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歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

那須の温泉で米寿のお祝い④ -ヨカッタ!ヨカッタ!旨かった!- 

2010年04月08日 | 旅の話し
昨日の続きです。

6時半になり、いよいよ夕食です。

囲炉裏端でのお食事、照明が暗めなので、いまいち料理の見栄えがァ・・・・・・。全体的にはもっと暗くして、テーブル部分のみ明るくすると、料理は華やぎ、室内は落ち着くのですが、チョット残念。

料理を全体的にじっくり眺めると、何となくボリューム感に欠ける印象。刺身に、揚げ物、煮物、和え物、鍋物・・・・・・、まぁ、こんな処かと思いつつ、


メニューを確認すると、“ズワイガニのあんかけ茶碗蒸し”と、“フォアグラ大根の辛子あんかけ”が、これからのようです。


先ずは、誰が何と云おうと、“しゃぶしゃぶ”から、A5クラスと云うだけに、良いお肉でした。これまでの人生で二番目に旨い牛肉でした。牛肉はあまり食べない母も、柔らかくて美味しいと云って、珍しく2枚も食べました。


刺身は期待していなかったのですが、本マグロの中トロ、鯛、ウニ、すべて美味しかったです。母も“本マグロの中トロはホント旨かった”と翌朝になっても、味の余韻に浸っていたくらいです。

いつもは、キハダとか、メバチとか、ビンナガとか、マグロの“親戚筋”ばかりで、本当のマグロを食べるのは、年に1回位ですから、無理もないのです。旨いモノは偶に食べるから旨いのです。


ホタルイカのぬた、空豆豆腐、湯葉・・・・・・・等は、まぁ、それなりの味でした。


エビは、すり身にして揚げた方が旨いです。揚げるテクニックは要らないし、食べ易いし、お年寄り向きです。


それにしても、しゃぶしゃぶの鍋に点火したとき、炎が春菊を炙っていたのです、給仕の男性はあまり細かいことに拘らない性格のようです。


最初は、見た目にボリューム不足かと心配していたのですが、フォアグラ大根、


ズワイガニの茶碗蒸しが運ばれて来た頃には、かなりお腹は膨れてきて、やっと食べたのです。


そして、〆に“タケノコご飯”に、タケノコの“姫皮汁”で、もう満腹。


デザートは、“栃おとめのシャーベット”。“苺の味が濃厚”で、かなり好評でした。


食後に、孫から、バックをプレゼントされ、大満足のオバアチャンです。


ヨカッタ! ヨカッタ! 旨かった! の一夜でした。

それでは、また明日。


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那須の温泉で米寿のお祝い③ -県境を越えて- 

2010年04月07日 | 旅の話し
昨日の続きです。

民生の安定を図るスリットダムを後にして、宿を目指します。那須インターから20分なのですが、20分を過ぎても宿は現れないのです。

それでも、もう少し先かも、もう少し先かも、と思いつつ車を走らせ、宿が現れないかと“左側”を注視していたのです。助手席の姪が地図をみながら“通り過ぎたと思うけど”、母は“そこらで、誰かに聞いたほうが”と、車内は不安そうな空気が漂いはじめたのです。

いつしか道は狭い登りの山道となり、私としても、もしかして?と思いつつハンドルを握っていると、福島県の表示を発見。アレ?宿は栃木県の筈!これは、もう、もしかして、通り過ぎ?

ここで、観念して宿に電話を入れたところ、間違いなく通り過ぎていのでした。宿は進行方向右側にあり、看板も右側に立っているとの事でした。ずっと、ずっと、左側と思っていたのでした。

かなり行き過ぎたと思ったのですが、時間にして5~6分戻ったところで、看板を発見、姉が“さっき通り過ぎた時に、その看板なら見たわョ”とのこと、旅館の名前は姉には伝えていなかったのです。

未舗装の道を百㍍ほど入った処に写真で見た通りの宿がありました。


宿の前は、緑の牧場風景が広がっています、でも、しかし、宿の方に聞いてみたら“牧草地”だそうで、牧場はずっと先だとの事でした。そう云えば柵が無い。


宿の玄関を撮り忘れました。客室は離れが三棟の小さな宿なのです。

玄関に花が、全体に薄暗い巣と云うか、演出として照明は落としてあるようです。


こちらにも花が。


部屋に入る前に、玄関先と云うか、玄関ロビーと云うか、板の間の、囲炉裏を囲んだ掘り炬燵式のテーブルで、お茶と蒸し羊羹で、“ウェルカムサービス”


お茶を飲み、羊羹を食べ、一息ついて離れに案内されました。正面が玄関棟、右に明かりが灯るのが我々の離れで、その奥に一棟、左手に一棟の全三棟の宿です。


入った玄関にも花、そして、この玄関が4畳半ほど広さがあり、何か勿体ないようで、贅沢な空間となっています。


先ずは、12畳の板の間、この座椅子はなかなか快適でした。


そして、6畳の和室。


部屋からの眺め。


そして、この奥に、


露天風呂です。


12畳の板の間の奥に洗面所、


洗面所の右手にトイレ、


左手には、


流し場で、


そして、その奥で、わたくしが、入浴中です。


それで、これまで評価ですが、部屋の壁、床、天井、敷物、畳、襖、障子、照明器具、トイレ、洗面台等の設備、どれも、キズ、シミ、汚れ、変色、埃、ゴミ等は、特に眼に付くことも無く、手入れが行き届いていました。

母の米寿のお祝いですので、かなり奮発して、いつもの倍近い料金の宿にしたのです。これまでの処は、料金相応の設備で、ほぼ合格です。

さぁ、何と云っても料理です。どんなものが食べられるのか? 楽しみです。

夕食は6時半からです。休憩して、露天プロに入って、それからです。

この続きは次回。


それでは、また明日。



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那須の温泉で米寿のお祝い② -スリットダムで民生安定- 

2010年04月06日 | 旅の話し
昨日の続きです。

北関東道から東北道に入り、空は青空、天気は最高となりました。この日は、朝から雨と強風で、鉄道や高速道路が混乱したとは、ホントに嘘のような天候急速回復で、米寿の旅行も出足好調です。

青い空と白い雲を眺めていたら、“三ツ矢サイダー”が飲みたくなり、大谷PAで休憩です。三ツ矢サイダーの1.5㍑ボトルを保冷バックから取り出し、紙コップに注ぎ、青空を眺めつつゴックンでした。この1.5㍑ボトルは前日に近くのスーパーで“特売価格98円”で買い求めたのです。


三ツ矢サイダーを飲んで気分は爽快、4人を乗せて車は快走して那須インターに到着。料金は四千四百五十円です。

インターを出て、17号線を那須連山の方向に走ります。この道は“那須街道”と云うそうで、道の両側には、おみやげ屋とか、いろいろな飲食店とか、何とか博物館とか、何とか広場とか、何とかの城とか、何とかランドとか、何とか牧場とか、もう、看板の乱立。

ホントに賑やかと云うか、騒がしいと云うか、鬱陶しいと云うか、観光協会加盟の業者の方々、そして那須を訪れる観光客の方々は、この手の風景が“観光地らしくてとても良いことだ”と、思っているのでしょう。

鬱陶しいので、写真を撮るのを忘れてしまいました。この風景が、観光地の一つの方向なのでしょうか? 一応、乱立する看板の色は“それなりに統一”されていました。でも、しかし、建物はデザインも色使いも、いったい、今はいつ??? ココはドコ??? 状態でした。

そんな那須街道を5~6分走り、右折して68号線に入ります。後は道なりに走り、15分ほどで“左側”に宿が現れる筈です。

68号線に入り少し走ると、道の両側から“観光地的風景”が消え、大自然の風景に変わります。河原の脇に駐車スペースがあり、視界がひらけ遠くに那須連山が見えたので休憩です。


那須と云うと、小学校だったか、中学校だったか? 夏の林間学校で登った“茶臼岳”を思い出します。かたち的には左が茶臼岳でしょうか? 
 



何やら書かれていました。平成10年8月の豪雨で、橋や道路や家に激甚な災害を被ったようです。今から10年ほど前、そんな事があったような記憶がボンヤリとあります。

女性演歌歌手の河原近くの別荘が豪雨で流されたと、ワイドショーで騒いでいたのも、場所は少し違いますが、その時の豪雨だったような気がします。まあ、そんな事はどうでもいいのです。

それにしても、この文章は、とても硬く、恐い顔して書いたようです。扱うモノがモノだけに、こういう“である体”になるのでしょうか。


上から11行目からの文は長く、“また、・・・”から始まって、最後の“・・・災害の発生を未然に防止し、民生の安定を図るものである”まで、130文字で句点になるのです。

それにしても、“民生の安定を図るものである”には、“恐れ入谷の鬼子母神”である。この施設、この説明板は何処が造ったのでしょう。普通は最後に管轄の団体、組織等の所在が記されているのに、全くの無署名です。

内容からして、国土交通省の地方土木事務所とか、山の事ですから林野庁とか、県の土木課とかそんな処の管轄と思うのですが、いったい責任者はだれだ? まぁ、だれでもイイですけどね。

こちらに、緊急砂防事業の内容が書かれています。


“堰堤”と、“流木捕捉工”の二つの方法で災害を未然に防止しているようです。

黒く見える壁のようなモノが“スリット”形式の堰堤で、


手前の金属製の柵のようなモノが“流木捕捉工”のようです。


こんな風に、流木を捕捉するのです。この写真は“砂防鋼構造物研究会”のページからお借りしました。詳しくはこちらをご覧下さい。 http://www.koseisabo.gr.jp/jirei/list.html


それで、こちらのページを見ると、流木捕捉工には、格子形、A型スリット、B型スリット、C型スリット、D型スリット、h型スリット、I型スリット、J-スリット、L型スリット、Δ型スリットの10種類ほどの形式があるそうなのです。

それにしても、世の中は広いのです。“砂防鋼構造物研究会”何て処があって、流木捕捉の研究をしていたりして、10種類の流木捕捉工の形式があったりして・・・・・・。

う~ん、ホント、世の中、知らないところで、知らない人が、いろいろな事を調べて、研究して、いろいろなモノが造られていたのです。勉強になりました。

それで、我々の目の前にある流木補足工の形式ですが、Δ(デルタ)型スリットだそうです。支柱の形状が三角形になっているので、デルタなのです。

“サンカクケイガタ”では何となく音的に軟弱に聞こえ、流木に押し流されそうなので、ここは“デルタガタ”と云う響きに、強固なイメージを感じ、命名したかも?

兎に角、“米寿のお祝い”の温泉旅行で、土木工事のお勉強をしてしまいました。

宿はもうすぐです。


それでは、また明日。

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那須の温泉で米寿のお祝い① -ハイウェイオアシス- 

2010年04月05日 | 旅の話し
先週の2日の金曜日と3日の土曜日で一泊旅行に行って来ました。そんなことで、金曜日の更新はできませんでした。

2日の午前中は雨と強風で大変な天候でした、電車は止まり、高速道は通行止めに速度規制で、出掛ける前日から、気象情報やら、交通情報やら、チェックをしまくりました。

予定出発時刻の12時半過ぎには、雨は小降りとなり、風もおさまり、全員で、ヨカッタ!ヨカッタ!と、相成りました。それも、これも、“観音様のお陰である”と、母が申しておりました。

実は、何を隠そう、この旅行、母の“米寿の祝い”で企画したものなのです。参加したのは、姉と姉の娘、そして私の4人です。姉の娘は、母の孫、孫と云っても、当年とって35歳で独身。

母はこの孫が、可愛くて、可愛くて、もう、とても堪らなく可愛いと、日頃より、申しておるのです。何とか、早く、結婚して、曾孫の顔を見て、安心したいと、わたくし、毎日、毎日、朝に、昼に、晩に、聞かされているのであります。

それで、この日は、那須に向かったのです。13時00分に常磐道の谷田部ICから入って、友部JCTで北関東道に入り、栃木都賀JCTで東北道に入り、那須ICで降りて、15時30分に宿到着のコースです。

常磐道は小雨でしたが、北関東道に入って壬生辺りで雨は止み、雲間からチョット青空が顔を出して来ました。


ほぼ中間地点になる、壬生の“ハイウェイオアシス”で休憩です。それにしても“ハイウェイオアシス”何てものは、初めてです。“PA”とか“SA”とは、どこが、どのように異なるのでしょうか?


セルフの食堂におみやげ売場と、“PA”とか“SA”とは別段変わりは無いようです。それで、中央の後ろ姿が可愛い孫なのです。


トイレを済ませ、外に出て、“ハイウェイオアシス”の様子を窺っていると、ガラス越しに何やら、オジサンとオバサンの二人が、何やら“実演中”なのです。

これは、中に入って見学と思い、ガラス戸を開き入って行くと、何とオジサンとオバサンは人形だったのです。


オジサンと、


オバサンは、二人で栃木名産の“干瓢”作りに励んでいたのです。二人とも、なかなか良い表情をしていました。こんな処が“ハイウェイオアシス”なのかも?


それで、ハイウェイオアシスとは、調べてみました。

【高速道路上にある一部のサービスエリア・パーキングエリアに連結されている、道路区域外の都市公園・地域振興施設等の呼称である。高速道路の料金所を出る事なく、隣接する公園・レクリエーション施設を利用出来る。HWOと略称される。 2009年10月23日現在、26箇所に設置されている】

こんな、ことのようです。区域外の“地域振興施設等”に、オジサンとオバサンの干瓢作り風景が該当するのでしょう。たぶん。

それと、後で地図を見たら、“壬生総合公園”が直ぐ裏手にあったのです。でも、ココへは連結されてないのです。何らかの障害で連結できなかったのか? それとも、これから連結するのか? それとも、そんな事はまったく考えていないのか?


でも、おもちゃ博物館とか、わんぱく公園とか、かなり広い公園なので、高速道を降りないで入れたら、それは、それで、とてもイイと思うのです。

“壬生ハイウェイオアシス”を後にして、ほぼ予定どおりの時刻に“栃木都賀JCTから東北道に入ります。灰色の雲もが、白い雲に変わってきました。



もうすぐ、那須インターに到着です。


それでは、また明日。


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もうすぐ秋です!“石川さゆり”です。

2008年08月29日 | 旅の話し
今週最後、来週からは9月です。

そして、もう秋。

秋になると、何処か遠くへ行きたくなります。

遠い北国の半島、岬、青い海、水平線。

2年前に旅した、津軽半島の竜飛岬を想い出します。

水平線には北海道。


海峡を望む歌碑。


北の町には演歌です。

勿論、この曲です。

石川さゆり -津輕海峽冬景色














今週は、天候不順の為、ブログも今一で、演歌に頼ってしまいました。それにしても、“YouTube”はケッコウ楽しめます。

来月からは、いつもの調子?に戻る予定?です。


それでは、また来週。


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塩原温泉“素朴の宿”

2008年02月06日 | 旅の話し
昨日の続きです。

私に続いて、姉と母が貸し切り風呂に入りました。貸し切り風呂を「貸し切る」のは我々だけのようです。

母も姉も、風呂から上がって、肌スベスベの身体ポカポカで満足の様子。何たって「タダ貸し切り」なのです。

温泉につかった後は夕食です。部屋だしは年寄りには有り難いのです。夕食は、ふつうの「温泉宿メニュー」です。

ホントォ~に!特徴の無い、典型的温泉宿メニューです。料理を少しプラスして1万円で、これなのです。


プラス分なのが、たぶんこの「ダチョウ肉」の“しゃぶしゃぶ”だと思います。

それで、このダチョウが、兎に角「不味い!」のです。不味いと云うと「ダチョウ君」に申し訳ないので、「味がしない」と訂正します。

別の云い方で、好意的に表現すれば「癖がなく淡泊」と云えます。そもそも「しゃぶしゃぶ」とは、濃厚な材料を湯通して淡泊に味わう「老人料理」と私は解釈しております。

「淡泊」な材料を湯に通して、更に「淡泊」にして、

『えっ! いったいどうすんだ! 調理人はいったい何を考えているのか! 責任者を呼べ!』と、心の中で叫んだのであります。 

母も姉も「ダチョウ」と聞いただけで、全て私のお膳に「ダチョウの肉」は移動されました。

兎に角です、食べないと「元がとれない」との思いで、私一人で、一心不乱に食べ尽くしたのです。

ダチョウの肉はどんな味?と二人に聞かれたのですが、「うーん。“味”と云われても答えようの無い味」と、答えました。

兎に角、「それなり」に満足して食べ終わり、「食後のデザートはたぶん無いよねぇ」と話していると、メロンが運ばれて来ました。


母は食後、部屋にあった「パズル」に夢中です。家にもこれと同じ様な「ザ・ティー」があります。以前に鬼怒川のホテルで購入したものです。


温泉に泊まって夕食後にパズルは何となくねェ・・・・・・。

たいしてやる事も無く就寝です。最近は宿ではあまり眠れなくなりました。



翌朝は予報が見事的中して「雨」、初めてです、いつもは予報がハズレるのです。

昨日は、ロビーでも、廊下でも、風呂でも、人影は見当たらなかったのですが、駐車場を見ると宿泊客は他にも居たようです。


朝食はそれなりでした。左上隅の鍋は「豆乳の湯豆腐」です。これは結構いけました。表面にできた「湯葉」がなかなかです。

それと、鍋の隣の「野菜サラダ」ですが、野菜の切り方、盛り付けが「素人」ぽっくて、お婆ちゃんが一生懸命に作ったような「微笑ましさ・暖かさ」があって良かったです。

この宿は、フロントのお兄さん、仲居さん、布団を敷きにきたおじさん、そして、料理、共通項は「素人ぽっさ、素朴さ」です。

お婆ちゃんサラダと、豆乳湯豆腐、無料貸し切り露天風呂、まぁ、及第点でしょう。

朝食後は、雨の為に予定を変更して、妙雲寺をちょっと覗いて直帰しました。


途中、おみやげ屋さんに寄り、おみやげだけは「しっかり買って」帰りました。母の楽しみなのです。


「日光塩原紅葉ライン」をドライブする予定でしたが、雨の為に中止し何処にも寄らず、昼過の帰宅になりました。

兎に角、紅葉を見て、温泉につかって、美味しい料理を食べる目的は、それなりに・・・・・・叶えられました。

やっぱり、宿選びは余裕をもって「ゆっくり、じっくり」がイイのです。

またいつか、塩原には行ってみたいと思います。その時は、元湯に宿をとるつもりです。

今回の宿泊先は、“常磐ホテル”でした。塩原シリーズは今日で終わります。


それでは、また明日。


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塩原“一人で?”貸し切り?露天風呂は? 

2008年02月05日 | 旅の話し
昨日の続きです。

温泉街を一回りして、フロントで「貸し切り露天風呂」の予約をしました。1回30分の「無料貸し切り」です。

部屋に戻り着替えをして、先ずは屋内の風呂に入ります。館内の様子を探る為に、階段で1階にある風呂に向かいました。

我々の部屋は最上階です、途中の階は最上階に増して、照明も暗く、内装も草臥れていました。

薄暗く、誰も居ない宴会場は不気味な静けさです。しかし、ホントに人の気配がしない宿です。


室内の風呂の脱衣場、ここにも人の気配がありません。


誰も居ない風呂、蛇口は10ヶ所ほど。ここで身体を洗ってから露天風呂に入ります。


フロントで「使用中の木札」と鍵を受け取ります。露天風呂はフロント脇のドアの奥です。

鍵を開け、ドアノブに「木札」をぶら下げ中に入ります。最初に眼に入ったのは「簾」です。外部からの視線を遮断するのでしょう。

兎に角、「露天」で、「貸し切り」で、「無料」なのです。それなりの「我慢」が必要です。

「露天風呂」とは、先ずは開放感、そして、「それなりの眺望」が求められます。でも、ここは、「それなりの眺望」は望めません。


それなりの「開放感」のみとなります。何と云っても「無料で貸し切り」ですから、眺望は我慢します。


簾の前に立って外を眺めると、直ぐ下は駐車場、その先は、人も車もあまり行き交わないメインストリート、周囲は色褪せた建物に囲まれています。

最初は女性客からの要望で、簾が取り付けられたと思っていたのですが、外を眺めた後で湯につかりながらボンヤリ考えました。

暖簾は、周囲からの「視線」を遮断するのではなく、周囲の「景観」を遮断するためでは?・・・と、思い始めました。

それでも、それなりにイイ湯です。頭の上にタオルをのせ、静かに楽しむ露天風呂、やっぱり温泉は露天風呂に限ります。

しかし、貸し切りの露天風呂に一人で入るというのは、実に寂しいと云うか、バカバカしいと云うか・・・・・・。


さぁ! 風呂から上がり、夕食です。


それでは、また明日。




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塩原の夕暮れに“夫婦湯飲み”を想う

2008年01月31日 | 旅の話し
昨日の続きです。

「湯っ歩の里」の先にある橋を渡り宿に引き返します。蔦の絡まる橋の銘板です、なかなか絵になります。昭和48年の竣工です。


橋を渡って左に折れて直ぐ、蕎麦屋さん駐車場で40代と思われる女性が、バックの中からデジカメを取りだし、対岸の「湯っ歩の里」を撮っていました。

この女性、蕎麦屋の周囲を行きつ戻りつ、何やらウロキョロとしていました。この年代での女性の一人旅、場所は塩原、かなり珍しいと思います。

遠くで、それとなく様子を探っている、50代の男もかなり珍しいです。怪しいです。


この女性、撮り終わるとバス停に向かい、時刻表を確認して何処かに消えて行きました。

それで、この蕎麦屋の「三條屋さん」なんですが、10年ほど前に配偶者と訪れた時、ガイドブックを見て、昼食はこの店で蕎麦と決めていました。


ところが、駐車場が満車の為、蕎麦は諦め「木の葉の化石館」辺りのコンビニで、サンドイッチを食べた想い出があります。元湯の元泉館に泊まった時の事です。

その時は、店の前を車で通り過ぎただけでしたが、今回、改めて、じっくりと、店の佇まい、メニューサンプル、価格を見ると、あの時ここで蕎麦を食べなかったのは正解だと思いました。


ふつうの温泉地の、ふつうの蕎麦屋でした。温泉地の食い物価格は「ふつうに高い」のです。

観光地に来ると、ふつうの人が「観光客」となり、舞い上がり、観光地価格をふつうに受け入れてしまうのです。でも、私は観光地でも価格には冷静なのです。

観光地の食べ物は、“不味い”“高い”が“ふつう”になっています。これからは、ふつうに地道に商いをして貰いたいです。

それとなんですが、写真を見ていて、アレッ? と思ったのです。サンプルが並んでいる上段の右隅に、見覚えのある「イノシシ模様」の「夫婦湯飲み」を発見。


私も、コレと似た絵柄の「夫婦湯飲み」を持っているのです。この湯飲みには「それなりの想い出」があり、間違いなく「亥年」に貰ったものです。

思い出しました。配偶者と塩原温泉に来たのは、この湯飲みを貰った年で、亥年です。

そうすると、今年は「子年」ですから、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥で、11年前だったのです。

「あの時」の、あの年に、三條屋さんのメニューサンプルの横に、この「亥年湯飲み」が飾られたのです。たぶんそうなのです。

茶箪笥の奥から引っぱり出してきました。湯飲みの感じはそっくりです。不思議な気がします。三條屋さんが「他人」とは思えなくなりました。


これは、何だか? 三條屋さんと、何か? 縁がありそうです。今度行った時には、蕎麦の一杯でも食べなければいけません。

もしかして? きっと! 「美味しい」お蕎麦屋さんかも知れません。そう思えてきました。


明かりが灯り始めた温泉街のメインストリート。11年前と同じ風景に見えてきました。



暗くならないうちに、宿に戻ります。


それでは、また明日。

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塩原は“文学温泉!?”

2008年01月30日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

“塩原温泉シリーズ”9回目になります。

高下駄の板前さんとすれ違い、狭い裏道伝いに歩いていると目の前が開け、何やら“共同温泉施設”と云った趣の建物が出現しました。

塩原温泉“湯っ歩の里”と書かれた大看板がありました。


「足湯回廊・料金200円」と有ります。何となく思い出してきました、以前、テレビで観たような気がしてきました。いろいろな形状の石が底に敷かれ、石を踏み締め、ぐるぐる回って歩く足湯です。 

足湯は各地の温泉で流行っています。たいていは町中、駅前などで「無料」で利用できる施設です。

ここは、足湯を少し規模を大きくして、「有料」の施設にしたようです。どの辺りの客層を狙っているのでしょうか?

旅館の宿泊客が「わざわざ」ここを訪れ、200円払って「ぞろぞろ歩く」ことは無いと思います。



狙いは日帰り客、それも若い層なのでしょう。年寄りは石の上を「ぞろぞろ歩き」ません。この“湯っ歩の里”は、2007年8月にオープンしたそうで、全長60㍍の足湯回廊は日本最大級だそうです。



“お湯”の中を“歩く”施設なので「湯っ歩の里」、真ん中に「っ」を入れることで、それなりの「工夫・拘り・新しさ」を表現しているのでしょう。

わたしとしては、この施設に魅力は感じませんでした。塩原温泉観光協会としては、かなりの決断で、かなり資金を投入したのでしょう。

しかしです。この施設があるからと云って、塩原温泉に行ってみたいと思う人はいるのでしょうか? まぁ、あまり居ないでしょうねェ。

兎に角、塩原温泉を楽しまなければと思いつつ、辺りを眺めると見つけました。室生犀星です。


      塩原道    室生犀星

     秋ふかき塩原道を
     わたしの自動車はひた走りつつ
     いつしか暗みゆき
     はや日暮となりけり

     落葉ふみしき
     山の上に漏るるともし火を見過して
     水のひぴきに縫い込まれてゆく
     わが自動車の肌も夜つゆに湿りたり

     みやこにて夜昼となき
     わがわびしき作のつかれを
     こころゆくまで
     温泉につかり心しづめん


室生犀星さん、仕事に疲れて東京から車に乗って、温泉につかりにきたようです。名前は知っていますが、彼の事はほとんど知りません、むかし学校の教科書で習ったような・・・・・・そんな程度です。

『・・・水のひぴきに縫い込まれてゆく・・・』このあたりの表現が、文学ですねェ。


「龍化の滝」にあった「与謝野晶子の碑」、そして、「室生犀星の碑」、塩原は「文学の温泉」として、「企て」があるようです。



『はや日暮れとなり』ぼんやり灯った明かり、風に漂う秋桜・・・・・・、うーん。この風景、かなり「文学」しています。


「湯っ歩の里」のサイトを見たのですが、温泉だけで「文学」がありません、この施設に、もう少し「文学」があればと思います。


温泉と文学の組み合わせ、面白いと思います。温泉だけではなく、文学があると、「一粒で二度美味しい」気分になります。

おじさん、おばさん達は「得した」気分になるのです。すこしだけ「お利口」になった気分になるのです。

温泉につかって、文学する、いいと思います。

塩原には、まだ文学が有りそうです。

そろそろ宿に戻ることにします。


それでは、また明日。



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塩原温泉を漂い高下駄を鳴らし足早に歩く板前に温泉街の情緒を感じたりして

2008年01月28日 | 旅の話し
金曜日の続きです。

夕食まで時間もあります、暗くならないうちに温泉街を歩きます。旅館の前から狭い路地を抜け、部屋から確認していた橋を渡ります。

路地で出会った白猫、「ニャーオ!」といつものように声を掛けたのですが、ゆっくりと立ち上がり、顔を背けて無言で立ち去りました。愛想の無い奴です。


橋の中ほどで振り返ると、宿の最上階だけが見えます。我々の部屋は右から3番目カーテンの開いている処です。

こうして見ると、川側よりも、山側の方が景色としては良いと思われます。但し、部屋に朝日が射し込む事は無くなりますけどね。

それにしても、寂れた病院か校舎の様に見えます。温泉街の隅々に寂れ感が漂います。


対岸には、昔ながらの懐かしい造りの温泉旅館が有ります。ここは、味わいのある寂れ感です。


懐かしい旅館から、視線を右に回すと、こんな景色になります。


渓流を跨ぐ連絡通路。ホテルニュー塩原の新館と旧館を繋いでいます。通路の真ん中で、2~3人がジャンプすると、かなりの揺れそうです。

4~5人でジャンプすれば崩壊? それは無い! 筈?です。

団体旅行が減り、高齢化が進み、大きな温泉ホテルは大変です。これからは、中国、台湾、韓国からの旅行客を狙うのでしょうかね。余計なお世話でした。

下から見上げると、かなり華奢な造りに見えます。多分、業務用の連絡通路かも知れません。新館と旧館を行き来する必要性は、泊まり客には無い筈です。

橋を渡り、懐かしい旅館の前を通ります。ローピーを覗くと照明も明るく、それなりの調度品が飾られ、従業員、泊まり客の姿もあり、温泉旅館らしい華やか雰囲気がありました。

我が宿の寂しさが、寄り華やいだ光景に感じさせたのかも知れません。玄関を通り過ぎた処で、勝手口より現れた白衣の「若い板前さん」とすれ違いました。

温泉旅館街の狭い路地を、高下駄を鳴らして足早に歩く白衣の板前、なかなかの情緒です。

粋です、カッコイイです、絵になります、憧れます、写真を撮るのを忘れていました。



今日はこの辺でお終いです。


それでは、また明日。





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