前回の続きです。
いよいよ、蘇羽鷹神社にお詣りします。と、思っていたのですが、鳥居の前に、こんな祠がありました。鳥居の前ですから、神社の境内の外になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3b/d9a0a9070d7ff1d1eaf81b9d7278f5ad.jpg)
庚申塚ではなくて“庚申堂”です。“見ザル、云わザル、聞かザル、は、庚申信仰から来ているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/5b/4b2bf9cd91e09006d7aa57acea4ea2af.jpg)
庚申塚は都電の駅で有名?ですが、いったい何のこっちゃ?と思っていたのですが、“道教”関連で、そこに土着信仰や、神道の猿田彦神、仏教なども、ごちゃ混ぜになった“庚申講”何て寄り合いがあったようです。
平安時代は貴族が信仰していたようですが、江戸時代の頃より庶民の間にも広がったようで、夜を徹して、飲んだり、喰ったり、していたようです。
本来は、人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くというので、それを防ぐ為、庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされたそうです。
徹夜で、何もしないで、黙って過ごす、これはとても退屈ですから、人が寄り合えば、これは、もう、飲めや唄への宴会になります。夜明かしの宴会はても魅力的ですから、これはもう、一般庶民に広がるのです。
裏手には、何やら仏像が並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1d/47f9abf026cee11c8dd2d0e6adce1f2f.jpg)
右側は庚申講の本尊で三尸を押さえる神様“青面金剛”のようです。左側は仏様のようです。兎に角、庚申信仰はいろいろ混じっているのです。神様も仏様も人間の都合で考え出されたものですから・・・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/0c/303f1a2df7253cf5d658e507d2b6c2ef.jpg)
庚申塚、庚申塔、庚申堂は街道沿いに置かれるものですから、昔は、この下の水戸街道に脇にあったのか、それとも、水戸街道が掘り下げられ、街道の起伏を平坦にした際、庚申堂だけが、この地に取り残されたのか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/8c/be71fb5e2f667a4a00c933fa4d367ed2.jpg)
それにしても、です。睡眠中にその人が犯した悪事を、体内に棲む虫が天帝に報告するのを、夜通し眠らず阻止する行為が、どうして信仰と呼ばれるのでしょうか、とても疑問です。かなり都合のイイ話しです。
まあ、兎に角、昔は娯楽があまり無かったので、みんなが集まり、夜通しの宴会は、それは、それで、とても楽しい事で、そんなに難しく考えないで“まァ、まァ、権兵も与作も、まぁ一杯”だったのでしょう。
そうでした蘇羽鷹神社です。それでは鳥居をくぐります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/92/8947503a087d8280fe186a80bfddf490.jpg)
「曽場鷹」が転じて「蘇羽鷹」と呼ばれるようになったと、何処かに書かれていましたが、漢字表記よりも「そばたか」の言葉が先にあった筈ですから、転じたのではなく、表記が変化したのでしょう。創建は天正4年(1576年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ec/6cf220495a424d7e4353448be9441166.jpg)
本殿は、鉄の扉を堅く閉ざし、内部の様子を窺うことはできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/72/776172e7abadf06b606da2516cc6e6d7.jpg)
見上げる“しめ縄”は、この頃よく見かける“ポリ塩化ビニール製”か“ポリエチレン製”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/31/6be18be979f0a5616be308c8ed0dd6f8.jpg)
本殿が鉄筋コンクリート製ですから、しめ縄も合成樹脂で整合性があるのです。趣には欠けますが・・・・・・。
何度も、火災にあっているようで、現在の耐火建築の本殿は、昭和55年の創建だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/07/4a8cd92f2271777e6b99671444a7df63.jpg)
裏には、広場があり、なかなか良い遊び場になっています。この場所で縄文時代の遺跡が発掘されたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b6/a70fc43b9eb889e2de925d72b0620506.jpg)
子供とキャッチボールのお父さん、相当に疲れているようで、ベンチに腰を落とし、肩を落とし、しばしの休憩。ご苦労さまです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a2/6d27aacc869b802f82630ddb1db699d7.jpg)
以前より、通りすがりに看板の文字を見つめるだけだった“蘇羽鷹神社”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/56/04f2aefc9d06d3ecc7c8f5cedf7b69e7.jpg)
こんな感じの、こんな神社でした。
それでは、また次回。
いよいよ、蘇羽鷹神社にお詣りします。と、思っていたのですが、鳥居の前に、こんな祠がありました。鳥居の前ですから、神社の境内の外になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3b/d9a0a9070d7ff1d1eaf81b9d7278f5ad.jpg)
庚申塚ではなくて“庚申堂”です。“見ザル、云わザル、聞かザル、は、庚申信仰から来ているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/5b/4b2bf9cd91e09006d7aa57acea4ea2af.jpg)
庚申塚は都電の駅で有名?ですが、いったい何のこっちゃ?と思っていたのですが、“道教”関連で、そこに土着信仰や、神道の猿田彦神、仏教なども、ごちゃ混ぜになった“庚申講”何て寄り合いがあったようです。
平安時代は貴族が信仰していたようですが、江戸時代の頃より庶民の間にも広がったようで、夜を徹して、飲んだり、喰ったり、していたようです。
本来は、人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くというので、それを防ぐ為、庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされたそうです。
徹夜で、何もしないで、黙って過ごす、これはとても退屈ですから、人が寄り合えば、これは、もう、飲めや唄への宴会になります。夜明かしの宴会はても魅力的ですから、これはもう、一般庶民に広がるのです。
裏手には、何やら仏像が並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1d/47f9abf026cee11c8dd2d0e6adce1f2f.jpg)
右側は庚申講の本尊で三尸を押さえる神様“青面金剛”のようです。左側は仏様のようです。兎に角、庚申信仰はいろいろ混じっているのです。神様も仏様も人間の都合で考え出されたものですから・・・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/0c/303f1a2df7253cf5d658e507d2b6c2ef.jpg)
庚申塚、庚申塔、庚申堂は街道沿いに置かれるものですから、昔は、この下の水戸街道に脇にあったのか、それとも、水戸街道が掘り下げられ、街道の起伏を平坦にした際、庚申堂だけが、この地に取り残されたのか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/8c/be71fb5e2f667a4a00c933fa4d367ed2.jpg)
それにしても、です。睡眠中にその人が犯した悪事を、体内に棲む虫が天帝に報告するのを、夜通し眠らず阻止する行為が、どうして信仰と呼ばれるのでしょうか、とても疑問です。かなり都合のイイ話しです。
まあ、兎に角、昔は娯楽があまり無かったので、みんなが集まり、夜通しの宴会は、それは、それで、とても楽しい事で、そんなに難しく考えないで“まァ、まァ、権兵も与作も、まぁ一杯”だったのでしょう。
そうでした蘇羽鷹神社です。それでは鳥居をくぐります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/92/8947503a087d8280fe186a80bfddf490.jpg)
「曽場鷹」が転じて「蘇羽鷹」と呼ばれるようになったと、何処かに書かれていましたが、漢字表記よりも「そばたか」の言葉が先にあった筈ですから、転じたのではなく、表記が変化したのでしょう。創建は天正4年(1576年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ec/6cf220495a424d7e4353448be9441166.jpg)
本殿は、鉄の扉を堅く閉ざし、内部の様子を窺うことはできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/72/776172e7abadf06b606da2516cc6e6d7.jpg)
見上げる“しめ縄”は、この頃よく見かける“ポリ塩化ビニール製”か“ポリエチレン製”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/31/6be18be979f0a5616be308c8ed0dd6f8.jpg)
本殿が鉄筋コンクリート製ですから、しめ縄も合成樹脂で整合性があるのです。趣には欠けますが・・・・・・。
何度も、火災にあっているようで、現在の耐火建築の本殿は、昭和55年の創建だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/07/4a8cd92f2271777e6b99671444a7df63.jpg)
裏には、広場があり、なかなか良い遊び場になっています。この場所で縄文時代の遺跡が発掘されたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b6/a70fc43b9eb889e2de925d72b0620506.jpg)
子供とキャッチボールのお父さん、相当に疲れているようで、ベンチに腰を落とし、肩を落とし、しばしの休憩。ご苦労さまです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a2/6d27aacc869b802f82630ddb1db699d7.jpg)
以前より、通りすがりに看板の文字を見つめるだけだった“蘇羽鷹神社”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/56/04f2aefc9d06d3ecc7c8f5cedf7b69e7.jpg)
こんな感じの、こんな神社でした。
それでは、また次回。