“新潟旅行話し”の第1回目から一週間が経ってしまいました。この間、いろいろとあってブログを更新するのが、チョットばかし気乗りしなかったのです。
でも、やっと、そろそろ気分もそれなりに回復して来たのです。更新しても、しなくても、アクセス数にはあまり変化が無いのも、チョットばかし何なんですがね。
昨日は、何故か?“阿部定事件”関連の記事に“125件”のアクセスがありました。いったいどうして?と、思ったら、巷では 「男性・全裸・遺体・陰部・切断」事件があったようで、その関連でアクセスがあったようです。
これで犯人が“妖婦”であったなら、これは、もう、まさに、平成の「阿部定事件」です。あの頃から“恐慌で軍国主義で戦争”の時代に、世界が、日本が、差し掛かったのでした。
歴史はくり返すと云いますが、何か、とても、見た目では世相が似ているような、似ていないような・・・・・・・。
話しが、かなり、かなり、暗く、猟奇的な方向に走ってしまいました。話しを新潟に引き戻します。
それで、磐越道をひた走り、日本列島の背骨をトンネルの連続で横断し、ようやく新潟平野に入ったのです。視界は開け目の前には平らな大地が広がっているのです。
この間、暫く、写真を撮るのを忘れていたのです。ですから、お見せする写真は残念ながら一枚も有りません。
“新潟中央IC”に近づくにつれ、右前方2時の方角あたりに、異様に大きなドーム状の建物が眼に入ってきました。きっと、アレは野球場ではなくサッカー場かも、と二人で話したのですが、面倒で未だに確認はしていません。
兎に角、新潟中央で降り、そのまま直進して、高層ビルの“新潟県庁”の交叉点を右折して市内に向かいます。このあたりの位置情報はそれなりに、事前調査で頭に入っているのです。
市内に入りました。前を走る車は、当然、新潟ナンバー、ここは間違いなく新潟市です。“新潟市内を歩いて見たい”との想いを抱いてから、はや一年と数ヶ月、とうとう、遂に、新潟市内に脚を、車を、踏み入れたのです。
右手には“東警察署”の建物が、それにしても、“新潟東警察署”ではなく、正式にも単に“東警察署”なの?
市内に入ったのが四時ちょっと過ぎで夕方です。そこで、“夕方と云えば!そうだァ!夕陽だァ!”と閃いたのです。日本海側に来たならば、これは、もう、日本海に沈む夕陽を見なければ、話しにならないのです。
旅の予定には、何故か、まったく“日本海に沈む夕陽”は入っていませんでした。兎に角、夕陽を見なければと、海岸に向かったのです。
“萬代橋”を渡って海岸に向かう事にしたのですが、曲がり損ねて、次の通りまで行き、“柳都大橋”を渡って海岸に向かいました。
橋を渡り真っ直ぐ行けば海岸に出ると思ったら、かなり、くねくねした、あまり広くない道を、あっちに曲がり、こっちに曲がりして、やっとこ、さっとこ海岸通りに出ると、目の前には丁度良い具合に駐車場があったのです。
これは、もう、水平線に沈む夕陽を見るための絶景ポイントになっております。何故か、新潟ナンバーの車が多く眼に付くのでした。地元の人でも沈む夕陽を見に来るのです。
海岸から真っ直ぐ、海の彼方の水平線に、陽が沈むと思っていたのですが、かなり陸地よりに、海岸よりに、夕陽は沈んで行くのです。
夕陽を見ていると、何故か、何だか、夕陽に向かって“叫びたい”衝動に駆られたのですが、隣に居る連れを見て、その衝動を抑え込んだのでした。
ホントに、ホントに、美しかった! 眩しかった!ロマンチックだった! ホントに予定外の感動でした。
ヨカッタ!綺麗だった!と、二人で感動しつつ、今夜の宿に向かったのです。来た時とは違うルートで、私の“動物的勘”だけを頼りに、狭い道を、一方通行の道を、くねくね道を、いろいろ通って、間違うこともなく、たぶん最短距離で宿に到着したのでした。
宿は、“東横イン新潟古町”です。
それで、車を駐車タワーに入れて、チェックインして、ドアーを開けて、それからが、“ちょっと”だったのです。
続きは、次回とします。
それでは、また。
でも、やっと、そろそろ気分もそれなりに回復して来たのです。更新しても、しなくても、アクセス数にはあまり変化が無いのも、チョットばかし何なんですがね。
昨日は、何故か?“阿部定事件”関連の記事に“125件”のアクセスがありました。いったいどうして?と、思ったら、巷では 「男性・全裸・遺体・陰部・切断」事件があったようで、その関連でアクセスがあったようです。
これで犯人が“妖婦”であったなら、これは、もう、まさに、平成の「阿部定事件」です。あの頃から“恐慌で軍国主義で戦争”の時代に、世界が、日本が、差し掛かったのでした。
歴史はくり返すと云いますが、何か、とても、見た目では世相が似ているような、似ていないような・・・・・・・。
話しが、かなり、かなり、暗く、猟奇的な方向に走ってしまいました。話しを新潟に引き戻します。
それで、磐越道をひた走り、日本列島の背骨をトンネルの連続で横断し、ようやく新潟平野に入ったのです。視界は開け目の前には平らな大地が広がっているのです。
この間、暫く、写真を撮るのを忘れていたのです。ですから、お見せする写真は残念ながら一枚も有りません。
“新潟中央IC”に近づくにつれ、右前方2時の方角あたりに、異様に大きなドーム状の建物が眼に入ってきました。きっと、アレは野球場ではなくサッカー場かも、と二人で話したのですが、面倒で未だに確認はしていません。
兎に角、新潟中央で降り、そのまま直進して、高層ビルの“新潟県庁”の交叉点を右折して市内に向かいます。このあたりの位置情報はそれなりに、事前調査で頭に入っているのです。
市内に入りました。前を走る車は、当然、新潟ナンバー、ここは間違いなく新潟市です。“新潟市内を歩いて見たい”との想いを抱いてから、はや一年と数ヶ月、とうとう、遂に、新潟市内に脚を、車を、踏み入れたのです。
右手には“東警察署”の建物が、それにしても、“新潟東警察署”ではなく、正式にも単に“東警察署”なの?
市内に入ったのが四時ちょっと過ぎで夕方です。そこで、“夕方と云えば!そうだァ!夕陽だァ!”と閃いたのです。日本海側に来たならば、これは、もう、日本海に沈む夕陽を見なければ、話しにならないのです。
旅の予定には、何故か、まったく“日本海に沈む夕陽”は入っていませんでした。兎に角、夕陽を見なければと、海岸に向かったのです。
“萬代橋”を渡って海岸に向かう事にしたのですが、曲がり損ねて、次の通りまで行き、“柳都大橋”を渡って海岸に向かいました。
橋を渡り真っ直ぐ行けば海岸に出ると思ったら、かなり、くねくねした、あまり広くない道を、あっちに曲がり、こっちに曲がりして、やっとこ、さっとこ海岸通りに出ると、目の前には丁度良い具合に駐車場があったのです。
これは、もう、水平線に沈む夕陽を見るための絶景ポイントになっております。何故か、新潟ナンバーの車が多く眼に付くのでした。地元の人でも沈む夕陽を見に来るのです。
海岸から真っ直ぐ、海の彼方の水平線に、陽が沈むと思っていたのですが、かなり陸地よりに、海岸よりに、夕陽は沈んで行くのです。
夕陽を見ていると、何故か、何だか、夕陽に向かって“叫びたい”衝動に駆られたのですが、隣に居る連れを見て、その衝動を抑え込んだのでした。
ホントに、ホントに、美しかった! 眩しかった!ロマンチックだった! ホントに予定外の感動でした。
ヨカッタ!綺麗だった!と、二人で感動しつつ、今夜の宿に向かったのです。来た時とは違うルートで、私の“動物的勘”だけを頼りに、狭い道を、一方通行の道を、くねくね道を、いろいろ通って、間違うこともなく、たぶん最短距離で宿に到着したのでした。
宿は、“東横イン新潟古町”です。
それで、車を駐車タワーに入れて、チェックインして、ドアーを開けて、それからが、“ちょっと”だったのです。
続きは、次回とします。
それでは、また。