前回の続きです。
粕壁宿を歩いています。
今回、やっと、春日部シリーズ15回目にして、宿場町の面影を残す風景に辿り着きました。
青い空に白壁の蔵です。蔵と云っても倉庫ではなく、蔵造りの住居兼店舗なのです。所謂、店倉です。隣の灰色の蔵は正しく倉庫。Aコースの⑧となります。
パンフの説明では、明治初期に造られたとあります。「田村荒物店」とありますが、営業はしていない?ように見受けられます。
白い蔵と背景の松の枝、なかなかの風情。
明治の初期とすれば、150年ほど経過している訳です。たぶん、外壁はかなり手が加えられており、白漆喰と云うよりも、白のモルタルで塗られているように見えました。
それは、それで、問題は無いと思います。鬼瓦の前にある「×」マークは家紋です。「丹波・丹羽筋違」のようです。戦国武将に繋がる家紋です。
蔵の前には、パンフレット⑦の「道しるべ」が立って居ます。元は別なところにあったものをここにいつの頃か移設されたそうです。
石の三方には、日光、岩槻、江戸の三方が刻まれています。
わたしは三方に興味はなく、残りの一方に刻まれた文字に興味を惹かれたのです。現場では文字が見にくく、余り長く見つめていても時間の無駄と思い、写真に撮て判読は家に帰ってとしました。
写真は文字が読み易いようにいろいろ調整してみました。
『古 来 立 木 表 以 記 岐 路 ち 向 今 ※(是の上下ギャク文字) 議 以 石 代 え』
この「是の上下ギャク文字」をいろいろ手を尽くして調べたのですが、該当する漢字は有りませんでした。見た目に略字と考えらるので、略字辞典も調べたのですが、ありませんでした。
刻まれている文面の意味としては、
『昔はわかれ道の方向が木の表に記されていた、いろいろな議論して、この度、木から石に代えた 天保五年二月 春日部・・・・・・』※この頃は春日部表記だったのです。
と、なります。
それで、”ギャク是”ですが、調査したり、考えたり、悩んだりした結果、文章の流と、文字の形状から、推測して、「凝」の略字ではないかとの結論に達したのです。←ちょっと大袈裟
「凝・こる」ある物事に熱中して打ち込むことです。それで、「凝議」は・・・ よく思いめぐらすこと。
因みに「凝」の付く二字熟語としては、
「凝固・凝結・凝縮・凝滞・凝集・凝脂・凝血・凝然・凝視・凝念・凝思・凝議」
となります。
と、云うことで、いろいろな人達で、いろいろと議論して、相当に揉めて、やっとの事で、天保五年の二月に木製から石造りの道標を完成させた、と考えました。
そして、この天保五年なのですが、何かある!何か匂う!と思って調べたら、あの、歴史上有名な”天保の大飢饉・・・天保四年から始まる”の真っ直中なのでした。
天保の大飢饉は江戸時代の三大飢饉で、東北地方、陸奥国、出羽国が最も被害が大きかったそうですから、東北地方の入り口、日光道中粕壁宿にも、それなりに、いろいろと影響があったと思います。
当時の人口が3千2百万人で、飢餓が終わった時点で約3千万人となり、飢餓で2百万人が犠牲となったのです。総人口の6.25%が飢えて死んだのです。
今の人口は1億2千数百万ですから、今の世であれば約750万人が飢えで亡くなるのです。大変な事態です。
そんな、時代背景のなかで、擦った揉んだして、完成させたので、わざわざそんな経過を、苦労を、それなりに歴史に刻んだものと考えます。
ここまで辿り着くには、ホント!肩が「凝り」ました。 この道しるべの文面調べで一日を費やしたのです。ホント!暇があるからできるのです。
はい、気分を変えて、店先のポスト。最近は、と云うか、かなり以前より、人気のレトロポスト、蔵の風景にピッタンコです。
東口駅前からの道と、日光道中が交差する地点に出ました。
こちら古利根川方向になります。おばあちゃんの後ろ姿が風景になっています。
こちらが春日部駅東口方向になります。
こちらが日光方向になります。
この続きは次回とします。
ホント!今日は久しぶりに調べ事が多くて疲れました。
それでは、また次回。