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蘇羽鷹神社の庚申堂で徹夜の宴会

2011年02月22日 | お寺・神社
前回の続きです。

いよいよ、蘇羽鷹神社にお詣りします。と、思っていたのですが、鳥居の前に、こんな祠がありました。鳥居の前ですから、神社の境内の外になります。


庚申塚ではなくて“庚申堂”です。“見ザル、云わザル、聞かザル、は、庚申信仰から来ているようです。


庚申塚は都電の駅で有名?ですが、いったい何のこっちゃ?と思っていたのですが、“道教”関連で、そこに土着信仰や、神道の猿田彦神、仏教なども、ごちゃ混ぜになった“庚申講”何て寄り合いがあったようです。

平安時代は貴族が信仰していたようですが、江戸時代の頃より庶民の間にも広がったようで、夜を徹して、飲んだり、喰ったり、していたようです。

本来は、人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くというので、それを防ぐ為、庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされたそうです。

徹夜で、何もしないで、黙って過ごす、これはとても退屈ですから、人が寄り合えば、これは、もう、飲めや唄への宴会になります。夜明かしの宴会はても魅力的ですから、これはもう、一般庶民に広がるのです。

裏手には、何やら仏像が並んでいます。


右側は庚申講の本尊で三尸を押さえる神様“青面金剛”のようです。左側は仏様のようです。兎に角、庚申信仰はいろいろ混じっているのです。神様も仏様も人間の都合で考え出されたものですから・・・・・・。


庚申塚、庚申塔、庚申堂は街道沿いに置かれるものですから、昔は、この下の水戸街道に脇にあったのか、それとも、水戸街道が掘り下げられ、街道の起伏を平坦にした際、庚申堂だけが、この地に取り残されたのか? 


それにしても、です。睡眠中にその人が犯した悪事を、体内に棲む虫が天帝に報告するのを、夜通し眠らず阻止する行為が、どうして信仰と呼ばれるのでしょうか、とても疑問です。かなり都合のイイ話しです。

まあ、兎に角、昔は娯楽があまり無かったので、みんなが集まり、夜通しの宴会は、それは、それで、とても楽しい事で、そんなに難しく考えないで“まァ、まァ、権兵も与作も、まぁ一杯”だったのでしょう。


そうでした蘇羽鷹神社です。それでは鳥居をくぐります。


「曽場鷹」が転じて「蘇羽鷹」と呼ばれるようになったと、何処かに書かれていましたが、漢字表記よりも「そばたか」の言葉が先にあった筈ですから、転じたのではなく、表記が変化したのでしょう。創建は天正4年(1576年)


本殿は、鉄の扉を堅く閉ざし、内部の様子を窺うことはできませんでした。


見上げる“しめ縄”は、この頃よく見かける“ポリ塩化ビニール製”か“ポリエチレン製”


本殿が鉄筋コンクリート製ですから、しめ縄も合成樹脂で整合性があるのです。趣には欠けますが・・・・・・。

何度も、火災にあっているようで、現在の耐火建築の本殿は、昭和55年の創建だそうです。


裏には、広場があり、なかなか良い遊び場になっています。この場所で縄文時代の遺跡が発掘されたそうです。


子供とキャッチボールのお父さん、相当に疲れているようで、ベンチに腰を落とし、肩を落とし、しばしの休憩。ご苦労さまです。


以前より、通りすがりに看板の文字を見つめるだけだった“蘇羽鷹神社”


こんな感じの、こんな神社でした。


それでは、また次回。




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1 コメント

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Unknown (さかいのぶよし)
2020-11-14 05:59:24
神様も仏様は人間の都合で。精神、文化表現を人間以外できない。権兵も与作も農林従事者に多いのか。権兵が種を蒔く。与作が木を伐る。
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