前回の続きです。
方丈記のお話しです。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし』
前回、この冒頭が内容の全てと断言?しました。全てが凝縮しているのです。
いわゆる、無常観です。この世の物や現象はとどまることなく生滅して、常に移り変わっている。「常にそのままで無い」と云う事です。
河の流れは、まあ、フツウは絶えることはなく、上流から下流に流れ、同じ水が同じところに止まっている、何て、考える人はいません。
人の一生なんてものは、河の流れに浮かぶ泡のようなもので、すぐに現れ、すぐに消え、留まることはない、何て、考えるのは、それなりに、まあ、フツウのことだと思っています。
まあ、この無常観は、別に、鴨長明の発見、発明でもありません。インド発祥の仏教によって日本に伝わったものです。
まあ、人の世の儚さを、水の流れに例えた、その表現が、言葉の響きが、人の心の内にじんわり染み込むのです。歌人としての鴨長明の腕の見せ所。
鴨長明のセンスの良さで、日本的な美意識とピッタンコと嵌って、平安の世から現在まで、時代を越えて、それなりに、一定の層に受け入れられているのです。
儚さとか、虚しさとか、侘しさとか、ものの哀れとか、そんな思いに時より浸るのは、それなりに酒の肴にはもってこいなのです。四六時中浸るものではありません。
まあ、インド仏教の方は「無常観」で、日本の方は、美意識的で、感覚的な「無常感」と記すのが正しいとの意見もあるようです。確かに、ごもっともな説。
それで、"人と栖(すみか)と、又各のごとし" この言葉です。何で、ここで、人と住家が同列に並んでいるの? 人の無常はわかりますが、住家の無常はわかりません。
考えてみれば、タイトルが方丈記"なのです。 方丈とは本来、僧侶が寝起きし生活する"粗末な家のことです。でも、まあ、いつの頃からか、粗末が忘れ去られ、豪華絢爛でも、僧侶の住まいを方丈と呼ぶようになりました。
ちなみに、こちらは、鎌倉は円覚寺の方丈。
でも、しかし、現在ここで僧侶が寝起きしているわけではありません。粗末から豪華への変遷の過程で、使用方法も変化した結果です。
円覚寺には、こんな注記が掲げられています。
それで、鴨長明さんのころの修行僧は、まだ方丈の名にふさわしい住まいに暮らしていたようです。方丈とは、一丈(約3m)四方、現在の四畳半程度の広さになります。
こういう、 慎ましいと云うか、粗末と云うか、みすぼらしいと云うか、簡素と云うか、そんな住いで暮らしつつ、この世の無常を綴ったので、タイトルを方丈記としたのです。
それで、"世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし"なのです。世の中の人は理解できのですが、住いも儚く無常とあるのです。
鴨長明さんは、相当というか、かなりと云うか、とても、とても、住まいに拘りがあったようです。
これは、きっと、きっと、その生い立ちが関係しているのでは?と、推測します。
それで、この続きは次回とします。
それでは、また。