前回の続きと云うか・・・。
今回より、春日部訪問の本題、宿場町ウォークとなります。いよいよ、旧日光街道に出ました。
旧日光街道の春日部市街は、今回が初めて目にする風景です。今回分かったのですが、現在の4号線は市街地の手前で二股に分かれ、市街地を通過していなかったのでした。
電柱もなく、歩道も広く、街灯もおしゃれ、なかなか整備されています。思っていたより、かなり、おしゃれな町並です。
こんな標識が建ってます。
道路の整備拡張のずっと前から、ここで八百屋さんを営んでいたのでしょう。ホントに、変わらず、きちんと、真面目に、細々の商い。スーパーに負けないで下さい。
ふり返ると、雲が切れて、青空が見えてきました。昼頃より晴れるとの予報は当たっりました。 道路案内標識に一部が隠れている白亜のビルが、あの”匠大塚”です。
春日部ではなく、ここはやはり”粕壁接骨院”です。
粕壁宿の入り口にある東陽寺です。
門前で六地蔵がお出迎え。手向けられた花は生き生きとしています。
鉄筋コンクリートです。そして、何やら修理中で足場が組まれていました。鉄とコンクリートのお寺は、ちょっとイマイチです。
本堂の前には、石碑が。松尾芭蕉の「奥の細道」の一文ではなく、弟子の曾良が書いた「曾良旅日記」の一文が刻まれていました。
アップにします。
”廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余”とあります。泊まったのがこの東陽寺だったとの説があるそうで、そこで、この石碑が、ここに建っているのです。
奥の細道には、粕壁に泊まったのに、まったく記述がありません。手前の草加は通過しただけなのに、記述があるのです。
芭蕉にとって粕壁は、出会いも、名所も、名物も、感動も、特段書き記すことは、何も無かったようです。
草加の先で記述があるのは、現在の栃木県惣社町にある「室の八島」となります。旅に出て最初に俳句を詠んだのは日光でした。
まあ、粕壁の次、間々田、鹿沼にも泊まっているのですが、何の記述もありません。 粕壁宿だけが冷たくされた訳ではありません。
因みに、奥の細道で芭蕉が詠んだ句の中で、一番好きなのがこちらです。
『蚤虱 馬の尿する 枕もと・・・ノミシラミ ウマのバリする マクラもと』
「バリ」ではなく、「シト」と読ませるする解説が一般的なようですが、曾良の解説本では「バリ」とルビが振ってあるそうです。「シト」と「バリ」では、迫力が違うのです。
我が家の本棚にある解説本にも「しと」あり、私はいつ何処で記憶したのかハッキリしないのですが、「バリ」とハッキリ記憶しているのです。
それで、馬の排尿ですが、映像で見た事があり、とても、とても、「シト」何てシロモノではなく、まさに「バリ」と表現が適切なシロモノなのです。
映像でもかなりの迫力ですから、これが生の体験であったなら、それなりに離れているはずなのに、枕元で起きているとの錯覚が起きるのです。
しとでは語感が弱いのです。バリと云う語感の強さがあって、成り立つ句だと思います。ノミときて、シラミときて、ウマのションベンですから、ここは「バリ」とこなければ、全体の、リズムが、バランスが崩れるのです。
因みに、「バリ」はこの地方(出羽)の方言だそうです。
こういう、ばっちい事をさらりと詠む芭蕉が好きです。親しみを感じます。情景が浮かびます、音が聞こえます、臭いがしてきます。
そういう事で、バリでは「ばっちぃ」ので、現在解説本では「バリ」ではなく「シト」と読ませるのです。
解説本を書く方々は、みなさん教養豊かで、お上品ですから、俳聖松尾芭蕉大先生が「バリ」なんて汚い、お下品な言葉は似合わないと考えているのです。
馬のバリ話しを長々としてしまいました。この辺で、ばっちぃ話しはお終いにします。
粕壁宿から話しが逸れてしまいました。
切りが良いので、本日はこれでお終い。
それでは、また次回。