(原題:2046)2004年作品。1967年の香港で、トニー・レオン扮する作家が執筆している“2046年を舞台にした小説”の内容と、書き手自身の運命とが交錯していくという設定の、ウォン・カーウァイ監督作品。
トニー・レオンのような渋い二枚目が自己の女性遍歴について延々と悩むなんてのは、まあそれなりに絵になることは確かだ。しかし、それはせいぜい1時間が限度である。2時間過ぎても同じポーズのまんまだったら、いい加減怒りたくなる。いかに周囲に魅力的な女優陣を“配備”していようと、許してやらない(笑)。
ウォン・カーウァイは、豪華なキャストを並べて、思わせぶりなストーリーを語っていれば“映画”になると思っているのだろう。その手法が通用したのは「天使の涙」ぐらいまでだ。製作発表から公開までこれほどの長い時間が経ったのは、各俳優の“露出度”の調整のためだと勘ぐりたくもなる。
ちなみに本作はカンヌで上映されたヴァージョンより木村拓哉の出番が増えているらしいが、筋書きの芸のなさを無視してキャストの出演時間だけを差し替えるとは、何とも不粋な話だ。カンヌで賞にかすりもしなかったことを考え合わせても、ウォン・カーウァイの時代はこの時点で一応終わったと言える(それに気が付いていないのは本人だけだ)。
演技については、チャン・ツィイーの頑張りが目立つ程度で、あとは特段言及することはない。
トニー・レオンのような渋い二枚目が自己の女性遍歴について延々と悩むなんてのは、まあそれなりに絵になることは確かだ。しかし、それはせいぜい1時間が限度である。2時間過ぎても同じポーズのまんまだったら、いい加減怒りたくなる。いかに周囲に魅力的な女優陣を“配備”していようと、許してやらない(笑)。
ウォン・カーウァイは、豪華なキャストを並べて、思わせぶりなストーリーを語っていれば“映画”になると思っているのだろう。その手法が通用したのは「天使の涙」ぐらいまでだ。製作発表から公開までこれほどの長い時間が経ったのは、各俳優の“露出度”の調整のためだと勘ぐりたくもなる。
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