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“15歳の志願兵“ ③ 新聞はいつでも社会の公器です!

2010年09月08日 | テレビの話し
一昨日の続きです。

この“15歳の志願兵”は昭和18年の夏を背景として描かれています。18年は“第二次大戦末期”です。敗色は濃厚であったのです。

今だから「敗色濃厚」と云えるのですが、当時、ふつうの庶民は「敗色濃厚」とは思ってなかったようです。当時を知る母に聞くと、昭和20年8月15日まで、負けるとは思っていなかったそうです。

このドラマのエリート校、愛知一中の周囲では、それなりに敗色感が漂っていたように描かれています。でも、ホントにそうだったのかは、ちょっと疑問なのです。

人間はどうしても、過去を振り返るとき、それなりに自分を美化する傾向がありますし、また、当時知り得た情報と、戦後に知り得た情報が、無意識に混じりあってしまうことがあるのです。

そんなこんなで、必要以上に“軍部だけ”を悪者に仕立て、国民は単なる“犠牲者”に仕立てて仕舞いがちなのです。戦争は軍人が始めた事で、一般庶民には“責任が無かった”なんて事に、なったりするのです。

昭和16年12月8日未明の“開戦”を伝える、9日の夕刊です。この時、軍人も一般庶民も、ほんの一握りの人達を除いて、勝利を確信していたのです。


翌昭和17年2月15日、開戦から3ヶ月、日本軍は快進撃だったのです。一般庶民は勝利に、勝った、勝ったと、日の丸を振り、沸き返ったのです。

戦争は勝っている時は、とても、とても明るいのです。シンガポール陥落で、大東亜戦の“大局は決す”でしたが、でも、この後直ぐに、別な意味で大局は決したのです。


昭和17年6月5日、開戦から半年、ミッドウェー海戦の敗北で、日本軍は攻勢から守勢へと、戦況は大きく変化し始めるのです。このことは当時、あまり一般庶民は知らされていないのです。まだ、まだ、勝った、勝ったの大本営発表を信じていたのです。

昭和18年2月7日、開戦から2年2ヶ月、ガタルカナル島から“撤退”が始まります。紙面では、“新作戦の為の転進”と表現されています。大本営も、そろそろ、勝った、勝ったとばかりは云ってられなくなったのです。

でも、しかし、あくまでも撤退ではなく転進なのです。発表した側も、いつしか撤退ではなく、単なる作戦上の転進と、自己暗示にかかるのかも知れません。誰しもイヤなことは信じたくないのです。


そして、その年の6月25日に、学生の勤労奉仕が法制化され、女子勤労挺身隊も9月22日に制度化されます。わたしの母も挺身隊として、霞ヶ浦の航空隊で終戦まで働いていました。

そして、10月21日の学徒出陣です。こんな時代の流れのなか、愛知一中でも予科練の航空兵として、生徒を戦場に送り出したのです。


それにしても、“沸る滅敵の血潮”“進め悠久大義の道”“敵米英学徒を厭倒せよ”新聞は、煽りに、煽っているのでした。

新聞は、いつの時代でも“社会の公器”として、機能しているようです。

新聞やテレビが大声で煽る時は、それなりの注意が必要です。鵜呑みにすると、後で痛~い眼にあいます。

いまでは、“クリーンな政治”に“正義”ありと、新聞、テレビが一丸となって煽っていますが、それなりの注意が必要だと思うのです。

クリーンな政治を大声で叫び、政治家をクリーン度で評価するマスコミは、世界的にも“かなり珍しい”ようです。日本のマスコミの方々だけが異常に“清廉潔白好き”とは思えません。

マスコミ関係者にも配られたと云われる官房機密費に関して、“清廉潔白好き”大手新聞テレビは沈黙を決め込んでいます。やはり、どうも、単純な“清廉潔白好き”では、ないようです。クリーンキャンペーンには別の思惑が・・・・・・。

“15歳の志願兵”から、すこし逸れたようですが、15歳の少年を戦場に送ったのは、時の政権、軍部、新聞、教師、親、世間、・・・・・・ではないかと、思うのであります。

ドラマでは、時の流れに身を任せた校長や教師も描かれていましたが、それ以外の教師や親達は、我が生徒を、我が子を“戦場に送る事”に、“心のなかで”反対していた様子を描いていました。

あの方達は、我が生徒を、我が子を“戦場に送る事”に反対していたのであり、“戦争に反対”していたのではないのです。勝っている頃は、戦況報道に、バンザイ!バンザイ!を叫んでいた方々なのです。

誰に一番責任があるのか、直接的には時の軍事政権ですが、でも、それを選択したのは国民ですから、いろいろ、ムズカシイのです。

“15歳の志願兵”を、過去の悲しいお話として、涙して見ているだけでは、悲しいお話はくり返します。歴史はくり返します。でも、同じような現れ方、見え方はしません。

それで、いま現在、行われている民主党の党首選挙ですが、将来において、日本の“ありかた”を決めた、歴史的な転換点の始まりだったと、記録されるのでは?と、思ったりしているのです。

何故だァ! その理由を述べよ! と、云われても、それは、そう簡単には・・・・・・。これからも、時たま、ポツリ、ポツリと、綴ろうかな・・・・・・何て思っているのです。

まぁ、そんなところで、“15歳の志願兵”を観て感じたことに、いろいろと思いを巡らし、ポツリ、ポツリと綴ってみました。


それでは、また明日。


※お粥ばかりで、腹に力が入らん!明日の夕食から普通食です。夕食は肉を食べるぞォ!


コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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Unknown (クオレ)
2020-07-10 07:34:05
いままさに同じように世の中が動いているのを感じ、恐ろしいです。
テレビと新聞からの情報だけでは本当のことを知らされないのに…
有難い記事、シェアさせていただきます!
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Unknown (cocoro1)
2020-07-10 10:41:44
コメントありがとう御座います。
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Unknown (さかいのぶよし)
2020-07-11 07:10:27
むのたけじ氏、三宅久一氏は軍部の言論統制の横暴を訴えた。しかし、今はスポンサーの忖度で、日干しを恐れる。マスコミも商売。暴力、金力に屈せず、名声抜きは床屋政談、井戸端会議。共産主義でも庶民の自由を認めない。香港弾圧。
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