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『人新世の資本論』⑤ 遠ざけ・見えなく・忘れさせ・そして戦争放棄と主権放棄!

2022年01月20日 | 世間話し

前回の続きです。

惚け防止対策で『人新世の資本論』を読んで、綴って、記憶と記録に残す作業を続けています。

本日は第一章、小見出し「7.犠牲を不可視化する外部化社会」から始まります。

『代償を遠くに転嫁して、不可視化してしまうことが、先進国社会の「豊かさ」には不可欠』と、ミュンヘン大学の社会学者シュテファン・レーセニッヒさんが指摘しているそうです。

これって、前回の「犠牲に基づく帝国的生活様式」と、ほとんど同じ事ですね。

「犠牲は、遠ざけて、見えなくして、当事者以外には、気付かせない」この方式は古今東西、支配する側の常套手段です。

この典型が沖縄の基地問題です。今回、米軍基地を発生源とした、コロナ感染の拡大で、米軍基地の存在があらためて注目されました。

沖縄以外でも、「まん延防止措置」がとられた、山口県の岩国、隣接する広島でした。岩国基地は海軍と海兵隊が共用する航空基地で、沖縄の嘉手納よりも戦力的に上回り、国内最大の米軍基地だそうです。

米軍基地は、入国も出国も、検疫も、あらゆる物の持ち込みも、持ち出しも、みんな、みんな、自由なのです。日本の領土ではなく、アメリカの領土なのです。

日本国憲法の上位に、日米安保条約、それに基づく日米地位協定があるのです。1945年にアメリカに負けて、77年の歳月が流れました。いったいいつまで、この従属的関係が続くの?

「遠ざけ・見えなくして・忘れさす方式」ですが、でも、見ようと思えば、見えるのです。面倒だから!日常生活には支障が無いから!見たくない!気づきたくない!

まあ、そんな事だと思います。兎に角、面倒な事には関わりたくない!は、それなりに人情なのです。

でも、こんな日米関係を、世界は、特に当事国のアメリカは、きっと、きっと、日本はいつまでも、どこまでも、こんな従属的関係に耐えているの?人間として、国民として、国家として、矜持はないの?と、思っている筈、笑っている筈。

でも、これって、もしかして、もしかして、敗戦時に秘密協定で、日本はアメリカに対して、国家の統治権・主権を放棄させられていた? そうとしか考えられない卑屈で、屈辱的な態度。

戦争放棄と主権の放棄、ありそうかも?もしかして?天皇制の存続を条件にしていたりして? まあ、それは、いくら何でも、と、思いますが・・・・・・。

ですが、いつでも、どこでも、何にでも、アメリカに遠慮して、物が言えない日本、やっぱり、無くも無い話し。

話しが、かなり、かなり逸れてしまい、危険な領域に踏み込んだかも?

それで、話しはすこしだけ戻して「グローバル・サウス」と云う言葉ですが、著者の説明では「南北の位置関係が必然では無くなりつつある」として、従来の「南北問題」と云う言葉と置き換えた、との主張。

以前より気になっている、この言葉、その筋では、それなりに使われている?と思って調べて見たところ、著者の斉藤幸平さんだけが使用しているみたいでした。

南北問題の英語表記は 『Global North and Global South』で、直訳すれば、「地球的北、地球的南」となります。

前回か、前々回で、「グローバル・サウス」と云う表現は、グローバル化で東西南北は無くなったので、変だと書きました。

しかし、私の解釈は浅くて、狭くて、局地的解釈だと、先ほど気付きました。

著者が「南北問題」を「グローバル・サウス」と表現したのは、「サウス」と云う言葉に、「地球的南」が意味する、搾取、犠牲、差別、貧困等を込めていたのでした。

「サウス問題」は世界の至る所に広がり、存在するとして、「グローバル・サウス」と表現したのです。学者ですから言葉は厳密に使用しているのでした。

と、云うことで、人新世の資本論はここで終わります、

それで、オミクロン株の感染拡大ですが、「まん延防止等特別措置」ですが、過去に5回も出されていますが、一度も防止した実績は無く、緊急事態に移行します。

いきなりの緊急事態では、いろいろと差し障りがあるので、先ずは「まん防」でそれなりの受け入れ準備、そして緊急事態、との手順だと思います。

過去5回の状況から、緊急事態が発せられると感染拡大が収束に向かう、と、云うよりも、ウィルスの「自壊」が始まるタイミングで、緊急事態が発せられている、そう感じるのです。

それで、今回、まん防、緊急事態の発出基準を緩め、遅らせ、緊急事態の発出は極力さけ、まん防段階にウィルスの自壊タイミングを合わせ収束させる。そんな政府の狙いを感じるのです。

緊急事態は、早すぎても、遅すぎても、どのタイミングで出しても、評判が悪く、内閣支持率低下を招く、とても、とても、禁じ手なのです。

その点、まん防は言葉の響きからして、世間の受け止めは穏やかになり、内閣支持への影響は極力抑えられるのです。

まあ、兎に角、もう、そろそろ、コビット19は収束ではなく、終息向かうことを願っています。百年前のスペイン風邪も2年で自然終息しました。

と、本日も、あっち、こっちに、とっちらかりましたが、これでお終い。

 

それでは、また。

 

コメント
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