元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「風が強く吹いている」

2009-11-13 06:28:11 | 映画の感想(か行)

 面白く観ることが出来た。落ちこぼれの連中が一念発起して頑張り、大きな舞台で活躍するという典型的スポ根ドラマのルーティンを踏襲していながら、アナクロニズムを抑えたスマートな作りになっているのがセールスポイントだ。

 在校生でさえ陸上部があることを知らないような大学で、無謀にも箱根駅伝を目指して奮闘する学生達を描く。彼らが寝起きするのは“昭和の臭い”がプンプンするボロい下宿屋。出てくる奴らもまったく垢抜けず、もちろんカネもなく、女っ気など縁がない(マネージャー役の女子学生は登場するが、誰一人として彼女と親密な関係にはならない)。これがどうして“スマート”なのかというと、登場人物達の佇まいが良い意味で“軽い”からである。

 競技には全力を注ぐが、命を賭けるというほどではない。勝利至上主義など別世界の話だ。中心人物である四年生のハイジと新入生のカケルの興味の対象は、大会での勝利よりも“好きだから走る”という原点に立ち返ることである。他のメンバーも、駅伝とは別に自分達の進む道を持っている。チームワークは誰にも強制されず、自発的に生まれてくる。必要以上の汗臭さを感じさせず、皆マイペースで競技に臨んでいる様子に好感を覚える。

 また、三浦しをんの原作に準拠しているのどうか分からないが、この映画は会話が面白い。掛け合い漫才のようなボケと突っ込みの応酬で、全編に渡って笑いが絶えない。これも本作の“軽さ”を象徴しているようだ。観る側に肩に力が入らないような、適切な配慮が成されていると言って良い(爆)。

 監督は脚本家出身でこれがデビュー作となる大森寿美男。展開がスムーズで、ドラマが停滞しない。各キャラクターの描き分けも万全だ。特筆すべきはレースシーンで、ロケ地は大分県の山間部だが実際の箱根駅伝の映像も巧みに盛り込まれ、本当に箱根を走っているような臨場感がある。思わぬトラプルの続出で苦戦しながらも、見事に目標を達成するという筋書きも、型通りだが気持ちが良い。絵に描いたような憎々しいライバルが登場するのにも笑ってしまう。

 出演者は皆相当なトレーニングを積んだらしく、どれもランニング姿がサマになっている。中でもハイジ役の小出恵介とカケルに扮する林遣都が素晴らしい。特に林の、前を見据えてひたむきに走る様子は、本物のランナーと見まごうばかりだ。佐光朗のカメラや千住明の音楽も文句の付けようが無く、明朗青春ドラマとして誰にでも奨められる。
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「エンジェル・スノー」

2009-11-12 06:23:44 | 映画の感想(あ行)
 (原題:HARU)2001年韓国作品。結婚6年目なのに子供が出来ない若夫婦(イ・ソンジェ、コ・ソヨン)が最後の手段として人工受精を行ない、めでたく妊娠。しかし、お腹の赤ん坊には重大な障害があることが判明。たとえ生まれても一日しか生きられないという。苦悩の果てに彼等が下した結論とは・・・・。監督は若手のハン・ジスン。本国で公開された時には大ヒットしたという感動作だ。

 第一印象は“実に平易に作ってあるなぁ”というものだった。同じ韓国映画のヒット作でも「JSA」や「シュリ」が(ジャンルは全然違うけど ^^;)技巧に走り、映像でリードしようとしたのとは全然異なり、かといって「八月のクリスマス」や「美術館の隣の動物園」のように作者の才気を全面に出した“ミニシアター路線”でもない。誰が観ても理解できる語り口で全編が覆われている。特に映像面では目立った工夫もなく、平板といってもいい。

 しかし、ドラマ自体は十分に感動的なのだ。思うに、この作家は物語の重要性を完全に信じ切っている。ストーリーが普遍的で観る者の心を打つものである以上、余分なケレン味など不要で、忠実にドラマを破綻無く積み上げていけば観客は必ずついてきてくれる・・・・といった率直さと謙虚さが映画の成功に繋がっている。

 無理のない脚本もさることながら、キャストの頑張りには目を見張る。「アタック・ザ・ガス・ステーション!」などで日本でも知られるイ・ソンジェが気弱そうで心優しい夫を好演。妻役のコ・ソヨンの激しい性格と好対照を成す。なお、コ・ソヨンはその年の大鐘賞(韓国アカデミー賞)主演女優賞を受賞。“ヒロインのキャラクターが激しすぎる”との意見もあるだろうけど、監督の話によると彼女の演じる役柄としてはこれでも随分と“おだやかな部類”なのだという(笑)。

 “皆から祝福されないで産まれてこない子供なんていない”と何かの本に書いてあったが、ラストにはそのことを思い出さずにはいられなかった。
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「沈まぬ太陽」

2009-11-11 06:25:09 | 映画の感想(さ行)

 日本航空をめぐる昨今の状況と照らし合わせてみると面白い。序盤部分で、劇中JALをモデルにした国民航空の労組委員長・恩地が、副委員長の行天と共に労使交渉を勝ち抜き、従業員の待遇改善を勝ち取ることが描かれる。確かに労働条件を向上させることは、利用者にとっての安全性に寄与するところであろう。しかし、飛行機に乗る側の利益に関する部分は、それ以外は中盤で新しい会長が整備士制度を改めるよう提案するシークエンスぐらいで、あとは全くない。

 ここにあるのは役員同士の足の引っ張り合いと、利権欲しさの政治家の暗躍と、労働組合と経営側との確執のみだ。肝心の利用者のことは全然頭にないらしい。僭越ながら、JALの低迷の原因はこういった内向きの経営ベクトルにあると思ってしまう。

 何が“我が国きってのナショナルフラッグキャリア”か。そんなのは庶民のあずかり知らぬ理由によってたまたま半官半民の形態を取ったことによる、粉飾されたプライドに過ぎない。航空会社はJAL以外にも存在する。ちゃんと安全かつ効率的に飛行機を運行してもらえば、半官半民だろうと完全民営だろうと関係ないのだ。利用者を無視して社内の覇権争いばかりしているような会社は、とっとと退場していただきたい。

 さて、本作は山崎豊子の同名小説の映画化で、原作の長さを反映してか3時間22分の大作に仕上がった。若松節朗の演出は正攻法だが、何となく“テレビの大河ドラマ風の映画作り”をしているように思う。つまり、万全に仕上げてはいるのだが今ひとつ映画的興趣に欠けるのだ。

 渡辺謙扮する恩地は正義感溢れる“昭和のオヤジ”そのもので、不器用なために損ばかりしているが、人望もある好漢だ。三浦友和演じる行天は絵に描いたような悪役。余談だが、彼がスーツを着て登場すると紳士服チェーン店のCMを思い出してしまう(本作の衣装提供にもそのチェーン店が一役買っている)。石坂浩二や加藤剛も貫禄を見せる。松雪泰子や鈴木京香の女優陣も悪くはない。ただし、それらは観客の予想の範囲を出ないのだ。

 ストーリー自体も元ネタがベストセラー小説なので筋書きは知れ渡っており、意外性は皆無だ。もっと観る者をアッと言わせるような、思い切った脚色を施した部分があっても良かったのではないか(たとえば、主人公の心の闇をクローズアップするとか)。航空会社はもちろん出版・放送といった映画業界における大手スポンサーを敵に回して撮りあげたスタッフの心意気は買いたいが、それだけで目的を達成したような雰囲気が見て取れる。

 なお、日本航空は不快感を示しており、経営陣は“しかるべき措置を講じることも検討している”ともコメントしているらしい。しかし、たかが映画に噛み付くよりも、自分達の台所事情を何とかしろと言いたいのは私だけではあるまい。
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「ターン」

2009-11-10 06:38:00 | 映画の感想(た行)
 2001年作品。交通事故のショックにより、パラレル・ワールドで同じ日を繰り返すことになってしまった女性の運命を描いたドラマ。北村薫の同名小説を村上修が脚色。第5回プチョン国際ファンタスティック映画祭の最優秀監督賞受賞作品でもある。

 同じ一日が何度も何度も繰り返されるというプロットはハロルド・ライミスの「恋はデジャ・ブ」などで使用済みだが、この映画のヒロインが巻き込まれる“繰り返す日常”には原則として彼女以外の人間が存在しないという点で目新しい。この“誰もいない世界”の映像化は、映画のモチーフとしてはすこぶる刺激的だ。人っ子一人いない東京の街の描写は、コンピューター処理によって通行人をすべて消去することで実現出来たものだが、ヒロインの孤独をこれだけ具象化できる仕掛けは他になかろう。

 話をSF仕立てにせずファンタジー方面に振っているせいで、“外界”から一本の電話がかかってくるという半ば強引な展開もあまり違和感がない。主演は牧瀬里穂と中村勘太郎。どちらも嫌味のないキャラクターで好感が持てるが、思い込みの激しいヒロインに扮する牧瀬の演技は出色で、これは久々に彼女の代表作になりそう。ケレンを廃した平山秀幸の演出も的確で、現時点で「しゃべれども しゃべれども」と並んで彼の最良作だと思う。

 清涼な空間の切り取り方が印象的な藤澤順一のカメラ、ミッキー吉野の音楽も良い。ただし、終盤にはもうひとつ工夫が欲しかったけどね。なお、この作品は当初ワーナーマイカルのみの公開であった。そのせいか入場料が安かったけど、劇場がいずれも都心から離れているのは少し辛かったことを覚えている。
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「パイレーツ・ロック」

2009-11-09 06:24:51 | 映画の感想(は行)

 (原題:The Boat That Rocked)全然面白くない。66年のイギリス、国営BBC放送がポップ・ミュージックのオンエアを一日40分に制限し、全英の音楽ファンのフラストレーションは溜まる一方。そこに登場したのが、公海上に停泊した船の中から24時間音楽番組を流すという、海賊版の放送局だ。それを苦々しく思っている当局側は取り潰そうとあらゆる手段を講じるが、懲りない反骨精神旺盛なロック野郎たちは反撃に出る・・・・というのがメイン・プロット。

 こういうネタならばいくらでも盛り上がりそうなのだが、想像を絶するほどの白々しさが全編を覆う。要するにこれ、ラジオ局を開設してチャラチャラ遊んでいる軟派な奴らの、どうでもいいような与太話を漫然と垂れ流しているだけなのだ。取り締まろうとする政府との丁々発止としたやり取りや、スポンサー獲得の裏話とか、音源を確保するための苦労談など、使えそうなモチーフはいくらでも転がっているはずなのに、見事に何もやっていない。そもそも肝心の音楽ネタ自体が不発なのだから、あとは推して知るべしだ。

 当時流行していた綺羅星のごときポップ・チューンの数々を、困難を克服しつつも登場人物達が想いを込めてリスナーに届けようという、その熱いパッションがまったくない。アメリカから呼んできた人気DJと、長いブランクの後に復帰した大物DJとの確執なんか、アメリカン・ロックVSブリティッシュ・ロックの図式で思いっきり気勢を上げてもいいはずだが、それもなし。あるのはただグダグダした笑えないシークエンスの羅列。しかも2時間を超える上映時間。後半は眠気を抑えるのに必死だった。

 フィリップ・シーモア・ホフマンやビル・ナイといった演技陣は精彩無し。ケネス・ブラナーも何やってんだか分からない。ヒロイン役のタルラ・ライリーが可愛かったぐらいで、あとは印象希薄だ。監督のリチャード・カーティスは、マジメに仕事をやっているとは思えない。とにかく語る価値もない愚作だ。

 本作で唯一考えさせるところがあるとすれば、エンドクレジットの前に出る“現在イギリスでは300近くの音楽専門ラジオ局がある”というコメントだろう。あの島国にこれだけ多くの音楽専門局が存在する。対して日本はどうなのだ。これだけの人口を抱えているのに、実質的な音楽専門ラジオ局なんか一つも無いのではないか。愚にも付かないトークでお茶を濁す低レベルの局ばかり。

 この背景には、私もかねてから言ってるが、日本人は音楽が好きではないことがあると思う。音楽が好きならば、音楽専門ラジオ局が存在しないことに耐えられないはずだが、日本人はそうではないのだ。音楽後進国たる我が国の実状を再確認するような幕切れで、暗澹たる気分で劇場を後にしたのであった(-_-;)。
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「リベラ・メ」

2009-11-08 06:41:16 | 映画の感想(ら行)
 (原題:Libera Me )2000年作品。釜山を舞台に、天才的な放火魔と消防署員とのバトルを描くヤン・ユノ監督作品。消防車輌300台、火薬3トン、LPガス6トンを投入して、CGやミニチュアを一切使わない“本物”の火災シーンが韓国中で話題を呼んだらしい。だが、出来としてはどうも芳しくない。

 チェ・ミンスをはじめとするキャストの頑張りを、荒っぽい作劇が台無しにする。だいたい、登場人物が多すぎて主要キャラクターの絞り込みが足りない。説明があるべき箇所もスッポ抜けており、主人公のバックグラウンドや、犯人のハッキリとした動機等が示されないのでは、ドラマにどう感情移入していいのかさっぱりわからない。

 活劇の段取りも最悪で、クライマックスの犯人との対決も、何がどうなっているの不明。このへん、ハリウッド製のアクション編と比べると大きな差がついていると言わざるを得ない。しかし、主人公たちの活躍と、消防士たちの悲愴感・使命感を前面に押し出したラストには感動を覚えるのも確かなのだ。いわば“手法は未熟だけど、情念で押し切ってしまう”という、「シュリ」や「ユリョン」と同じパターンである。

 火災場面は素晴らしい迫力で、ヒロイン役のキム・キュリもキレイなんだけどね・・・・。公開当時に観たときは、正直言ってこういう作品がヒットしていることが韓国映画界にとってプラスになるのかわからないと思ったものだ。いつまでも勢いだけで力任せに行くだけが能ではあるまい(香港映画とは違うのだ)。娯楽活劇でこそ、ウェルメイド指向が必要なのではないか。韓流ブームが一段落した今はあまり出来の良くない作品は輸入されないみたいだが、本国の状況がどうなのか気になるところである。
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「悪夢のエレベーター」

2009-11-07 07:14:17 | 映画の感想(あ行)

 後味の悪い映画だ。あるマンションのエレベーターに4人の男女が閉じ込められる。全員、人に話せない事情がある“訳あり”の連中だ。とはいえ極限状態では建前だけ取り繕うわけにはいかず、各人が抱えた悩みが噴出し、事態は混迷の度合を色濃くしてゆく。果たして彼らは脱出できるのか・・・・という設定のシチュエーション・コメディだ。

 どんでん返しが連続する、いわゆるコン・ゲームの形式を取っているが、どうもその段取りがスマートではない。勘の鋭い観客にとっては、この4人がエレベーターに乗った理由が、状況と辻褄が合っていないことに最初から気付くはずだ。誰かが誰かをハメるために仕組んだ罠だというのがミエミエで、果たしてその通りにネタが明かされる。

 さらに悩ましいことに、ドラマの焦点はエレベーターの中ではなく、エレベーターを出たところにあったという図式が漫然と示される。これでは密室劇としての緊張感がネグレクトされ、単なる犯罪ドラマに落ち着いてしまう。つまり、作劇に一本芯が通っていないのだ。

 エレベーターの外に舞台を移してからは、この手の作品にはふさわしくない陰惨なモチーフが次々と出てくる(ホラー作品のようなテイストも満載)。終盤に至っては、作者がドラマ作りを投げ出したような荒っぽさ。映画が終わった後に観ている側の中でストーリーが収束していかないのだ。とにかく、後は野となれ山となれ・・・・というスタンスで作ってもらっては困る。

 監督は俳優や構成作家として活躍する堀部圭亮だが、個々の場面の描写に関してはデビュー作としては素人臭さはないものの、作品全体をまとめ上げる能力はまだまだである。登場人物の内面の切り込み方にしても、まるで食い足りない。特に冒頭の主人公のモノローグなんか、長い割には何も語っていない。

 主役の刑務所帰りの男を演じる内野聖陽は、まあけっこう良くやっている。ただ、すべてが予想範囲内だ。もっとハジけた演技をさせてもいいのではないか。ジョギングに出かけようとしていた怪しい中年男に扮するモト冬樹、妻の出産に立ち会うために急いでいた若い男の斎藤工、どちらも可もなく不可もなし。

 頭の中がキレているゴスロリ少女役の佐津川愛美は少しは面白い。だが、それは彼女の外見(衣装や御面相)によるものであって、パフォーマンス面で何か突出しているわけではない。芦名星や本上まなみといった脇の面子も特筆するべきものはない。印象的だったのは大堀こういちの怪演ぐらいだ。少なくともテンポが良いので観ている間は退屈しないが、あまり上等なシャシンではないことは確かだ。
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北九州市のオーディオフェアに行ってきた。(その2)

2009-11-06 06:23:37 | プア・オーディオへの招待

 北九州市小倉北区のKMMビルで開催されたオーディオ&ヴィジュアルフェア会場には、プレーヤーとアンプ、スピーカーをメーカー側で組み合わせたセットステレオも数多く展示されていたが、興味を引かれたのが真空管アンプで有名な日本のメーカーTRIODEとデンマークのスピーカーブランドDynaudioとの共同企画によるSONOPRESSO(ソノプレッソ)というシステムだ。

 TRIODEの真空管アンプTRV-35SEBと真空管バッファ回路を持つCDプレーヤーのTRV-CD4SEB、そしてDynaudioのDM/7(国内未発売スピーカー)というラインナップである。これが実に音に暖かみがあり、なおかつ解像度と音場感も確保したなかなか魅力的なシステムなのだ。Dynaudioのスピーカーは、その高精細性を発揮させるためにデジタルアンプなどに繋げてスピード感を追求するという鳴らし方が一般的かと思うが、管球式アンプでマッタリと仕立て上げるのも良いものだ。価格は25万円だが、この音ならば高いとは思わない。ステレオなんてこれでいいじゃないか・・・・と割り切って、好きな音楽だけに浸りたいユーザーにはピッタリの商品かと思う。

 ヴィジュアル部門も少し覗いてみた。三菱電機の新型プロジェクターは高画質には定評のあるDLP方式であるにもかかわらず、20万円を大きく切った値段設定で驚かされた。数年前にはDLPプロジェクターは100万円は下らなかったのだが、時代の流れというのは凄いものだ。

 実際の映写デモにも接したが、他社のハイエンド機には及ばないものの、一般家庭で使うには十分すぎるほどのクォリティだ。120インチのスクリーンに映してもまったく違和感がない。本格的なシアター用の部屋さえ用意すれば、本当の意味での“映画館気分”が、そんなに大枚を叩かずとも家庭で味わえるようになってきたのだ。

 PIONEERの新型AVアンプによる自動音場調整機能のデモンストレーションも行われた。こういう機能に接するたびに思うのだが、AVシステムとピュア・オーディオシステムとは全く違う方法論で成り立っている。どちらもアンプとスピーカーを使うが、求めるものと使いこなしに関しては互いに相容れない立場だ。安易にAVシステムと2chステレオとを両立させようと思っても、苦労するだけである。別系統で、なおかつ別の部屋に構築すべきだろう。

 さて、この催しは春に福岡市で行われている九州ハイエンドオーディオフェアに比べると大掛かりではないが、一つだけ利点がある。それは交通の便だ。何しろ新幹線も停車するJR小倉駅のすぐ近くである。これは入場者にとっては実に有り難い。福岡市でのフェアも、少しはこのあたりを改善していただきたい。  (この項おわり)
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北九州市のオーディオフェアに行ってきた。(その1)

2009-11-05 06:15:54 | プア・オーディオへの招待

 去る11月1日(日)~3日(火)に北九州市小倉北区のKMMビルでオーディオ&ヴィジュアルフェアが開催されていたので、足を運んでみた。主催者は春に福岡市で行われている九州ハイエンドオーディオフェアと同じであり、いわば姉妹企画である。とはいっても、歴史はこちらの方がずっと古い。なぜなら、主催しているオーディオショップの本店が北九州市にあるからだ。

 とはいえ、九州ハイエンドオーディオフェアと比べれば規模は小さい。私も北九州市に用事があったのでそのついでに寄っただけであり、実際会場にいたのは3時間足らずである。だからあまり詳細なリポートは書けないが、いくつか印象に残った箇所を述べてみたい。

 一番の収穫は、ドイツのハイエンドメーカーであるAVANTGARDE ACOUSTIC社のスピーカーDUO OMEGAをじっくり聴けたことだ。この機種には過去に何回か接してはいるが、いずれも駆け足での試聴であり、落ち着いて音質をチェックする余裕がなかった。今回は輸入代理店のTEACの担当者による詳しい説明を交えて、当モデルの魅力を堪能することが出来た。

 明るく伸び伸びとした音色、余裕のある音場表現と、さすが欧州ブランドの高級機だけはあるパフォーマンスを示した。とはいえ、超高価格機なので一般ピープルの購入対象にはまずならない。それを承知の上で私がこの機種に興味を持ったのは、低音部のユニットだけパワーアンプが内蔵されているという、一種のアクティヴスピーカーの形式を取っていることだ。このモデルの低域の瞬発力は、アンプを内蔵していることが大きいのだという。

 アンプを備えたアクティヴスピーカーといえば、パソコンに繋げる安価なものを誰でも思い浮かべるだろう。あるいはAVシステムのサブ・ウーファーぐらいか。オーディオ用といえば、通常は駆動アンプに繋げるパッシヴ型スピーカーであることがほとんどだ。ただし、オーディオシステムで気を遣う項目の一つにスピーカーとアンプとの相性がある。特に駆動力の問題だ。あるスピーカーを過不足なく鳴らすのに、どの程度の出力とドライヴ能力を持ったアンプが必要なのか、マニアならずとも頭を悩ませる。

 ところがパワーアンプ内蔵のスピーカーならば問題は一挙解決だ。あとはヴォリュームと入力切り替えを装備したコントロールアンプだけを用意すればいい。もちろんコントロールアンプとスピーカーとの相性はあるが、プリメイン型アンプとパッシヴ型スピーカーとの相性ほどに神経質になる必要はないだろう。

 さらにアクティヴスピーカーならば、RCAケーブルやXLRケーブルでアンプとのワンタッチ接続が可能だ。スピーカーケーブルの皮膜を剥いて芯線を出し、端子にネジ止めするという初心者には荷の重い作業が不要になる。もちろん、システムを起動させるにはスピーカー側の電源も入れなければならない煩雑さもあるが、そこは工夫次第で何とかなるのではないだろうか。いずれにしても、オーディオの復権に有用な形式だと思う。各メーカーも考えて欲しい。  (この項つづく)
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「正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官」

2009-11-04 06:32:56 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Crossing Over )どうも愉快になれないのは、この映画の製作元がユダヤ系だからかもしれない。ICEとはアメリカの移民関税執行局のこと。そこには不法移民を取り締まる立場から警察と同様の捜査権が付与されており、特に9.11以降は権限が大きくなっている。映画はハリソン・フォード扮するベテラン捜査官を狂言回しの役割にして、アメリカに何とか入国しようとするさまざまな民族のシビアな現状を追うのだが、どうもユダヤ人だけ描き方が甘いのだ。

 娘が高校でテロリストに理解を示すような発言をしたばかりに、一家離散の憂き目に遭うサウジアラビア人。国境を越えて危険な目に遭いながらも、まったく報われないメキシコ人。入国監査官と懇ろになってニセの履歴書をデッチあげようとするオーストラリア娘。裕福でありながら政治的理由で亡命してきたイラン人の一族は、つまらないプライドをめぐって内ゲバを起こす。韓国から来た少年に至っては、アメリカ国籍を得る前日に強盗団の一員となって不祥事に荷担する始末だ。

 対してユダヤ人はどうか。アメリカ人として小学校の教員の職を得たいイスラエルの若者は、ユダヤ教の僧侶を騙ろうとするが、入管で本物のラビ(ユダヤ教の教師)から“資格試験”を受けるハメになる。ところが元より気の良い好青年であるためか、デタラメな祈りの言葉を披露してもラビは笑って許してしまうのである。この意図的な“格差の図式”には呆れてしまうしかない。

 セルジオ・レオーネ監督の「ワンス・イン・ア・タイム・イン・アメリカ」を参照するまでもなく、ユダヤ人だろうと何だろうと外からアメリカに入国してくる連中が味わう苦労は一緒のはずだ。ユダヤ人だけを特別扱いする道理はなく、これでは送り手の夜郎自大ぶりばかりが印象付けられることになる。

 とはいえ、せっかくアメリカに移住してもこの国にはあまり明るい将来が開けていないのも確かだ。産業の空洞化が進行し、ドルの基軸通貨としての地位も危うくなっている。オバマ政権は何とか立て直そうとしているが、長らく新自由主義にウツツを抜かしていた代償はあまりにも重い。それだけに、終盤で紹介される米国籍を取得した人々の晴れやかな顔も、観る側にとっては白々しく映ってしまう。

 ウェイン・クラマーの演出は可もなく不可も無し。レイ・リオッタ、アシュレイ・ジャッドらの脇の面子も今回は大した仕事をしていない。全体的に、現状に映画が追いついていない感じで、製作する価値があったのかどうか怪しく思える。
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