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歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

④ 福島岳温泉はやっぱりきびしい?

2011年12月09日 | 旅の話し
昨日の続きになります。

岳温泉の坂道を歩いています。この時、この写真を撮ったのが15時37分です。それで、初回にお話したように、ここには5年前に来ているのです。


それで、調べてみたら、何と、なんと、驚くことに、5年前に来たのも、10月の19日だったのです。何たる偶然! それで、この写真はその時撮った、15時35分の風景です。


こちらは坂の上から撮ったものですが、街灯に灯が点り始め、とてもやわらかな風景に見えるのです。5年前ですから、“安達屋さん”も、“松渓苑さん”も、皆さん、営業中だったのです。ホントに、あの時は、まさか!こんな事に!なるとは!なのです。

いろいろ厳しい風景を眼にして、いろいろな事に想いを馳せつつ宿に戻ったのでした。

部屋に帰って、風呂に入るには早いと思いテレビを点けてみたら、


左側に「放射線量測定値」の大きな文字、下には、各地の測定値がテロップで流れていくのでした。地元の福島放送では、こういう状況なのです。常時緊急放送のスタイルが、“あれから”ずっと続いているようです。

郡山の市役所は、なんと、なんと、“0.98μs”です。浜通り、中通り、は高いのです。岳温泉も中通りですが、0.20前後と聞いています、それでも、測定場所でかなりの上下があるので、それなりには心配なのです。


“0.98”の中で暮らしていくのは、相当なストレスだと思います。双葉町は何と“14.21”ここは避難区域です。


それにしても、こんな数値を見ながら、グルメ番組を見るのは、かなりの異常な事態ですが、“あれからずっと”異常事態が続いて、福島放送では、これがフツウの状態になってしまったようです。

いまは、ホントに、ホントに、とても、とても、異常な事態なのです。

そんな状況で、温泉に入ってのんびりは、何か、かなり、後ろめたいと云うか、こんな時に、こんな処で、こんな事をしていてイイの?なのですが、兎に角、それなりの“復興支援”なのです。

母は、“何かしないとわるいから”と、部屋に案内をしてくれた仲居さんに“2千円 ”を包んだのでした。でも、これに対しては、帰りの料金精算の時に、心付けのお礼として宿から、お土産に“地酒”を頂いてしまいました。

それで、前回の松渓苑の話しでも、震災で風呂も部屋も、壁や天井が、崩れ、剥がれ、大変な被害で廃業したのですが、こちらの宿も、“改修・修復・補強工事”で大変だったようで、6月から再開したそうです。

それで、来た時には気付かなかったのですが、窓から入る光の変化で、壁に奇妙な走る“シワ”が浮き上がってきたのを発見。


手で触って撫でてみると、壁にヒビが入っていてその上から壁紙が貼ってあるのでした。シワはヒビ割れなのです。地震の爪痕なのでした。“そうか、そうか、ここも大変だったのか”と思いつつも、“ヒビ割れに紙を貼っただけで強度的には大丈夫なのか?”とも思ったのです。

宿泊中に震度2程度の地震が3回ほど発生しましたが、特に問題は有りませんでした。震度2程度ですからね。

それから大浴場に、


それから露天プロに、


ほぼ、貸し切り状態でした。

そして、夕食は、


こんな処で、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


こんなものとか、


ひととおり、“温泉旅館料理”を頂いて、それなりに母も私も、満足、満足で、ご馳走様なのでした。

実は、何を隠そう、今回の宿泊料金は“特別割引料金”なのです。茨城県と宮城県と岩手県に居住する人々に適用されるのです。地元福島県の方は“超特別割引料金”になっています。

それで、割引料金での宿泊は、“料理の品数が少なくなります”との、但し書きがあるのです。それは承知の宿泊です。

食事中、他のテーブルをそれとなく、配善時とか、帰り際とかに、素早くチェックしたのですが、品数だけでなく、材料にも差がありまた。でも、それは、それで、仕方がないことですし、それでも、十分満足でした。兎に角、少しでも“支援”なのです。

因みに、一般料金が“1万2千円”ほどですが、特別割引では“8千4百円”なのです。でも、今日調べたら、最近は居住地域に関係無く“9千百五十円”の期間限定割引(料理の内容は一般料金と同一)キャンペーンをやっていました。

これは、きっと、かなり、宿泊客が少なく、客室20室の旅館ですが、かなり経営が厳しいのかも知れません。12月を越せば雪が積りスキー客が増え、一息つけるのでしょうか? でも、近所にスキー場はあったけ?


兎に角、福島は、いろいろ厳しい、冬の季節に入ります。


皆さん、期間限定割引を利用して、福島県岳温泉に行きましょう。

※詳しくは、「岳温泉観光協会」のホームページを見て下さい。

http://www.dakeonsen.or.jp/cgi-bin/dakeonsen/news.cgi?id=127


それでは、また次回。





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③ 福島岳温泉は静かで落ち着いた温泉地

2011年12月08日 | 旅の話し
約一週間ぶり、兎に角、岳温泉シリーズです。

それで、温泉街の入り口に立ち、これより坂道を登ります。平日の夕方、ホントに誰も歩いて居ないんです。

ひなびた温泉には、それなりの“風情と趣”がありますが、寂れつつある温泉には、何とも、言い難い、“静寂とうらぶれ感”が漂うのです。


私としては、こういう風景が好きなのですが、温泉街の入り口にこれは、やっぱり一般的にはチョットねェ~です。ここはベニヤ板で目隠しをして、観光ポスターの掲示板とか案内板にした方が、兎に角、見栄えが良いと思います。


こちらは、温泉街で一番規模の大きかった?と思われる閉鎖したホテル、後で泊まった旅館で聴いたところ、こちらは震災前に閉鎖されたとの事。中心部にありよく目立ちます。


こちらも、かなりの規模の“ホテル安達屋”こちらも、震災前の2009年の倒産だそうです。


負債総額は約16億円で、従業員23人を解雇したそうです。明治36年創業の老舗旅館で岳温泉の中でも知名度が高かったそうです。

昭和59年に本館、平成2年には約5億円を投じ新館を建設、客室数は56室、300人収容の旅館だったそうです。大きいところから、団体客相手から、順番に潰れていくのです。

それにしても、平成2年と云えば1990年でバブルの頂点でした。この時の新規投資が命を縮めたようです。先を読むのはムズカシイものです。

こちらは、


和風旅館の“松渓苑(しょうけいえん)”


近づいてみると、玄関に一枚の貼り紙が、


こちらは、今回の震災で閉鎖されたようです。株式会社“佐藤旅館”が“松渓苑”を経営しているようです。

105年続く老舗旅館で、経営者の方は震災前は「岳温泉観光協会」の会長さんだったようです。大地震で大浴場や露天風呂など九つの風呂がすべて壊れたそうです。

風呂以外にも客室の天井が落ち壁も崩れ、修繕費は約3500万円ぐらい必要だったそうですが、震災前からの負債が約7億円もあり、銀行としても、今般の“いろいろな事情”を考慮し、貸し付け不可との結論を下したらしいのです。

社長が58歳で、妻の“元女将”が56歳で、若女将が26歳で、これからも、まだまだ、十分に、やっていけそうに思えるのですが、銀行としては、岳温泉の将来は明るく無いと判断したのでしょう。

そんな、こんなで、“松渓苑”は震災の“12日後”に廃業を決定したそうです。それにしても、四代目社長の何とも、素早い決断でした。“ある事情通”はあきらめが早すぎたと嘆いているそうです。

いろいろ大変な岳温泉に、ほんの少し応援にと思って来たのですが、かなり状況は厳しいようです。不況で少子高齢化で人口減少の時代、個人客相手の小さな旅館だけが生き残るのでしょう。

団体客のバカ騒ぎの大宴会時代は終わり、ストリップ小屋も、大きなホテル・旅館も消えて、個人客を相手に、静かで落ち着いた温泉地として、岳温泉は、これからも続いて行くのでしょう。

今日は、これで、寂しく、終わります。


それでは、次回。


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② 福島岳温泉“ソースカツ丼”と“煮込みカツ丼”どっちがフツウ?

2011年12月02日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

夕食前、温泉街の偵察に出発します。岳温泉は、そこそこの坂道の両側に旅館街が形成されています。道の真ん中を流れる渓流的水路が、なかなかケッコウなのです。我々の宿はほぼ坂の途中に位置しています。


先ずは坂を下ります。観光客の影も、店の人の影も、気配もない温泉街のお土産屋さんです。


ひょいと見上げると、“岳観光劇場”の看板。これは温泉地の定番である“ストリップ劇場”に間違いないと踏んだのです。看板下の路地に入ります。


日が沈む前、人影のない温泉街のストリップ小屋。これは、もう、うらぶれ感漂う演歌の世界と、期待に胸膨らませ路地を進み、キョロキョロ歩いたのですが、それらしき建物も、それらしき痕跡も、発見できませんでした。


この温泉街では、もうストリップ小屋は経営的に成り立たなくなったのです。団体客が少ないのです、むかしは盛んだった企業の慰安旅行には、なくてはならない施設でした。でも、しかし、家族連れの観光客には必要のない施設です。

そんな、こんなを考えながら歩いていると、なかなかの枝ぶりで、なかなかの老木の下に“居酒屋庄助さん”です。


でも、ねぇ、この“アルコール管理局”の看板。面白くもなく、可笑しくもなく、洒落になっていません。


“アルコール管理局”ですかァ?何だかなァ~と思いつつ、温泉街の入り口に出ました。丁字路の交差点になっています。左手は食堂。 


突き当たりは共同浴場です。何やら、爺ちゃんと婆ちゃんが入り口で世間話しをしているようです。


右手には、人っ子ひとり居ない“福島交通岳温泉駅”です。駅と云うよりも、バスの発着場です。“駅”と云う文字に、繁盛した時代の名残を感じてしまいます。


それで、左手の食堂ですが“旨い・ソースかつ丼”の垂れ幕。こちらでは、かつ丼と云えばソースかつ丼が主流のようです。“昭和三十年から変わらぬ味”とか“元祖”とか書いてあります。ナメコ汁にお新香が付いて、ロースが950円、ヒレが1000円とあります。

因みに、新潟でふつうに“かつ丼”と云えば“タレかつ丼”になります。この店ではわざわざ“ソースかつ丼”と表記しているところをみると、この地域でもソースかつ丼はそれほど普及していないのでしょう。

向かいの“多夢炉”では、メニューに“煮込みかつ丼”となっています。ソースかつ丼は扱っていないのです。それと、わざわざ“煮込み”と入れた処に、ソースかつ丼への対抗を意識を感じます。ソースの方は“成駒さん”一軒で頑張っているようです。


それと、成駒屋さんの壁には、こんな貼り紙がありました。


栃木県警の方々が利用されるようです。派遣部隊とは自衛隊のこと? 皆さん、こちらで英気を養い、再び災害現場に向かうのでしょう。ご苦労様です。

これから、上に向かって温泉街を端から端まで隈無く偵察します。


本日はここまで。


それでは、また次回。

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① 福島県の岳温泉に行って来ました。

2011年11月30日 | 旅の話し
タイトルに“福島県の岳温泉に行って来ました”と書いたのですがァ~、なんせ、行ったのが10月の20日ですから、あれからもう、かれこれ一ヶ月以上も歳月は流れているのです。

それでも、写真を見直し、思いを呼び覚まし、時を引き戻し、あの時、あの場所で、見たこと、感じたことを、あたかも、昨日のこと?のように、綴ってみたいと思うのであります。

それで、何故?福島?で、何故?岳温泉?と云えば、思い起こせば4年前の秋、連れ合いと二人で岳温泉を訪れているのです。その時から、母が、私も、いつか、きっと、行きたいと云っていたのです。(※その時の話しは2007年10月23日から11月13日まで19回のシリーズ綴っています)

行きたい、行ってみたいと、早、4年の歳月が流れ、そして、今年、東日本大震災で東電福島第一原発の原子炉爆発で放射能汚染です。

岳温泉付近の放射線量は“0.2マイクロシーベルト”前後で推移、我が家の周囲とそれほど差はありません。それでも母は“福島は・・・ちょっと・・・大丈夫?・・・”と、ちょっと気の進まぬ母に、兎に角、行くことで、それなりに、東北の、福島の、復興支援になるのだと説得し、今回、旅に出掛けたのです。

東北道は所々で復旧工事で車線規制があり、一番渋滞したのは、目的地の二本松インターの手前で、渋滞と云うよりも何度も、何度も、流れが止まり、尺取り虫状態でした。


こちらは急ぐ旅ではなく、旅館のチェックイン時間にかなり早かったので、丁度いい時間調整でした。

予定どうり、3時5分前に旅館到着。


こちらは、ご夫婦でハーレーに跨がり温泉旅行。50代とお見受けしました。イイですねェ~。


なかなかイイ感じです。


玄関前の太鼓橋、これも、イイです。


でも、しかし、このフロントの、土足を脱いで、畳敷き、そして、カーペットのフロアー、この畳敷きの狭い出っ張りの意味が判らん! 年寄りには邪魔くさい!


チェックインはこちらに座って記入。


高齢者が居ると云っておいたので、エレベーター前の部屋でした。部屋数は20室の旅館。


部屋は一応二間です。この小さい2畳ほどの部屋はどう使うの?


布団は敷かれていました。寝具は、さっぱりと綺麗で清潔で合格。


時間も早く、わたくしは、おふくろを部屋に残し、温泉街の偵察に出発します。


偵察の報告は次回とします。


それでは、また。


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福島・新潟に行って来ました。

2011年10月31日 | 旅の話し
先週と先々週は、月曜日と水曜日の週二回の更新でした。

実は、実は、先々週は水・木で福島県の岳温泉で湯に浸かり、


高原をドライブし、


朝霧の中で煙る紅葉を眺めたりしたのです。



そして、先週は金・土で新潟県は、新潟市内を歩いたり、



早朝、萬代橋を渡ったり、


信濃川沿い遊歩道を河口に向かって、歩いたりしたのでした。


まあ、今朝も、まだ、それなりに、旅の疲れが残っておりまして、“都心歩きシリーズ”はお休みです。

福島の話し、新潟の話し、いろいろあるのですが、“都心歩きシリーズ”も、まだ、道半ば、しっかり、きっちり、片付けてから、綴って行きたいと思います。

それにしても、“岳温泉”はかなり心配です。地震と“原発事件”が最後の“とどめを刺して”しまったような・・・・・・。

それと、新潟ですが、それが、予想外に、とても、とても、素敵な街でした。さすがに、日本海側で最大の都市であり、日本海側で唯一の“政令指定都市”は、伊達ではなかったのでした。

まあ、そんな、こんなは、そのうちに綴りたいと思うのです。

それと、今週末は人間ドックです。


それでは、次回。









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十和田湖あたり

2011年08月05日 | 旅の話し
十和田湖あたりです。

































十和田湖あたりでした。


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白川郷あたり

2011年07月21日 | 旅の話し































白川郷でした。


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大洗港あたり

2011年07月18日 | 旅の話し




























大洗港あたり、でした。

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長野別所温泉あたり

2010年11月18日 | 旅の話し






























美味しかった!


本日は写真だけです。


それでは、また明日。


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那須の温泉で米寿のお祝い⑤ -大好き!ソフトクリーム- 

2010年04月09日 | 旅の話し
昨日の続きです。

タップリ、イッパイ、美味しい料理を食べ、露天風呂に浸かり、のんびり、ゆったり、テレビをみたり、焼酎を飲んだり、湯上がりに“三ツ矢サイダー”を飲んだり、そして、温泉宿の夜が更けたのでした。

翌朝、6時頃より起き出して朝風呂です。近くの林から、ウグイスの鳴き声が聞こえて来ます。まぁ、我が家の風呂でも、ウグイスは聞こえるのですが、やはり、温泉宿の露天風呂で聞くウグイスは、それなりに“本格的な囀り”に聞こえ、格別の風情なのです。

それで、温泉なのですが、透明で硫黄の匂いもなく、普通の湯に見えるのですが、湯から上がった後で、肌はスベスベ、身体がポカポカしてくるのです。

それと、風呂上がり身体のあちこちが痒くなる持病の母が、痒みもなく昨日の晩は良く眠れたと云ってました。皮膚病に効くのかも? そういえば、泉質の説明は何処に表示してありませんでした。でも、しかし、イイ湯でした。

8時です。さぁ、朝ご飯です。


このフランクフルトソーセージは旨かった。母もペロリと完食でした。サラダもタップリ。


朝は、何と云っても、塩鮭に、納豆に、梅干しに、お新香です。それに、イクラおろし、海苔の佃煮、。


それから、辛子がトッピングされた“よく判らない豆腐”に、ヒジキの煮物に、カボチャです。女性陣にヒジキが好評でした。わたくしとしては、“変な豆腐”よりも温泉宿の朝は、やっぱり、温泉タマゴが食べたかったです。


食後のコーヒー、美味しかったです。コーヒーカップがよかったァ。


食事を済ませ、部屋に戻り、宿でもらった付近の地図付きのパンフレットを見ながら、本日の観光を考えたのです。今回、特に2日目はまったく白紙でした。母のことを考えると、車から景色を眺めるドライブが良いとは思っていたのです。

宿は10時過ぎ頃にチェックアウトする予定でしたが、外は青空で風も無く、母も早く外に出たい様子なので、9時過ぎに宿を出発。

それで、チョット内緒の話なのですが、この奥のレクサスですが、品川ナンバーでェ~、チョット怪し~い雰囲気を、辺りに漂わせているのです。


何が怪し~い、かと云えば、品川ナンバーで、高級車レクサスで、朝食を部屋に運ばせているのです。ここは、そんなサービスは普通はやらない筈なのです。他の客と絶対に顔を合わせたくないのです。これは、きっと、それなりの“演歌歌手”がお忍びで、若い女性を連れて遊びに来ているのです。

観光地という非日常的な空間に身を置いて、頭の中が芸能週刊誌化してしまったようです。母はわたしの妄想を聞いて、“エッ! それホントかい!” “いや、冗談”と云いましたが、でも、かなり、その可能性が・・・・・・・。

この宿、客は1日3組だけですし、他の客と顔を合わせずに宿泊できるので、芸能人がお忍びで来るとの噂があるのです。まぁ、そんなことは、どうでもイイのですけが、それとなく、何となく、気にはなります。

それで、ドライブの方ですが、那須連山の中腹を廻るコースに決定。山には雪が残っています。スキーのコースが3本見えます。あのスキー場で孫は十数年前に腕を骨折しているのでした。


山道に入ると道の両側には雪が残っていました。外は寒く、雲が掛かり下界の眺望は、雲間から、時々、微かに、覗く程度、残念でした。


硫黄の匂い漂う、日光国立公園、史跡“殺生石”だそうです。ここも、寒かった。


麓に下りて、孫が時々来ると云う、お肉屋さんとレストランが併設されたところで、


おみやげに冷凍の“ハンバーグ”と“メンチカツ”を買いました。


そして、母が旅行をすると、必ず食べる“ソフトクリーム”を目指し、観光牧場に向かったのです。


ミルク感タップリで美味しかったです。母も満足していました。


那須インターから東北道に入ったのが12時ちょっと前。朝食が8時で、普段よりも多く食べたので、全員それほどお腹が空いていないので、岩間インターの側の、蕎麦屋で、昼食することにしたのです。

岩間の蕎麦屋に着いたのが2時過ぎ、それで、この蕎麦屋ですが、10年ほど前に、話をしていて高速を下りるのを忘れた時に、偶然見つけて入った店なのです。

あれから、4、5回は来ていると思うのですが、前回来たのは3、4年前でした。そして、今回、いつもの“大根そば”を注文したのですが、そばが茹ですぎで“グニャグニャ”で、水切りも悪く“ベチャベチャ”で、もう、ホントにダメでした。

店の内装は以前よりも小綺麗になり、メニューは、カラフルでファミレス風になり、何とかセットが増えて、肝心のそばの味の方は、とても、とても、以前とは大違い。もう、これで終わりです。

旅の最後に、ホントに残念でした。

でも、天気に恵まれ、静かな温泉宿で、身体ポカポカ、肌スベスベの露天風呂にのんびり浸かり、孫からプレゼントを貰い、美味しいソフトクリームを食べた“米寿のお祝い旅行”

母は大満足でした。ヨカッタ。ヨカッタ。


それでは、また来週。


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