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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

ウクライナ戦争から第三次世界大戦!今回も終わってからの反省ですか?

2022年03月24日 | 世間話し

プーチン・ロシアがウクライナに侵攻して1ヶ月となりました。

この戦争、歴史として「ウクライナ戦争」と命名されるのか? それとも「第三次世界大戦」と命名されるのか?

それにしても、我々は、歴史的に大変な時代に遭遇しています。

日本では、千年に一度の大地震が発生し、そして、世界はパンデミックで、そして、そして、もしかして、第三次世界大戦の勃発かも?

21世紀の初頭、我々は、大激変の時代の目撃者、いや、当事者なのだと、しみじみ思うきょうこの頃です。

第二次世界大戦も終わってみてから、いろいろ気付き、それなりの反省をしたのでした。

第三次世界大戦も、やっぱり終わってみてから、いろいろ気付き、それなりの反省をするのでしょうか?

それにしてもと云うか、やはりと云うか、戦争当事国の一方の大統領が、我が国の国会議員を前にしての支援要請演説ですが、これって、戦争当事国への仲間入り表明。

日本からの支援は、絶対に、医療、食料等、避難民の救済に限定すべきです。

ヘルメットや防弾チョッキの供給は、明らかに戦闘支援で、明らかに、これは戦争当事国の仲間入りです。

それを知りつつ支援した日本、実質的な支援と云うよりも、この戦争をチャンスとして、軍事物資支援の既成事実化を目的としたものです。

それで、兎に角、プーチンは間違いなく戦争犯罪人です。

プーチンは20年間権力の頂点にいます。これからも、ずっと、ずっと、権力の頂点に君臨するのを夢見ています。

権力から滑り落ちたら、これまでの反体制派・反プーチン派への弾圧から、命の保証は亡いと考えていると云うか、確信している筈。

これからも君臨するには、偉大なロシアを叫び続け、そのためには、偉大な指導者の自分がロシアには必要と、叫び続けなければなりません。

と云う事で、この戦争はプーチンの戦争です。

そして、プーチンの野望を利用して、欧米NATOはロシアの専制国家体制の変革を試み、しかし、自分では手を染めずに、ウクライナのゼレンスキーを使っての代理戦争。

この戦争、プーチンを追い詰め過ぎると核戦争の危機、追い詰め過ぎず、戦況をロシアに有利にさせず、泥沼化に持ち込み、政変でプーチンの失脚を謀る作戦。

泥沼化と云っても、数ヶ月が限度、それより長くなれば、ロシアへの経済制裁は、米欧に跳ね返り、政治的、経済的ダメージが大きくなり、バイデンの再選も消え、EU諸国にも政変の可能性大。

この戦争のベストな落としどころは、ロシア内部の政変でプーチンの失脚。戦争責任のすべてを、プーチン一人に負わせ、経済制裁は即解除。

しかし、しかし、です。数ヶ月でも泥沼化は、ウクライナの一般の、ふつうの人々が、何千人、何万人、何十万人も殺されるのです。

子供たちが一番の犠牲者です。大人たちは、それなりに、プーチンを、ぜレンスキーを指導者とし選択した責任があります。

それにしても、軍拡改憲派は、ウクライナがもし核を持っていたら、もしNATOに加盟していたら、この戦争は起きなかった!と、自慢げに語る姿を目にします。

これこそ、バカは休み休み言えです。

今回、NATOに加盟しようとしたから、ロシアに侵攻されたのです。核兵器を持とうとしたら、その兆候があったら、即、ロシアは侵攻していまた。

ウクライナは大国の狭間で、経済的に、政治的に、軍事的に、刺激せず、両者の顔を立て、それなりにずる賢く、両者の間に入って、「まあ、まあ、まあ、そこは、それ、何とか・・・」と、それなりに巧く立ち回る戦略しかありません。

当然、日本も、ウクライナと同じ立場です。

それなのに、それなのに、敵基地攻撃能力を、核兵器保有を、軍拡を、叫ぶ輩が勢いを増している、今日この頃。

いったい、どれだけの攻撃能力を、どれだけの核爆弾を保有すれば、相手の攻撃を抑止できるのか? 現実離れの、戦争惚けの、戯言です。

このご時世、勇ましい方向に傾きがち、ウクライナ戦争に対して、反戦、停戦を叫ぶのではなく、ウクライナ側に加勢する空気を感じます。これは、日本だけではなく、世界中で、です。

テレビのニュースでも、義勇軍としてウクライナに向かう姿が、人道として、正義として、英雄として、そんな取り上げられ方がされています。

そして、最近の情勢では、ロシア軍の兵器の損失も多く、兵站も底をつきつつあり、士気もかなり悪化している、との情報が流されています。

この事が、プーチン失脚ではなく、局面打開として、生物・化学・核兵器の使用につながらない事を祈るばかり。

戦争の悲惨な状況を、ソファーに座りテレビ画面をとおして知る訳ですが、その画面で、朝の連ドラを見て「”るい”は安子と再会できるのか?」と思ってみたり。

「高安には一度優勝させたい」と、応援してみたり、そんな自分に「人間なんて、そんなもん」と思ってみたり。

余命僅かな、高齢者の私には、それなりに傍観者でいられます。

頭上で核弾頭が炸裂しても、それなりに、自らの責任として諦め、受け入れます。

しかし、しかし、お若い方、将来のある方、黙って殺されるのを待ちますか?

遠い国の出来事と思っていると、大変な事になります。

戦争は互いに望まなくても始まります。

始めるときは、決まって、早く終わると云います。

でも、いつも、早く終わりません。

そして、そして、いつも、いつも、終わってからの反省の繰り返し。

ホント! 戦争は、突然、始まったように、見えたりしますが、すこしずつ、しずかに、始まっているのです。と云うのは過去の話。

いまは、もう、戦争の真っ只中です。

兎に角、大変な時代に突入したのです。

激動の真っ只中なのです。

それでも、きようも、焼酎を飲みつつ、大相撲観戦をする私。

 

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