元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ヘルプ 心がつなぐストーリー」

2012-04-14 06:49:47 | 映画の感想(は行)

 (原題:The Help)設定は幾分図式的ながら、感銘度は高い。巧妙な作劇と各キャストの好演、確かなディテールの積み上げにより、間違いなく本年度を代表する秀作に仕上げられている。しかも、社会的な題材を扱いながらタッチは柔らかく、大向こうを唸らせようとする不必要なケレンもない。好ポジションでドラマをコントロールする、作者の冷静な姿勢が印象的なシャシンだ。

 60年代前半、公民権法が制定される直前のミシシッピ州が舞台。大学を卒業して故郷に戻った作家志望のスキーターは、地元の新聞社に就職すると同時に黒人に対する差別を題材にしたルポルタージュを掲載しようと考える。彼女が取材相手に選んだのが、黒人のメイド達だ。しかし、保守的な土地柄ゆえに誰も応じてくれない。

 そんな時、同級生のボス的存在であるヒリーの家のメイドであるミニーが不当解雇されたことから、ミニーの友人エイビリーンが取材に応じてくれることになる。それがきっかけになり、町内のメイド達が次々と本音を披露するようになる。こうして仕上げられた原稿は単行本として出版され、センセーションを巻き起こすのだが・・・・。

 おそらくは北部の大学に籍を置いていたためにリベラルな気風の影響を受けた若い女が、久々に戻った故郷の閉鎖的な空気に疑問を持ち、黒人達の窮乏を“白人の立場から”訴えるという設定は、多分に“進歩的な白人層の独善”として指弾される可能性を内在している。しかし、本作の図式はそんな批判を甘んじて受けるほど脆弱なものではない。

 スキーターの家で長年働いていたメイドが彼女が不在だった間に解雇され、家庭内に屈託感が充満していること。白人の間にも確固としたヒエラルキーがあり、その状況に苦しんでいる者も存在すること。さらには、黒人達もプライベートでは(白人層との軋轢とは別に)いろいろな問題を抱え込んでいること。それら数々のモチーフを重層的に組み立てることにより、ドラマツルギーに剛性感が付与されている。しかも、語り口はあくまでソフトで軽やかだ。

 テイト・テイラーの演出は実にスムーズ。けっこう長い上映時間を飽きさせずに見せきる。エマ・ストーンやヴィオラ・デイヴィス、ブライス・ダラス・ハワード、シシー・スペーセク等、演技陣はかなり健闘している。中でも、下層階級の出身で皆から爪弾きにされている白人女を演じたジェシカ・チャステインのパフォーマンスには泣けてきた。派手な言動で誤解されやすいが、心の中は誰よりも善良で、結果的にミニー達を助けてくれるという複雑なキャラクターを見事に実体化させていた。

 スティーブン・ゴールドブラットのカメラによるアメリカ南部の美しい風景と、トーマス・ニューマンの絶妙な音楽、そして黒人メイド達が作るおいしそうな南部料理も映画を盛り上げる。

 それにしても、ほんの50年前には斯様に理不尽な差別が、一応は先進国とされるアメリカで罷り通っていたことは改めて驚かされる。何しろメイドに専用のトイレまで作って隔離し、それを“彼女達のためだ”と本気で思っている白人が大勢いたのだから、どこぞのカルト集団と似たようなものだ(爆)。アメリカは今でも“原理主義者”がデカい顔をしている国柄であり、我々もそれを見越した上で対応すべきであろう。
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「一度でいいからキスしたい」

2012-04-13 06:33:13 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Aku Ingin Menciummu Sekali Saja )2002年作品。一般公開はされておらず、私は2004年のアジアフォーカス福岡映画祭で観ている。70年代にインドネシアで起こった独立運動リーダーの暗殺事件を扱ったガリン・ヌグロホ監督作。

 開巻してフィルム撮りではなくビデオ作品であることが分かってガッカリしたが、中身は濃い。年上の女性(暗殺された運動家の娘)に対して淡い想いを抱く15歳の少年のエピソードを中心にストーリーが進むため、題材のわりには映画自体が重くならない。また、それによってテーマの重大性(市民生活のすぐ隣に権力による抑圧が存在すること)をスムーズに伝えることに成功している。

 伝統芸能の指導をしている少年の父が登場する寓話的なシークエンスと、実際のニュース映像とを組み合わせることにより、舞台になったパプア州の現状をより具体的に提示するテクニックもかなりのものだ。それと興味深いのはその土地の風習。主な出演者を実際のパプアの人々が演じていることは、ここでは効果的である。民族音楽をフィーチャーしたサウンドも素晴らしい。
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「ヴィレッジ」

2012-04-09 06:34:27 | 映画の感想(あ行)
 (原題:The Village )2004年作品。19世紀末のペンシルヴァニア州。深い森に囲まれ、60人ほどの住人が自給自足の生活を営んでいる村を舞台に、閉鎖的な共同体を守るための不可解な掟と、暗躍する“モンスター”の姿を追うM・ナイト・シャマラン監督作。

 中盤でネタは割れるので、ネタ以外に何が描かれているかが問題。しかし見事に何もない。村の住民が抱える苦悩は薄っぺらで、ホラー演出は低調の極み。ラヴストーリーの面を強調しているという評もあるが、私が観る限りそれもない。深い森に住む魔物を呼び寄せる赤い花や、身を守るための黄色いマントなど、思わせぶりな小道具が多数出てくる割には何の伏線にもなっていない。

 こういう“何かあると思わせて、実は肩透かし”という芸が通用するのはせいぜい2回までだが、シャマラン監督の場合はこれで3回目なので、観ていて出るのは溜め息だけである。

 ウィリアム・ハートやシガニー・ウィーバーなどの重量級キャストもやることがなく手持ち無沙汰の様子だ。それにしても、ヒロイン(ブライス・ダラス・ハワード)は盲目という設定ながら少しもそれらしく見えないのは、何か冗談のつもりだろうか。ロジャー・ディーキンスの撮影とジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽(特にヒラリー・ハーンのヴァイオリン独奏)だけは見事である。
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「僕達急行 A列車で行こう」

2012-04-08 06:43:51 | 映画の感想(は行)

 趣味を持つということは、ひょっとして家族や職業を持つことよりも大事なのではないか・・・・という気持ちになってくる映画だ。もちろん、家庭や仕事が人生に占める割合は大きい。しかし、それらは永久不滅のものではないのだ。親とはいつか別れる日がやってくる。兄弟姉妹や子供だってずっと一緒にいられるわけではない。仕事も多くの場合“定年”があり、死ぬまで現役でいられる者は極少数だ。

 対して、趣味は裏切らない。生きている限り、自分と共にある。そして、趣味を極める方法論により物事を多角的に見ることも可能になるかもしれないし、何より生活に張りと余裕が出てくる。

 大手不動産開発会社の若手社員である小町圭と、蒲田の小さな鉄工所の二代目・小玉健太は筋金入りの鉄道オタク。そんな二人が旅先で出会った後に意気投合する。小町は九州支社に転勤してしまうが、そこで知り合った取引先の社長も鉄道マニアであることが判明し、東京から遊びに来ていた小玉をも巻き込んで、ビジネスがトントン拍子に進んでいく。

 徹底的に御都合主義的なストーリーだが、往年の東宝の“サラリーマンもの”を彷彿とさせる良い意味での脱力感が横溢し、気分よく観ていられる。この主人公たちは一見「釣りバカ日誌」のハマちゃんに似ているようだが、仕事も的確にこなす点は全く異なり(笑)、いわば仕事と趣味とをキッチリと切り分けて両立させている。

 もっとも、ユニークな二人を女性陣はなかなか理解しない。たとえ良い雰囲気になっても肝心のところで逃げられてしまう。だが、傷付いても彼らはめげない。なぜなら、趣味の世界があるからだ。ここで描かれる趣味は、日常からの逃避先ではない。もうひとつの“自分達だけの日常”だ。

 本作の惹句は“ココから世界のどこだって行ける!”というものだが、本当は“世界のどこだって(趣味という)自分の居場所を見つけられる”ということだと思う。これこそが、趣味を持つ人間の強味なのだ。

 この映画は森田芳光監督の遺作になってしまったが、彼の劇場用映画デビュー作である「の・ようなもの」(81年)に通じるギャグのキレ味が満載である点は嬉しい。しかも、あの映画の主演であった伊藤克信が顔を出しているのにも楽しくなる。主演の松山ケンイチと瑛太は好演。まさに人の良いオタクそのもので、今回はツイていなかったけどそのうち良いことがあるさと励ましたくなってくる。

 ヒロイン役の貫地谷しほりと村川絵梨も可愛く撮れているし、ピエール瀧や伊武雅刀、笹野高史、西岡徳馬、松坂慶子といった濃い面々もドラマを盛り上げる。九州を中心としたロケ地の効果も上々で、登場人物名にはすべて列車の名前が振ってあるのも面白い。

 森田芳光は作品の出来不出来が激しい作家だったが(・・・・というか、不出来の方が多い ^^;)、このほのぼのとした佳編でキャリアを終えたことは、ある意味幸せだったのかもしれない。とはいえ、早すぎる退場は残念だ。冥福を祈りたい。
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「グッバイガール」

2012-04-07 06:17:44 | 映画の感想(か行)
 (原題:The Goodbye Girl)77年作品。マンハッタンを舞台に、ボーイフレンドに逃げられたシングルマザーのヒロインと、その元恋人から部屋を譲り受けたという売れない役者との、奇妙な同居生活を描くハーバード・ロス監督作。主演のリチャード・ドレイファスにオスカーをもたらした映画だ。

 これは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いであった劇作家ニール・サイモンの映画である。ウィットに富んだセリフの応酬と、下品にならないスレスレのところで展開される、大仰なギャグの連射とが興趣を生み出す。ドレイファスはさすがの怪演で、特にオフ・オフ・ブロードウェイでリチャード三世を演じる場面はハチャメチャ度100%の盛り上がりを見せる。



 受けて立つマーシャ・メイスンのパフォーマンスもなかなかで、頑張ってはいるのだがどうにも詰めが甘く男に振られてばかりいる冴えない女を、観る者の共感を呼ぶようなチャーミングなキャラクターに昇華させているあたりは見事。さらには子役のクィン・カミングスがめっぽう良い。筋書きは“約束通り”なのだが、テンポの良い演出によりそれが分かっていても引き込まれる。

 関係ないが、公開当時は配給サイドで本作のような映画を“女性映画”と称して一種のブームを仕掛けたような様子が見受けられた。もちろん欧米ではそのような明確なトレンドは存在せず、たまたま女性が主人公になった映画がまとまって製作・公開されたに過ぎない。

 ところが日本だけが“女性映画”なる興行上のキャッチフレーズが成り立っていたということは、洋画のヒロインというものが男の引き立て役としか見られていなかったという、観客の基本スタンスがあったのだろう。今から考えると信じられないが、ほんの30年前でも映画を取り巻く状況は現在とは随分と違っているものなのだ。
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「ヴァン・ヘルシング」

2012-04-03 06:28:06 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Van Helsing )2004年作品。19世紀のヨーロッパを舞台に、ローマ・バチカンの秘密組織からモンスター退治の命を受けたヴァン・ヘルシングの活躍を描く。今回の彼の派遣先は東欧トランシルヴァニアで、相手はもちろん、邪悪な力で世界を手中に収めようとするドラキュラ伯爵である。

 「ハムナプトラ」シリーズのスティーヴン・ソマーズが監督しているので、作品の中身についてはあまり言及する意味はない。昔のユニバーサル映画のモンスターを全員集合させて大騒ぎをしているだけの映画だ。

 主人公ヴァン・ヘルシングの生い立ちをはじめ、ヒロインの一族にまつわる因縁話や敵の首魁ドラキュラの弱点うんぬんといった作劇上の重要ポイントは全ていい加減に済ませ、ただCGてんこ盛りのスピード感あふれる活劇場面の連続で観客の目をくらませて、結果として上映時間中は退屈しないでいられるという、単なる“見せ物”に徹したシャシンである。

 主演のヒュー・ジャックマンやヒロイン役のケイト・ベッキンセールをはじめ、出ている連中は印象に残る演技はしていないし、当然各キャラクターも魅力に乏しいが、こういう性格の映画ではそれも許されるのかもしれない。

 ゴシック風味あふれる美術は見事。アラン・シルヴェストリによる音楽も快調である。なお、巷では日本のアニメ「バンパイアハンターD」との類似性を指摘する批評もあるようだが、私はそれを観ていないので何もコメントは出来ない(笑)。
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「第9回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その4)

2012-04-02 06:30:13 | プア・オーディオへの招待
 国産のスピーカーに対しては点が辛い私だが、本イベントでは珍しく納得できる音を出す日本製のスピーカーを2機種見つけた。ひとつはTAOCのFC4500である。TAOCは鋳鉄製品メーカーであるアイシン高丘が手がけるオーディオ・ブランドで、当初は鋳鉄製のスピーカースタンドなどを発売していたが、約10年前からスピーカーもリリースするようになった。

 ただし、発足当時の同社のスピーカー作りはあまり感心出来るものではなかった。鋳鉄メーカーらしい高剛性の構造で見た目の重量感はあったが、出てくる音はゴツゴツとした色気も何もない無愛想なもの。そのせいで長らく私はTAOCのスピーカーを敬遠し、試聴もしていなかったのだ。ところが、久々に接した同社の製品は、かなり音が練り上げられている。変に硬いところや特定帯域に強調感を加えたようなケレン味はなく、フラットでしなやかだ。弦楽器もヴォーカルもスムーズに鳴る。安定感のあるエクステリアも相まって、海外製品に対する競争力も期待出来よう。



 もうひとつはECLIPSEの新製品TD510zMK2である。ECLIPSEはカーステレオ等で知られる富士通テンが展開するブランドで、10年あまり前から家庭用のスピーカーも開発するようになった。タイムドメインと呼ばれる音響理論に則った同社の製品は、卵形のユニークな外見をしている。そのスタイルは国産品では珍しく垢抜けており、グッドデザイン賞も獲得しているほどだ。

 しかし前述のTAOC同様、最初にリリースされた時の印象は芳しいものではなかった。とにかく音色が暗くて潤いがない。艶も温度感もない。これはピュア・オーディオ向けではなく、AVシステム用に過ぎないと思ったものだ。ところがこの新作は、完全に一皮剥けている。滑らかに包み込むような音場が特長で、不自然に刺激的な部分はどこにもない。音像もシッカリしていて立ち上がりが速い。価格はペア40万円弱とそんなに高くはなく、しかもスピーカースタンド込みだからリーズナブルとも言える。ドライヴしていたONKYOのセパレートアンプとの相性も良く、デザインも含めて要注目の製品だ。

 さて、他にもいろいろな機器を試聴したのだが、ひとつひとつ書いていくとキリがないので、まことに恐縮だが端折らせていただこう(おいおい ^^;)。最後に印象に残ったスタッフのコメントを2つ紹介したい。まず、某国内大手メーカーの管理職が言ったセリフ。詰めかけた参加者の前で“私どもは、主に団塊世代およびその上の方々を相手に、今後も商売を続けていく所存です”と堂々と述べたのだ。

 確かに団塊世代は小金は持っている。でも、彼らはこれから耳が遠くなる一方なのだ。そんな層を重視したところで、目先の利益は得られるかもしれないが、やがては尻すぼみである。どこの業界でもそうだが、新しいマーケットを開拓せずに“内向き”のビジネスに終始している企業に明日はない。そもそも、ピュア・オーディオのブームを体験しているのは40代から上である。しかも、現役世代の40代・50代は景気が悪くて金回りが良くない。退職金だって満足にもらえるかどうか分からないのだ。このままでは10数年後に団塊世代がこの世から“退場”し始めるようになれば、ビジネスも終わりである。その意味でくだんのスタッフの言いぐさは噴飯物でしかない。



 次に、輸入代理店の中堅社員が話してくれたことを挙げたい。某家電量販店で新作スピーカーのデモを行った際、終了後に若い女性がその社員に近寄り“とても素晴らしい音で、感動しました”と告げたそうだ。別に彼女はそのスピーカーに対してのみ好印象を抱いたわけではなく、ピュア・オーディオのシステムに接するのが初めてで、ミニコンポやDAP以外で音楽を楽しむ手段が存在することを知って嬉しくなったということだ。

 その社員も“とても幸せな気分になった”と喜んだらしいが、本来はこういうオーディオの楽しみを知らない若年層や女性に切り込んでいくことがマーケティングの王道ではないのか。若い者はCDを買わない、女性はメカに弱い、そもそも多くの者が音の悪い圧縮音源で満足している、だから団塊世代を相手にするしかない・・・・という単純な思考では未来が見えるはずもない。

 いくらクォリティの低いダウンロード音源が大手を振って罷り通っていようとも、少しでも良い音で聴きたいと思っている若者や女性は確実にいる。そういう層を掘り起こすのが業界の役目であるはずだ。私見だが、メーカーもディーラーもその努力をしていないように思う。

 今回のフェアに集まったのは、見たところ多くが60歳以上だ。法外な値段の付いた機器の展示会もオーディオファンにとって楽しいのは事実だが、業界全体の発展を考えると真に有意義なイベントだとは言い難い。本当に必要なのは「ハイエンドオーディオフェア」ではなく、幅広い層を対象とした「ローエンドオーディオフェア」なのだ。

(この項おわり)
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「第9回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その3)

2012-04-01 06:31:15 | プア・オーディオへの招待
 高額な機器ばかりが並ぶと金銭感覚も麻痺してしまいそうだが(笑)、犯罪的な価格設定ではないものにも注目すべき製品はあった。そのひとつがフィンランドのPENAUDIO社のCENYAである。

 高さが30cm足らずのミニサイズの製品ながら、高級家具等に使われるという北欧産の木材を丁寧に重ね上げた筐体は高級感がある。しかも、中低音ユニットは加工が難しいマグネシウムを用い、内部配線にはハイエンドのケーブルで知られるJorma Design社のワイヤーを使用。価格はペア58万円弱と決して安くはないが、この部材の凝りようならばプライスもリーズナブルかもしれない。



 音は清澄そのものだ。色に例えればライトブルーである。音場の表現力も万全で、特に横方向の広がりには瞠目させられた。小型スピーカーなので低音は控えめだが、美しい中高音の印象度で低域不足をカバーしてしまおうという作戦らしい。接続していたアンプはデンマークのVitus Audio社のもの。中域重視の鮮明な解像度が特長のモデルのようでPENAUDIOとのマッチングも良好だが、アキュレートな持ち味のアンプであれば他社製品でも十分駆動できると思う。

 ドイツのQUADRAL社のスピーカーは毎回好印象だが、今回は下位クラスのMEGAN VIIIが出品されていた。価格は約28万円で、一般ピープルが何とか手が届きそうなプライスタグが付いている。高音部には同社スピーカーの特徴であるリボントゥイーターを搭載。仕上げはピアノブラックで、けっこう高級感がある。

 音はかなり良い。明るく爽やか。特に中高音の伸びは素晴らしい。音場はびっくりするほど広くはないが、適度な大きさの音空間に各音像が絶妙の距離感で配置される感じだ。ヴォーカルの再生は特筆もので、滑らかな艶が声の美しさを引き立てる。これは欲しいと思った。

 聴き応えのある音に出会える一方、期待はずれのサウンドに遭遇してしまうのもフェアには付きものだ。ドイツのELAC社のハイエンド機FS 509 VX-JETがそれに当たる。新開発のリボントゥイーターをフィーチャーした4ウェイの大きめのモデルだが、レンジは広いものの音自体にコクがない。あっさりしすぎて無愛想なのだ。音場にも大きな展開は見られない。



 高音部のポジションが調節可能という機構も持つが、あまり意味があるとは思えない。過去にELACの大型モデルは何度か試聴したが、どれもあまり良い印象は持てないままだ。コンパクト型ならば素晴らしいパフォーマンスの製品をいくつもリリースしている会社だが、大きな筐体では音が煮詰められていない感じがする。

 デンマークのDALI社の新しいフラッグシップ・シリーズの一つであるEPICON 6もあまり良くなかった。もっとも、それはスピーカー自体に問題があるのではなく、駆動しているアンプとの相性が悪かったからだ。接続されていたのはDENONの最上級機PMA-SXである。しかし、中低域に圧迫感があり高域は伸びないDENONのアンプでは、DALIの美音は活かせない。寸詰まりで見通しの悪い音場が横たわるだけという、まとこに気勢の上がらない結果になってしまった。

 DENONはDALIの輸入代理店であり、当然イベント等の際は同社のアンプでドライヴされることが多いのだが、満足に鳴っている現場には遭遇したことがない。DALIのスピーカーは、フラット志向でキレの良い音調のアンプの方が合っている。具体的にはONKYOACCUPHASEなどだ。いずれにしても、マッチングに問題のある機器に接続することを優先せざるを得ない状況は、DALI社側としても不本意なことだろう。

(この項つづく)
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