くの All Whites メンバーを含む Wellington Phoenix のタイトルを狙う A-League が開幕した。 
10月9日にパラグアイ代表がオーストラリア・シドニーで親善試合を行った3日後の12日には Wellington で All Whites との試合が組まれる事となった。

しかし今大会の All Whites で残念なことが一つあった。それはそこで Haka が演じられなかった事。ラグビー以外の球技で何度か見た事があったのだけれど…

しかしそれは4年後ブラジルでの楽しみとって置く事にしよう?


New Zealand All Whites ここにあり 

2010-08-15 | 夏季五輪

ロスタイム4分は過ぎていた。いつ終了のホイッスルが鳴ってもいいはずだった。
そしてついにグアテマラ人の Carlos Batres 主審の長いホイッスルが吹かれた。
その瞬間私はテレビに向かって思わずこう言った。

ざまぁ見ろ、 本当にざまぁ見ろだ。

イタリア選手に対してでは当然ない。スポーツを実際やった事がある人は、例え五輪に出場した事がある人でも高校までしか出来なかった人でも対戦相手に敬意を払う事は、例え世界選手権でも地区大会の初戦でも現役中でも引退してからでもそれが一番大切な事と理解しているはずだ。
イタリアサポーター達にでもない。対戦相手のサポーターや応援団も対戦相手同様と私は考えている。 

イタリア代表の事なら恐らくイタリア人を除くと世界で最も詳しく述べる事が出来るであろう日本の“スポーツジャーナリスト”と名がついて彼らの書いた行で金銭を受領する輩達に対してだ。
New Zealand All Whites に就いてはどうだろう?昨年11月バーレーンとの大陸間プレーオフを現場で観戦したジャーナリストはいたのだろうか? Wellington でその瞬間を見た私はそれらしき人は確認出来なかった。もしいたとしても All Whites の事を詳しく知る“専門家”は皆無に近い事は容易に想像できる。
本大会に入る前もオセアニアから唯一やって来たこの“島国”の事を正確に述べられる“ジャーナリスト”は皆無だった。

イタリア、パラグアイ、スロヴァキアそしてニュージーランドが並ぶGroup F は本命イタリア、対抗がパラグアイ、ニュージーランドは番外、これが一般的な予想だ。 
ニュージーランド国民でさえ1勝点、1得点が上げられるかどうかが関の山だったと思われていただろう。
私は日本人だがそうは思わなかった。初戦は対戦相手で最も力の劣るスロヴァキア戦。本大会の緊張がほぐれないうちにイタリアや南米の強豪パラグアイを相手にするよりはここで勝点を挙げれば…と思った。しかし反対にスロヴァキアとて決勝トーナメントに進む為には初戦のニュージーランド戦は絶対に勝ちたい相手。ここで“取りこぼす”事は出来ない、やっぱり3連敗の可能性も低くはないなぁ…とも思った。(どっちや?)
しかしこんな結果になるとは、大会前だれも予想なんて、いや想像なんて出来ない事だった。(当たり前か?)

おそらくイタリア人サポーター達は第二戦の相手ニュージーランド戦は当然勝つ、負けるわけがない、問題は何得点を奪えるか?そう期待していただろう。 日本の“イタリア通”もそうだったに違いない。初戦のスロヴァキア戦、九分九厘負けていた試合を Winston Reid の起死回生のヘッドで悲願の1勝点、1得点を挙げた All Whites はもう何も失うものは無い、このイタリア戦は大量失点さえ喫しなければ….とおもった。

The day New Zealand finally fell in love with that round-ball game
Guardian

ブブゼラ?いやイタリア人にとってはこれで充分だ。 Nuova Zealand ,この発音はこの試合の翌朝イタリア人達にとっては充分に醜く響いただろう。 
試合は引分けに終わっただろう。しかしニュージーランドにとっては偉大な勝利だった。ラグビーとクリケットが世界に誇れる小さな島国のスポーツ史上1987年のラグビーワールドカップで優勝した時以来の快挙である。スロヴァキア戦では試合終了間際に同点に追いつ頭を上げる事が出来た。 例え憎きオースオトラリアと言えども 0-4 で大敗したのに Sydney Morning Herald 紙は Australia 1 Slovakia 1 の見出しが躍る謙虚さを見せた。
しかしイタリア人にとってはそれは被害を最小限に抑える為の対策でしかなかった。 確かにロンドン東部のパブでイタリア人達は 3-0, 4-0 そして 5-0 を予測していた。 ニュージーランド人達はとにかく 0-3 までなら良い事だと言った。 1823年 William Webb Ellis 少年はサッカーボールを拾い上げ走り出した。 ニュージーランドのラグ
ビーファンの今の心配はニュージーランド選手がボールを置いて走りだしたりしないかだ。


両チームとも初戦と同じスタメン。All Whites は最終予選のバーレーン戦から3バックを敷いていた。CBには重鎮 Premiership Blackburn Rovers の Ryan Nelsen そして左SBはプレーオフ前に代表復帰のベテラン Ivan Vicelich 。そして右SB は Wellington Phoenix の Ben Sigmund ではなく長身187cmの Tommy Smith ボランチには 190cm のWinston Reid と36歳ベテランの Simon Elliot を起用。Reid がパラグアイ戦でゴールを挙げ、この試合の Elliot の深い読みの守備をみれば Herbert 監督の抜擢がよく理解できる。 
2列目と云うよりも今大会守備的MFの役割時間が長かったのは右の Leo Bertos と左の Tony Lochhead 。そしてFWは A-League Gold Coast United の得点王 185cm のShane Smletz が1トップ。右に 188cm Ray Fallon , 左に 183cm Chirs Killen と長身が並ぶ。 
砦を文字通り守り続けたのは Wellington Phoenix の Mark Paston 。ワールドカップ予選途中までと FIFA Confederations Cup でレギュラーだった Melbourne Victory の Glen Moss はまだワールドカップ予選のフィジー戦で退場処分をくらいこの試合まで出場停止中だった。

イタリア国歌に続いてニュージーランド国歌が。世界的に知られており“一般”サポーターを取り込んでいるにアズーリ対する All Whites のサポーター達もスロヴァキア戦の引分けでようやくワールドカップでの“市民権”を手に入れられたか? だが列強相手に大敗して競技場を後にだけはしたくなかっただろうなぁ….
しかし試合は思わぬ、そして第三者にも最高の立ち上がりを見せる。5分45秒、 Paston からのGKを Tommy Smith と競った Zambrotta がファールに取られ All Whites にFKが与えられる。直接狙うには距離があるが、ゴール前には Nelsen , Reid ら長身選手が入る。そして Elliot がゴール前に上げたボールは Cannavaro に当たりこぼれたところを Smelz が押し込み見事に All Whites が先制ゴールを挙げた。




Cannavaro が前の選手のブラインドになりボールが出てくるところを見失いコントロール出来なかったのだろうが、彼の前で飛びあがったのは Zambrotta , しかしその後ろにいた Reid が Zambrotta の背中を押していいた。 その分 Cannavaro はボールが入って来るコースが見えなかったのだろう。 



先制を許してからのイタリアは目を醒まされた様に一気に攻勢にでる。
18分11秒 CK から Chiellini が惜しいシュートを放ち、21分34秒Montolivo からボールを受けた Zambrotta がLcohhead, Elliot, Smith に囲まれながらシュートを放つ。 Pepe が右サイドに開いたのを Lochhead が気に取られマークが甘くなった瞬間だった。26分10秒に Montolivo が De Rossi の縦パスを受けて放ったミドルがポストの内側を叩くがゴールネットには至らない。ここも Lochhead の位置が中途半端だった。 
そして27分21秒、 Chiellini の左からのクロスがゴール前に上がる。そこに走り込んだ De Rossi が倒れる。Batres 主審がすかさずペナルティースポットを指してイエローカードを出す。出された相手は Tommy Smith 。リプレーを見ると、確かに De Rossi に振り切られた Smith はユニフォームを掴んだが、ボールが足元に来た時は既に“振り切った”後。 足元にボールが入る瞬間に前に倒れ込んだ。 まさに技ありのプレー。しかしこれがイタリアがこの試合最もイタリアらしさを見せた瞬間だった。



ここで得たPKをIaquinta が決めてイタリアがようやく同点に追い付いた。
GK Paston, プレーオフでは見事PKをストップしたんだけど、やはりワールドカップはレベルが違うか…

試合を振り出しに戻した後もイタリアの猛攻は続く。 34分35秒 Montolovo のパスから De Rossi がシュート。両サイド、特にAll Whites の左サイドを Pepe, Zambrotta が徹底的に狙ってくる。37分にもこのサイドが崩されたが最後は Elliot がクリアー。40分には Iaquinta のスルーパスが Gilardino に入りシュートに持ち込むがGK Paston がキャッチ。
終了直前にもスローインを受けた Pepe が De Rossi のミドルを演出するが Paston がCKに逃れる。そのCKがネアー入るが今度は Nelsen がブロック。 こうして何とか同点のまま前半が終わったが、おそらくイタリア、ニュージーランド両国サポーター達はイタリアが逆転するのも時間の問題と思った事だろう。    後半に続く 


Socceroos の挑戦  世代交代は そして次のワールドカップは..

2010-07-30 | 夏季五輪
Kewell 退場も踏みとどまり勝点1  Australia 1-1 Ghana 

http://blog.goo.ne.jp/conty1ban/e/a42c3099ab95b106848dfa538c4075f7

Cahill 退場に続いて Kewell ももっと不可解な判定で退場となってしまった。
しかしドイツ戦の教訓は充分生かされた。 1-1 に追い付かれ1人少なくなった時点で最低でも勝点1を守る戦術に替えたのではないか?
しかしスタメンはもう少し積極的に出ても良くは無かったか? 何故長身の Kennedy をスタメン起用しなかったのだろう? この日のガーナDFラインはセルビア戦のスタメンDFから2人替えて来た。そのうちの1人が 188cm のCB Jonathan Mensah だったが、他の3人は Hans Sarpei ( 178cm ) John Pantsil ( 178cm ) そしてもう1人のCBでセルビア戦最後の数分だけ投入された Lee Addy は178cm。 Kennedy の高さは十二分に脅威にならなかったか? 
Wilkshre を下げてRukavytsya を投入するならセルビア戦で評価が高かった Garcia を入れても、また Carney をMFで使っても良くは無かったか… それにしてもこんな形で恐らくワールドカップを終えてしまったKewellの心中はどうだったのだろう… ガーナ戦の採点は下記の通りだった。

MARK SCHWARZER 8. LUKE WILKSHIRE 8. CRAIG MOORE 7. LUCAS NEILL 9. DAVID CARNEY:  7. JASON CULINA:  6. CARL VALERI: 6. BRETT EMERTON: 6. BRETT HOLMAN8. MARK BRESCIANO:7. HARRY KEWELL 5
Substitutes: SCOTT CHIPPERFIELD 8. JOSH KENNEDY 6. NIKITA RUKAVYTSYA: No rating.

ドイツ戦終了後 “ use-by date 賞味期限切れ” と比喩された Neil, Moore そして Chipperfield らベテラン達の奮起が目立った。ただ Moore はイエローカードを貰ってしまい次の Serbia 戦は累積警告で出場出来なくなった。 オーストラリアの友人に “ J-League でプレーするMark Milligan がスタメンか?“と尋ねたら “ Beachamp “ との答えが返って来た。そして GK Schwarzer はさすがのファインセーブを連発した。 それだけに Kewell の不可解な退場は痛かった。 そして攻撃陣の層の薄さが露呈された。 ガーナ戦の引分けで最後のセルビア戦はただ勝てばよいと言う試合でなくなってしまった。 



有終の美?? 先制 逃げ切り  Australia 2-1 Serbia

Socceroos out of World Cup despite victory over Serbia
Sydney Morning Herald
決して弱音を吐かないオーストラリアは怒号の響き渡る Nelspruit の Mbombela Stadium でセルビアを 2-1 で降した。
後半 Tim Cahill のヘッドと Brett Holman のミドルシュートはオーストラリアに充分に勝点3と夢を与え、いつもの戦い方ではないが少しの間は決勝トーナメント進出の可能性も見出せた。残念ながら勝点4でグループリーグの日程を終えたオーストラリアは、ガーナが決勝トーナメント進出に充分だった結果 0-1 で敗れたので得失点差によってオーストラリアでなくガーナが次のラウンドに進出を決めた。
Tim Cahill が退場となりオーストラリアがドイツの猛攻によりぼろぼろにされてしまい 0-4 で敗れた Durban の悪夢の夜が Socceroos にとって全てであった。もしSocceroos が何とか 0-2 で踏みとどまっておれば、彼らが、ガーナでは無く、総得点によって1次リーグを突破していただろう。2010年の彼らの1次リーグの戦績は 2006年大会と同じ1勝1分1敗であった。 
オーストラリアは大会を後にするであろう、しかし Luca Neil 主将が誓った様に殆ど最後まで正当に戦い、彼が予想した通り最もドラマティックにワールドカップで自分達の復活の歴史を記した。
この試合は全く二分された内容で前半の45分間はセルビアが支配しオーストラリアが後半に試合をコントロールした。 セルビアは個人技と正確なパスそしてボールを両サイドいっぱいに動かす能力を生かしてオーストラリアを悩まし、焦らし続け、開始当初はオーストラリアを翻弄した。しかし試合を支配し右サイドを Milos Krasic が何度も切り裂いたにも関わらずセルビアはオーストラリアを打倒せなかった。

セルビアが前半に得点出来なかったのは主に何度もファインセーブを連発したGK Mark Schwarzer が立ちはだかったからだった。5分には Krasic がJason Culina と David Carney を振り切り右サイドから上がって来てシュートを放ったが Schwarzer が最後の決定機を防いだ。
オーストラリアの前半最大のチャンスは Mark Bresciano のクロスを出場停止が解けてスタメンに戻った Cahill がフリーで放ったヘッドであったがクロスバーを越えてしまった。セルビアも前半に Nikola Zigic がフリーでヘッドを放つと言う決定機を掴んだが外に外れてしまった。
後半に入り Socceroos は息を吹き返した。 Cahill の積極的なロングシュートが効果的だった。 Dejan Stankovic からボールを受けた Milan Jovanovic が左サイドを突破し上げたクロスに合わせた Zigic がシュートを放つがバーを僅かに越える。その直後の Jason Culina のミドルがさく裂するが横に外れる。
そして試合は動きを見せだした。両チームは勝点3を奪わないと自分達のワールドカップが終わってしまう事を理解し始めた。Luke Wilkshire へのチャージにイエローが出された Milos Ninkovic のファールで掴んだ FK を距離があったが Bresciano が直接狙うも僅かに外れる。
そして恐らく両チームのベンチにはドイツがガーナ相手に先制ゴールを挙げた知らせがこの時点では言ったと思われる。 Bresciano は64分には素晴らしいシュートを放ったが GK Stojikovic がファインセーブでストップ。オーストラリアの Verbeek 監督は66分 Carl Valeri に替えて Bretto Holman そして Bresciano に替えて Chipperfirld を同時にピッチに送りだしより攻撃的にシフトチェンジを施す。一方のセルビアの Antic 監督も Zoran Tosic , Marko Pantelic をMilos Krasic 、Nikola Zigic に替えて投入し勝ち点3を狙う。
Cahill が Willkshire のクロスのヘッドで合わせ均衡を破りオーストラリアに希望をもたらすとその直後に Holman のミドルがセルビアゴールに突き刺さり、不可能 ( impossible ) が起こりそうもない事 ( improbable ) と思われだした。そしてオーストラリアに3点目を取りに行く事を勧告させた。



しかしこれまでずっと英雄であった Schwarzer がセルビアを終了間際に生き返らせてしまう。Tosic のクロスを前にこぼしそのこぼれ球を Pantelic に押し込まれてしまった。Pantelic は終了直前にも同点の決定機を迎えたがシュートは僅かにバーを越えてしまった。



Mixed feeling for Socceroos after great performance
ワールドカップベスト16入りを掴もうとしたオーストラリアの試合終盤の波状攻撃は僅かに及ばずSocceroos達は複雑な感情で大会を後にした。今大会最高のパフォーマンスを見せたオーストラリアはセルビアを 2-1 で降したがそれだけでは不充分でドイツとガーナが決勝トーナメント進出を果たした。オーストラリア代表は 0-4 とドイツに粉砕された初戦の敗戦を取り返せなかったが10人で戦ったガーナ戦を 1-1 で引分け、セルビアを破った事から大会の評価は復活させる事が出来た。

“私は色々な感情が入り混じっている。 大会は素晴らしい結果で素晴らしいパフォーマンスだったがベスト16には届かなかった。 南アフリカに来た時の目標であったが達成出来なかった。しかし私は誰も非難できない。誰もが大会は終わってしまったと思われた先週、選手達は大変なハードワークを見せてくれた。私はずっと結果の事を考えていたのでこれが初めてではない。0-4 の敗戦は想定外だった。最後には解く手失点差が明暗を分けてしまった。ドイツ相手に4失点も喫した事は批難される事だろう。そういう事は football では起こり得る事だ。たった1度悪いゲームを演じてしまった事が足を引っ張ってしまった。我々はガーナ戦と今夜のセルビア戦では素晴らしいゲームを演じた。 
私は選手達と自分の考えている事を話した。事実は 0-4 で敗れた事だ。レッドカードや親本を非難できるしかし我々もその夜は不充分であった。我々はドイツを侮ってはいけなかった。彼らは我々に対してファンタスティックなゲームをした。そしてそれ以降同じ失敗は繰り返さなかった。 4年前は勝点4で充分だったが、今回は1次リーグを勝ち抜くには勝点5が必要だった。“
30か月に亘る Socceroos の監督を終えた Pim Verbeek 監督はこの様に語った。
オーストラリアは Guus Hiddinkの指揮下決勝トーナメント1回戦で終了直前の問題になったPKによってイタリアに惜敗した前大会と同じ勝点を1次リーグで残した。

“私はこの試合でプレーできる機会を持った事を大変誇りに思う。 私はこのチームの一員になれた事を誇りに思う。 ガーナとセルビアの様な強豪から勝ち点4を上げだれる事などは稀なことだ。しかし不運にも次に進めなかった。 
出場停止明けで69分に先制ゴールを決めた Everton 所属の Tim Cahill はこの様に語った。 



Lukas Neil はドイツ戦を悔しそうに振り返った。
“我々は初戦のやり方を大変後悔している。 その後の2試合の試合の進め方は大変誇れるものであった。しかし不運にも不充分だった。 もしセルビア戦が3ゴールも4ゴールも必要でない試合であったら 2-0 になった時点で錨を下ろしていただろう。残念だったのは初戦の我々はいくらかナイーブだった事だった。  0-2 とリードされて Tim Cahill が退場となった時にラインを引いて”我々は 0-2 を維持する“とすべきであった。我々の考えは1点でも取り返そうとした事だったが本当は “ 0-2 で負けても良い。傷口を広げない様に“と云う事だった。”
そして“初戦が残念だった。”と付け加えた。

ガーナ戦とセルビア戦でそれぞれゴールを挙げ大会2得点を決めた Brett Holman は今大会の自分のプレーに満足しいていた。
“おそらく、私は過去にゴールを決めた事は無いだろう。しかし私は常にオーストラリアの為にベストを尽くして来た。しかし私はここで見せた事に満足している。これからも常に批判は受けるだろうが、それに対応しそれらが間違いだった事を証明する。”



Brave Socceroos leave without the spoils
長い間、長すぎる間、永遠に何も起こらなかった。結局 hype ( 勇気付けられる事 ) も hope ( 希望 ) もそして heroism ( 英雄的資質 ) も。それは AIP オーストラリア労働党の一室の様に誰もが魅力的に軌道を逸したものを持っていなかった。少なくとも 0-0 ではどちらも何も得られないと解った時は、喧騒が突如試合を訪れそれが試合終了のホイッスルが鳴るまで続いた。しかし勝者はいなかった、だが勇敢で素早く、何もぶち壊されたものは無かった。
遅すぎるとなるまで、そこにはnil ( ゼロ ) 、noughts ( 無 ) そして nothing の塊だった。そして最後に何かを積み重ねた。セルビアは全ての潜在能力を持ってしても前の2試合では1ゴールを挙げただけで、オーストラリアの唯一の得点は相手GKのミスからだった。良いのか悪いのか、これはゲームの本質だ。チームは精巧に作り上げられたゲームプランにより得点を狙う。しかし更に精巧な戦術が失点を阻む。この試合のハーフタイムと前の Group D の4試合を合わせても8ゴールしか挙げられていなかった。 そして、あたかも気に止めさせるように1チームだけが4ゴールを挙げていた。その4ゴールはオーストラリアを捉える為にまたやって来た。

England のグループでも同じだった。6試合で8ゴール、1試合で4ゴールが生まれた。 それはアメリカがアルジェリアと 2-2 で引き分けた試合で1次リーグのベストゲームと言えた。しかし他の7時間半の football の試合時間で4ゴールしか決まらなかった。 無得点は試合に苦悩とエクスタシーを与え、全ての試合の動きに最高級の脅威を与える、しかし真空地帯も造ってしまう。それはあたかもクルーガー国立公園で昼間にライオンが休眠しているのを見ている様だ。それは物腰の柔らかな美しさであるが同時により必要とされている無理強いな潜在性もある。我々を殺す事だ。
ライオンに就いてはそれが起こる事がないが、football も同じ事だ。ブブゼラの音を除いて最も聞かれる音は落胆のため息だ。
無得点は England のグループの様に93分の最後の瞬間のゴールの様に1つのゴールが状況を完全に変えてしまう事もある。オーストラリアのグループではドイツが4ゴールをオーストラリア戦で挙げたがそれ以外の2試合では1ゴールを挙げたに過ぎなかった。それで充分だった。ガーナは2得点を挙げたにすぎず、そのうちの1点は Kewell を退場した PK だった。そしてそれで充分だった。
しかしロースコアーのダイナミズムは希望は決してなくならないと言う意味を持つ。 だからオーストラリアやその他のチームの様に mission impossible にも大声を枯らして最後まで声援を送るのだ。

Green-and-Gold は今大会ではモチーフとカモフラージュでもあった。その色は南アフリカとブラジルの象徴でもあった。それはオーストラリアサポーター達は尊大であったと言う事だった。
ガソリンを満タンにしたバスでスタジアムに駆けつけ太く低い声援を送り続けた。“想像してみてください、あたかも4万人いる様です。”地元メディアは驚きながら伝えた。競技場では40,000人の観衆が居るがごとくの音量だった。オーストラリアが最も非旋律な国であったがそこには恥ずかしがることも引き止められることも無かった。彼らは観客席に一角に陣取りビーチボールとマケドニアの旗で完全装備した。サバンナからの煙が渦巻くこの余波黙示録的な感覚を醸しだした。




しかし長時間雰囲気はオーストラリアにあったものの、セルビアが前半を支配した。 Schwarzer の神懸かり的なセーブが無ければセルビアがリードしていただろう。
前半には無かったがオーストラリアが本当に頼りにしするのは Tim Cahill だった。しかし セルビアの高いDF陣が立ちはだかった。
ハーフタイムでは 起こりそうにない任務 ( improbable mission ) は不可能 ( impossible ) になった。 後半は前半を全く違っていた。オーストラリアは自身が好むように掛金をつり上げて躁病的に試合に入った。もちろん Cahill が先制した、もちろんヘディングで。 彼がどれだけこのセルビア戦を待ち焦がれていたか。
これは今大会セルビアがPK等以外で喫した初失点だった。

交替出場の Brett Emerton が30mのショットを決めて祈りをするものの期待にこたえる。 そしてオーストラリアに欠けていた ( lacked ) 幸運 ( luck ) がそこにはあった。ジャングルのどよめきがスタジアムに充満していた。試合は動き出した。 2-0 ではどちらにも不充分だった。
Serbia の Marko Pantelic が1点を返したがこれが今大会セルビアの僅かに2得点目であった。それは Schwarzer のミスだった。しかし、誰も彼を責められない。



セルビアはもう1ゴール追加出来るはずだった。もし Cahill のハンドの抗議が受け入れられていたら。試合終了のホイッスル後それは使い切られた狼狽になった。
ホイッスルは死の鐘声だった。両チームの選手達は崩れ落ち、涙が溢れだした。均衡が遂に崩れ後半に試合が脈動し始めた。しかしこう尋ねる事は出来ない。 

どうしてこんなに遅くに、なぜこんなに手遅れになって….

Socceroos player ratings against Serbia
Mark Schwarzer 6.5/10 Luke Wilkshire 7.5/10 Lucas Neill6. 5/10
Michael Beauchamp 6/10 David Carney 5/10 Jason Culina 6/10 Carl Valeri 6.5/10 Brett Emerton 5.5/10. Mark Bresciano 5/10 Tim Cahill 7/10 Josh Kennedy 4.5/10 Substitutes Brett Holman 8/10 Scott Chipperfield 7/10 Richard Garcia 3/10

今大会の Socceroos は前回の日本にちょっと似ていると思う。初戦で連続3失点を喫し精神的そして数字の上でも追い込まれ、次の試合では引分け最後の試合で得点差を付けた勝利が必要と云う展開… ただ前回の日本は最後はブラジル戦でセレソン相手に2点差で勝つという mission impossible だった。しかし玉田が先制ゴールを挙げた時はそれが mission improbable になった気がした…
残り6分で2点差。それが3点差になれば…と思ったが次に決めたのはセルビアだった。 Tosic のシュートというか、ゴール前に挙げられたボール。 Schwarzer はキャッチ出来なかったか…と思ったが前半からと云うよりもワールドカップ予選、そして今大会もファインセーブを連発し Socceroos の最後の砦を守り続けた Schwarzer をここでは責められないだろう。
この大会は Kewell と Cahill が一緒にプレーする時間がなかった。ここに Kennedy や 今大会好調だった Holman が絡めば…と他国のしかもブラジルでも、オランダでも、イタリアでもない代表国の事を想像した。

大会後恐らく殆どの選手が代表を去ると思う。GK Schwarzer, DF Neil, Moore, Chipperfild, ボランチの Grella,
Culina, そして Kwell, Cahill…. 2006年大会と云うよりもその前のワールドカップ予選から代表の中心となっていた選手達がごっそりと抜けてしまう。
次のワールドカップよりも来年1月の Asian Cup がどういうメンバー構成になるのだろう?時期的に欧州組は簡単に召集出来ないだろうし…それは日本も同じか?
A-League 勢が中心か?でもそれで構成したメンバーではクウェート、インドネシアに勝てなかった。

世代交代が上手く移行できるか….でもそれは日本人の俺が心配する事ではないか??

Socceroos の挑戦 大敗後の監督コメントから

2010-07-28 | 夏季五輪

Pim Verbeek says the buck stops with him after Australia’s Durban nightmare
The Australian
Socceroos の Pim Verbeek 監督は Durban の惨劇に巻き込まれた自軍の選手達を非難する事を拒否したが Rustenburg で行われる勝たねばならない次のガーナ戦で再び選手達のファイティングスピリットを再構築する事を期待した。
“試合前のゲームプランは大変明らかだった。結果を得る為には前線でペースを握る事だった。監督として常に責任を負う。それがシンプルな役割だ。私がスタメンの11人を最終的に決めた。そして戦術を準備したのも私だ。だから選手達を決して非難しない。常に鏡の中の自分に良い決定をしたかを問うている。私の責任を認めるのに何ら問題は無い。だから私は決定を降し責任を負う監督だ。”
しかしながら Bresiano, Kewell そして Kennedy らを起用しなかった事には何も悪びれず、週末の試合でこの3人を起用する事もまだ示唆していない。
“誰も我々が彼ら3人をフィールドに送れば勝利を得られるとは保証できない。 我々は世界の強豪を相手にしている。だから得点出来なくても困惑はしない。 Bresciano と Kennedy は大会前の親善試合2試合でよくなかったそしてトレーニングでも充分良い出来ではなかった。この時点でフィールド上に立つ選手はより良い選手ばかりだ。それが事実だ。今、我々はガーナを破るベストなスタメンを探す為に6日間の時間がある。次の試合が決勝戦だ。我々が正しいスピリットを持っている事を示さねばならない。” 

Complete, utter disaster for Verbeek and Socceroos
Sydney Morning Herald
Soccroos そして少なくとも我々が自分達の代表チームのメンバーと認める選手達の賞味期限は過ぎてしまった。その証明としてドイツから責めさいなまれた football lesson が手渡された。それは疑う事も無い。充分過ぎるほど、ドイツは良いチームだった。大変良いチームだった。しかしただ単に試合のパターンやスコアーが示すだけではない重要視されるメッセージがあった。
何年かに亘りドイツ代表の Joachim Löw監督は意識的な世代交代を決めた。 
ベテラン守備陣を温存した Pim Verbeek の意識的な決定は何も決定できなかった。 さもなくば少なくともこのドイツ戦まで戦術や選択は絶望の匂いがしなかった。
この日のメンバーでオーストラリアの最年少 Carl Valrei よりも年上の選手はドイツには4人しかいなかった。ゲームケーカーの Michael Ballack の不在は Nationalmannschaft の平均年齢を下げさせた。そして経験不足が不利を招くのではと危惧した人達もいた。
しかしドイツ人達は Ballack の不在にひるまなかった。むしろそれから解放された。 ドイツチームは試合時間が過ぎるにつれてオーストラリアに屈辱を与え出した。25分間で2ゴールを奪い完全に試合を支配した。ワールドカップ試合よりも準備試合の様に。 多くのスペース、豊富な運動量、大きさ、強さそして技術。全てがとてつもなく素晴らしかった。
Mark Schwarzer の前半の2失点は共にとがめられるものではなかった。しかし何も違いをつくれなかった。ドイツは穴だらけの中盤、戦術、そして守備陣に群れて前半だけでもリードを2倍に出来るはずだった。Socceroos は醜く、ドイツは美しかった。印象付けらる事は不可能だった。質もエネルギーも縦横無尽な動きも認めないわけにはいかなかった。
これまでのワールドカップの試合の中で最も一方的だった試合で Soccreoos には慰めの言葉はない。誰にも。特に通常レベルのフラストレーションながら激情した Tim Cahill には。確かにレッドカードは早すぎる判定であったが。そして確かに大舞台の最初の試合を台無しにしてしまった、全く完全に台無しにしてしまった
Pim Verbeek にも同情出来ない。いくつかの理由から、彼はこの試合を、他ならぬこの試合を自分のラインナップで自分のフォーメーションを試した。 4-4-2 と云う Richard Garcia を Cahill と共に前線に置き、Culina を中盤の左にシフトしたギャンブルは逆効果で最悪の結果を招いた。オーストラリアのワールドカップの挑戦はあと6日残っている。セルビアを破ったガーナはあまり猶予をくれないが名誉挽回のチャンスは提示している。



ドイツもさることながらオーストラリアのスタメンもややサプライズだった。
Cahill と Garcia の2トップと云うよりも Cahill のワントップだった。2009年2月と6月の日本戦でもそうだった。それ以上に Culina をボランチに置かずに左サイドに置いたのは対峙するドイツの右サイド Müller とÖzil 対策だろう。しかし Chipperfireld が何度も置き去りにされた。 さらに Grella の調子が悪くDFラインは何度も紙の様に破られた。それでなくても高齢化したDF陣はドイツの早い縦の動きに振り回されっぱなし。Neil でさえ相手を掴まないと止められない事が。所属先が今は決まっていない
Moore は明らかに真剣勝負の試合感覚が欠けていた。 
スタメンの平均年齢差がこんなに違うのはワールドカップ史上初めてだったらしい。ワールドカップ予選で日本がなかなか破れなかったオーストラリアDF陣は今から考えれば内田、長友らでどんどんサイドを縦に縦に突けばよかったのではと思った。 Cahill が退場になった事で怪我からの回復が心配されている Kewell は次戦まで温存と云う事になったらしいがそれでも64分に Garcia に替って投入されたのが Nikita Rukavysya で 78分に Brett Emerton に替って入ったのが Mile Jedinak とはちょっと不可解だった。
守備を固めるなら Beachamp , Miligan らがいたのに、攻撃なら Kennedy, Bresciano もベンチにいた。散々突破され続けた Chipperfield に替って David Carney を入れても良くは無かったか? この試合終了後にもっともショックだったのはアジアと欧州の列強の違いだった。 こんなにまだ差があったのか、と。アジア代表がまだまだドイツを相手にするにはまだまだ早いよ、と高い位置から言われたみたいだった。

ドイツ戦の選手評価は下記の通りだった。


MARK SCHWARZER: 5 , LUKE WILKSHIRE: 6. CRAIG MOORE 5 LUCAS NEILL 3. SCOTT CHIPPERFIELD 3. VINCE GRELLA 4. CARL VALERI 5. BRETT EMERTON:  7. TIM CAHILL 4. JASON CULINA 4. RICHARD GARCIA 6.

Substitutes: BRETT HOLMAN 5. NIKITA RUKAVYTSYA 4. MILE JEDINAK No rating.

サプライズスタメンだった Garcia そして Emerton の採点がよかった。DF陣の採点が悪いのは当然だろう。 ただ Neil の採点は厳しすぎると思った。 Moore は最高でも4点ではなかったか....     

ガーナ戦、セルビア戦に続く


Socceroos の挑戦 初戦ドイツ戦大敗 

2010-07-28 | 夏季五輪

日本時間の6月24日早朝。目が覚めた私はテレビを点けた。
遠く南アフリカ  Nelsprit で行われている Australia vs Serbia の試合を見る為に。 スコアーは 2-0 でオーストラリアがリード。この時は同時刻に Johanesburg で行われていたドイツ対ガーナがどうなっているかは全く解らなかったけど、オーストラリアが決勝トーナメントに進むには2点差では不十分な事だけは解っていた。少なくとも3点差にしないと…と思っていたら Serbia がゴールを決めて 2-1 と1点差にしてしまった。 Zoran Tosic のシュートをGK Schwarzer が弾いたがそのこぼれ球は Marko Pantelic に足元に弾みそのままオーストラリアゴールに蹴り込まれてしまった。
残り時間は6分。この時点でSocceroos の決勝トーナメント進出の可能性はほぼ潰えてしまった。
その一方でセルビアに可能性が出て来た。引き分ければ1次リーグ突破が見えてくる。俄然セルビア選手達の動きが活発になった様に見えた。それでも Kennedy が  相手DFと競りながら惜しいシュートを放つ。
そして終了間際に得た CK 。 Milan Jovanovic が入れた CKを Nemanja Vidic と競った Cahill の手にボールが当たった。あぁハンドか..と思ったけどウルグアイ人の Larrionda 主審はホイッスルを吹かなかった。 セルビア人選手達が激しく抗議す
る。これまでの2試合、 Socceroos 達には厳しい判定ばかり降していた今大会の審判団だったがこの瞬間は主審が神様に見えたサポーター達は多かっただろう。
気を取り直して Serbia は攻撃を仕掛ける右サイドを突破し最後は逆サイドでフリーの Pantekic に送られるがオフサイドの笛が鳴る。
その直後カウンターから Jason Culinaが左サイドからシュートを放つがGK Vladimir Stojkovic がブロック。 そしてそのまま試合終了のホイッスルが鳴った。
ドイツが 1-0 でガーナを降し、ドイツとガーナが決勝トーナメント進出を決めたとアナウンサーが言っていた。セルビア選手達が審判団に詰め寄る。さっきの Cahill のハンドに就いてだろう。Radomir Antic 監督が止めに入りに来る…と思いきや彼も抗議に来た見たいだった…
オーストラリアは前回同様勝点4を挙げながら今大会は得失点差で及ばなかった。

“Socceroos はプライドを持って帰国できるんじゃないか?”
試合終了直後にオーストラリアの友人に text を送った。すぐに返事が来た。
“ I agree. ドイツ戦が全てだった。”“それと主審も。 Cahill, Kewell “ “ その通り。”
そして最後に Good Luck Today と日本のデンマーク戦の健闘も祈ってくれた…
そうか、今日はデンマーク戦。試合に備えてもっと寝ておくべきだったかな……

今大会の楽しみの一つはオーストラリアがどこまでやれるか。
Group D の巷の予想ではドイツが絶対の本命でガーナ、セルビアが対抗馬として続きオーストラリアは大穴の存在であったがアジア地区予選を圧倒的な強さで突破し欧州のリーグでもレギュラーを張る選手が中心のこのチームは例え死のグループと呼ばれる組であっても1次リーグ突破の可能性は充分にあると思っていた。
日本対カメルーン戦の前に行われたドイツ戦が楽しみで仕方が無かった。 
ドイツは Klose が怪我で出場で危ぶまれていた。 Ballack も怪我でメンバー入り出来なかったのでオーストラリアのチャンスは大いにあるはず....だった。

試合は開始直後オーストラリアが最初の決定機を迎えた。 Luke Wilkshire の CK からCahillの放ったヘッドは Lucas Neillに当たってしまったがリバウンドを拾った Richie Garcia が強烈なシュートを放つ。その先にいた Philip Larm がブロックしゴールには至らなかった。幸先のいいスタートと思ったがそれはドイツ猛攻の序曲に過ぎなかった。




8分には Jason Culina があっさりÖzil に振り切られ Thomas Müller にスルーパスが出される。Müller がゴロで折り返すと逆サイドでフリーでいた Lukas Podolski が放った強烈なミドルがGK Schwarzer の手を弾いてゴールに吸い込まれ先制点を挙げられてしまった。




そして26分には Lahm のクロスを Klose が Schwarzer が触る前にヘッドで押し込み追加点を挙げた。何だ Klose 好調じゃないか.... と思ったのは私だけでなく数多く現地に馳せ参じた Aussie サポーター達も同感だっただろう。

この時点でこの試合というよりもオーストラリアの今大会の決勝トーナメント進出の夢は霧散したのかもしれない。あれほど破るのが至難だったSchwarzer の守るゴールが26分で2回も破られたのがショックだった。やはり世界の列強は違うと痛感させられた。
先制点を喫したオーストラリアは Lucas Neil が走り込んだMüller の位置がオフサイドではと抗議したがそこは on side であった。
オーストラリアはスピード不足を露呈。この日の守備的MF Carl Valeri と Vince Grella は易々と破られ Grella は前半終了後 Brett Holman と交替でベンチに下げられた。 
オーストラリアは後半決定的な痛手を負ってしまった。57分 Cahill が ドリブルで上がるSchweinsteiger にタックルに入るがその前に Schweinsteiger がボールを離したのでタックルが late tuckle になってしまった。
するとメキシコ人のMarco Rodriguez 主審は Cahill にレッドカードを示す。その前に Mertesacker のハンドを見逃しオーストラリアにPKを与え損なっていたのに..... 信じられないと言った表情の Cahill 。

これでオーストラリアは攻撃の重鎮も失い防戦一方。67分にMüller 、70分には Badstuber の突破からボールを受けたMüller が中に折り返し Cacau のゴールを引き出し遂に4点差がついてしまった。



1974年西ドイツ大会でもほぼ全員がアマチュア選手で構成されたオーストラリアは当時世界一と言われた Budesliga の選手で構成された西ドイツと対戦した。当然西ドイツが勝ったのだがそれでもスコアーは 0-3 。
36年後の殆どが欧州ベースのプロ選手で構成されたチームで再び挑んだドイツ戦は更に点差の開いた惨敗となってしまった。
4年前は最後の10分間に3連続得点を挙げて日本を撃破し決勝トーナメントに進出したSocceroos が今回はこの敗戦を挽回できずに1次リーグで大会を後にする事となった。 


Joachim Löw’s men on a high after thrashing Australia
Times
ドイツ人が変われば変わるほど物事は同じである。もしオーストラリア戦の一コマ一コマがステレオタイプに要求された様な予測されたことであれば - この伝統的な列強国が6大会連続で初戦を勝利した事は – この上ない流れる様な勝利に他ならない。これがドイツだった。
しかし我々の知っているドイツではなかった。そこにあった並はずれた鋭いパファーマンスで Moses Mabhida Stadium とそこに提供された価値のある喧騒を一掃してしまい、オーストラリアを相手にせず彼らの周囲でプレーをし最後には彼らに屈辱を与えてしまった。馴染みのある得点者がそこにはいたがブルドーザーの様なバレリーナのタッチであった。
Tim Cahill の Bastine Schweinsteiger へのファールによる早すぎた退場の影響によるスコアーは恐らく光り輝くものにふさわしいであろう。その Everton の選手の早まった大会の終焉は慰められないであろう、しかしそれは正当なものであった。誰がドイツが2010年南アフリカ大会でこの様にスパークするであろうと予想したであろう?
このチームはしかし大変な改革のされたチームで昨夏のEURO U-21 で優勝を助けたメンバーによって引き締められたそしてドイツの再生と刷新の象徴である至高なる Mesut Özil によって哀れなオーストラリア戦で鼓舞された。トルコからの外国人労働者の子供であるÖzil は試合前コーランを朗読する。
Lukas Podolski は均衡を破り Miroslov Klose に就いては片足を引きずりながら3ゴールに終わった昨シーズンの Budesliga での不調をあざけるように見降し自身ワールドカップ11ゴール目を決めた。
Thomas Müllerと Klose と交替で投入された Cacau もそれに続いた。
”彼らは我々を打ち負かした。” オーストラリア代表監督の Pim Verbeek はこの様に語った。 
一方で試合前の戦術論議に就いては- ドイツはPKを21回連続で失敗していない。そして1994年大会以来一度も1次リーグで敗れていない – 等々抑揚、人間性、ポジション、いつもの確実性が語られた。4年前 Jürgen Klinsman は自分たちの硬い伝統の繋ぎを解きはじめた。しかしその過程は急がされた。
もちろん負傷は Joachim Löw から Chelsea の Michael Ballack をはじめ Rene Adler, GK Heiko Westerman そして Simon Rolfes を奪った。その一方でかつての中心選手 Kevin Kuranyi, Torsten Frings そして Christoph Metzelder をコーチの好みにあわず除外された。残されたのは経験の浅い、勇敢な、多文化的な、面白い有望な選手達だ。
開始の5分間はオーストラリアがサポーター達が Durban の South Beach でそうだった様に波に乗っていた。しかしドイツが前方にプレスを掛けだすと彼らは流動性を持ってきらめきだした。 Klose の後方に配置された3人の攻撃的選手の1人Müller が右サイドを突破しボールを Podolski に戻し放たれたショットは Mark Schwarzer の手を弾いてゴールネットに吸い込まれた。 そしてオーストラリアの勢いを奪ってしまった。
Podolski の左からのクロスから絶好機が訪れたが Klose は逸してしまったがこのベテランはひるむことなく、次のPhilipp Larm の右からのクロスに走り込み、ブロックに入ろうと前に出て来た Schwarzer の鼻先で合わせたヘッドから追加点を奪った。
メキシコ人主審の Marco Rodriguez が Per Mertesacker のハンドを見逃した時オーストラリアの規律は退化し始めた。まずMüller にスペースを許し僅かに外に外れたカーブのかかったシュートを放たれた。
そして Cahill が – のっぴきならない公式なルールによって- 悪夢の夜を更に悪くさせてしまった。そこにあったオーストラリの抵抗は粉々になってしまった。
2分間で追加された2得点は殆どドイツを得意がらせる事は無かった。波の様にポゼッションを許され、前に走り込んだ Podolski にお膳立てされたチャンスをMüller が左ポストサイドに蹴り込み、ピッチに入ったばかりの Cacau がÖzil のスマートなクロスを右ポスト際に叩き込んだ。 
“我々はパーフェクトだったか?私はそうは言えない。まだまだ改善の余地はある。これはまだ大会の最初の試合でオーストラリアに勝つ事が最終的な目的ではない。 まだもっと難しい相手がいるだろう。しかしよいウォームアップになった。陶酔感は無い。” 
Klose のヘディングによるワールドカップでの得点は7となり歴代1位となっている。
これまでのヘッドによるゴール数の歴代上位5位は下記の通り。
Klose ( Germany ) 7, Gerd Müller ( West Germany ) 5, Klinsman ( West Germany / Germany ) 4 Skuhravy ( Czechoslovakia ) 4 Szarmach ( Poland ) 4



Tim Cahill sent off as Germany humbles Australia in World Cup Opener
The Australian

Socceroosのワールドカップはスター選手の Tim Cahill が退場となる等 0-4 で完敗を喫すると言う当惑させられた悪夢で始まった。 Lukas Podolski, Miroslav Klose, Thomas Müller そして交替出場の Cacau らのゴールがドイツを快勝に導き、62,660 人の観衆の前で Socceroos との格の違いを見せた。
既にショッキングな前半を幸運にも2失点で終えて後が無くなった Socceroos は後半11分に Cahill が Marco Rodriguez 主審から一発レッドを受けて彼らの惨状が更に増幅された。挫折感を感じた Cahill は Pim Verbeek によって不得手な1トップにおかれドイツ MF Bastian Schweinsteiger へのぎこちない late tackle を入れてしまった。 しかしそれまで警告すら受けていなかった Cahill に不運にも Rodriguez 主審は躊躇せずに準備していいたレッドカードを突きつけられる。 Cahill の退場が引き金となりすでにがたがたになっていた Socceroos はドイツチームの優れた運動能力により更なる痛みを伴う事となった。
Müller と Cacau がそれぞれ68分と70分に追加点を挙げドイツが少なくとも4年前に上げた功績と同じ実力がある事を証明した。

“我々にとってはイージーなゲームでは無かった。ドイツは我々より素晴らしかった。我々はドイツが大会の優勝候補である事は理解している。なぜなら彼らはファンタスティックなチームだからだ。 我々はこの試合から学ばねばならない。次の試合まで肉体的にもメンタル的にも回復する為の6日間がある。” 
試合後 Verbeek はこう語った。
Socceroos にとって数少ないワールドカップ史上最悪の試合結果となり希望よりも早い帰国を強いられる事が現実味を帯びて来た。Cahill の出場停止の中でオーストラリアが望みを繋ぐ為に次に Rustenburg で行われるセルビアを 1-0 で破ったガーナを破る必要がある。
この試合は自分のチームが引き裂かれるのを90分間ベンチで見ていた Kewell の出番だ。しかし Socceroos はもしドイツ戦で露呈した中盤と守備陣のスピード不足を解消出来ないのなら Kewell 以上のものが必要だ。




Red card for Tim Cahill destroys Aussie hopes against Germany
The Australian

彼は football の柱を確立する為にオーストラリアの救世主で主力選手だった。しかしオーストラリアのフラストレーションの鬱積した Durbanの不名誉な夜で57分にドイツの Bastian Schweinsteiger へのタックルに大ナタを振るうがごとく1発レッドを出された Tim Cahill が最後に向かった先は早すぎるシャワーを浴びる為の控室だった。 潔白を示す芝居じみた事もなければ獰猛な公言もなくただ服従を示す肩をすくめて頭を振りながらピッチを後にした。Cahill は自身の激烈さと同様に引き金を引きたくてむずむずしていたメキシコ人の Marco Rodriguez 主審の犠牲となった。しかし彼が重い足取りで退場する時はそれほど怒りに満ちた表情ではなかった。
2-0 とリードされた時点で10人となったオーストラリアが生き返るチャンスは消されてしまい、更に2ゴールを追加された。 物事を悪くした事に Cahill は次の必勝を期するガーナ戦には強制的に出場出来ない。アピールする権利は無い。例え多くの人々がレッドカードは早すぎる判定と思っても。
例えその運命がやって来る前でも Cahill は既に魔法の杖を控室に置いて来ていた。ドイツのパワーと技術が全てを凌駕していいた。彼の仲間も同じ不安に感染していた。 Cahill – ドイツ側が唯一オーストラリアの脅威を与える選手と認めていた – 彼は自分の急造のパートナーと思われた間に合わせのストライカー Richard Garcia が Stevie Wonder よりも盲目的に上がってくるので硬直する以外になかった。 
2人の息は合わず取り残された Cahill は CB のArne Friedrich と Per Mertesacker を相手に息を切らし効果的な働きが出来なかった。
中盤をドイツに支配され、殆どボールを受けられなかった Cahill は言われていた様に前進する為に圧力を掛ける事がさっぱり出来なかった。その Everton のMFのフラストレーションはボールの供給が遮断されるにつれてとろ火で煮詰められる様に上がっていき遂には爆発してしまった。 




Tim Cahill in tears after World Cup red
Sydney Morning Herald

英国紙 The Guardian は最悪のシナリオをレポートする。“ 彼は 事態を重く見るかもしれないFIFA 規律委員会の決定を待たねば ならない。もし彼のファールが華々しく向う見ずなプレーの一例と思われたら彼は Group D の残りの試合も出場停止となりもしオーストラリアが1次リーグで大会を後にする事となれば彼がワールドカップでこれ以上プレー出来ない事となる。”

この MF はこの物議を醸す退場に就いて試合後尋ねられた時に泣き出してしまった。  “自分の football career で最も悲しい瞬間だ” Cahill が答えると丁度 Schweinsteiger が通り彼に近寄り肩を抱いてこう言った。
“あれは red card ではない。” 
“彼 ( Schweinsteiger ) は良い選手だ。時に選手はピッチ上で大げさに振舞う。それは理解できるなぜならチームに有利に働くからだ。”
Lucas Neil はこう語った。“もしテレビで見れば Cahill は後ろからタックルに入ろうとし Shcweinsteiger を倒してしまった事が解る。” 
Everton でMFを担う Cahill はこの夜オーストラリアのいつもの保守的な Pim Verbeek 監督の驚くべき1トップとして起用され、何とかプレーをしていた。
この夜もVerbeek がワールドカップ予選や親善試合で用い続けた 4-2-3-1 のポジションであったが3人ストライカーをベンチに置き Cahill を1トップに置いた。
トップに置かれた Cahill は孤立し殆どドイツに脅威を与えることは無かった。ドイツが試合を支配する中で彼はフラストレーションが募ったと思われたが彼はフィールド上のどこでプレーしようともハッピーだと語った。
“私はただ母国の為にプレーできればそれで名誉だ。多くの選手達がスタメンでプレーしたくても出来ないでいる。左サイドバックでもプレーする。それは何も問題は無い。 私は自分の特徴を熟知している。私は100%遂行する。私は最後の試合で自分の価値を見せる為にベストなトレーニングを行う。” 

こうなってくると大会直前で Scot MaCdonald をメンバーから外したことが堪えてきたんではないかな.... 前回日本が初戦で躓いて立ち直れなかった同じ轍を踏んでいくのではとこの時思った。この試合の翌日に行われる日本対カメルーン戦を前に初戦の大事さを痛感させられた。   つづく...


スペイン戴冠 オランダでは......

2010-07-26 | 夏季五輪

Dutch media blame ‘ chump ‘ referee Howard Webb for defeat

AD Sportwereld – Oranje lay blame on referee
オランダ代表はワールドカップ決勝戦で非業の死を遂げた – 主審に騙されたおかげで 。心をとりこにする戦いであった。緊張感のある試合であったがペリシア人達は物議をかもした England からの主審 Howard Webb に助けられた。
彼は手にカードを持ちながらピッチを駆け回りその度にいらいらしながら犯罪人の名前を書くことを望んでいた。両チームとも最高級の主審を望む権利があったが Webb はそうでは無かった。 スペインの決勝ゴールは理解できる。スペイン選手達は熱狂的に祝っていた。しかしそれは Webb の大失策によるものだ。その直前のプレーで彼は明らかにオランダに CK を与える事を見逃した。

De Telegraaf – “ Third trauma for Orange “
ワールドカップ南アフリカ大会はオランダのフットボール史上3度目のトラウマとなるだろう。ついに世界王者となった日にはオランダは何を得られるであろう。 

Algemeen Dagblad – Plunged into deep mourning “
スペインの Anders Iniesta の延長後半の決勝ゴールはオランダ代表とオランダ国民を深い嘆きに突っ込んだ。Soccer City で行われた血の沸き立つような決勝戦でオランダはあと一歩でタイトルを逃した。
スペインは素晴らし過ぎた。例え延長後半になって決勝ゴールを挙げられたが。
失望した後は誇りを持てるだろう。例え決勝戦の敗戦は無作法な終わり方であったかもしれないが、この週末国民を楽しさの支配下においたオランダ代表チームは誇りを持って帰国できるであろう。

“Oranje cry “ という大きな見出しで Wesley Sneijder が両腕で顔を覆いピッチに伏せ倒れている写真が掲載されていた。

NOS – The Dream is over
The Dream is over, オランダは世界王者にはなれなかった。
悔し泣きにくれる Sneijder の写真と共にこういう見出しが付けられていた。

Volkskrant – The Spanish were better
“まだ届かなかった。 スペイン選手達の方が優れていた。 “
とこの紙面では認めていながらも
”オレンジ色のユニフォームを着た今大会のオランダ代表選手達は屈する事を知らない戦闘マシンであった。“

NRC Next – And Now the hangover “
そして今、余波が。オランダ football の新しい世代達がここ南アフリカにおける4週間の活躍で世界に名前を知らしめた。しかし決勝戦での少々の敗北は長きに亘り共鳴されるだろう。“

Dutch point finger of blame at referee Webb

試合終了後、オランダの Robben と Nigel de Junge は Webb 主審のところに詰め寄った。試合終了7分前にスペインゴールに迫った Robben は Puyol に後方から肩を掴まれ充分な態勢でシュートが撃てなかった。
“選手として常に前に進もうとするが試合終了4分前の失点は厳しかった。 我々を大変な窮地に落としいれた。 我々は試合で何かを得ようとした。しかし控室は失望の場所であった。我々は控室に座りただ審判のいくつかのレフェリングに就いて話し合った。いくつかの点に就いて激しく話し合った。しかし今となっては何も話す事は無い。”
Robben は試合後以上の様に語った。 Puyol は既にイエローカードを受けていた。ここでイエローカードを出されていれば彼は退場となっていた。しかし De Joung がXavi Alonso の胸にスパイクを突き刺してもイエローしか出されなかった。
スペインが決勝ゴールを挙げる直前のプレーで Sneijder のシュートが相手DFに当たってゴールラインを割ったのでCKが与えられるべきだった。 しかし主審はGKを与え、そこから直接 Iniesta の決勝ゴールに繋がった。

“いくつかのおかしな判定があったがそれが football だ。我々は前進をし戦い続けねばならないしかしそれは難しい事だ。Webb 主審はいくつかおかしなジャッジを下した。特に終了間際のスペインのプレーで。あれはスペイン選手に当たって外に出たので我々のCKであるはずだった。しかし我々はCKを得られなかった。 
主審を非難する事はいつも容易なことだ。しかし我々はゲームを支配出来なかった。 いつものやり方で試合に臨まなかった事は重要な事だったしかしそれはただ我々がやったやり方だった。 長いシーズンだった。そして多くの事を我々は学んだ。 ”  De Jong はこう語り下記のコメントも付け加えた。
“今や主審のプレッシャーは大変なものだ。 彼らは FIFA に何をするかを言われている。 これは決勝戦だ。誰もがどんな事があっても勝ちたい試合だ。それは両チームとも同じだ。 こちらもファールをしたし相手もファールを何度かした。これは人生に一度あるかの出来事だ。 Football は football だ。恐らく私は小さな古い自動だ。しかし将来この試合を振り返れば、決して警告を受けなかった酷いファールもあった事を思い出すだろう。”
   


Beauty was rewarded in the end – Vicente del Brosque
スペインは Howard Webb 主審がオランダの Johnny Heitinga への二つの警告を含む14枚のイエローカードを出した手に負えない試合から途中出場の Cesc Fabregas のクレバーなパスから Andres Iniesta が決めたゴールで打ち勝った。 
もしよだれが出てきそうな期待を持った試合なのに何にもなかったとの失望があったなら、 Del Bosque は自分達のチームの成功にその慰めを見つけた。

“私は football における美しい事に就いて話しに来たのである。均衡した非常に激しい試合だった。ラフであったと同時にそれが football でもあった。 彼らは我々を思い通りにさせなかった。 両方のチームがプレッシャーをかけ続けたが football は前に進むスポーツだ。 この日の報酬は beautiful football だった。
私は控室から自宅に試合終了後電話を掛けようとしたが、誰もが忘我状態であったので話すのが難しかった。大変やかましかった。しかしスペインは一国としてこの栄誉を得るに値する。これはもうスポーツの域を越えている。 誰もが我々を国から指示してくれたそして我々は彼らに喜んで勝利を報告する事が出来る。“
我々は質が高く、才能に恵まれた素晴らしい選手達がいる。そしてそれらがこの報酬に値している。 彼らはピッチに立ったら全てを見せた。これは2年前に ( Luis Aragones の指揮下の元 ) 成し遂げた事を継続した事だ。 全ての選手達はこの日もたらされた栄誉と報償を受ける権利がある。” 

  


Iniesta の試合後のインタビューは Puyol, Pique そして Fabregas らの勝利の雄たけびによって阻まれてしまった。この Barcelona のMFは得点後昨シーズン開幕前に心臓まひで突然亡くなった Espanyol の主将 Dani Jarque へのメッセージを示す為にジャージーを脱いだために警告を受けてしまった。
“私は彼に敬意を捧げたかった。これが一番良い機会だとおもったのでそうした。 私は本当に信じられない。我々は打ち負かされなかった。 私は少ないながらこの大変タフでラフな試合に貢献が出来た。ピッチ上では全ての事が起こり得る。しかしスペインはワールドカップの勝利に値するチームだった。我々が大変誇りに思うべき事で信じられない事でもある。”  Iniesta はこう語った。

スペインは2007年2月に Old Trafford でEngland に敗れて以来まだアメリカ戦とスイス戦の2回しか敗れていない。 それら2試合とも南アフリカで行われた。そして世界王者の称号を2年前ウィーンで勝ち取った欧州王者のタイトルに加える事が出来た。

Casillas true hero as Iniesta steals headlines
Anders Inisestaはドラマティックな延長後半の決勝ゴールで新聞の一面を独り占めにするだろうが真のmatch-winner は GK の Iker Casillas である。
Football のGKは危なくて同時に孤独な存在だ。シュートを止める役割は英雄よりも悪名となり得る事が多い。 しかし国際GK クラブはスペイン主将の Casillas によって重要な訴訟参加をするであろう。
50分には Robben のシュートを何なく防ぎ 62分には Wesley Sneidjer が Robben から1インチの狂いも無いパスを受けてDF陣を切り裂きシュートの持ち込まれたがCK に逃れ、 試合終了7分前には Carles Puyol のマークを外れた Robben が中央からゴールに迫ろうとしたが Puyol に後ろから引き倒された。もしこれらのチャンスのいずれかを Robben が決めていれば彼がこの試合の英雄だった。
ワールドカップ優勝の立役者の一人となった事で Casillas はイタリアの Gianluigi Bufon よりも上のランクに置かれるであろう。 



1999/2000 シーズン, Real Madrid の正GK はドイツ代表の Bodo Illgner であったしかしシーズン終了までに当時10代のスペイン人選手がゴールを守る機会が与えられた。 Casillas が最初に世界に名前が知られるようになったのはこのシーズンの UEFA Champions League の Old Trafford でのManchester United とのゲーム。 この試合を 3-2 で勝利を収めた Real Madrid が欧州王者に就く事に。 Valencia との決勝戦も出場を果たし当時19歳だった Casillas は Champions Leageu 決勝戦の最年少出場者となった。そしてそのシーズン出場機会は無かったが EURO2000 のスペイン代表メンバーとなった 。
2シーズン後調子を落とした彼はベンチを温める日もあったが再び UEFA Champions League 優勝の立役者となった。 Cesar Sanchez が負傷の為 Bayer Leverkusen との決勝戦は Casillas がゴールを守る事となりファインセーブを連発し 2-1 でチームを勝利に導いた。 

今大会、初戦のスイス戦を 0-1 で落とすとマスメディアはゴール裏に陣取った Casillas の Girl Friend であり TV プレゼンター である Sara Carbonera のせいで集中が削がれたと批判された。しかしそれでも Casillas は今大会ミスは見られずワールドカップのタイトルを欧州王者と 3度の UEFA Champions League そして4度の La Liga のタイトルに付け加える事が出来た。

 

オランダのマスコミは主審の判定に不満を隠さない。たしかにテレビで視ていて決勝ゴールを決められる直前の Sneijder のシュートの後のシーン。私もCKかと思った。しかしGKとされそこから繋がれて決勝ゴールが決まったのだが、もしCKが与えられていれば結果は違ったかもしれない。ただ Iniesta のゴールが決まった時は “これでPK戦で勝者が決められなくよかった。”と思った。
今大会の決勝戦の試合内容から見るとスペインの方が王者に値していたと思う人は多いだろう。

1978年アルゼンチン大会、終了7分前の Naninga のゴールで同点に追いついたのはオランダだった。そして延長戦に入り、120分で勝負がつかない時は再試合になるとテレビで言っていた。しかし勝負はアルゼンチンがケンペス、ベルトーニの連続ゴールで決めてしまった。
大会前地元アルゼンチンは優勝のチャンス有りと予想されたがクライフが抜けたオランダが決勝までいけると予想する人は少なかったのを覚えている。

この試合、主審の判定がかなり地元のアルゼンチンよりと欧州のマスメディアからは言われたらしい。

Rene van de Kerkhof の包帯が長すぎると Passarella 主将が抗議したがそれはGonella主審が Pasarella に促した為だった。 Gonella 主審はこの試合球をそのまま自宅に持って帰ってしまった。 FIFA が出場選手のサインボールと交換に還す様に“頼んだ”けどその後どうなったのだろう….



今大会のスペイン優勝に最も安堵を感じているのは del Brosque 監督だろう。前任の Aragones 監督が欧州王者という大きな“置
き土産”を置いて行った後任はさぞプレッシャーがかかった事だろう。後任はどうなるのだろう?次に監督をする人も大変だろうなぁ…… 欧州では既に Exhibition Match が始まっている。選手達の休息は本当に束の間なんだろうなぁ…..


スペイン戴冠! 批判好き英国紙から

2010-07-19 | 夏季五輪

Spain will beat Holland to win World Cup 2010, says Germany coach Telegraph

ドイツ代表監督はスペインが決勝戦で勝利を収め初の世界王者になると予測。
Löw 氏は “スペインがタイトルと勝ち取ると言う事を自信を持って予想できる。スペインは素晴らしいチーム。彼らは試合巧者で全てのパスに見られるように彼らを打ち負かすのは殆ど不可能だ。スペイン選手達は大変落ち着いており我々を圧倒していた。彼らは我々より単純に優れており勝つべくして勝った。
EURO2008 ではまさに他を圧倒してタイトルを勝ち取った。そしてこの2,3年メンバーを固定して戦ってきた。彼らはオートマティズムにプレーをし、全ての試合においてトップコンディションで臨んできた。そして対戦相手全てを破って来た。この2,3年では最も技術の高いチームであった。ボールを速く回され我々はアルゼンチン戦の様に出来なかった。選手達は抑制心理を取り除けなかった。”

EURO2008 で準優勝。ワールドカップで3位と云う結果を残したLöw監督の後を継ごうとする後任はいないだろう。若い選手が出て来て今後もやりがいはあると思う。2年後の EURO でも優勝候補と思われるペインに対して射程距離内にいるのはドイツとオランダだけ様な気がする。

Iniesta settles war of attribution with a moment of inspiration
The Independent


オランダからワールドカップを守った Andres Iniesta にひれ伏すべきだろう。
14の警告と1枚のレッドカードが飛び交った120分の戦いは Bert van Marwijik のチームの国の文化によって殆ど裏切られワールドカップは救助が必要であった。
スペインは決勝戦の翌朝には世界王者として目覚めた。彼らは既にこれまでの紋章の上に星が付いた新しい赤いシャツを着ていることだろう。欧州王者だったスペインは今や世界王者だ。そして歴代の勝者と肩を並べられる。
偉大なチームが勝利を得たがゲームは偉大では無かった。
オランダ人達は Vicente Bosque のチームの流れるようなパスのリズムを遮る為にいったいどういう事が必要だったかを示した様に自分達の限界を認めていた。
イエローカードが示される回数が増え、最後には14枚にも達した。そしてオランダ人達には全てを犠牲にする事が準備されていた。驚くべき事に退場になったのは Everton のDFである Johnny Heitinga 1人だけであった。
試合終了のホイッスルが鳴るや否や、オランダ選手達はこの状況下で任務をやり終えたばかりの Howard Webb 主審を取り囲んだ。どうやら延長戦の終盤で交替出場の Eljero Elia に対するファールが見過ごされPKを与えられなかった事に就いて抗議していた様だ。Elia はエリア外にいた(良いゴロ合わせだ)。
Iniesta のゴールを許した直後彼らは冷静さを失い Iniesta のオフサイドを主審に主張したが Iniesta は1ヤードはラインの内側にいた。
もしオランダ代表が1970年代のワールドカップ決勝戦のどちらかに勝っていたら2010年大会後継者達はこの決勝戦後に流した様な涙は無かっただろう。スペインの様な素晴らしいパスを駆使するチームを相手にするには威嚇をする必要があった。しかしそこで果たされたのはオランダが賢明なファールの残酷さを再発見したに過ぎなかった。
最後にワールドカップは素晴らしいバルセロナアカデミーから歩み出たカタルーニャの至福の地の football で作られた選手のゴールによって与えられた。 Arsenal の主将である Cesc Fabrigas は彼の仲間である Iniesta にパスを送り印象深い Ajax GKの Maarten Stekelenburg の飛び出しをかわして決勝ゴールを決めさせた。喜びを爆発させたIniesta はジャージーを脱いだが彼は昨年26歳で心臓まひで急死した Espanyol の主将だった Dani Jarque に捧げる為だと試合後語った。Espanyol は同じカタルーニャ内では可哀そうなライバルだがこの夜はそういう事は関係なかった。Iniesta はジャージを脱いだ事で警告を受けてしまった。




オランダ選手達は試合終了間際に van Marwijk 監督と共に既にこの試合で1枚警告を受けている Carles Puyol のArjen Robben に対するファールは警告が出されるべきだと主審に詰め寄った。しかしオランダ代表監督は Nigel が Xabi Alonso の胸にスパイクを突き刺しても何も無かった幸運を忘れてはいまいか。主審にとっては悪夢の様な試合であった。怒気に満ちた雰囲気、ずるいファールによるゲームの中断、そしてベンチからの邪魔。例え平和の使者である Nelson Mandela 氏が試合前のセレモニーに現れて試合を良くしようとしても、自然と出たオランダ人達の反論は最後には Iniesta のゴールによってカオスと化してしまったと感じざるを得ない。
スペインの最終的なボール支配率は57%となり最後まで彼らは高いモラルを保持し続けた。オランダは2度GKと1対1になる決定的なチャンスがあったが共に放った Arjen Robben のシュートは Real Madrid ではチームメイトである GK Iker Casillas によって止められた。

Del Brosqueスペイン代表監督はエースの Fernando Torres をスタメンから外したが Toress の反応は通常では無かった。試合前のウォーミングアップでは最初の10分間はただチームメイトの練習を見ているだけであった。延長後半に入りついに投入されたがハムストリングを痛めた様に見えた。これは Liverpool 新監督に就任したRoy Hodgsonにとっては最初の悪いニュースであろう。
スペインに何度かチャンスはあった。例えば4分には Sergio Ramos がヘッドを放ったが、 Robben の後半の2度のチャンスとは比べ物にはならなかった。
1度目はGK Casillas が反対方向につられて飛んだが脚でクリアーし、83分の2度目のチャンスは Puyol に後方からクリアーされた。  Iniesta に決勝点をお膳立てする前にも Fabriges は自らチャンスを迎えた。しかし彼のシュートはオランダGK Stekelenberg にセーブされた。
Heitinga が Iniesta を引き倒して2度目の警告を受け退場となり10人になってもオランダはPK戦に何とか持ち込みタイトルを手に入れようとした。
Webb はオランダのFKがスペイン選手に当たってゴールラインを割ったのにCKを与えないと言うミスを犯した。 PK戦がぼんやりと見えて来た時に Iniesta が割って入りゴールう決めてスペインを不名誉なPK戦から救った。 スペインはそのPKスポットからの神経戦から逃れ、オランダは行こうとしたそのスポットから遠ざけられてしまった。
World Cup final : Holland 0 Spain 1 match report Telegraph

試合の質は気にする事は無い、判決を感じよう。ワールドカップ決勝戦と云うものは Beautiful Game とは無縁になってしまった。 今大会のアップビートな試合展開が続いた中で延長後半終了4分前の Andres Iniesta のゴールによってスペインが当然のごとくタイトルを手に入れた。スペインは長い時間ワールドカップを持ち上げる瞬間を待っていた。しかし延長戦の半時間は何だったのだろう?激化した、ファールに満ちた中で116分まで進んだ試合は Iker Casillas の歓喜に流れた涙とシャンペンのシャワーによって洗い流された。 
シーズンのクライマックスはオランダ選手達の傷跡の残る憎悪とそれに対するスペイン選手達の報復が Howard Webb に Everton の Johnny Heitinga の2度を含めた14枚もの警告を出させると言う結果に終わった。 Webb は自分のカードに警告を受けた選手の名前を書くと事に終始した。1986年大会決勝戦で Romualdo Arppi Fillo が記録した警告6枚を軽々と上回ってしまった。
オランダは何度もフィジカルの強さをフルに使って“戦争の妨害”に終始した。見出しや告発には彼らが故意にスペインにラフに当たり彼らの有名なリズムを遮断しようとした。その恐ろしい証拠として、もしオランダがスペイン艦隊を沈めようとするなら彼らの造船所を狙うという事だ。
オランダがカウンターに転じた事もあったが Arjen Robben を防ぐにはCasillas のまさに最高のセーブが必要とされた。しかしオランダにとって伝統的な Total Football を形成するのは至難であった。
それは Johan Cruyff がスペイン紙に寄せたコラムが生き生きとしてくる。
かつてオランダ人がスペイン人に教えた全てのレッスンは、全て Cruyff, Rinus Michaels, Luis van Gaal そして Frank Rikjaard によって与えられたものでその国のDNAに浸透している。そして近年再生された。昔オランダが行ったパスや機知に富んだ動きはスペインに於いて2年前の欧州選手権での栄誉と今に見られる。 涅槃に到達する為に全ての痛みがなされた。
スペインは王者に値する。なぜなら彼らは正しく試合を進めたからだ。全ての英国の学校、クラブにはこの試合のハイライトのDVDが与えられるべきだ。 Iniesta や Xavi がどの様にポゼッションを高め、 Joan Capdevila と特にSergio Ramos がどの様にサイドを埋めてオーバーラップをしてチャンスを構築したか。例え David Villa が Heitinga と Jors Mathijsen に息を止めれてもスペインは前線に進出し例え Torres が怪我をしていてもスペインは決して自分のスタイルを変える事は無かった。
彼らは常に前向きに概念を持ち、試合の限界を引き伸ばし常に運動量を絶やさなかった。例えオランダのよく統率されたバリケードの嵐の目でも彼れは前に向かい続けた。オランダの頑固な守備を征服する為にスペインは自分達の競技に対する不死の権利を用い続けた。
Iniesta や Xavi の様な謙虚な選手達は胸像の台の申し出を嫌がるだろう。しかし彼らはこの様な素晴らしい任務のモデルの喝采を受ける権利がある。いかなる英国人の父親はサッカー少年達に彼らをお手本として見て学ぶべきと云う事が出来る。
決勝戦はF.A. に痛みをもたらすだろう。そしてそれはユースレベルの育成プログラムがスペインのはるか後方にあると言う事を知らしめられスペインは2018年の England 地元開催に向けて雄弁に語っている。彼らのプレゼンテーションはシンプルであろう。
彼らは世界王者と欧州王者であり Xavi プレーする場所は Premiership である。  Del Bosque 監督のいかつい表情が最後に満面の笑顔になる一方で、征服された Bert van Marwijk は首からすぐにメダルを取り外した。敗戦はオランダが決勝戦での敗戦が続いている事を意味し70年代に Paul Breitner, Gerd Müller, Mario Kempes らによって妨げられた眠りが再び Iniesta によって遮られた事を意味する。
チャンスはやって来ては過ぎ去っていった。  Ramos が Xavi のFK に合わせて放ったヘッドは Maarten Stekelenburg に止められた。 Ramos はその時 Heitinga のマークを受けていた。 Villa のシュートはサイドネットを直撃した。一流クラスのエレガントな football の期待は裏切られ長時間特にオランダのファールに終始した。
主審の Webb のペンはインクが無くなる危険にさらされた。English 主審よフィジカルゲームだったか?技術の高い選手がレベルの低い方法で止められるのと見る事は悲しい事であった。
Van Persie は既に Sergio Busquets を斧で殴り倒していたそして次には Capdevila が標的となった。Villarreal の DF は汚いやり方で掴まった。それでもスペインは殆ど怒らなかった。 Carles Puyol は Robben の足首を突いた。しかし主な悪漢達はオランダ人達であった。 Mark van Bommel は相手のすね当てを狙う事に恥じらわなかったそして Iniesta の後方から騒々しくした。 Ramos は Dirk Kuyt に激しく当たったがNigel de Jong の Xabi Alonso の胸を蹴飛ばす行為こそオランダが憎むべき違反者とされるべきであった。反則がフェアープレーを意味することによりオランダはスペインのゴールへのルートを防いだ。 Kuyt はスペインのCK時に Gerard Pique のシャツを殆ど粉々に刻んだ。これまで無名だったWesley Sneidjer は自信を刻印する事を決心した。 Busquets は試合よりもむしろ相手 MF の太股にスパイクのスタッドを突きすことに終始した。
前半が終わり後半に入ると試合はにわかに動き出した。Robben が Casillas の緊急セーブを導き出した。物事はただ改善されつつあった、Soccer City のファン達は祈った。世界中の約7億人が声を上げた。スペインが迎えた Robbenが抜け出て 1対1になった Robben の絶対絶命のピンチを Casillas によって助けられた。
オランダはプレッシャーが引いていくのを見ていた。そしてその間隙を突いた。 Van Persie が GK Stekelenburg のゴールキックを前に蹴りだすとマークを外れた Robben が一気に中盤から駆け上がる、Puyol の引きとめようとした手を振り払いスペインGK Casillas もかわそうとするが Casilla は Robben の足元に飛び込みまたもピンチを救った。
延長戦は名残惜しそうに死んで行くように感じた。チャンスがやって来ては浪費された。Heittinga が Xavi を捕まえた時スペイン選手達は PK を叫んだ。 そして Stekelenburg は Cecs Fabreggas の決定機を防いだ。
誰もゴールの準備をしている様には思えなかった。 Iniesta が Robben をまた抜きした時に“ オーレ“と云う歓声が渦巻きそれが救いに聞こえた。そして Fabregas が前線にするすると上がり放ったシュートは外に外れた。延長後半のTorres の投入は貪欲に求められていた救世主メシアの登場のであった。既に警告を受けていた Heitinga が Iniesta を引き倒しピッチを後にした。
しかし最後に Iniesta がやってくれた。その酸っぱい苦々しさを甘美なフィニッシュで終わらせた。

Holland and Spain’s anti-football lets Europe down
Guardian


もう欧州同士の決勝戦はいらない。Thank you very much. 一つは4年前 Zinedine Zidane の頭突きとPK 戦で勝敗が決まった試合だ。それで充分だった。しかし誰もベルリンに集まった観客はそんな事は真剣に予想しなかった。
今大会の決勝戦はスタイリッシュなニュアンスを含んだファッショナブルな試合、最高の攻撃的選手が作り出すライバルの哲学が現代的な試合の中でぶつかり合うと思われた。しかし我々が延長後半終了前の Anders Iniesta のゴールを待たねばならなかった様に競技場の84,000人の観衆と世界中で観戦した約7億人の人達はいつ football が始まるのかと思案しながら取り残されていた。
前夜に行われた3位決定戦の方が決勝戦と呼べる価値のある試合内容であった。 ドイツとウルグアイは共に自国連盟の為に金額差の多くない報奨金を掛けての戦いと思われたが試合は最初から最後まで勝利を求められ今大会の64試合で最高の試合内容と言えた。
そこには高い質とたゆまない興奮そしてゴール。加えて Diego Forlan のあわや同点ゴールと思わせる試合終了直前に放たれたクロスバーを叩いたシュート。

試合は報道によると驚いた事に試合開始直後はオランダの支配率が高かった。
それはスペイン選手達がボールを奪おうとする為に相手を追いまわさなかったからだ。しかし必然的に試合開始から存在が明らかになっる事は明らかだった様に
スペインは前線に出て行く為に相手のミスを待っているオランダ選手達をじらしそして試し始めた。ただ不必要に多くの非魅力的な懸命さが両チームから多く見られた。通常の緊張感が不正確なパスや相手にスペースをゆるさない為の普通に試みられるファールを導いた。
試合時間が過ぎて30分も過ぎると Howard Webb 主審は Roben van Persie, Carles Puyol, Mark van Bommel そして Sergio Ramos 達にイエローカードを出した。恐らくそれは興奮を下げさせるためだろう。しかし28分に Nigel de Jong が Xavi Alonso の胸にスパイクのスタッドを突きさした時は幸運な事にカードは見せられなかった。 

  

Puyol に足を掛け、 Xavi を引き倒した Van Bommel がハーフタイムを迎え選手、審判団共にピッチを去る時に Webb 主審に声を掛けたがそれは van Bommel が主審に最後の聖域を受ける前に何人の選手を罰する事が許されているのかを尋ねている様に見えた。 そしてこういう行為は試合の品格を落としてしまう。
退屈な試合前半は両チームが1度ずつ見せたチャンスで生き返った。 11分Maarten Stekelenburg は Ramos のヘッドを素晴らしいセーブで防ぎ、 Iker Casillas は40分に Arjen Robben を脚を一杯に伸ばして防いだ。 
しかし試合の進行は Pedro Rodriguez が突破をはかった時に5人のオランダ人選手達が囲んでいた事により正確に表現された。
後半に入っても殆ど何も変わらず警告数だけだ増えて行った。 Giovanni van Bronckhorst, John Heitinga そして Joan Capdevila . このお祭り騒ぐの中であまり触れられたくなかったであろ事を希望していたと思われるイングランド人主審を誰もが申し訳なく思えただろう。
例え刺激の無い批判家であっても Xavi, Robben, Iniesta, Wesley Sneijder, David Villa そして Van Persie 達は均衡を打開する為にベストを尽くそうとしたと評価しただろう。しかしシステムがその努力を絞殺した。特に4人の DF ラインの前に並んだ Bert van Marwijk と2人の妥協のない魅力的でもない守備的MF 達による守備のシステムが。例えそこには相手を引き離すやり方でオランダDF達のインターセプトを含んだ規律と強さは称賛の可能性はあっても、実しやかに言ってスペインは他の目的があった。
守備を固める事は得点を伺うのと同じくらい試合では大事な事だが、もし anti-football への概念に信用性を貸すのであれば決勝戦のそれだった。 女神は知っているマドリードやアムステルダムの大スクリーンの前の観衆が何か違いを求めていた事を。 悪評と屈辱にまみれて既に大会を後にしているEngland, France そして Italy の選手達は自分達の休暇の中でくすくすわらいながらこの試合を見ていたに違いない。

大会前の私の決勝戦の予想は“ブラジル対ドイツ”。準々決勝のオランダ対ブラジル、準決勝のスペイン対ドイツのカード実現は予想通りだった。しかしそこでブラジル、ドイツが勝つと思っていた。
特にドイツは今度はスペインに勝つだろうと思っていた。そしてスペインを破るならブラジルと思っていたんだけど。
さすが英国紙は辛辣なコメント批難のオンパレード。しかしオランダは1982年スペイン大会で優勝したイタリアがアルゼンチン、ブラジル相手に見せたジェンチーレやタルデリの“タフな”ディフェンスよりかは紳士的だった気がする。
メキシコ大会決勝戦の Romualdo Arppi Fillo 主審、懐かしい名前だ。この試合でこんなにカードが出たとは知らなかった。後でDVDを見てみよう。しかしブラジル人で
ある彼のゲームコントロールの真骨頂は翌年アルゼンチンで開催された Copa America の final . Uruguay vs Chie の一戦はファールの応酬。両チーム退場者を1人ずつ出したが荒れて仕方がないと言う試合内容でもなかった。 荒れると予想される試合の主審は南米審判団に委託した方が良いかもしれない。 

2大会連続で南米勢が決勝に残れないのは戦後になっては初めてだ。だが南米勢で決勝に残った事があるのはブラジル、アルゼンチンそしてウルグアイのみ。今大会はウルグアイの躍進が目立ったがアルゼンチン、ブラジルが2大会共にベスト8で消えるのが寂しかった。
欧州 vs 南米を決勝でみられるのもワールドカップの醍醐味と思っていた。次回はブラジル開催。ブラジル優勝は至上命令だろうが、1950年大会以来南米勢同士の決勝戦になるかも?あの時もブラジルがホスト国。しかし当時の欧州は戦争後の経済がまだまだ疲弊していた時代、ワールドカップどころでは無かったと思う。そして決勝戦で敗れたのがホスト国のブラジル。歴史は繰り返されるか?まだ早いけど4年後が楽しみになって来た。


スペイン戴冠! 決勝戦前の報道から

2010-07-18 | 夏季五輪
1か月に渡るワールドカップもスペインの優勝で終わってしまった。 
終わってしまえば早いもの。私は大会終了直後に商用で日本を離れねばならずまだ決勝戦も準決勝もゆっくりとDVDを見ていないのです。
若い時なら(こう思う事自体もう年寄りか?) 徹夜でワールドカップテレビ観戦はいくらでも楽しめたのだが今やもう12時を過ぎるとなかなか起きていられないんだなぁ….. 決勝戦は90分の戦いが過ぎたところで目が醒め、イニエスタの決勝ゴールやスペイン優勝の瞬間は見る事が出来た。
そして次のワールドカップまで4年を待たねばならないのか….と思った。でも長い様であっという間の4年間なんだろうなぁぁ…( 俺は真央ちゃんか?) 
次はブラジルか…ちょっと遠いなぁ…. でも日本がしっかりとアジア地区予選を勝ち抜いてくれる事をまず祈るよ……

Holland draw inspiration from past great ahead of Spain clash
Daily Telegraph

Bert van Marwijjk オランダ代表監督は偉大な先人達がスペインとの決勝戦を控えた選手達にとって inspiration ( 鼓舞激励となる人 ) になりうると信じている。
彼は Johan Cruyff や Ruud Gullitらかつての英雄達にアドヴァイスを求めた事を表明し、過去の偉大な歴史が選手達の重荷にならないと信じている。
“彼らは inspiration だ。それは準決勝のウルグアイ戦で3点目を取った時に思った事だ。 そして我々はこの32年ぶりに決勝進出を出来る大きなチャンスを迎えていると思った。そういった選手達はまさに inspiration だ。この5週間私は Ruud Guliit や Johan Cruyff と何度も話をした。また私達はここにトレーニングに来て以来 Ruud Krol とも一緒にいる。彼は練習中もずっとベンチに座っていた。その間そういった元選手達と過去の事や今の選手達のやり方そして練習に就いて多くを話した。”
そして調子を落としている Arsenal のストライカー Robin van Persie の見通しに就いては “この最終戦には改善してくるだろう。Robin には前面の信頼を置いている。 彼はまさに今大会最高の仕上がりとなり決勝戦ではベストな調子になると信じている。” 

Wesley Sneijder loyal to Inter despite Manchester United interest  Guardian

Wesley Sneider は Manchester United が興味を示す宣言をしても来シーズンも San Siro にて Internazionale でプレーする事を公約した。
昨シーズン Jose Mourinho の元でプレーした Sneijder は Coppa italia, Serie A そしてUEFA Champions League のタイトルを勝ち取り、ワールドカップでは優勝と得点王を狙っているこの南アフリカの地で United がアプローチをしているのだ。
Inter の Moratti 会長は Sneijder の代理人である Soren Lerby 氏と共に Sneijder は放出する気はないと話しており、決勝戦後は新規契約に就いて話し合いの場を持つとの事。
Sneijder は7月18日に結婚式を控えているが Moratti 会長は2015年まで契約を交わした元 Liverpool 監督だった Rafael Benitez 新監督と共に会合を持つ予定。
“私はInter には大変良いフィールングを抱いており、全てを勝ち取り Mourinho を失った後で皆を失望させたくない。 私の目的は良くシーズンも新監督の元で成功する事だ。United がアプローチした事に就いては驚きはしない、なぜなら昨シーズンは良くプレー出来たからだ。しかし私の希望は Inter に残る事だ。今月の後半に契約延長に就いて彼らと話をしたい。”
Sneijder はこう語った。 Manchester United は Sneidjer 獲得の為に €3,500万 ( 約37億1千万円 ) を準備すると報道されている。12か月前彼は €1,800 万 ( 約18億4,800万円 ) で Inter と5年契約を結び Real Madrid から移籍をして来た。
この莫大な利益をもたらす話は Inter にとっても悪い話ではないが、 Moratti 会長は
“ Manchester United が Sneidjer に興味を示しているのは事実だ。しかし私はこの誘いには乗らないつもりだ。 Sneidjer の決定を尊重し、私も同様彼が翌シーズンも Inter でプレーする事を考えている。“ 決勝戦を前にこの様に発言している。




Dutch heroes on the sidelines will be an inspiration, not intimidation
The Independent

28年前、その当時オランダ代表主将で歴史上最も多いオランダ代表キャップ数を誇っていた Rudi Krol はバルセロナの丘の上のカフェーで栄光の時代が去ってしまった絶望を語っていた。
今、彼はここ南アフリカで日曜日の夜に football に於いて最も偉大なタイトルを勝ち取るチャンスを迎えようとしている選手達の練習の参加している。そしてそれは何千年も前から待ち焦がれた様であった。
“我々には自分達が出来なかった事を成し遂げようとする機会を得た選手達がここにいる。” 
彼は言った。 28年前カタルーニャの丘で彼はただブラジルのソクラテス、ジーコそしてファルカン達がワールドカップに出場しているのをただ見ていた。
“ブラジル人達はずっとそこに居続けている。しかし2大会連続で決勝戦に残った我々は欧州予選すら突破出来なかった。”
Krol はナポリでプレーをしオランダ人特有の多機能な能力を発揮しスイーパーの任務を易々とこなしていた。しかしかつて所属したオランダ代表の将来を考えると大変厳しい絵しか見えてこなかった。
4大会連続でワールドカップ欧州地区予選落ちした後に Total football を掲げ1974, 78年大会は決勝にまで進出したが Buenos Airs で敗れてから次のワールドカップに出られるまで12年間待たねばならなかった。彼は夢は終わった-少なくとも自分が生きている間はこういう事は無いだろう –と骨身に感じた。
Van Manwijk は Krol, Gulitt , Cruyff らかつての英雄達を重荷でなく inspiration
( 鼓舞激励してくれる人 ) と捉えている。また彼少なくとも無意識のうちにある事にも影響を受けているだろう。
それは数日前にスペインの素晴らしいアプローチに就いてスペインの地元紙に寄せられた Cruyff が自身の特徴的で辛辣なコラムだ。 “私はオランダ人だが常にスペインの football を護衛している。
もし彼らの様に攻撃的な football を展開すれば多くの勝つチャンスがある。そしてもしボール保持を好む相手にカウンター攻撃主体のゲーム展開を試みると苦戦は免れない。事実はこういう事だ。もしスペインを打ち負かそうとすれば彼らにやられてしまう。そしてオランダは知っている。対戦相手は世界最強だと言う事を。
スペインが初戦のスイス戦で敗れた後でも充分に彼らは今大会優勝しうるDNAを持っている事が解った。 
” Cruyff が何か影響を与えたかは定かではないが Marwijk のコメントがある事を示唆している。ある段階では少なくとも選手達を束縛から解き放ったと思われる。
“スペインは恐らく Barcelona から影響を受けているだろうし、 Barcelona はかつて Johan Cruyff と Rinus Michels から影響を受けているそしてそれはオランダ football への大きな敬意だ。恐らく決勝戦を前にして少し皮肉な言い方かもしれないが私はそうは思っていない。スペインを尊敬しているが我々は自分のやり方を貫く。現在ではスペインの方が我々よりやや魅力的だろう。そしてスペインの様に可能な限り華麗にプレーをしたい。スペインはボールを持つと大変素晴らしいがボールが無い時でも大変早く動く。 したがって football をプレーしようとするチームには面白くなるだろう。 ”
Manwijk 監督はこう語った。 スペインのプレッシャーの恐怖に対しては Sneidjer, Robben そして再び目を覚ました van Persie らキーとなる選手達で対抗せねばならないが Gulitte は“ Sneidjer と Robben は Champions League 決勝戦に進出しているので大会前は楽観的に見ていた。しかし決勝戦を前にコンディションとモチベーションに注視せねばならないだろう。 大きなタイトルに臨むと言う事に我々は期待をしたい。だが相手は偉大なスペインであると言う事を忘れてはならない。”
Cryff の献身に就いては1977年彼が代表から引退する少し前オランダ代表メンバーとして Wembly に遠征し 親善試合でEngland を粉砕してしまったがその試合は殆どハーフウェィラインをまたがなかった。その少し前に彼は Nou Camp での Malaga 戦で審判の手を出そうとして退場になったが彼は後ろから掴まれてパンチを出せずにいた。すると怒ったサポーター達はピッチに雪崩込み中継車に火を点けてしまった。
Hiddink gives Dutch seal of approval : Sydney Morning Herald

Guus Hiddink は彼の仲間である Johan Cryff がまだこの件に就いては完全に何も話していない一方で優勝候補スペインと対戦する準備を進めているオランダ代表に太鼓判を押した。オランダ紙の Algemeen Dagblad 紙に Hiddink は
“オランダはここ近年、美しい football が現実的な footnball に取って替るドイツの様になって来た。常に美しいものには目に映らない。そしてもう少し長い間良い football を見てみたい。しかし Bert van Marwijk 監督と選手達が成し遂げた事は大変なことだ。”
63歳のHiddink 氏はトルコ代表監督に就任する事が決まっておりその人気は2012年欧州選手権までだ。 彼は南アフリカでオランダがデンマーク、ニホン、カメルーン、スロヴァキア、ブラジルそしてウルグアイを連破して来たそのプレースタイルを批判する Cruyff とは一線を画している。
“ワールドカップの決勝に進出したチームのコーチをしたことも無い私がどうして批判出来ようか?Van Marwijk はチームに多くの確信を与えた。ブラジル戦でオランダ相手にプレーするのは困難な事であると思わせられた。” 

Cruyff はオランダ代表が決勝に残る事には懸念を持っていた。
“半分の選手達は大変良いが残りの半分はまだ自分を見せていない。” と De Telegraaf 紙に語っていた。彼は GK Maarten Stekelenburg ( Ajax Amsterdam ) と Dirk Kuyt ( Liverpool ) に高い評価を与えていた。 そしてこの二人の活躍が決勝進出に繋がったとも語っていた。
そしてスペインの El Periodico de Catalunya に“スペイン代表は Barcelona のレプリカ”とも語っていた。


オランダ代表がワールドカップに初登場した1974年西ドイツ大会の欧州地区予選の最終戦、ホームでベルギーと0-0で引分け共に4勝2分ずつで並んだが得失点差でワールドカップ初出場を決めた。
この試合、一旦はベルギーにゴールを割られたがそれはオフサイドの判定だった。もしこのオフサイドを線審が見逃していいたら……
大会前の評判は優勝候補ではなくダークホース。地元西ドイツと前回優勝のブラジルの評価が高かったが、ブラジルはペレや主力が抜けていたので戦力ダウンは否めく、England が地区予選で Poland に敗れていたので地元西ドイツに大いに勝機ありとの印象だった様だ。
この大会、スペインは地区予選ではプレーオフまでもつれ込みユーゴスラビアに敗れていた。
今では考えられないが1970,1974年と2大会連続でスペインは地区予選で敗退していた。

Cruyff 率いるオランダ代表は試合毎に強さが増していった印象だったらしいが、当時は今の様にはマスメディアが発達しておらず Total Football の全容が世界の列強に充分に伝わっていなかったとも思われる。
続くアルゼンチン大会は地区予選を楽々勝ち抜いた後に Cruyff は“ワールドカップは既に経験したから充分“と代表から引退してしまった。それでも Krol や Rep, Resenbring ら前回大会のメンバーが多く残り Cruyff 以外のポジションは前回を上回ると言われたオランダ代表は決勝まで進出。地元アルゼンチンに敗れたものの Cruyff 抜きで決勝まで進出した事で大会後の評価は高かった。そしてこの決勝戦は主審がアルゼンチン寄りの笛を吹いたと欧州側のメディアはずいぶんと指摘していた。

しかし74年大会のメンバーが代表から抜け次の世代が育っておらず1980年欧州選手権は東ドイツ、ポーランドとの激戦の末本大会出場を決めたが1次リーグで敗退し、ワールドカップの舞台に立つには Gullit 達の世代の出現を待たねばならなかった。
スペイン大会の欧州地区予選では74年大会の生き残り Krol が孤軍奮闘していたのを思い出す。





Gio looks for fairytale ending : Sydney Morning Herald

オランダ代表主将の Giovanni van Bronckhorst はスペインを破る事によって物語の終わりとしたいと思っている。
35歳の Feyenoord のスター選手は相手が例え欧州王者のスペインであっても2度の準優勝を果たしたオランダが今やワールドカップのタイトルを勝ち取る機会が来たと信じている。ウルグアイとの準決勝戦で 3点目のゴールを決めて試合を決めた van Bronckhorst は試合後この様に語った。
“これ以上ない物語の結末ととなり得る。今大会は我々のトーナメントだ。我々は負けないと言う気がする。我々は常に最高の試合は出来ないがどこからでも得点が取れそうだ。” 
かつて Rangers, Arsenal そして Barcelona でもプレーした van Bronckhorst は来シーズンから U-21 のアシスタントコーチの職に就く。
今大会はこれまで EURO2008 での感じた事のないものを感じると言っている。
“2年前にフランス ( 4-1 ) イタリア ( 3-0 ) を破った様な感覚はまだ感じていない。あの時は我々はどこまでも勝ち進めると思ったがロシア戦で全てが終わってしまった。 もし EURO2008のグループリーグで感じた勢いが決勝戦で感じる事が出来れば優勝できるだろう。それは素晴らしい事だ。”
Van Bronckhorst は決勝戦に出場すれば代表出場試合数が106となりこれは Edwin Van der Sar ( 130 ) Frank de Boer ( 112 ) に続いて3番目の記録となる。
“私は自分のゴールで狂喜している地元のサポーター達を試合後テレビで視た。それは素晴らしい事で多くの人をハッピーにできると言う大きな動機づけとなる。そして優勝を地元に持ち帰るとどうなるかなんて考えが付かない。” 
この様に左ウィングと攻撃的中盤を勤めるベテランは語った。
Van Brockhorst は1998年大会ではベンチからPK戦までもつれ込んだ準決勝戦のブラジル戦を見ていた。そして2000年の欧州選手権の準決勝戦でイタリアイア手にPK 戦で敗れたメンバーでもあった。
“我々は何度もタイトル獲得まであと一歩のところまで近付いた事がある。だから笑って最後を迎えられればそれは素晴らしい事だろう。” とも付け加えた。 




試合後 van Brockhorst はインタビューで以下の様に答えたらしい。我々は世界王者に手が届こうとしていたが最後は届かなかった。それは残念なことだけどこのチームチームには誇りを持っている。そして我々が成し遂げた事全てにも。我々がここまで来れた事も、この日全てを出し切れた事も。 Van Brockhorst は2006年大会にワールドカップデビューを果たし、今大会の日本戦を含めて10試合ワールドカップの試合でプレーした。2006年は FC Barcelona の一員として来日し FIFA Club World Cup にも出場した。 

でも日本がオランダとワールドカップで対戦するなんて70年代、80年代当時夢にも想像できなかった。だけどこんな後ろ向きなことばかり言っているから自分は古い考えから脱却できないのかもしれない。21世紀にはいってもう10年経つんだしなぁ…


我が代表堂々と退場す……

2010-07-13 | 夏季五輪

PK戦はパラグアイ3人、日本が遠藤、長谷部、全て決めて駒野がスポットに向かう。解説の金田氏が“駒野負けるなよぉ….” といった。その言葉は当然駒野には聞こえないが、不安を増大させられた視聴者は少なくなかったと思う。 そして駒野の蹴ったボールは GK Villar に弾かれた、と思ったらゴールポストを叩いた。



あぁぁっと天を仰ぐ。 しかしGK川島は今大会、いや England 戦からものすごく当たっている。このPK戦でも最初の2人は決められたがコースは読んでいた。
この守護神川島が何とかしてくれると本当にそう想った。しかし相手は百戦錬磨の南米代表パラグアイ。 4人目 Lucass Barios が決めて、本田が実にクールにPKを決めた後の途中出場の Oscar Cardozo に左角に決められ、我らが Blue Samurai の今大会の挑戦を終えた。  あぁぁ、終わってしまったなぁ…..

4年前完敗したブラジル戦の直後もそう思った。しかしその後に感じたものは全く違っていた。 デンマーク戦の数時間前に Group F から1次リーグ勝ち抜けを決めたのはパラグアイとスロヴァキア。E組の日本はどう頑張っても2位通過が最高と思っていたので決勝トーナメント1回戦は恐らくF組1位で勝ち上がるであろうイタリアとの対戦と思っていた。しかしイタリアは1次リーグで姿を消し対戦相手は南米代表のパラグアイとなった。

パラグアイのワールドカップに対する思いは日本と類似する部分があると思っていた。ワールドカップは今大会を含めて4大会連続で出場を果たしているが、1930年、1950年、1958年大会には出場経験はあったが南米大陸からの出場枠が3カ国か4カ国であった1978年大会まではブラジル、アルゼンチン、ウルグアイに独占されていた出場枠だったが1978年大会からウルグアイの力が落ちて来た事と3強に次ぐペルー、チリの力が落ちて来て事そして南米大陸からのワールドカップ出場枠が拡がった事からワールドカップ出場のチャンスが大きく拡がって来た。
そして今は南米大陸ではブラジル、アルゼンチンに続く位置づけと言っても過言ではないと思う。 
出場枠が広がったことによってワールドカップ出場機会が増えそれが強化につながったのは日本と同じか?

そして決勝トーナメント1回戦を前に、パラグアイはデンマークやカメルーンよりは力があるとも思っていた。
そして6月24日。日本のスタメンは1次リーグ3試合と同じメンバー。 中4日の1次リーグ3試合とは異なり中3日おいてのパラグアイ戦。 蓄積された疲労が気になる。 
試合中の選手交替のタイミングが大事だと思った。
一方のパラグアイは累積警告で出場停止の MF Victor Caceres を含め New Zealand 戦から選手を5人替えて来た。だがよく見ればその前のスロヴァキア戦でスタメン起用された選手が9人おり、従来のメンバーから出場停止の Caceres の替りに Ortigoza が起用され FW Valdez に替って New Zealand 戦途中出場のBenitez がスタメン起用された。 要するに引き分けても良い New Zealand 戦は守備を固めて主力を温存し決勝トーナメントに臨んできたと思われた。 

選手入場に続き国歌が演奏される。この大会でもっと君が代が聞きたいと思った。日本のキックオフで始まった試合は開始40秒大久保がシュートに持ち込む。
パラグアイ相手では先に失点すると守備を固められると追い付くのは厳しいので先制ゴールをと願う。 しかしすぐに落ち着きを取り戻したパラグアイがボール支配率を高めて行き15分の時点ではその割合はパラグアイ60日本は40だった。
そして19分50秒日本列島に最初の震撼が走った。Riveros のスルーパスを受けた Barrios が阿部をかわして闘莉王と縺れながら至近距離からシュートを放つが川島がファインセーブ。
Lucas Barrios は Bundelsiga の Dortmund 所属。元々はアルゼンチン国籍で南米予選は出場しておらず大会前に帰化が認められ代表入りした選手。 
その直後、今度は攻撃に転じた日本が大久保が右から切れ込んだところをパラグアイDFに囲まれ CB Da Silva の足に当たったこぼれ球を拾った松井がミドルを放つがクロスバーを直撃。 両チームに連続して決定機が見られた。 
パラグアイは右サイドバックのベテラン Bonnet の上がりが良く、また日本はマイボールとなっても本田へのサポートが少なくパラグアイゴールに迫れない。 29分にはCKからこぼれ球を拾った Sanda Cruz に中央から本田がマークに入る前に撃たれるがポストの右に外れて行ったがこれは松井から本田へのパスをカットされてカウンターからCKを奪われたもの。パラグアイはこれまでと異なりトップには Sanda Cruz ではなく Barrios が入り、右に Sanda Cruz そして Benitez が左に張る。
すると日本も25分あたりから遠藤が前線へのサポートの為に比較的高い位置を取るようになった。これによって相手陣内でプレーする時間が長くなった。 35分Alcaraz が本田を倒してFKを得る。日本のFKのチャンスを解っているのかブブゼラの音が増大する。そのFKは遠藤が逆サイドに走り込んだ闘莉王を目指して入れるがその前に Sanda Cruz にヘッドでクリアーされた。 39分には見事なカウンターを見せる。 右サイド松井がパス交換から抜け出し Morel がマークに入るが中に入れると Ortigoza の前で本田がダイレクトで放った強烈なミドルは惜しくもポストの左に外れた。41分にはまたも本田が Da Silva に倒され右サイドで得たFKも遠藤が中に入れるがヘッドでクリアーされた。遠藤が高い位置に上がった事で日本がパラグアイゴールまでまでボールを運べる様になりそこでFKを得る等チャンスは増えて来た。 
しかし前半終了近くになるとパラグアイも Santa Cruz を最前線に上げ Barrios と2トップにしプレッシャーを。 だが前半は無得点のまま終了のホイッスルが吹かれた。 控室に戻る前に円陣を組みパラグアイイレブンが印象的だった。



後半は両チームとも選手交替は無くパラグイアのキックオフで始まった。 
日本は48分19秒に松井の切り返しからチャンスを掴むが主導権を握っていたのはパラグアイ。日本はマイボールになってもボールを失ったりパスを読まれるシーンが目立ち出す。全選手が4連戦目になる日本は少し疲れが残っているのかパラグアイ選手達の方の一歩が早い。そしてやはりデンマーク、カメルーンより力が上だと言う事を再認識させられる。ボランチの長谷部、阿部の守備力が無ければとっくに失点していただろう。
49分には今大会初出場の Ortigoza のドリブル突破を許し、55分にはカウンターからVera からボールを受けた逆サイドの Benitez がシュートを放つが中澤がブロックでCKに逃れる。58分には スローインから Bentize が入れたクロスに Santa Cruz のヘッドが日本ゴールを襲うがGK川島がキャッチ。
59分には攻勢だったパラグアイが Benitez を下げて Dortmund の Valdez を入れる。 この Valdez と帰化人選手 Barrios は今年から加入する香川と共に黄色のユニフォームを着て同じピッチでプレーするのか…と思った。 
62分久々パラグアイ陣内に攻め込んだ日本はCKを得る。遠藤が入れると闘莉王が Santa Cruz と競りながらヘッドを放つがポストの右に。その直後今度はパラグアイがCKを得る。 Morel が蹴ったCKに Barrios がフリーでヘッドを放つがその前に長谷部を倒したのをベルギー人のFrank De Bleeckere 主審に見られておりホイッスルが鳴った。
64分今度は日本ベンチが動く。 疲労が目立ち始めボールを取られる様になった松井を下げて岡崎が投入され2列目右に入る。パラグアイも前線を Barrios , Valdez のドルトムントコンビの2トップに。 70分右サイドで遠藤からボールを受けた本田がスルーを出し岡崎が走り込みクロスを入れるがCKに逃れられる。この時間帯から日本が前線にボールを持ちこめるようになった。 
75分アンカーのポジションにいた今大会初出場の Ortigoza に替って Serie A Atalanta 所属の Barretto を入れて2列目を厚くする。残り時間が少なくなるにつれて交替選手の選択が難しくなるとも思ったが80分に日本ベンチは阿部を下げて中村憲剛を投入する。これで岡崎を1トップに上げ2列目には左から憲剛、大久保、本田 を配置する事に。そして遠藤をボランチに戻し長谷部と組む事に。これはワールドカップ予選で何度も見られた布陣。ここは1点を取りにいくのか….と思うも後半もこのまま終わり延長戦に突入する事となった。 



日本のキックオフで始まった延長戦。かつての様にVゴール方式ではないが先に点を取った方が勝者になると思われた。開始早々憲剛がドリブルシュートを見せれば93分Sanda Cruz から受けた Cardozo がシュートを撃つ。94分には左のクロスから Barrios のヘッドがGK川島の正面に。その直後には Morel が左サイドを突破し入れたクロスに Valdez が撃つがここは川島がセーブ。 
97分には日本がFKを得る。 今度は本田がボールをセットする。 ここでパラグアイゴールネットを揺らしてくれればと思うが、サインプレーを使ったのかゴール前に走り込んだ憲剛にわずかに合わなかった。 惜しいチャンスだった。日本は交代枠がまだ1人残っている。 交替させるとしたら誰を入れるのだろう。 森本?俊輔?しかし106分に大久保に替って投入されたのは玉田だった。 

延長前半はパラグアイが押すシーンが多かったが後半は日本の方がよく相手ゴールを脅かしていたと思う。 111分には Alcaraz の岡崎へのチャージが反則に取られ FK を得る。その右からのFKに逆サイドに走り込んだ闘莉王が飛び込むがポストの左に外れる。闘莉王、中に折り返そうと思ったか。中盤でもパラグアイ選手に競り勝つシーンが出て来たが、両軍リスクを負ってまで攻撃に転じる意図は感じられなかった。それは見ていてるこちらも同じ。 出来れば相手ゴール前で反則を貰ってFKを得てそこから…と願っていた。そして時間が経つにつれて負けるにしてもPK戦で負けるののかその前に攻めて行って裏を取られるのか…と自分の中で葛藤が大きくなった。
112分、遠藤が Vera へのスライディングタックルにイエローが出される。 これで遠藤は累積2枚目。 次の試合は遠藤と長友抜きで戦わねばならないが、その替りに俊輔と内田がスタメンか?と勝手に胸算用していた。 
116分左サイドを突破した長友が玉田に繋ぎ、一旦は Alcaraz にクリアーされるが岡崎が拾って中に戻す。しかし走り込んだ憲剛に僅かに合わなかった。先程のFKと同様本当に惜しいチャンスだった。
そして119分、反撃に転じ、本田が後ろからチャージを受けFK を得る。よし最後のチャンス。全員が上がって….と思ったが119分58秒に Frank De Bleeckre主審は試合終了のホイッスルを吹いてしまった。日本ボールなのに、まだ時間が残っていたのに…. この判定はちょっと恨めしく思った….

PK戦はクジ引きの様なもの。だれもがそういうが、敗れてしまってはやはり…..



試合後多くの“専門家”が“攻撃力の欠乏”を指摘するが、今日本が世界の列強を相手にした時はこういう戦い以外は出来ないと思う。それは日本だけでは無いアジアの全ての国がそうだろう。 
世界の8強に残れれば本当に日本の存在を世界に憶えて貰える良い機会だと思った。 例え“次のスペイン戦”でボロ負けしてもスペインとワールドカップで戦える事がどれだけ夢だったか、と思うと勿体ない試合だったかもしれない。 
しかし反対に既にベスト16まで3度進出しているパラグアイが相手では岡田監督ではないが“そんなに簡単には行かないよ。”と教えられているのかもしれない。 
次のワールドカップに向けて今大会の経験を土台に更なる前進を望む。 

次のビッグイベントは来年1月の Asian Cup だけど、どこまで本気になってくれるかな…

少なくともテレビ中継はしてくれよ………


「日本対パラグアイ戦は今大会で最も退屈な試合」 ????

2010-07-13 | 夏季五輪

6月11日に開幕したFIFA World Cup 2010 もあっという間に過ぎてスペインの優勝で幕を閉じた。我らが日本代表は帰国後、岡田監督をはじめ代表選手が各メディアに引っ張り凧だ。
前回と異なり予想以上の成績を残してくれたので(私は1次リーグ突破の可能性も充分あると思っていたけど。)監督、選手達の出演を見るのも楽しみだ。フランス大会以来、日本が大会から消えてから改めて従来のワールドカップを迎える様な気がしていたけど、今回はベスト16進出の余韻に浸りながら準々決勝の好取組を堪能する事が出来た。 
ただ8強の中に日本が居れば世界にもっともっと日本の存在感を見せられるのになぁ….と少し残念に思った。
そして朝鮮日報の下記の記事を見つけた時ベスト8に進出し韓国の戦績を上回れなかった事をものすごく残念に思った。

「日本対パラグアイ戦は今大会で最も退屈な試合」

サッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦日本-パラグアイ戦について海外の各メディアが「今大会で最も退屈な試合だった」と酷評した。 英テレグラフ紙は「マラソンのようなサッカーだった。両チームは敗北を恐れ、思い切ったプレーを行う勇気がなかった」と批判した。
英ミラー紙は「日本のホラー映画『リング』に出てくる、見たら死ぬというビデオテープをほうふつさせるほどだった」と皮肉った。米スポーツ専門局ESPNは「印象的なシーンがこれといってなかった試合だった」と評した。 
ネットでは、守備にとらわれ、最後まで見る気がしないほど退屈だったといった指摘が相次いだ。

記事はこの後ドイツ対イングランド戦で誤審を下したウルグアイのホルヘ・ラリオンダ主審とアルゼンチン対メキシコ戦で誤審を下したイタリアのロベルト・ロゼッティ主審が残りの試合から外されることになった事と 国際サッカー連盟(FIFA)のゼップ・ブラッター会長がこの2試合に就いて6月30日、「審判の誤審について、イングランドとメキシコのサッカー協会に謝罪したい。レフェリーの明らかなミスを遺憾に思う」と語った事を報道し、「ヨハネスブルクにあるFIFAの現地本部でW杯のトロフィーの複製と衣類などが盗まれた」と FIFA が明らかにした事にも触れていた。 日本の一般紙はいつも韓国、というよりも在日勢力の反撃に気兼ねしてかこの様な記事は掲載しない。産経新聞くらいは何かしてくれてもよさそうなんだけど。 そこで私が英国紙にこの試合の事をどう報道されていたかを調べてみた。



Blue Samurai show England how to play with pride in the shirt
( Daily Telegraph )

日本はまだ世界の Football エリートとはギャップがある。とりわけ Bleu Samurai と偉大なブラジルのイエローマシン達とはまだ歴史的にも技術的にも大きな隔たりがあるだろう。しかし昨日このビッグステージを冷静に後にする事ととなったこの数週間今や突っ走り、シュートを放ち歓喜をした Keisuek Honda 様な選手や他の何人かのベテラン選手達の印象的であった機知やタッチを披露したチームとの間には明確なギャップなどはっきりさせ始める事等出来ないだろう。
我々の想像では何の賞与も予想出来なかった。France や England が絶望の元で合った一方で日本は football の最高の舞台でプライドの質を輝かせる時にいかにどこまで残れるかの最後の汗をいかに戦いの為に準備するかをまさに見せる事が出来た。厳密にいえばパラグアイの方が良いチームで彼らは歴史的な準々決勝進出の資格があった。
しかしその南米代表国とPKの方向を誤っただけで敗れたその対ア戦相手とは線を引く事は出来ないだろう。パラグアイは最初の試合でその後細かく砕け散ってしまった前 World Champion のイタリアにひるまなかったが自分達の能力が football の rising sun ( である日本 ) に対し通じ続けるかの安易な仮定はなかった。 
近未来に、しかしそこのあるであろうはっきりとした名人の妙技ではなく、すぐに忘れられないであろう彼ら自身がまさに解決し、熱望するレベルであった。パラグアイ日本の攻撃の幅によって恐らく驚くべき事でない不思議な賞を勝ち取った。 
駒野のPKがクロスバーを叩いても岡田武史監督は瞼を動かさなかった。その選手はフィールドから去る時は他の選手達によってしっかりと支えられ、そしてそれが彼であると言う事は常に知るであろうと言う競技のスポーツ劇場には残酷性が無いと言う理解があり、しかし任意であるがそれは彼らの最も素晴らしい瞬間からチームが出て行く理由でもあった。
パラグアイはしかし自分達の中で多くの激動があった。多くのファンが激論を交わすのはアルゼンチン生まれの選手が多すぎると言う事だが Gerard Martino 監督はそのポリシーをある活力を持って擁護した。
“それは単純な問題では無い。私はナショナリズムの当然の結果としてよりも football の趣として見ている。 その議論は通常は選手が充分に良いかどうかに集約されている。そして私の中では何も問題は無い。アルゼンチン生まれの選手達はパラグアイ人として代表に召集され彼らの血筋は経済的な理由から後にした家族の祖国にある。そして彼らの感情は football に必要な技術と同様にパラグアイ人である。”
パラグアイは遂にここで南米代表国が見せた様な平静さを見せた。彼らは歴史的なミッションを完結し少なくともアルゼンチンやブラジルに少し近付けた偉大な大会の準々決勝に進出する事が出来た。この十字軍は彼らのエースストライカーであった Salvadoe Cabanas が今年1月の午前5時に Mexico City のナイトクラブで頭を撃ち抜かれても殆ど勇気の下がったスタートを切らなかった。 弾丸はまだメキシコの Club America のスター選手の後頭部に留まったままで今でも危険な状態をさまよっている。 Blue Samurai 達が最後にかつてなかったワールドカップでの輝きを成し遂げた様に彼も頑張っている。 
それは偉大な、舞台の中心に置かれる程度でもない試合であったが、それはまさに誠実でまさにもしチャレンジ精神と真剣な競技のハートを持っているならどれだけやれるかを示した試合であった。 そのメッセージは誰もが受け取りたいものであったが恐らく我々は息をのむべきものでもなかった。

Okada takes the blame after Japanese courage is undone by timid tactics Paraguay 0 Japan 0 (aet; Paraguay win 5-3 on penalties) 
クロスバーから数ミリメートルの差が日本を史上初の準々決勝に進出するか帰国するかを分けてしまった。 しかし岡田武史監督は昨日のパラグアイ戦の敗戦を真剣に受け止め“ もしこの結果が自分達の価値の定義を下すものであれば、我々がやって来た事は不十分であったのだろう。日本は勝つ事が出来なかった。技術委員会に提出する。”と宣言しむしろ不気味に付け加えた。
24時間前には確かに Fabio Capello が大会からの告別の辞を述べたが岡田は England の代表監督と異なりむしろ不明瞭に“私は恐らく何かをやり残したとは思わない。”と PK 戦の敗戦後最初に日本のジャーナリスト達が知った事を述べた。 

World Cup 2010: Paraguay make Japan pay the penalty for negativity

“恐怖と緊張があった。誰もがこういう決着は不公平だと解っている。しかし勝利を収め、緊張から解き放たれ多くの事が心の中を去来する。それが涙の理由だ。 これは我々の過去最高の結果だ。我々はパーティを行っている。全てのパラグアイ人と祝福をする。楽しませてくれ。選手達は偉大な事を成し遂げた。これは成功だ。我々は準々決勝に進出した。我々は世界のベスト8である事を知った。”
Knock out Stage に入って6試合を過ぎて21ゴールが生まれたそしてそれはこの試合前までで充分であった。緊張が試合を支配し、パラグアイは適切にプレーし、脅威を与えない football に終始し日本はカウンター狙いであったが共に成し遂げられなかった。
“それはおそらく誰も見たくはない試合だっただろうがそれに就いて責められるチームは無い。日本はいつもの様にプレーした。彼らは深く守りカウンターを狙っていた。彼らは難しい相手であった。” 
それは充分に真実であった。しかしパラグアイは自信に欠けていた。そして恐らく状況を打破するリスクにトライする望みも。
しかし日本はこのワールドカップに多くを貢献した。 岡田武史監督は選手達のパファーマンスを誇りに思うと語り、後悔は何もないと言った。
“選手達は素晴らしかった。 日本とアジアを代表していた。なぜ我々は得点出来なかったかは一言では言い表せない。これは私の責任で、なぜなら監督としてもっと勝ちにこだわるべきであったと思うからだ。我々がやって来た事は不充分であった。 岡田監督が監督を続けるのかと尋ねられると、”更に4年も続けられるとは思わない。恐らくやらない。“と答えた。
パラグアイいは土曜日にスペインと対戦するが、注目すべきは南米5カ国のうち4カ国がベスト8に残っている事で“今や南米勢はピークでベスト4独占も有り得る。”とコメントした。

残念ながら南米大陸代表国は前回に続いてベスト4にはどこも残れなかった....



Paraguay 0 Japan 0; Paraguay win 5-3 on pens: match report ( Telegraph )  at Loftus Versfeld Stadium, Pretoria,
on Tuesday June 29 2010
.

パラグアイの選手達はピッチ上で溢れかえっており日本選手達は項垂れている大変なシーンがある。そこにはPKをただ一人失敗した駒野友一の必然的な涙があった。そして勝利チームの監督である Gerardo Martino の涙も見られた。驚いたことのこのアルゼンチン人監督はベンチに座り込みすすり泣いていた。彼のメガネは傾き曇っていたそしてチームスタッフの1人と抱き合っていた。確かにそれは安堵とプライドであったが競技場の中の数人は2時間前から泣きそうになっていた。それは退屈の涙だ。
Martino のニックネームは Tata だ。しかしこれは tatty ( 襤褸雑巾、みすぼらしさ ) だ。みすぼらしい、締まりの無い途中出場の Oscar Cardozo のPKによって終止符が打たれるまでにはただ勝利が求められた試合は神経質に終始した。それが当然だと言う弁解はあるが両チームともに両チームともにお互いを握りしめる事は懸命な事であった。そして日本代表の岡田監督が延長後半終了のホイッスルが鳴った瞬間に地団駄を踏んだが、誰かの後知恵が入ったかのように試合はPK戦へ直行すべきであった。敗北の危機感は勝利の要望よりも大きかった。 
このワールドカップで注目を引いた日本攻撃陣の情熱は殆ど見られなかった。彼らは深く守り、自分達の得点の可能性やエネルギーを期待する事は激しく裏切られた。その一方でパラグアイは前に出るか引くか躊躇した。チャンスは大変貴重なものですぐに浪費された。
率直に言って両チームも守備陣、特に4人のCBは強固だった。しかし試合終盤に僅かにチャンスを演出したのは2人の選手だった。Claudio Morel の単純なFKは不可解に大きく外れ、玉田圭二がゴール前に切れ込んだが彼のマイナスのセンタリングに岡崎慎司が走り込んだが通り越してしまった。試合のあった火曜日の夜はPK戦はクジ引きの様なものであったが自分達が勝利チームのサポーターだったと思いながら競技場を後にした観客はいなかっただろう。

Telegraph, Gardian と云った英国紙に目を通して見た。確かに延長戦にはいってもスコアーレスが続き大会初のPK戦までもつれ込んだ試合は日本、パラグアイ国民以外は見所の少ない試合だったと思われるが、英国紙でも両国の健闘を称える記事が目に着く。残念ながら老舗中の老舗紙 Times は電子版が有料になってしまったので見なかったが。“退屈な試合”と一言で片づけるヘッドラインは皆無だっただろう。

Third time lucky for Roque ( Sydney Morning Herald ) June 30, 2010 

Santa Cruz にとっては既に3度目のワールドカップとなるがその Manchester City のストライカーは南米代表のパラグアイに史上最高の戦績をもたらした。 それはファンタスティックな勝利だ。多くのパラグアイ人にとって。なぜなら我々はワールドカップで史上もっとも良い成績まで進出出来たからだ。
Santa Curz は既に32歳になる2014年ワールドカップブラジル大会には出場しない事を明言しているが土曜日にはヨハネスブルグでまだ試合がある事にも言及した。(インタビューの時点ではまだ対戦相手が決まっていなかったが)
“この試合は厳しい試合となるだろう。我々はより先に進む為に可能な限りハードに戦わねばならないだろう。我々の最終目的は常に勝つ事である。”
これまでワールドカップはパラグアイにとって欧州の列強の壁は厚かった。1986年アルゼンチン大会では England に 0-3 で敗れ1998年大会では開催国フランスにワールドカップ史上最初の Golden Goal で敗れ、2002年日韓大会ではドイツに終了2分前の失点で敗れ大会を後にしていた。
パラグアイの勝利で南米4カ国が準々決勝に進出する事となった。
Santa Cruz は20歳の時に Bundesliga の強豪 Bayern München ではレギュラー選手としてプレーし。2002年のワールドカップでは引分けに終わった南アフリカ戦ではゴールを決めた。 2001年のシーズンには Valencia を破り UEFA Champions League のタイトルを勝ち取ったが決勝戦では出場機会は無かった。 
2007年まで Bundesliga にいたが以降は Premier League の Blackburn に移籍し昨シーズンからは Manchester City でプレーしている。そして怪我の影響もあり出場試合は19に限られ3ゴールを挙げた。



1999年Copa America に招待された日本代表は1分2敗で大会を後にした。この時ホスト国だったパラグアイに 0-4 で完敗を喫したがこの試合で2ゴールを挙げたのが若き日の Santa Cruz だった。この大会世界的に有名だったGK チラベルは大統領と揉めて出場を辞退したと記憶している。そしてパラグアイと言えばかつて横浜フリューゲルスでプレーしたエドゥーの母国。 少なくともパラグアイ国民には“日本サッカー”の存在を知らしめることが出来たと思う。 パラグアイの地元紙ではどう報道されたのだろう。

PARAGUAY - JAPÓN 0-0 (5-3) ¡Pare de sufrir! ¡Paraguay está en cuartos de final! ( Diario ABC Color )  

ここでは試合の様子が詳細に報道されいていた。

Paraguay se une a la historia ( La Nacion ) 

ここでも同様に日本戦の試合の詳細が。
そして目に着いたのは下記の行だった。

日本戦がワールドカップ初出場となった Nestor Ortigoza はこう語った “試合前に祖国の国歌を聞くと母親や古い友人そしてパラグアイに住んでいる親戚たちを思い出した。多くの事が思い出された。パラグアイの歴史を作れて嬉しい。試合にはいった感触は良かったが初めはボールが落ち着かなかった。しかし15分もすると慣れて来た。 

” 15 MILLION DOLLARS
この日の勝利で Albirroja 達の勝利で FIFA からパラグアイ協会へは US$15,000,000 が支給され。次のスペイン戦に勝つと更にUS$5,000,000 追加される。 そして準決勝に進出すれば更に US$4,000,000 が上積みされる。グループリーグ3試合では総額 US$8,000,000 が支給された。優勝チームには US$3,100 万、準優勝チームには US$2,500 万支給されるらしい。 GK Villar Viveros は33歳の誕生日を迎え最高の誕生日プレゼントを自らにもたらした。

そして同日の同紙には下記の見出しが。

Japón firma con Paraguay acuerdo de cooperación financiera por U$S 53 millones

日本はパラグアイへUS$5,300万 ( 約47億7千万円)の経済援助のサインをした。これは郊外の道路を整備する為の経済援助であるとパラグアイ外務省は発表した。 この基金は 総額 US$1億7,000万 ( 153億円 ) のNational Rural Roads Program の2回目の事業であるとも発表された。第1回目の郊外地区の道路整備を早期に完結させるとともに東地区の幹線道路を進める為の事業である。 Hector Lacognate パラグアイ外務大臣と Watanabe Kazuo日本大使の間で覚書が交わされた。

日本とパラグアイの間には多くの人が気付かない関係があると思った。少なくとも韓国紙にはこういう記事は紹介されない。 

そしてあっという間にまた4年が経つんだろうなぁ….. 

 


キックオフ15分前….

2010-06-29 | 夏季五輪
ワールドカップは面白い。それは毎回感じて来た事。 しかし今年は日本が進撃を続けているので更に面白い。 決勝トーナメント1回戦の相手はパラグアイ。 ブラジルでもアルゼンチンでもドイツでもない。(イタリア、イングランドは既に大会を後にした。) ベスト8目前と云う書き方をするマスメディアがいる。
はっきり言ってパラグアイは強い。オランダ程では無いだろうがカメルーンやデンマークよりも力は上とみている。
かつての南米はブラジル、アルゼンチン、ウルグアイが出場枠を独占し、ブラジルが優勝した次の大会や( 1974年チリ、1970年ペルー 1966年チリ ) や1962年チリ大会( コロンビア ) 1978年アルゼンチン大会 ( ペルー。この時は南米地区予選でウルグアイはボリビアに敗れた ) の様に南米がホスト国になった時に南米大陸からの出場枠が拡がった時に3強以外の国にチャンスが巡って来ていた。 (1970年大会はアルゼンチンが南米地区予選でコロンビアに敗れた。) 
そして1982年スペイン大会から出場枠の拡大そしてウルグアイの凋落に伴い、他の南米諸国にもワールドカップ出場のチャンスが巡って来た。 1986年大会、パラグアイは南米地区予選でチリをプレーオフの末に破り7大会ぶりにワールドカップ出場を決めた。 その後2大会連続で地区予選を突破出来なかったが1998年フランス大会から3大会連続で南米予選を突破し前回は1次リーグで敗退したが1986年大会を含めて3大会連続で1次リーグを突破しているが、日本と同様ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの高い壁にの向こうからワールドカップを眺めていた時代が長かった。 

1979年ワールドユース東京大会 ( 今の FIFA U-20 ) 、南米予選で何とブラジルを抑えてマラドーナ、ラモン=ディアスのアルゼンチン、ウルグアイと共にパラグアイが出場権を獲得した。 そしてパラグアイは1次リーグを突破し準々決勝で準優勝となったソ連と激戦の末PK戦で敗れた。しかし神戸で行われたこの試合、最後にパラグアイに熱心に声援を送った日本人の観客に両手を上げて御礼をしていた選手がいた。かつての名選手Julio=Cesar=Romero だった。 

これまで日本対パラグアイの直接対決は U-20, 五輪を通じて8回あるらしい。 そして代表 A マッチでは2001年7月1日に札幌で開催された親善試合で柳沢の2ゴールで勝利を収めたのが唯一の白星らしい。
しかし1999年日本が招待されたパラグアイで開催された南米選手権 Copa America では当時19歳のサンタクルスに2ゴールを決められ 0-4 で粉砕され、そして2004年アテネ五輪の初戦では 3-4 で敗れている。 真剣勝負の場では勝たせてくれない。 それが南米でも列強の部類にあるパラグアイだ。
1997年マレーシアで開催された FIFA U-20 では柳沢のゴールなどで 3-3 で引き分けに持ち込み日本は1次リーグを突破し最終的にはベスト8に進出した......

約2時間後我々に歓喜をもたらしてくれる事を願う。 

日本とデンマークの友好の懸け橋に…..

2010-06-28 | 夏季五輪

今年2月頃、デンマーク大使館に勤めておられる I さんから連絡を頂いた。ワールドカップでは日本とデンマークが同じ組になるので試合の日には大使館でイベントを催す予定なので是非参加して下さい、とのお誘いだった。
I さんとは仕事上の関係でもう10年近く前に知り合った方、何とか北欧市場の開拓にと当時一度資料を貰おうと話を聞いて貰ったのが付き合いのきっかけだ。
残念ながら弊社の機械、製品はドイツやフランス、英国と比較してまだそれほどデンマークには売れていない。それは市場のサイズもあるが私の怠惰もある。
それでも I さんに頂いた情報や資料を元にデンマーク市場を開拓する機会に恵まれたのは事実だ。だからもっと成果を出さないとなぁ……

日本とデンマークがワールドカップで対戦する事も70年代から Football Junky を続けて来た私は隔世の思いだ。 デンマークとて1977年にバロンドールを受賞するアラン=シモンセンと云う欧州でも屈指の選手がいたが代表となると他の欧州列強には歯が立たなかった。しかし欧州選手権フランス大会予選では England をシモンセンのPK で破り遂に大舞台への出場を決めた。 
しかしその初戦。シモンセンはフランスDFルルーと激突し足を骨折。シモンセンの欧州選手権は20分もしないうちに幕を閉じた。しかしチームは準決勝まで進出。スペインにPK戦で敗れたが欧州列強の仲間入りとなり2年後のワールドカップメキシコ大会にも出場を決めた。ラウドルップ、エルケーア=ラルセンそしてオルセン(現代表監督)らが台頭してきた活躍した。だがシモンセンの出場は西ドイツ戦の19分程度であった。
以降ワールドカップでは欧州地区予選で敗退する事もあったがユーゴスラヴィアの代理で出場した EURO92 では準決勝でオランダをPK戦の末退け勝戦はドイツを2-0 で破り優勝するなど欧州でも中堅以上の位置づけとなっている。しかし80年代半ばまではワールドカップは遠い存在だった。

いよいよ試合の日がやって来た。 大会が始まる少し前からクフランツ=ミカエル・スキョル・メルビンデンマーク大使のブログに目を通してきた。けっこうサッカーが好き、と云うよりも詳しい方だ。I さんによると自らよくボールを蹴っているとの事。 指導者としてのライセンスも持っているとか… これは本格的だ。

そして日に日に当日が楽しみになって来た。 だが一つだけ問題があった。試合開始時刻が午前3時半。 イベントの為の開門午前0時半頃なので最終電車でお越しください。とI さんが言ってくれたが、その日は当然仕事があり、職場から直行しようかいったん帰宅してから行こうかが思案のしどころだったが結局仕事を定時で切り上げ一旦帰宅し夕飯とシャワーをすませてから現場に向かう事にした。
自宅近くの最寄り駅から電車に乗り込んだのは午後11時頃であったが、ちらほらと青い日本代表のレプリカを着る人達がいた。そういえばさいたまスタジアムでも Public Viewing が開催される予定であった。しかしその数は都心に行けばいくほど増えて行った。国立競技場でも P.V. が開催されていた。そして後で知ったけど都心の居酒屋やパブ等いたるところでデンマーク戦の観戦企画が立ち挙げられていた。
そればかりかカラオケボックスでも中継を楽しむ人達も。日本列島がこの試合に注目していたんだなぁと改めて思った。 大使館に到着して受付を済ませ、まず I さんに挨拶をと探す。敷地内は既に多くの人達で賑わっている。 テレビで紹介されていた和歌山の Roligan の方達も。 
すぐに I さんは見つかり、案内を頂いた御礼を何度も。そしてメルビン大使に挨拶させてほしいと頼むと、大使はすぐ近くにおられ私を紹介してくれた。 そして私が持ち込んだ“小道具”を渡した。
EURO88 のデンマークの試合、そしてワールドカップフランス大会のデンマーク対ブラジル戦の DVD を手渡そうとしたけどこの4試合全てデンマークの負け試合。機嫌を悪くされないか?とこの時になって心配になったけど、
“このブラジル戦は good game でした。”と大使の方から言って頂き、快く受け取って頂いた。更に私が持っていたEURO92 のサッカーマガジンの特集号を見せ、表紙にサインをした頂き、一緒に記念撮影までして頂いた。そして少しばかりこの日の試合の事を。
今日のFIFA のホームページに Molten 監督のインタビューがあったけど Bendner は使わないかもと語っていましたが…..
恐らく彼の情報操作でしょう。 きっとプレーすると思います。
それは大変です。どうかお手柔らかに。
いえいえ、日本は very good team ですから。

本当に親切で気さくでそれでいて高貴な雰囲気も放つ欧州のジェントルマンな方だなぁと感じさせた。だから大使が務まるのだろう。 70年代からずっとサッカーフリークを続けていてよかったとこの時思ったけど、大使が一番欲しかったのはあのサッカーマガジンじゃなかったかな……

I さんにも改めて御礼を言う。しかしまだまだ受付業務等に追われそうなので敷地内(といっても庭のところだけど。)を1人でぶらつく事に。“楽しんでくださいね。”と言って頂いた。庭にはデンマークバーガーやビール、コーラ等のジュース類が無料でふるまわれている。 Danish Burger を作るのは初老の(おそらく)デンマーク人の方。大使に頂いたサイン入りの雑誌を見せると、驚いた表情で私に親指を立てる。 そして Danish Burger を手渡してくれた。 

設置された大スクリーンではイタリア対スロヴァキアの生中継が放映されている。
何とスロヴァキアが 1-0 でリードだ。しかし私が気になるのはもうひと試合のパラグアイ対ニュージーランド。もしこのままスロヴァキアが勝って All Whites が勝てば、
All Whites が奇跡の決勝トーナメント進出となる。そうなれば日本が All Whites と対戦に….なんて胸算用をしているとスロヴァキアの Vittek がこの日2点目のゴールを決めてリードを広げる。
スロヴァキアとてFIFAランクは日本より上位の34位。 選手も DF Skrtel ( Liverpool ) Durica ( Hanover ) Pekarik ( Wolfsburg ) MF Hamsik ( Napoli ) ら欧州のトップクラブでプレーする選手も揃っている。だがアズーリも底力を見せる。Di Natale が決めて再び 1点差に。引き分けならイタリアが決勝トーナメント進出だ。1982年大会でも1次リーグは3引分けで2次リーグから調子を上げて優勝を果たした。更にDi Nataleがスロヴァキアゴールネットを揺らすシーンが出て来たがここはオフサイド。イタリアの総攻撃の前にスロヴァキアは防戦一方だが89分途中出場の Kopunek が決めて再び2点差に。これで勝負あり、と誰もが思ったがロスタイムに入った92分 Quagliarella が決めて三たび1点差に。そして Paraguay vs New Zealand 戦はスコアレスドローに終わったとの結果が紹介されりイタリアが追い付けば決勝トーナメント進出となるとの説明も。
そして93分スロヴァキアゴールに迫り左サイドからペペが放ったシュートはサイドネットを直撃。イタリアベンチから飛び出した選手達が頭を抱える。そしてゴールが入る度に歓声が上がった試合はタイムアップ。アズーリが早々と大会を後にする事に。大会2連覇は厳しいと思っていたけどこんなに早く姿を消すとは思わなかった。
気になったのはLippi 監督の服装の色だが、これが赤色だったこと。
イタリアなら青じゃなきゃいけなくないか?次のデンマーク戦にも指揮を執るのか?と隣で観ていたデンマーク人に云うとけっこう受けた。
そして“ Lippi はデンマークには要らない。”と言われた。

スロヴァキア対イタリア戦が終わって、デンマーク戦までまだ2時間以上ある。それまでどうやって過ごそうかと思う。殆どの人は私の様に1人では無く、グループや2人連れで来ているのでそれぞれの連れや仲間と話している。私はところ無げに座る場所を何とか見つけて待機する事に。すると一角で小競り合いが始まり大声が漏れてきた。 どうやら普通に庭園内を通ろうとした人がカメラの邪魔になったらしく TV Crew から“邪魔だ”とか言われたらしい。 怒った人はTV Crew のシャツを握って離さない。 シャツを握られているのはさっきから仕切りまくっていたディレクターか、チーフクラスか?周りのメンバーも必死に謝るがこの人の怒りは収まるどころか増大していく。“謝り方に誠意が感じられない。”と言っていたがそれはこの人の言うとおりだ。TV Crew 達はスクリーンで映し出されている試合を見ている間もカメラの位置やレポーターの位置の確認に終始しこちらの目の前を何度も遠慮会釈なく通ったり立ち止まったり迷惑を極めつける。 テレビと云うのは社会に与える影響が大きいから番組作りをする人間は偉いと思っているのが多いと聞いたけど、それはここで再確認できた。 挙句は勝手にストッカーを開けてビールやコーラを持ち出す。常識も持ち合わせていない。女性レポーターも自分を可愛いか綺麗と自負しているので何をしても許されると思っているんだろうなぁ…

スクリーンの前では次のイベントが始まった。PSPでこの試合の模擬試合“デンマーク対日本”が始まった。日本は俊輔が出ているが実際に使われるのか?
この試合は Bendner のゴール等で2-0 でデンマークが勝った。ゴールの度にデンマーク人達から歓声が上がる。そして試合終了後更に彼らから歓声が上がった。何だか不吉な予感。 この為に息子を連れてくれば良かったかなぁ……

その次にメルヴィン大使が壇上に上がりデンマークチームの分析とこの試合のプレビューを。同時通訳するのはかつての代表監督トルシエ氏の専属通訳であったフローラン=ダバディー氏。 デンマークの、例えばライン際等でトライアングルを形成したり、カメルーン戦のゴール前で Tomasson が観えないところで相手DFに触れてマークを意識させて他の選手の為にスペースを作ったりとかのシーンを実にうまく英語で説明している。そしてダバディー氏が解り易く日本語に通訳している。共にサッカーを知っていればの説明と通訳だ。 最後に日本がデンマークに勝つためには特色であるスピード。それもデンマーク選手にはあまり見られない一瞬のスピードを生かす事とデンマーク選手の上背を気にしすぎない事と上げていた。 それが実際に反映されるとはこの時誰が思っただろう……



その次に日本人女の子のポップデュオ“バニラビーンズ”の歌が始まった。彼女達は北欧カルチャーの発信を売りにしている次世代アイドルらしい。デビューしてもう3年にもなるとの事。さすがに芸能人だけあって彼女達が大使館入りした瞬間からオーラが醸しだされていた。 彼女達のパフォーマンスが始まるとまたまたテレビカメラが前列に殺到し、後ろで座って見ている人達が良く見えなくなってしまった。

こうしてイベントのプログラムが進み時計の針は午前3時を過ぎて来ていよいよキックオフの時間が近づく。そして試合前の両選手の様子が映し出される。かつて浦和レッズで指揮していたホルガー=オジェク氏が日本選手達の陣中見舞いに赴き阿部、長谷部らと抱擁している。闘莉王はどうしただろう?
そして選手入場、国歌斉唱に続く。デンマーク、日本それぞれ国歌が流れると合唱を始める。大歓声の中キックオフの笛が吹かれた。立ち上がりはデンマークが積極的に出てくる。日本ゴールに迫る度にデンマークサポーターの歓声と日本サポーターの悲鳴が聞こえるが得点はまだ入らない。気になる Bendner はスタメン出場して来たがポジションはやや下がり目。 今回のワールドカップは自分の部屋にある14型のテレビ観戦が中心なので大スクリーンだとピンチもチャンスもより迫力がある。 
そして18分、本田がFKを直接決めて日本が先制する。一斉に日本サポーター達から大歓声があがる。前に座っていた中学生くらいのデンマーク人の子供達がたまらず他の友人達の一団の方に移って行った。
先制されたデンマークは Bendner をトップの位置に戻した。そして試合中に Tomasson と Rommedahl のポジションを何度か変えてマークをずらそうとするが決定機をなかなか掴めない。
30分 Kroldrup がゴール正面で大久保を倒しイエローを受け絶好の位置でFKを得た。 ちょっとデンマークにファールが目立つと思いだした時だった。このFKを遠藤が直接決めて日本がリードを2点に広げた。 デンマーク大使館なのに日本のゴールで歓声が上がるなんてちょっと悪い気がした。大使を見るとさすがに紳士の様相は崩していない。やっぱり違うなぁ……

こうして2点リードと云う願ってもいない展開で前半を終えた。ハーフタイム中にトイレに急ぐ。庭園内に簡易トイレが建てられている。色々な準備がなされているのだなぁと感心する。 待っている間前後に並んでいたデンマーク人の人達と話をする。彼らはちょっと降参気味。 後半3点を取らねばならなくなった。 日本のFKは素晴らしい。直接入ったのは今大会初めてだ。ってな話を。

そしてトイレの話も。日本は女性のファンが多いからトイレが大変だ。スタジアムなら男女分かれているからいいけど。 欧州では男性のサポーターが圧倒的だから…とか話して、ようやく順番が回って来た時は既に後半が始まっていた。 そしてもう空が白々と夜が明け始めて来ていた。

後半はデンマークが開始から総攻撃を仕掛けてくる。ハイボールをガンガン入れられたら危ないなぁ…と思うもそれほどでもなかった。日本DF陣は落ち着いて対応している。これも2点リードのおかげだ。デンマークは攻撃的な選手を入れてくる。 しかし20分を過ぎると日本がカウンターで効果的にボールを繋ぎデンマークゴールに迫る。次に1点を取ってくれ。そうすれば試合を決められる….と願い続けた。だが81分 デンマークはPKを得る。ちょっとこの判定厳し過ぎないか…川島にはスーパーセーブを期待する。そして Tomasson の蹴ったPKを倒れ込んでナイスセーブ!と思いきやこぼれ球が一直線に詰めて来たキッカーの Tomasson のところに跳ね返りそのまま押し込まれてしまった。歓喜と落胆の歓声が入り乱れる。時間はあと10分あまり。ひょっとしてあと1点許しても引分けで終わればここにいるみんなが幸せになるんじゃないかな? と想像するが同点にされ、更に1点を失う事を考えすぐに自分の中で打ち消した。
そして次の得点を決めたのは日本。長谷部のスルーパスを受けた本田がデンマークのマーク二人を外し、右に走り込んだ岡崎に送り、岡崎はそのまま押し込んだ。 まずオフサイドは無いか?と心配したがゴールインが認められておりこの時点で勝負を決める事が出来た。もう日本人サポーター達は狂喜乱舞だ。 こういう結果になるなんて誰が想像できただろう….そしてタイムアップ。デンマーク大使館の敷地なのにこんなに日本人だけが幸福になっていいのかなぁ…とすこし複雑に思った。



試合が終わって空を見上げるともうすっかり夜が明けている。勝利の余韻に浸りながら、デンマークの人達と記念撮影をしながら試合を振り返る。誰もが日本は素晴らしい。勝つべくして勝った。と言ってくれる。そして私も“今日は日本が Lucky だった。 反対のスコアーもあった。”と云ったが、みなFKの素晴らしさを語り、“あれはデンマークには出来ない。”と言っていた。
あるテレビ局はバニラビーンズ二人組に“正直どちらを応援していましたか?”と間抜けな質問をしていたけど彼女達はきっぱりと“デンマークでした。”と答えた。さすがプロ意識を持っておられる。 一緒に写真を撮ってもらおうとお願いしたら快く応じてくれた。 そしてデンマークには何度か行かれたのですか?来月には私も仕事で行くんです。お客に貴方達を宣伝しておきます。と言ったらすごく喜んでいた。 



大使とも握手を交わした。 残念だけど Congratulation と言うべきでしょう。と言ってくれた。本当に紳士な人だった。 
最後に I さんを探し、このイベントの案内を頂いた事を改めて礼を言った。そしてこれから後片付けも大変でしょうと労いの言葉もかけた。盛り上がってよかった。そして日本が決勝トーナメント進出を決めてくれて嬉しい、とも言っていた。帰りはデンマークヨーグルト等が入ったデンマーク風朝食セットのお土産も配られた。私は Danish Bread もいくつか頂き、思い出の一杯詰まったデンマーク大使館を後にした。 

このワールドカップでは現地観戦は出来なかったが、また一つ思い出になる事に出会えた……

帰りは青のレプリカを着た特に若い男女が多く目に着いた。見知らぬ人同士が勝利を祝福しあっている。私も数人の若者たちに握手やハイタッチを求められた。電車の乗り換えで新宿駅に着いた時、恐らくアルタ前の方からだろう、Vamos Nippon !! の掛け声が聞こえて来た。 
ここでは無いが夕方のニュースで渋谷交差点等で暴徒化したサポーター達もいたらしい。 2002年大会の時知り合いの埼玉県警の警官が海外からのフーリガンなんてさっぱり見られず、日本の勝利に暴徒化した日本人サポーター達の扱いが一番手を焼いたと言っていたのを思い出した。

勝ったから言うわけではないが非常に貴重な経験だった。デンマークとの友好の懸け橋に、とは私ごときがおこがましいが、またいつの日かデンマークの人達と football の話しをする機会があれば…本当にその日がすぐに来る事を祈る。

そして帰宅後私は爆睡をした.....