夏休み中に観た映画の話を、ポツリ、ポツリですが、昨晩、寝床でボンヤリしていて思い出したのですが、
ーーー先ずは映画、“剣岳 点の記”に、“父親たちの星条旗”に、“転々”に、“アカルイミライ”に、“キューポラのある街”の5本を観ましたーーー
と、昨日の書いたのですが、一本忘れていました。あの“アンジェイ・ワイダ監督”の名作と云われる“地下水道”を観ていたのです。観た順番としては、“組曲虐殺”の後でした。
それで“地下水道”なんですが、日本語タイトルに違和感を感じたのです。上水道とか、下水道なら分かるのですが、「地下水道」は、有るようで無いのです。辞書にも有りません。
ポーランド語のタイトルは“Kanal”となっており、直訳すれば“運河”です。“カナル”と聞くと、近所の“フラワーカナル”を思い浮かべてしまいます。
でも、しかし、映画を観れば、直ぐに、それが、分かるのですが、カナルは下水道で、排泄物も流れる、臭くて、汚い、下水道・汚水道なのでした。
ポーランド語では、人工的に造られた水の流れ全体を指した言葉として使われているようです。日本語タイトルを付ける会議で“いくら何でも、「下水道」では、ちょっと汚くて臭くて・・・・・・”と、思い、「地下水道」になったのでは・・・・・・・。
まぁ、それは、それとして、映画の中身なんですが・・・・・・、もう、見終わって、絶望感だけでした。
ストーリーとしては、第二次大戦のドイツ軍占領下の“ワルシャワ蜂起”を描いた作品ですが、暗くて、臭くて、汚い下水道を、ドイツ軍に追われ逃げ惑う、民兵部隊の、暗く、悲しい、絶望的なお話なのです。
史実のワルシャワ蜂起は、占領末期の1944年の8月に起こり、2ヶ月ほどで蜂起軍は約22万人の犠牲者を出して、ドイツ軍に降伏してしまうのです。
蜂起軍は、ワルシャワ郊外まで迫って来たソ連軍の呼びかけに呼応して蜂起したのですが、ソ連軍は市内にに進駐せず、蜂起軍を見捨てたのでした。
蜂起軍を指揮していたのが、自由主義者が中心のロンドンの亡命政権だったことが理由のようで、蜂起の呼びかけはソ連の“謀略”だったようです。
そもそも、ポーランドと云えば、第二次大戦の直前1939年の“独ソ不可侵条約”の“秘密議定書”で、ソ連とナチスドイツがポーランドの分割支配を決めていたのです。
そのとき、侵攻したソ連軍がポーランド軍の将兵数万?を虐殺した“カティンの森事件”も有名です。そんなソ連ですから、蜂起軍を見捨てるぐらいは朝飯前だったのです。
事件の真実が明かされたのも、ソ連崩壊後の最近の事であり、「カティンの森事件」の和解も、具体化されたのは今年に入ってからであり、追悼式に出席する大統領の搭乗機が墜落した事故は、今年の4月の事です。
今も、あの戦争の歴史は終わっていないのです。
それにしても、ポーランドと云う国は悲劇的です。他国に、分断され、侵略され、支配され、、虐殺され、大変な歴史を背負った国です。
映画の最後、暗く臭く汚れた地下水道の先に明るい光が見え、これで地上に出られると思ったら、出口には鉄格子・・・・・・。
ワルシャワ蜂起が1944年で、映画制作年度が12年後の1956年で、ワイダ監督が31歳の時でした。12年前を描いたのですから、つい昨日、ポーランド国民の多くが経験した出来事を映画化したわけです。
翌年にカンヌ国際映画祭・審査員特別賞、そして、何故か「モスクワ世界青年平和友好映画祭青年監督賞」も受賞しているのです。カンヌは理解できるのですが、モスクワは理解できません。
監督賞を受賞したワイダ監督は、いったいどんなコメントをしたのでしょうか?
3年前の2007年、ワイダ監督は81歳で「カティンの森事件」を映画化しました。彼の父親は軍人で「カティン森」で殺されているそうです。
地下水道は、ホントに、ホントに、暗く、悲しく、絶望的な映画でした。
ワルシャワの街は、大戦でほとんど破壊されてしまったのですが、残っていた絵や写真をもとに、戦後町並みが再現されたそうです。ポーランド国民はかなり粘り強いようです。
昨日の朝刊にこんな記事が載っていました。
ポーランドも、自主管理労組「連帯」も、「ワレサ」さんも、あれから、いろいろあって、いろいろ変わっているようです。
それでは、また明日。
ーーー先ずは映画、“剣岳 点の記”に、“父親たちの星条旗”に、“転々”に、“アカルイミライ”に、“キューポラのある街”の5本を観ましたーーー
と、昨日の書いたのですが、一本忘れていました。あの“アンジェイ・ワイダ監督”の名作と云われる“地下水道”を観ていたのです。観た順番としては、“組曲虐殺”の後でした。
それで“地下水道”なんですが、日本語タイトルに違和感を感じたのです。上水道とか、下水道なら分かるのですが、「地下水道」は、有るようで無いのです。辞書にも有りません。
ポーランド語のタイトルは“Kanal”となっており、直訳すれば“運河”です。“カナル”と聞くと、近所の“フラワーカナル”を思い浮かべてしまいます。
でも、しかし、映画を観れば、直ぐに、それが、分かるのですが、カナルは下水道で、排泄物も流れる、臭くて、汚い、下水道・汚水道なのでした。
ポーランド語では、人工的に造られた水の流れ全体を指した言葉として使われているようです。日本語タイトルを付ける会議で“いくら何でも、「下水道」では、ちょっと汚くて臭くて・・・・・・”と、思い、「地下水道」になったのでは・・・・・・・。
まぁ、それは、それとして、映画の中身なんですが・・・・・・、もう、見終わって、絶望感だけでした。
ストーリーとしては、第二次大戦のドイツ軍占領下の“ワルシャワ蜂起”を描いた作品ですが、暗くて、臭くて、汚い下水道を、ドイツ軍に追われ逃げ惑う、民兵部隊の、暗く、悲しい、絶望的なお話なのです。
史実のワルシャワ蜂起は、占領末期の1944年の8月に起こり、2ヶ月ほどで蜂起軍は約22万人の犠牲者を出して、ドイツ軍に降伏してしまうのです。
蜂起軍は、ワルシャワ郊外まで迫って来たソ連軍の呼びかけに呼応して蜂起したのですが、ソ連軍は市内にに進駐せず、蜂起軍を見捨てたのでした。
蜂起軍を指揮していたのが、自由主義者が中心のロンドンの亡命政権だったことが理由のようで、蜂起の呼びかけはソ連の“謀略”だったようです。
そもそも、ポーランドと云えば、第二次大戦の直前1939年の“独ソ不可侵条約”の“秘密議定書”で、ソ連とナチスドイツがポーランドの分割支配を決めていたのです。
そのとき、侵攻したソ連軍がポーランド軍の将兵数万?を虐殺した“カティンの森事件”も有名です。そんなソ連ですから、蜂起軍を見捨てるぐらいは朝飯前だったのです。
事件の真実が明かされたのも、ソ連崩壊後の最近の事であり、「カティンの森事件」の和解も、具体化されたのは今年に入ってからであり、追悼式に出席する大統領の搭乗機が墜落した事故は、今年の4月の事です。
今も、あの戦争の歴史は終わっていないのです。
それにしても、ポーランドと云う国は悲劇的です。他国に、分断され、侵略され、支配され、、虐殺され、大変な歴史を背負った国です。
映画の最後、暗く臭く汚れた地下水道の先に明るい光が見え、これで地上に出られると思ったら、出口には鉄格子・・・・・・。
ワルシャワ蜂起が1944年で、映画制作年度が12年後の1956年で、ワイダ監督が31歳の時でした。12年前を描いたのですから、つい昨日、ポーランド国民の多くが経験した出来事を映画化したわけです。
翌年にカンヌ国際映画祭・審査員特別賞、そして、何故か「モスクワ世界青年平和友好映画祭青年監督賞」も受賞しているのです。カンヌは理解できるのですが、モスクワは理解できません。
監督賞を受賞したワイダ監督は、いったいどんなコメントをしたのでしょうか?
3年前の2007年、ワイダ監督は81歳で「カティンの森事件」を映画化しました。彼の父親は軍人で「カティン森」で殺されているそうです。
地下水道は、ホントに、ホントに、暗く、悲しく、絶望的な映画でした。
ワルシャワの街は、大戦でほとんど破壊されてしまったのですが、残っていた絵や写真をもとに、戦後町並みが再現されたそうです。ポーランド国民はかなり粘り強いようです。
昨日の朝刊にこんな記事が載っていました。
ポーランドも、自主管理労組「連帯」も、「ワレサ」さんも、あれから、いろいろあって、いろいろ変わっているようです。
それでは、また明日。