元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

Blu-spec CDの景品Tシャツが送られてきた。

2009-11-03 06:02:03 | 音楽ネタ

 随分前にBlu-spec CD仕様によるディスクを購入し、それに付いてきたキャンペーン用のハガキを投函したのであるが、そんな事実もすっかり忘れていた今日この頃、突然キャンペーン用の景品であるTシャツが送られてきた。どうやら当選したらしい。

 ・・・・しかし、送り元のソニー・ミュージック、差出人の名前ぐらい封筒に書いておけよ! てっきり私のブログや各掲示板でのゴーマンな書き込みに恨みを持った不逞の輩が“剃刀セット”でも送り付けてきたのかと思ったぞ(爆)。しかも、住所の漢字表記も微妙に違っているし、随分とアバウトな仕事ぶりだ。SONYの企業としての士気はどうなっているのだろうかと、いらぬ心配もしてしまう。

 さて、Blu-spec CD(ブルースペックCD)とは、ソニー・ミュージックエンタテインメントがビデオのブルーレイディスクの素材と製造技術を応用して開発した高品質CDのことだ。同じくSONYが約10年前に発表した高品位規格のSACD(スーパーオーディオCD)とは違い、普通のCDプレーヤーで再生可能である。

 私が購入したのはジャズの名盤の一枚だが、なるほど通常CDよりも音像の粒立ちが印象付けられる。全体的に情報量も多い。こういう音質重視仕様のCDはBlu-spec CDの他にユニバーサルミュージックと日本ビクターが共同開発したSHM-CD(スーパー・ハイ・マテリアルCD)や、メモリーテック社によるHQCD(ハイ・クオリティCD)がある。いずれも素材の質を追い込むことによってサウンドの向上を図ろうという規格で、Blu-spec CDと同じく普通のCDプレーヤーに実装できる。

 ただし、通常CDとこれら高品質CDとの違いをリスナーが聴き分けられるかどうかは、再生装置によるところが大きい。ある程度のグレードを持ったオーディオ装置ならば、違いが分かることが多いのは確かだ。ミニコンポではあまり変わらなかった。しかし、ウチのクルマの安物カーステレオでは圧倒的な差が感じられたのはビックリした。どうやら“高い装置なら聴き分け可能で、安価なシステムでは難しい”ということではないようだ。

 もちろん、これらの新規格のCDでもSACDには音質面で遅れを取る。だが、普通のCDプレーヤーでは再生できないSACDは、対応機こそたくさんあるがソフトの規格としては“終わって”いると言って良い。願わくばこれからリリースされるCDの全てがBlu-spec CDなどの新規格に置き換わって欲しいものだ。
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「クヒオ大佐」

2009-11-02 06:50:31 | 映画の感想(か行)

 映画の時代設定を90年代初頭にしたことが本作の妙味になっており、同時に限界をも示していると思う。この映画は二部構成で、第一部の「血と砂と金」は湾岸戦争を含めた当時の世界情勢と、それに対する日本のスタンスをごく短い時間で紹介している。引き続き第二部の「クヒオ大佐」が始まるのだが、世界中がイラクを糾弾し多国籍軍を支持していた中で日本だけが“カネだけ出して汗は出さない”と論難された後ろ暗さが、クヒオ大佐の存在理由の一つになっている。

 いくら実話だと言っても、日本人なのにアメリカ軍人と名乗って女性を次々と騙した実在の結婚詐欺師を、現時点で違和感なくそのまま映画化するのは至難の業である(ちなみに、この事件が実際起こったのは80年代前半)。日本人がアメリカあるいはアメリカ的なものに対して特別な感情を抱いていたあの頃だからこそ、クヒオ大佐の出番があったのだろう。

 しかし、この設定ではクヒオ大佐の側にも湾岸戦争を初めとする国際情勢について、アメリカ人として何か言及しなければならない義務が生じる。事実、劇中ではペテンにかけようとした女の上司から“アメリカは戦争ばかりしている!”と非難されたのに対し、クヒオは“平和を守るために戦争しているのだ!”と言い返す場面がある。ところがそれが全くサマになっていないのだ。

 ケチな詐欺師の分際で、そんな大それたことを言える背景というのが描かれていないから違和感が付きまとう。一応彼の不幸な生い立ちというのが紹介されるが、それがどうしてアメリカ軍人を騙ることに繋がるのか、その理由が不明確である。もうちょっと彼がアメリカに抱く複雑な想いを活写しないと、話自体が絵空事になってしまう。

 それでも堺雅人の妙演は本作を見応えのあるものに押し上げている。彼は付け鼻と片言の日本語だけで、胡散臭いキャラクターをそのまんま演じきってしまう。ペテン師なのにロマンティスト、いい加減だけど彼なりの正義感もある。こういう人を食ったような男に簡単に成りきれるのは、堺以外には考え付かない。現在最も注目すべき俳優だろう。

 女優陣も万全で、恋愛に慣れていない弁当屋の女主人を演じる松雪泰子は、純情さと不貞不貞しさとを兼ね備えて絶品だ。彼女は年齢を重ねて本当に良い女優になったと思う。博物館の学芸員に扮する満島ひかりも素晴らしい。童顔の彼女にしては珍しく実年齢に近い役柄だが(笑)、若い女特有の頑なさだけではなく、その裏に潜む弱さを実に上手く表現している。

 吉田大八の演出は前作「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」よりもスムーズになっており、終盤近くの無手勝流の展開もあまり違和感がない。ただし、それだけに脚本にもう一つ工夫が欲しかった。
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「連続暴姦」

2009-11-01 07:00:05 | 映画の感想(ら行)
 84年作品。「おくりびと」で米アカデミー外国語映画賞を獲得した滝田洋二郎監督のピンク映画時代のシャシンで、系列としては「真昼の切り裂き魔」と同じくサスペンス路線に属する。出来としては「真昼の~」には及ばないが、これはこれで切れ味鋭く見応えはあると思う。

 女子高生に乱暴しては殺害する凶悪犯を描いた「連続暴姦」なる映画を上映している劇場の映写技師は、映画を観て慄然とする。なぜなら、これは彼自身が過去に犯した殺人事件とまったく同じシチュエーションで撮られていたからだ。事件そのものはもうすぐ時効だが、誰かが目撃していて映画の脚本として仕立て上げたのである。

 彼はシナリオを書いたという女性を付け狙うが、書き手としてはこの映画を世に出すことによって(捜査当局よりも先に)真犯人をあぶり出そうという意図もあったのだ。双方の情念が交錯する中、事態は意外な方向へと進み出す。

 とにかく、犯人役の(若い頃の)大杉漣が凄い。今よりも痩せているが、人間性の欠如したギラギラとした暴力性は観客の目をとらえて放さない。特に誰もいない映画館の客席で凶行に及ぶシーンは、殺伐としたオーラを全身から発散させて圧巻である。

 滝田洋二郎の演出は緩急を付けた職人芸。ラストの対決場面はけっこうスリリングだし、絡みのシーンの粘着度はさすが凡百の監督とは一線を画するものがある。ヒロイン役は滝田監督とはよくコンビを組んでいた織本かおる。正直それほどの美人ではないのだが、身体のキレは良く活劇シーンを難なくこなす。即物的なワイセツ度も及第点で、ベッド脇の照明を付けたり消したりしながらの濡れ場はなかなか見せる。

 一般映画に転身してからの滝田監督はこういった本格サスペンスを撮っていないが、アカデミー賞受賞で有名になった今こそ、じっくり腰を据えてこのジャンルを開拓して欲しいものである。
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