歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

日暮里から谷中でバケツ・リレー由来の碑

2013年04月30日 | 東京の風景
45年ぶりの再会の前段です。

その日、終着駅上野の一つ手前の日暮里に降り立ったのです。

“舎人(とねり)ライナー”の開通に合わせ、JRも、京成も、駅舎を大幅にリニューアル。以前は狭くて、暗くて、薄汚れ感が漂っていたのですが、今は、広くて、明るくて、ピカピカ感が溢れています。


でも、しかし、オジサンとしては、薄汚れ感と場末感の漂う、そんな日暮里駅が好きでした。

こちらの高層マンションも、舎人ライナーに合わせた駅前開発です。以前、ここには駄菓子の問屋街がありました。今はそのうちの数軒?がこのマンションの中で営業しているそうです。

マンションの足下に舎人ライナーの高架と駅舎が見えます。

舎人ライナーの反対側、谷中方面に向かいます。


久しぶりの谷中、改札を出ると、直ぐに、もう、お寺の山門です。この感じがイイのです。天気もイイし、ゴールデンウィークの初日だし、45年ぶりの再会だし、ワクワク、ドキドキで歩き出します。


住宅地の狭い路地を伝って谷中霊園を目指していたら、こんな看板を発見しました。


戦前、戦中、戦後、永きわたって活躍してきた井戸のようです。井戸を大切にしていた母親の為に、息子夫婦が個人的に“碑”を33年前の3月10日に設置したのです。


このポンプは、もしかして1935年製ですか?見た目、確かに、そんな感じです。碑文では“今でも”水は湧き出す記されていますが、その今は、今から34年前ですから、今現在も湧くのでしようか?


東京は高度成長後に、地下水の汲み上げを規制して、現在は高度成長以前の地下水位に戻った、と云う話しを先日耳にしました。そうすると、この井戸も、多分、ポンプが正常に機能すれば、水は間違い無く湧き出す事でしょう。

ところで、碑文なのですが、上段には一番大きな文字で“谷中の名水”とのタイトルが記され、その下に、中くらいの文字で「バケツ・リレー井戸」由来碑と記されているのです。

碑文に記された由来からすると、タイトル“谷中の名水”はちょっと違う?と思うのです。タイトルは“バケツ・リレー井戸”の方がそれなりに“物語”があり、インパクトがあり、とてもイイと思います。

まぁ、息子が親を偲んで、個人的に碑文を建立したのですから、部外者がとやかく云う筋合いではありませんねェ。失礼しました萩原さん。

それで、井戸の前を通過し、突き当たり谷中の墓地を右に折れ、すこし歩いて左に折れ、墓地に沿って進みます。

同年配の集団に遭遇、案内人がいろいろと町並の説明をしていたのです。黒い帽子に水色の上着の方が案内人。


すれ違いざまに、“この玄関脇のコンクリートの柱が古いモノで良く残され・・・・・・”何て、説明が耳に入り、そちらを見ると、何の変哲も無い灰色のコンクリート柱が1本、玄関の屋根を支えていました。


谷中の墓地に入ります。ホント! 最近は、お寺とか墓地とかを見て回るのが、好きになったのです。ボチボチ?見られる側に近づきつつある前兆現象なの?

それにしても、青い空をバックに、墓地の、墓石越しの、高層マンションは、墓石のように見えたりするのでした。


墓地の中を、ボチボチ歩きつつ、45年ぶりの再会の場面に想いを馳せつつ、西郷ドンが待つ広場を目指します。


それでは、また。


コメント (1)
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