歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画『小さいおうち』 ③ 何故手紙を渡さなかった?生きることが躰に一番良くないのでした

2014年02月18日 | 映画の話し
前回の続きです。

前回のタイトルに『何故?手紙を渡さなかった?捨てなかった?』と入れておいて、その事は次回で、何て事になっていました。

今回は、間違い無く、そのことについて綴ります。

それにしても、ベルリン映画祭での最優秀女優賞は嬉しいです。黒木華さん、華は“ハナ”ではなく、“ハル”と読ませるようです、知りませんでした。兎に角、これで、国際的女優?の仲間入り。

それで、老いたタキが過去を綴り、


板倉正治の描いた『小さいおうち』の絵と、

※いつも、いつも、同じような役柄の“吉岡秀隆君”です。『続?三丁目の夕日』での“小雪”との恋は、とても、とても、ヨカッタ!です。

時子から託された正治宛の手紙を届けず未開封で持ち続け、生涯をとじる日が近づき『私、長生きしすぎたのよね』と呟き、嗚咽するタキ。

それで、東北の貧農の娘タキにとって、東京郊外のモダンな“小さな赤い屋根のおうち”は、そこに暮らす家族は、夢の、理想の、憧れの、失いたくない大切なものも、そして、すべて、だった・・・。

新しくて、美しくて、自由で、女中のトキに優しく接する時子に、タキは憧れだけでない想いを抱いていしまうのでした。

時子が女学校時代に同性に持てた話しを、同級生で男性的な松岡睦子(中島朋子)がタキに話して聞かせシーン、その時、睦子がタキに向ける視線、とても妖しさを放っていました。


タキにも、時子にも、同性を惹き付ける魅力がある、そんな描き方しているのです。と云う事で、時子とタキには、互いに気付かない、そこはかとない恋愛感情が生まれていた・・・のです。

正治が現れたこと、そして、世の中が戦争へと向かい“小さなおうち”の平和は終わりを告げようとするです。

タキにとって、時子と正治の恋は、タキと時子の、タキと正治の、ほのかな愛を、小さなおうちの平和を、理想も、夢も、憧れも、消しさるとの思いから、正治に手紙を届けるのを、躊躇させたのです。

タキ、時子、正治、三人を巡っての、愛おしくて、狂おしくて、悲しくて、純真で美しい、愛の絡み合い、でも、真実は、裏側は、動物的で、生理的で、官能的で、いろいろな打算が働くものです。

まあ、そこは、観客の想像に任せるのです。いろいろな解釈、いろいろな想像、その余地を残すところが、名作の条件です。

それで、しかし、タキが必死の思い出で守ろうとした「小さなおうち」も、時子も、米軍の空襲で物理的に、跡形もなく、消し去られてしまったのです。

タキの、時子への、正治への、赤い屋根の小さなおうちへの、そのすべての想いを、心の中に持ち続けるために、生涯、絵を、手紙を、捨てることなく持ち続けたのです。

でも、しかし、です。

長く生きると云う事は、いろいろ考えるものです。自分の過去の行為を、否定したり、肯定したり、行ったり、来たり、思い、悩み、迷い、嘆き、苦しむ時間も、長く、長く続くことになるのです。

老いを重ねると、過去が段々と大きくなり、いつしか背負いきれなくなり、そして、『私、長生きしすぎたのよね』と、呟き、嗚咽になったのです。

こういう、人生も、それなりに、わるくはないと、そう思ったりも、するのでした。

と、云うのが、私の解釈です。

生きることが、躰に、一番、良くないのです。

まあ、今日のところは、そんなところかな・・・・・・。

小さいおうちは、まだ続きます。


それでは、また次回。





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする