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『底が抜けた国』日本 その② 原因は "和をもって尊しとなす" で聖徳太子で17条の憲法 ! 

2025年04月06日 | 本の話

前回の続きです。

前半は、平和国家の底が抜け、倫理の底が抜け、公正の底が抜け、と、著者は、日本国の病理現象を指摘してしきました。

後半は、と云うか、最後の十数ページで、それでもなお、この不条理に、何故に従い続けるか? 日本国民の謎を解き明かします。

その前に一言。現在、大問題となっているコメの価格です。上昇と云うような、生易しい問題ではなく、価格暴騰と云った方が適切かと。兎に角、短期間に価格は、二倍 ! そして、これからも上がり続ける気配。

そんな中、数日前、あるテレビ局が お米の価格暴騰対策として "コメに麦を混ぜて炊く"  提案をしていました。画面を見つめつつ、情けないと云うか、ここまできたか・・・と、思った次第。

兎に角、問題点を追及するよりも、目の前の状況を、甘んじて受け、それなりの工夫で乗り越える。

戦時中の、"足りぬ足りぬは工夫が足りぬ" 的な、いつか来た道的な、そんな世の中に、なりつつある ? 今日この頃。

話がすこし逸れました。はい、ここから、話を著者による、「底が抜けた」原因の分析となります。

先ずは、

《日本人の心にいつまでもまとわり付く「あきらめと服従への誘惑」》

であり、

〇 物心ついた頃から日本人に刷り込まれる「封建的な服従の心理」

〇服従させられる屈辱を忘れさせる「日本スゴイ式」の自国優越思想

であり、そして、

『その主な理由の一つと考えられるのは、学校や社会(企業や官庁など)の教育の結果として、日本国民の思考の中で「公民」という意識が薄れているのではないか、ということです』

『第二次大戦の敗戦で、主権は天皇から、国民に移り、国民は権威に仕える"臣民"から、主権者として、民主主義の主役の "公民" と、憲法に規定』

そして、

『昭和の後期から平成にかけての時期には、学校や社会でも、「公民」という意識を尊重する方向での努力が一定量なされていたように思います』

しかし、

『大日本帝国時代の精神文化を継承する第二次安倍政権が2012年12月にスタートして以降、日本国民の自己意識は「公民」から「臣民」へと少しずつ回帰してきたように感じられます』

それで、ですが、著者の主張を整理すると、「底が抜けたの」は、「第二次安倍政権の頃から」と、すると、それ以前は「抜けていなかった」となります。

「底」とは、戦後の憲法であり、主権在民、民主主義、基本的人権、報道・表現の自由、男女平等。

時間軸として、大日本帝国時代には底は無く、戦後民主主義で底が出来、第二次安倍内閣で底が抜けた、との解釈。

そして、その原因の一つとして、

『諸外国では「批判的思考」を重視しているが、日本では問題を率直に指摘する「批判的思考」は歓迎されない・・・問題点を指摘する「批判」を「秩序や調和を乱す」と曲解し封じる風潮』

この指摘は、第二次安倍政権の前後とは、まったく無関係だと思います。

それと、一言、世の中、批判を非難と誤解しているのでは?

「批判」とは、互いを高めるための行為であり、「非難」は相手を貶める為の行為である、と、解釈します。批判は大いに結構、非難合戦は時間の無駄、大いなる徒労。

それで、そもそも、著者の言う、底とは、戦勝国から与えられたものであり、そもそも、国民は、それほど重要性は感じていなかった、と、考えます。

兎に角、前線も銃後もなく、日常生活の領域が戦場となり、そして、初めての敗戦。この衝撃の方が強烈であり、 "どさくさ" の真っただ中で成立した戦後憲法は、国民の意識には定着しなかった、と、考えます。

ここで、大胆にも、過去にも、今もって、誰もが、指摘していない、驚きの私見を発表します。

そもそも、明治維新以前の封建主義の時代、そして、明治維新後の帝国憲法の時代、ずっと、ずっと、底の無い時代。底が出来たように見えたのは、高々敗戦後の数十年。日本の歴史からすると、ほんの一瞬。

そもそも、日本人は自己主張はあまりしません、相手をそれなりに理解し、尊重し、和を大事にします。

日本精神の根底にあるのは、 " 和をもって尊しとなす" なのです。

17条の憲法で "聖徳太子" なのです。

そんな日本は、アジアで唯一、欧米列強の植民地ならず、明治維新以降、急速に欧米の科学技術を取り入れ、欧米の帝国主義国家の仲間入り。そして、西欧の帝国主義国家に戦いを挑み敗北。

第二次大戦後は、戦争を放棄し、同時に主権も放棄し、軍事・外交は米国に従属。そして、中国・ソ連の共産主義と米欧の資本主義の対立の中、米国の保護下で、経済第一主義で、高度経済成長で、世界第二位の経済大国。

ソ連が崩壊し、中国も改革開放政策で、共産主義の脅威が薄れます。米国にとって次に現れた脅威は、日本の経済成長。米国は日本に対する経済保護政策を転換。為替政策 、貿易政策で日本の弱体化。そして、失われた三十年に至ります。

挙国一致で戦争に突き進むのも。挙国一致で経済成長に突き進むのも。それも、これも、"和をもって尊しとなす" が精神なのです。

日本の地理的要因、気候的要因、歴史的要因、これらが、日本人の精神を規定している。と、考えます。

徳川三百年の封建主義の時代も、明治憲法の帝国主義の時代も、戦後民主主義の高度経済成長の時代も、失われた30年の時代も、"和をもって尊しとなす" なのでした。 

でも、しかし、この精神も、そろそろ、賞味期限が、消費期限が、切れてきたように思われます。

地理的、気候的、歴史的、要因により形成された精神は、科学技術の発展で、乗り越えられつつあるような、そんな気がする今日この頃。

それにしても、"トランプ関税" で "Make America Great Again" を目論んでいるようですが、関税で国内の製造業の競争力を向上、復活を狙う作戦は、本気とは思えません。

米国の製造業で国際競争力があるのは、航空宇宙産業、兵器産業ぐらいだと思います。自動車産業の復活は、誰が、どう考えても無理筋。

漏れ伝わるところでは、そもそも、製造業で働きたいと考える米国人(特に白人)は居ないようです。それに加えて人件費的に国際競争力がありません。

関税作戦をトランプに耳打ちした方は、当面はインフレと経済の停滞、スタグネーション は避けられないが、長期的には "Make America Great Again" は達成されると云っているようです。

しかし、間違いなく、このままいくと、米国も、世界も、関税戦争で、当面?のスタグネーション に耐えられないと思います。関税作戦は長くは続かないと思います。 

それと、石破政権ですが、トランプ関税作戦に対して、米国に特使を送り、日本だけは勘弁して下さいと、お願いしましたが、にべもなく拒絶されました。

実に、まあ、見っともない、情けない、"私だけにはお目こぼしを" 何て、恥ずかしくもなく言えたものです。まさに属国日本を象徴しています。

もっと堂々と、世界の為にならんから、トランプ関税は止めろ! と、言うべきです。

米国の核の傘の下では、強い事は云えないのでしょう。しかし、核の傘など幻です。

もし、もしも、です、日本が核攻撃されても、米国は核による反撃はしません。核保有国間による核戦争は世界の破滅です。勝者なき戦争です。

話が、あっち、こっちにぶっ飛んで、"本"とは離れ、大言壮語を巻き散らかしましたが、これにて、本日の認知機能低下対策を終わります。

それでは、また。

 

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