歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

王子の「松屋」の「トイレ」で「格差」を見た!

2007年03月21日 | 東京の風景
「明治通りシリーズ」の再開です。

尾久駅周辺の「取り残され感」漂う風景が、王子に近づくにつれて、少ししずつ「今の街並み感」に変化してきます。

「今の東京感」は「首都高速」のある風景です。


首都高の「中央環状線」の「王子南出入り口」ができるようです。


首都高速は「景観」を「壊す」として、「都市景観派?」には評判が悪いのですが、雑然とした景観もいつかきっと「面白い味わい」がでてきます・・・・・・多分ね?


ここらで「昼時」に近づき、辺りを見回しながら歩いていると、「王将」と「松屋」が眼に入りました。


「王将」の前で、一通り「メニュー」を眺め、隣の「松屋」に入りました。やっぱり「牛丼」です。「松屋」では「牛めし」が「正しい名称」でした。


「みそ汁付き」で「350円」です。「安い・早い・旨い」です。食べながら向かいの壁を見ると「米国産牛肉」の文字。

『ありゃ!』と思い、暫くその「米国産」の文字を眺めながら、「安い・早い・旨い」そして「危ない」何て思いを抱きつつ、「牛めし」を「ゆっくり」と味わいました。

わたくし勘違いをしていました。「松屋」は「豪州産」と思っていたのです。しかしです、「豪州産」を使用しているのは「すき家」でした。

「日米経済関係の友好」に「心ならずも」協力する結果に対して、「浅く」反省しつつ「店内」の「トイレ」に向かいました。


何と! そこに、堅く「ひも」で「結ばれ」た「消臭剤」の「淋しい」姿があったのです。

「格差社会」の「キビシー!」現実が、この「憩いの空間」にも、侵入していたのです。現実を直視しつつ「キビシー!トイレ」で用を足し、「松屋」を後にしました。


「明治通りシリーズ」は未だ続きます。。。。。。。




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妙法寺の「子連れ狛犬」は「超可愛い~い!!」

2007年03月20日 | お寺・神社
昨日の続きです。

『お寺の参道には「甘味処」とか、「お煎餅」とか、「最中」とかの「おみやげ屋さん」が「付き物」だよねェ~』

何て話しをしていたら、ありました!

『名物 揚げまんじゅう』、これ以上は「カロリーオバー」になるため「様子」を見るだけにしました。

「揚げ饅頭」は「略す」と「誤解」されます。それにしても、テレビ等で「堂々」と「あげまん」と云う「女子アナ」には、聞いている方が恥ずかしくなります。

「あげまん」を「辞書」にまで載せた伊丹監督、あんた「エライ!」

そうでした。伊丹十三と云えば「俳優」だった頃、未だ「一三」の時代に観た「日本春歌考」を思い出します。私も「高校生」でした。

この映画、私の頭の中で「無理心中日本の夏」と「ゴチャゴチャ」に「重なって」います。

話しが逸れました。妙法寺でした。


山門をくぐると、「孫」と同じ年格好の男の子が境内を「自転車」で「疾走」していました。いいですね!ここなら安全です!


本堂をお参りして、脇に回ると「有吉佐和子さん」の「碑」がありました。



案内板に「子育て観音」を見つけ、「お参り」しようと行ったところ、「先客」が「お経」を唱えていました。


あたり一回りして戻ると「先客」は未だ「読経」の真っ最中です。お経を「一巻」上げているようです。よほど「心配事」があるのでしょうか。

後ろからそっと「観音様」にお参りしました。

観音様の帰りは、来るときとは「別の道」を歩きました。
「二十三夜堂」の前で発見したのです! 二人で思わず『カワイィ~』と云ってしまいました。


「悪戯」をしたのでしょうか? お父さんに「頭」を「押さえ」られています。


お母さんの「お乳」を飲む「子犬」、背中で遊ぶ「子犬」


落ちそうです! お尻を抱えてしまいました。あまりの「可愛さ」に、何度も「頭」を「撫で撫で」してしまいました。こんなに「可愛い」狛犬は始めてです。

ホントに、仲良く可愛い! 狛犬家族でした。

「掘ノ内のおそっさま」、「いろいろ」あります。

今度来るのは「秋のお彼岸」です。。。。。。。


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「 お墓参り」と「 まん月」の「ダイモリ」

2007年03月19日 | お寺・神社
「明治通りシリーズ」は一時お休みです。 

昨日は、二人で「お墓参り」に東京へ行ってきました。
風が強く寒い一日でした。

昼過ぎに寺へ到着。手押しポンプの井戸で水を汲み、「お花」「お線香」をあげてお参り。墓参りの「似合う歳」になったなァ~と思ったりして・・・・・・。

お参りを済ませ、お目当ての「そば屋」、「まん月」に向かいました。去年、秋のお彼岸で見つけた店です。

途中の「帝釈天」に「お参り」


前回はカメラを忘れたので、店内をパチリ。

「普通」の「街のそば屋」さんよりも、「少しだけ」お洒落で、落ち着いた店内です。接客態度もOKです。

私は「空腹」の為に、「カレーセット」の「そば大盛り」を注文。彼女は「季節の野菜の天せいろ」を注文。「サラダ」がメニューにあったので食べてみました。

レタスに紫蘇、山芋の千切りに、トマト。「揚げ」て「カリカリ」にした「そば」と、「かつお節」をトッピング。醤油ベースのドレッシング。サラダOKでした。


季節の野菜よく揚がっていました。


「そばつゆベース」で「片栗粉」の「とろみ」、「グリーンピース」のトッピング。久ぶりの「おそば屋さん」の「カレー」満足でした。
美味しかった!

私達が食べ始めて直ぐに、隣のテーブルに一人できた20代の男性客が座り、「親子丼セット」を注文したのです。そして、

『あッ。「そば」は「ダイモリ」にして下さい』と、言い放ったのです。

私は「一瞬」、「転けて」やろうかと思いました。彼女が私の様子を察して、眼で「止めなさい」の「サイン」を送ってきました。

まぁ。「ダイモリ」の「青年」にとっては、生ビールの「大ジョッキ」は、「ダイナマ」ですから、そばの「大盛り」は、「ダイモリ」なのでしょう。

店員も、表情ひとつ変えずに注文を受けていました。もしかして、世の中は「ダイモリ」の時代なのでしょうか?

「ダイモリ青年」を後にして店を出ました。お腹も「膨らんだ」ので、「腹ごなし」に、ではなく、「正しい信仰心」に基づいて、近くの「妙法寺」に参拝する事にしました。

参道の商店街で見つけてしまいました。「お肉屋さんのカレーパン」の文字。


二人は「頷き」すぐに「店内」へ

買ってしまいました。さすがに帰宅後に食べたのですが、ボリュームもあり美味しかったです。食べた後で写真を撮り忘れた事に気付きました。 残念!

続きは、また明日!   

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尾久と「和久井映見」そして映画『息子』都会の端っこで寂れたりします

2007年03月18日 | 映画の話し
続きです。

「尾久」と云うと、「阿部定」だけでなく、想い浮かぶのは「和久井映見」です。山田洋次監督の「息子」に出ていた和久井映見です。

        

都会の「端っこ」の町工場、そのまた「端っこ」の暗い倉庫で、真面目に、健気に、懸命に生きる、尾久周辺を舞台にした映画です。

身体的・・・聴覚障害者、経済的に恵まれているとは云えない条件の中で、「清く、正しく、美しく」生きる姿に感動しました。汚れのない、「聖女」に思えました。

この映画は多数の映画賞を受賞して、和久井映見も助演賞をとりました。この手の「真面目」な映画は、世の中に真面目に感動を与えるのです。

端っこ暮らしの私も真面目に感動しました。やっはり現実には存在しない、「正しい」ストーリーに憧れるのでしょう。

端っこではなく、身体的にも、経済的にも恵まれた観客は、自分の暮らしの有り様と比較して、反省するのでしょうか?

それで、恵まれなくて不真面目で、清く、正しく、美しくはない、私としては、映画の世界を少しだけ覗けるような、そんな期待を抱いて、東京の端っこ「尾久」に来ました。

和久井映見は、鋼材屋の配送係りの「永瀬正敏」と結ばれて、ハッピーエンドになるのですが、映画に出て来た「鋼材屋」は見つかりませんでした。
       
明治通りに面していたような気がしたのですが、この「シャーリング屋」さんが、多少そんなイメージに近い感じですかね。

       
軒下で、風雨にさらされ、赤く錆びた機械が無造作に置かれている風景。いいです寂れます。

       
都電の踏切にも、寂れてしまいます。端っこ感が漂う風景です。しかし、この辺りも町工場は減りました。

製造業からサービス業へ、身体を使う労働から、頭を使う労働への変化。大変ですね。「普通」の「頭」では、「普通」の暮らしができない世の中です。

これまでの世の中、お金の「ある人」は、ある人なりに、「ない人」は、ない人なりに、暮らしてきました。

これからの世の中は、お金のある人は「より金持ち」に、それなりの人は「より貧乏」に、そんな世の中になってきました。

これからは、私のような普通で、それなりの人には厳しい世の中になりそうです。

与えられた環境のなかで、他人を羨むことなく、精一杯真面目に生きていく・・・・・・。

そんな「正しい映画」は、もう絶対に創られないかもしれませんね。

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都内で「一番淋しい」JR駅「尾久」

2007年03月17日 | 東京の風景
続きです。

今回の「明治通り散策」の「メイン」です。「尾久」は都内で「一番淋しい」「JR線の駅」です。東北線と高崎線しか止まりません。上野駅と赤羽駅の間にあります。

私の「30数年前」の記憶では、駅舎は「モルタル外壁」で「暗い色」に塗られていたのです。しかし、現在の駅舎は「明るい外壁」が取り付けられていました。


改札も明るい「自動改札」です。当たり前か!


「尾久」は「おぐ」と呼んでいました。今回初めて「おく」と「濁音」でないことを知りました。東京の人で「尾久」を「おく」と云う人はいません。

「おく」と知ったのは、「ホーム」の写真を撮っているとき、電車がホームに入り、「案内アナウンス」で「おく~、おく~」と云う声が聞こえたのです。
「何じャ!? ソリャ?」と思いました。


後で調べたら、駅ができた時に、「尾久」を「おぐ」と云うのは「訛り」で、日本語の「読み」としては、「おく」が「正しい」ので、駅名は「おく」と表記したそうです。確かに、そう云われてみれば、「尾久」は「おく」です。

「尾久駅」は「明るく」なっても「淋しい駅」です。乗降客も「間違いなく」都内で一番少ない筈です。

そんな「淋しい駅前」に、「ピッタリ」な「お店」です。「お稲荷さん、かんぴょう巻き、団子、おにぎり等」の「お店」です。

写真を撮っていたら、中に居た店員の「おばさん」と目が合ってしまった。私と「おばさん」が「良く」見ると写っています。


それで、この「尾久駅」なんですが、所在地は「昭和町」なんです。「尾久」は「隣町」なのです。

駅が設置された当時、「尾久」には、温泉があり、旅館があり、三業地があり、東京の「遊興地」として「有名」だった為、「尾久駅」としたようです。

前に書いた「阿部定事件」はこの「尾久」が「事件現場」です。当時は「賑やか」な街だったそうです。

「暗い街」「尾久」で起きた「猟奇殺人事件」ではなく、「明るくて、賑やかで、楽しい街で」起きた、「男と女」の「話題」の「事件」で、「暗いイメージ」ではなかったようです。

大正から昭和30年代まで「賑わって」いたそうで、今の「荒川遊園」は当時、入浴、宿泊施設の整った「ヘルスセンター」だったそうです。

駅のそばにありました。昔は、この路地を沢山の観光客が通ったのでしょうね。


やっぱり「尾久」は淋しい街です。東京の「端っこ」です。

まだ、まだ、続きます。「明治通りシリーズ」です。

明日も「尾久」です。。。。。。。

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明治通りの「アパートメント」と「ガルーダ?」

2007年03月16日 | 東京の風景
昨日の続きです。

明治通り、田端新町付近で見つけました! どうですか? 「鉄筋が露出」した「外壁」と云い、赤く錆びた「階段の手摺り」と云い、「うらぶれ感」が漂います。


ビルの名前がいいです。「田端アパートメントハウス」です、それも「右から左」に表記されています、「時代感」が出ています。「庇」の「シミ」が「朽ち果て感」を演出しています。


内部を覗くと、暗く「擦り減った階段」、「煤け」て「ひび割れた壁」。誰も住んでいません。戦後直ぐに建てられたのでしょうか?


明治通りの「田端アパートメントハウス」。貴重な発見でした。



「お婆ちゃんのいる風景」です。「板貼り外壁」を背にして「陽だまり」に並んだ「鉢植えの花壇」。暖かくなります! お婆ちゃんも元気そうです。



こんな「がらくた屋」さんがありました。箱の中は、錆びた「ドライバー」だけが入っています。値札はありません。買う人がいるのでしょうか?


「がらくた」に挟まれて。こんな「置物」が「顔」を出して居ました。どことなく「ヒンズー教の神」「ガルーダ」を「イメージ」してしまいました。

誰何なんでしょうか? 「このお方は?」


シャーリング屋さんの「隣」は、スナック「一番地」いい「風景」です。


東京の「端っこ」、明治通りには「いろいろ」と「オモシロイもの」が沢山あります。

明日に続きます。。。。。。。。

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「明治通り」の「デンキプラン」は哀愁です!

2007年03月15日 | 東京の風景
尾竹橋通りと、明治通りが交差する「宮地ロータリー」の手前にある、「宗教法人タイ国タンマガーイ寺院」です。


何故?ここに「タイ寺院」が?と、通る度に思うのです。この辺にはタイ人が多く住んでいるのでしょうか?

こちらは、直ぐ斜め向かいにある「韓国」の「教会」です。この「荒川区」には「韓国人」が多く住んでいます。以前、どこかのネットに区の人口の「5%」と書いてありました。戦前から現在まで移住は続いているようです。


「ハングル文字」の「情報紙」が「いろいろ」置いてありました。以前、通りすがりに見た、路地裏の「ゴミ集積所」には「ハングル文字」で、「注意事項」が書かれていました。



タイ寺院に韓国教会、ここは「アジアの匂い」がします。国際的なんです。
韓国人の「ほとんど」が「済州島」の出身者だそうです。


韓国教会から少し離れた、道路の向かい側に、大きなビルに挟まれて、「妙義山 東京大黒殿」の看板がありました。日本の「宗教施設?」のようです。



「ロータリー」に「近い」からと云って、「ロータリーマンション」は無いと思いますね! 何か「排気ガス」の「臭い」がしそうです。


京成の「新三河島駅」の付近には、昔し「藍染川」があったのでしょうか? なかなか「粋」な「通り名」です。「藍染川西通り」いいです!



駅前の「立ち食い」です。「カレーセット」が500円いいです! 
「げそ そば・うどん 340円」が「気に」なりました。




「新三河島駅」を過ぎたころから、明治通りの「両側」に「機械関連の店」を見かけるようになります。主にプレス関係の「中古屋」さんです。

この「トタン看板」に「ペンキ塗り」。「錆び」の「加減」が「もうチョット」ですね。後数年で「味わい」が「熟成」されます。 



バス停で、椅子に腰掛け「バスを待つおばさん二人」、後ろには「赤く錆びたプレス機」絵になります。ここも「東京」、「端っこ」です。




「あの」浅草にある「神谷バー」の「デンキブラン」

「こんなところ」に「こんな店」があったのです。「神谷酒場」いい名前です。

欲を云うならば、看板は「トタンにペンキ塗り」で、「地」の部分が「剥げ落ちて」錆びが「浮いた」看板であれば「完璧」ですね。

明治通りに「デンキブラン」! 似合います! 嬉しくなります!

「デンキブラン」の「甘い香り」と「甘い味」、「昭和、大正」を越えて「明治」の匂いが漂います。

「デンキブラン」!その「言葉」の「響き」には「哀愁」があります。

今度、浅草に行ったら「おみやげ」に買って来るか!

未だ! 続きま~す! また明日・・・・・・


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三河島は寂しい駅

2007年03月14日 | 東京の風景
暫くぶりで「東京」へ行ってきました。先日、「王子」の話しを書いていたら、「三河島・尾久・王子」辺りを歩きたくなったのです。

「三河島・尾久・王子」は、東京の「端っこ」です。何でも「端っこ」が「好き」です。「羊羹」は「端っこ」が美味しい!

三河島は「寂しい駅」なのです。私にとって「三河島」と聞くと、「三河島事故」が頭に浮かびます。当時、世の中が大騒ぎした事を覚えています。



※45年前の1962年(昭和37年)に発生。二重衝突・脱線事故:死者160人、負傷者296人。

「遠い過去」の「暗く」て「不気味」な「モノトーン」の世界です。


それで。この日は、10時過ぎ三河島に到着。
歩くに先だって「寒い季節」の「鉄則」である、「トイレを見つけたら兎に角用を足す」を実行しました。



ここの「トイレ」は「母屋」と「厠」に分かれた「分離方式」になっています。「トイレ」が「かなり臭う」時代の「面影」を残しています。


改札の手前を左に折れ「トイレ専用通路」を歩いた先にあります。現在、これだけ駅舎から、「トイレ」まで「距離を取る」のはホントに珍しい。


ホントに、ここのトイレは「懐かし昔」の「臭い」がするのです。書いていたら「臭い」が「鼻に甦って」きたりして・・・・・・。失礼しました!


これが「トイレ」。いや!「厠」です。ここだけ「駅の敷地」から「出っ張って」います。地方によくある「タイプ」です。



改札は、尾竹橋通りに面した「ガード下」に一カ所です。寂しく「うらぶれ感」漂う「風景」に、「懐かしさ」があります。



「外れ感」、「端っこ感」が漂う、淋しい通りの風景です。


「淋しい町」には、「大学いも」が似合います。若い人が「先端のファション」で歩いても、ここではすべて「昭和」に戻ります。

この先は「次回」に「つづき」ます。 


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飛鳥山の回転展望台は私が造りました!でも今はありません!

2007年03月13日 | 昔の思い出

昨日、「王子」の話しを書きましたが、ある事を思い出しました。

飛鳥山公園に昔あった、回転展望台のことです。「昔あった」と云うことで、残念ながら現在はありません。

何故?大事な話かと云うと、

『♪ジャーン! 回転展望台は私が造ったのです! ♪ジャーン!』

詳しく云うと、私が働いていた会社が北区から、工事を受注して、私もその工事現場で働いたのです。

以前に書いた「芝公園」にあった会社です。高校を卒業して最初に働いた会社です。1968年(昭和43年)入社です。

そして、いつの間にか、ホントに知らない間に回転展望台は消えていました。

ネットで調べたら、1970年(昭和45年)に完成し、1993年(平成5年)に撤去されたとあります。今から14年前ですね。僅か「23年」の命でした。

ネットで貴重な「在りし日」の姿を発見しました。高さは23㍍でした。
私が入社した頃は、高度経済成長の真っ只中で、あちこちで回転展望台を造りました。この頃「流行って」いたのです。



一番よく覚えているのが、新宿御苑の側にあった「ワシントン会館?」です。多分、そんな名前のビルで、上の階はホテルのようだった記憶があります。

ここの現場で、ハッキリと覚えていることがあるのです。どういう経緯でそうなったなのかは忘れてしまいました。

それは、完成前のビルの屋上に「カツランチ」の出前をさせたのです。食べ終わるまで「出前のお兄さん」が、我々(10人位)が食べている傍らで、食事の終わるのを待っていたのを覚えています。

のんびりとした時代でした。それにしても「食い物」に関わる出来事は、ホントに忘れません。

それに、蒲田駅あたり?の「牡丹園ビル?」に、伊豆「大室山」の「シャボテン公園」等が記憶にあります。

以前に、新宿から上野のまで歩いた時に、ワシントン会館を探したのですが、見つかりませんでした。

それと、「シャボテン公園」のHPを見たのですが、現在,回転展望台はありません。 

王子、飛鳥山、でいろいろと昔のことを思い出しました。



それにしてもです! どうしたのでしょうか「朝青龍」は?

昨日も「雅山」に負けました。立ち会いが変です。相手に合わせています。迷いがあります。

横綱はこれまで、勝てるという自信を持って勝負に挑んでいました。
しかし。今場所は勝たなければと気負って勝負に挑んでいます。精神的にかなり追い込まれています。

今日の相手は「普天王」です。これまでも朝青龍戦には自信を持っていました。高校時代はライバルで、その頃は普天王の方が分がよかったのです。

今日も危ないです。もし今日も負けるような事があると・・・・・・・休場かな?

私は朝青龍の味方です。ガンバレ! 朝青龍~!!

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王子桜新道に「昭和」があります!

2007年03月12日 | 東京の風景
京浜東北線「王子」駅前です。「飛鳥山」側に「この」「飲み屋街」があります。


都電荒川線の「停留所」は「飛鳥山」の反対側にあります。都電の走る町。
隣町「尾久」には「三業地」がありました。

王子から、十条、赤羽一帯は、「軍」の、練兵場、射撃場、兵器補給廠、火薬庫、被服廠等の、軍事施設がありました。

私が以前、住んでいた赤羽の団地、通った中学は、軍の施設の跡に建設されました。中学の「校庭」には、「高射砲」を「据え付けた」コンクリートの大きな塊がありました。

現在も、自衛隊の基地、兵器修理工場があります。中学生の頃に「戦車」に乗せて貰った記憶があります。止まっている戦車に乗ったのではなく、テストコースを「走った」ような気がします。

「戦車」の「内部」が「まっ白」だったことを、今でもハッキリ覚えています。

そんな、「昭和の記憶」に繋がる「場所」が「王子」の「この桜新道」なのです。



長屋です。十数件の居酒屋が「繋がって」いるのです。繋がっていたことで、この景観が保たれたのでしょう。



もし、一軒屋が「並んで」建てられていたならば、何軒かは「建て替え」られていたでしょう。多分、一人の「大家さん」の所有物だと思います。



戦後の「混乱期」が少し落ち着いた頃に、建てられた「貸家」でしょう。このように、外壁が「木造」の「家屋」いつ頃まで可能だったのか?

「消防法?」「建築基準法?」の規制なのでしょうか? もしかして、戦後、都内23区では「建て」られない?


先ほどは、全て「繋がっている」と云ったのですが、この「エアコン」の「室外機」の所で「分かれて」いました。正しくは2軒の長屋が「一列」に「並んで」建ってます。



この景観が現在、「残って」いるのは「いろいろ」な「事情」がありそうです。


それで、私の「想像」なのですが、「土地の所有」と「家屋の所有者」は別人で、土地の「契約条件」に、「建て替え」が「困難」な「条項」あるような?

そして、「家屋の所有者」と「借家人」との「契約条件」にも、「建て替え」が「困難」な「条項」があるような?



そして、「土地所有者」と「家屋所有者」と「借家人」との、3者には「個々」に「利害」が「絡み合い」、かなり「ややこしい関係」にあり、建て替えがこれまで「不可能」であった?



それに加えて、「借家人」の「商売柄」、「色恋」の「解けない糸」の「絡み合い」も重なって、「ゴチャゴチャ」で「ドロドロ」の、「色と欲」との「ドラマ」が「展開」していたりして?

何か「新派の芝居」になりそうな? そんな気がしてきました。



この場所を「眺めて」いると、いろいろ「想像」を「掻き立て」られるのです。
飲みながら「書いて」います。

あくまでも「酔っぱらい」の「戯言」で、事実とは一切関係ありません。誰も「事実」とは思わないか!?

でも、しかし。事実は小説よりも「奇」なりです!・・・・・・。ナンチャッテネ?



でも。それにしてもです。この場所は「不思議な空間」です。「時代」が「止まって」います。

この建物も、「そう長く」は「持ちそう」にありません。ここ数年で「寿命」がきそうです。文化財に指定されることは「絶対」にありませんから、見に行くなら今の内です。

それでは。。。。。。。。 
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