歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

放射能に曝され献血しました

2011年05月16日 | 健康
先日、いろいろあって、四十数年ぶりに“献血”をしてきました。

最初に献血の話しがあった時は、“エッ! 献血ッてェ~、60歳までじャないの?”と、云ったら、年齢制限は64歳迄で、わたくし61歳ですから、まったく問題ないとのことでした。

それならば、こんなご時世?ですから、世のため人のため、覚悟を決めたのでした。

いい歳して、ホントに、ホントに、注射は大嫌い!なのです。針が腕に突き刺さる瞬間、顔面は、緊張と恐怖と苦痛で、醜く歪んでしまうのです。

7歳の孫は、注射は怖くないそうで、針が腕に突き刺さる瞬間を平気で眺めているそうで、度胸もあり、探求心も旺盛なのです。将来はお医者さんを目指しており、その為の勉強だと云っています。

それで、献血ですが、先ずは、用紙に、住所、氏名、年齢、電話番号を記入し、次に問診表に、ナンダ、カンダと健康状態や、病歴やら、渡航経歴やら、同姓愛の経験やらを、“はい”、“いいえ”に、チェックを入れるのです。

次に、身分証明の提示により本人確認を行い、無事通過すると、500CCペットボトル入り“ポカリスエット的飲料水”を渡され、献血の前後に飲むように云われるのです。

ここまではバスの外で、この後、いよいよ“献血バス”に乗り込み、医師による簡単な問診と血圧の測定、次は看護師による採血で、血液型と血液の比重?の検査を受けるのです。

検査後に、看護師の方から、“すべて問題ありません”と云われ、その言葉の後に“400CCでもまったく問題ないので、400CCで如何ですか?”と、微笑みを浮かべて誘われたのですが、“いいえ、200CCで結構です!注射も、血を抜かれるのも、とても嫌なのでェ!”と、キッパリと拒絶しました。

もしも、あの看護師さんが、もっと若く、かなり美しい方でしたら、その微笑みと甘い囁きに負けて、“ハィ!400CCでェお願いします!”何て、口走ってしまったかも知れません。200にするか?400にするか?少しは迷いがあったのです。

まぁ、そんな冗談はさておいて、遂に、寝台に横になり、右腕に針を突き刺され、血を200CCを抜かれました。バスには血抜き寝台が4台装備され、わたくしは一番後方で血を抜かれました。

検査の採血でも、200CCでの採血でも、どうも、何か、人間ドックの採血で使用される針よりも、何か、ワンランク下の針のような? 皮膚を突き刺す際の抵抗が大きく、痛みがキツイ感じがしました。気のせいですかねェ? 

これが、突き刺された痕です。



献血が無事終了し“献血カード”とご褒美を頂きました。三色ボールペンと思っていたら、赤と黒のボールペンに、もう一箇所はシャープペンシルでした。


献血カードの裏には、次回の献血可能日が記載されていました。一ヶ月そこいら間を空ければ、もう次の献血が可能なのです。


受付での問診表の記入から、採血の終了まで30分ほどでした。最後にバスを降りて、受付の処でカードを渡される際に、

「60歳から64歳までの間に一度献血をされた方は、“69歳”まで献血が可能になります」と、うら若くない女性に笑顔で告げられました。61歳で献血してしまった事で、わたくしは69歳まで年齢制限が引き延ばされたのでした。そんな奥の手があるとは知りませんでした。

因みに、欧米では61歳の誕生日までが献血可能年齢のようです。日本人は元気で健康で寿命が長いので、献血年齢も高いのでしょうか? それとも、血液が足りないのかも?

まぁ、この歳で、この能力で、世間のお役にたてるのは、献血ぐらいしか無さそうなので、年に一度位の献血は“いいかなァ”何て、思うようになったのです。

今度は、400CCに挑戦しても“いいかなァ!” 何てことも、思ったりしているのです。


只今の“空間線量”は0.10μSv/hです。もしかして、たぶん、地表近くは、この数倍かも・・・・・・。それでも、枝野クンは“直ちに健康に影響を与えるレベルでは無い!”と云うのでしょうね、きっと。

それにしても、記者会見でそんな事を云われて、記者連中は何も質問しないのです。直ちには“急性放射線障害”は起こりませんと云う事で、“晩発性放射線障害”は、その限りでは無いと、それは互いに了解済みと云うこと?

コメント
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