goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「教祖誕生」

2007-10-21 21:44:09 | 映画の感想(か行)
 93年作品。ふとしたことからインチキ臭い新興宗教の一員に加わることになった少年(萩原聖人)が、組織内のゴタゴタから教祖が追い出されたのをきっかけに、ある日突然新しい教祖に任命されてしまうという、ブラックな風刺ドラマ。原作はビートたけしで、監督は「その男、凶暴にて」からずっと北野武監督のサポートについていた天間敏広(これがデビュー作)。

 物語は実にわかりやすく進む。教団の実権を握っている男(ビートたけし)は、宗教を金儲けの手段としか見ていない。相棒(岸辺一徳)と二人でサギ同然の布教活動を切り盛りする。教祖は元浮浪者のジイさんだが、“教祖なんて飾り物だよ”と主張してはばからない。ここで作者は新興宗教の、いや、世の中に存在する宗教すべては、ウサン臭さで成り立っている、と皮肉を利かせている。それに対し、信心深い教団のスタッフの一人(玉置浩二)と、教祖に仕立て上げられたことでいきなり“宗教”に目覚めてしまった主人公のマジな言動は、宗教の純粋さを描き出しているのだろう。

 この二つのスタンスは相反するにもかかわらず、作者の中に同居していることは明白で、そのディレンマを何とか説明しようとする姿勢がうかがえる。さらに、映画の最後近くになってくると、悪どい二人は糾弾される。つまりバチが当たるのである。罪を犯すことによって初めて“天罰が下った”と認識する。

 生臭い稼業をやっている(?)作者は神の存在なんて考えたこともないと思っている。宗教なんてゼニ儲けの手段じゃないか、と冷笑的になったりもする。だがしかし、ふとした瞬間に“神”を意識したりもする。ひょっとして宗教には人間の能力の限界を超えるような、すごい力があって、その上に存在する神とは底知れぬものではないか? そういう率直な作者の心情の吐露が見てとれる。非常に明快。誰が観てもわかる映画だ。

 しかし、それが作品の物足りなさにもつながっている。個性豊かなキャストと、ギャグを散りばめたストーリー展開は飽きさせないが、観たあとは印象が薄い。意外性はまったくないといってよい。少しもゾクゾクしないのだ。

 これはやはり北野武自身が監督すべきだった映画だと思う。「ソナチネ」での生死観を超える、人間の“神性”に迫った、スゴイ映画になる・・・・かもしれないが、ひとりよがりの失敗作になる可能性も大きい。それでも観たかった。ラスト、あれだけのトラブルを引き起こしながら、平然とまた新しい教団をデッチ上げるたけしの姿に、“やっぱオレじゃないと注目作は撮れないぜ”というふてぶてしさを感じたのは果たして私だけだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エディット・ピアフ 愛の讃歌」

2007-10-13 06:55:58 | 映画の感想(あ行)

 (原題:LA VIE EN ROSE)何とも釈然としない映画だ。往年の大歌手エディット・ピアフの短い生涯を綴った本作、前に感想を書いた「ミス・ポター」のヒロインとは大違いで、彼女の人生は波瀾万丈そのものだ。とても“淡々と描く”ことなど出来ない相談である。逆に言えば、あまりにも波瀾万丈すぎて、一本の映画ではとても全部カバーできない。

 ではこの映画の作り手達はどういうアプローチをしたかというと、主人公にとって大きな出来事だと思われるパートだけをピックアップして描くことに専念した。ただしそれでは単なる“大河ドラマのダイジェスト版”にしかならない。ならばということで、時系列をバラバラにする作戦に出た。この手法で行けば映画で紹介していない時期の顛末を観客の想像にゆだねることが出来て、それだけドラマに厚みが出るだろう・・・・という思惑は、残念ながら見事に外れている。

 ピアフの人生に“観客の想像にゆだねる”といったヤワな部分などは、おそらくはなかったのだ。そのことを代表するのが彼女と恋人のマルセル・セルダンとのエピソードである。別れのシーンにおける映画的仕掛けには唸ったが、肝心の二人の出会いがまるで描かれておらず、時制のスッ飛ばしによる大幅な割愛が成されている。これでは片手落ちではないか(私なんて、最初マルセルが出てくる時に“誰だコイツ? なんでボクサー?”と思ったぐらいだ)。

 さらにはイヴ・モンタンやシャルル・アズナブールとの関係性も全面カット。申し訳程度に顔を出すのがマレーネ・ディートリッヒだけとは、盛り上がりようがない。主演のマリオン・コティヤールのパフォーマンスには圧倒されたが、皮肉にもカメラが彼女を追い回すたびに、他のキャラクターの比重は小さくなるとも言える。だから、ますます物語の外堀を埋めるべき脇のキャラクターの影が薄くなり、そのためエピソードが掴みづらく、映画としてはまるで要領を得ない。

 ヒロインの生き様をそのまま追おうとすれば上映時間が何時間あっても足りはしない。ここは少女期や晩年などの特定の時期を集中的に描くとか、あるいは特定の登場人物との関係を掘り下げて展開させるとか、とにかく“割り切り”が必要だったのではないか。

 監督(および脚本)のオリヴィエ・ダアンは今まで大した実績も上げていない若手だということだが、気負いだけが空回りしている印象がある。もっと手練れのスタッフを起用すべきではなかったか。オリジナル録音をリマスタリングした楽曲は素晴らしいが、邦題にもなっている彼女の代表作「愛の讃歌」がほんの少ししか流れないのは寂しい限りである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「月夜の願い」

2007-10-12 06:40:07 | 映画の感想(た行)
 (原題:新難兄難弟 He Ain’t Heavy,He’s My Father)93年香港作品。お人好しでホラ吹きの父(レオン・カーファイ)と現実主義者の息子(トニー・レオン)は何かとケンカしてばかり。ある日息子は、中秋の名月に木星が接近する晩にそこに入ると願いがかなうという穴に落ちて、40年前にタイムスリップしてしまう。彼を助けてくれたのは若き日の父。当時から筋金入りのお人好しだった彼は、人のために尽くして損ばかり。そのころ父はのちの母になる金持ちの娘(カリーナ・ラウ)と恋仲だったが、彼女の父親の妨害に遭っていた。息子は二人を助けようと、女友達のリン(アニタ・ユン)とともに東奔西走するのだが・・・・。

 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の二番煎じなのは一目瞭然。カーファイとカリーナ・ラウが踊る場面は「マスク」の盗用だ(製作年度は「マスク」より前なので、企画段階からパクったと思われる。香港映画では珍しくない手口)。SFXはチンケだし、カーファイの老けメイクは下手だし、いかにも低予算のプログラム・ピクチュアという感じは否めない。ああ、でもしかし、なんと娯楽映画のツボを見事に押さえた快作であることか。

 これはテーマ設定の的確さに尽きる。善良すぎる父とドライな息子がこの事件をきっかけに理解し合うという、使い古された主題でありながら作者はそれを信じて信じて信じまくり、斜に構えた皮肉な見方など跳ね返してしまう幸福な作品に結実させている。“一人は皆のため、皆は一人のため”。正論でありながら浮き世離れしたスローガンと思われていることを信条として頑なに生きる父親をこうも実在感たっぷりに描けるのは、作者は本気でこのメッセージを皆に伝えたいと思っているからである。こういうことを観客をキャッキャ言わせながら可能にするのは、世界ではもう香港映画以外ではできない。

 監督は「君さえいれば/金枝玉葉」のピーター・チャンとリー・チーガイ。スターをスターらしく撮り、見せ場もキッチリと、笑わせて泣かせてハラハラさせて(コメディ場面としみじみとした人情劇のコンビネーションも絶妙)、ラストのオチにも大爆笑だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ミス・ポター」

2007-10-11 06:43:06 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MISS POTTER )ヒロインの婚約者の姉にエミリー・ワトソンが扮していることから、後半には彼女が正気を失ってドロドロとした展開になるのかと期待していたが・・・・そういうシーンはまったくなかった(爆)。このように、本作はドラマ的に盛り上がると思われるモチーフを徹底して排除している。

 20世紀初頭のイギリスを舞台にした、「ピーター・ラビット」でお馴染みの天才的絵本作家ベアトリクス・ポターの伝記映画。30歳を超えても独身を貫いていた彼女の屈折した心情とか、作品を生み出す際の内面的葛藤とか、保守的な両親との確執とか、そういう見応えのありそうなネタは見事なほど無し。婚約者との出会いと別れのくだりなど、事実を追っていくだけでも感動路線に仕立て上げられるのだが、そのあたりもあっさりと流すのみ。いつ波瀾万丈の展開になるのかと待っている間に、93分の短い上映時間は過ぎてしまう。

 では面白くないかと言えば、そうでもない。これが観ていて非常に楽なのだ。必要以上に緊張して画面に対峙することはなく、スンナリと話は進んでゆく。よく考えれば我々が伝記映画(あるいは小説)に接する際に、起伏のあるストーリーを期待しすぎる傾向があるのではないか。

 誰が不幸に陥ったとか、苦悩に苛まれたとか、それは確かにドラマティックではある。でも、一方で主人公やその周辺の人物の悲運を見るのは辛くもあるし、有り体に言えば面倒臭く感じてしまうのだ。出来ることなら、それほどの紆余曲折もなく淡々と進んで欲しい・・・・といった観る側の隠れた願望にあっけらかんと応えてみせた、ある意味で侮れない映画だと言える。

 監督は「ベイブ」等のクリス・ヌーナンだから、描写も陽性一辺倒でこの場合は好ましい。レニー・ゼルウィガーは彼女のキャリアの中で屈指の好演。ユアン・マクレガーやビル・パターソンなどの脇のキャストも悪くない。アンドリュー・ダンのカメラによる、素晴らしい英国の自然の風景。ナイジェル・ウェストレイクの格調高い音楽。ブリティッシュ・トラッドの薫り高いアンソニー・パウエルの衣装デザイン。CG処理により動き出す絵本のキャラクター達も可愛らしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スターゲイト」

2007-10-10 06:39:58 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Stargate)94年作品。古代遺跡から発見された巨大な環=星間移動ゲイトをくぐり抜け、遙か宇宙へ旅立った人々の冒険を描いたSFアクション。つまりはこういうことだ。この映画の構図は旧約聖書の“出エジプト”なのである。

 非人道的な扱いを受けていた古代エジプトのユダヤ人は、救世主モーゼの導きにより紅海を渡って脱出する。しかし、エジプト王は実は宇宙人で、住人を地球と環境がよく似た星に強制移住させ、エネルギー鉱石を採掘するための奴隷として扱っていた。なるほど住人は見た目はエジプト人だが、設定としてはユダヤ人としてもいいわけで、ここではモーゼのいない古代エジプトというパラレル・ワールドが現存している。そこに救世主役として登場するのが、カート・ラッセル扮する陸軍大佐と、ジェームズ・スペーダーの科学者一行だ。型通りの彼らの大活躍により、神を偽るエジプト王は粉砕され、住人は解放される。

 ハッキリ言って、この映画には語る価値はない。カネかけただけの作品で、何ら新しいことはやっていない。2,3日もすれば観たことすら忘れてしまうだろう。あれだけの科学力を持つ宇宙人がなぜ自分だけで鉱石の採掘ができないのかは実に不思議だが、ともかく、こういう可もなく不可もなしの設定で、毒にも薬にもならないストーリーが延々と展開するだけの映画に、なぜ莫大な資本を投下できたのか・・・・それはハリウッドがユダヤ人優先の論理で動いているためだと、改めて思ったりする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「街のあかり」

2007-10-09 06:56:23 | 映画の感想(ま行)

 (原題:Laitakaupungin Valot)アキ・カウリスマキ監督作品としては「浮き雲」や「過去のない男」などの過去の諸作とは少し異なり、主人公はけっこう若い。ルックスも決して悪くはない。ただし、救いようの無さは甚だしい(爆)。

 彼はショッピングセンターの警備員。仕事ぶりはまじめだが、同僚とはソリが合わず、友人もいない。もちろん色恋沙汰なんて縁がない。飲み屋でも一人きり。それでいて“オレはレベルの低い周りの連中とは違うのだ”という孤高ぶりを気取ったりする。本当に“周りの奴らとは違う”のであれば、しがないガードマンなんかに身をやつしているはずもないのだが、自分の姿を冷静に見つめていない点がいかにも青臭い。まあ、この主人公は極端だとしても、若い頃には誰しも身の程知らずな思い込みをしてしまうものだ。そのあたりの普遍性をキッチリ押さえているところがポイントが高い。

 自分がクールだと思っているだけの彼は、ある日偶然(を装って)声を掛けてきた魅力的な女にコロッと参ってしまう。柄にもなくデートに入れ込み、寝ても覚めても想うのは彼女のことばかり。冷静に考えれば彼のような根暗男にモーションかけてくるような女などまず存在しないのだが、案の定、彼はキッチリとオトシマエを付けられることになる。でも、そんな主人公をちゃんと見てくれている人間もいる。終盤にかけての展開は、作者の彼に対する暖かい視線が感じられて心地良い。

 中身が伴わないのに夜郎自大な態度を取ってしまい、周囲から総スカンを食らっても、心が本当にダークサイドに染まって悪に走らない限り、必ず手を差し伸べる者はいる。“絶対的な孤独”なんてものは、存在しないのだ・・・・という、作り手のポジティヴなスタンスには大いに納得できる。

 演技やシークエンスを必要最小限にまで絞り込んだストイックな展開はいつもながら感心する(上映時間は78分)。フィンランドの冷たい空気が伝わるような映像構成、バックに流れるカルロス・ガルデルの歌声が抜群の効果だ。主役のヤーネン・フーティアイネンのパフォーマンスも申し分ない。

 それにしても、登場人物達が全編これでもかというほどタバコを吸っているには苦笑した。職場や飲み屋は元より、ライヴハウスや映画館でも、ところ構わずスパスパだ。マフィアのボスもその情婦も、当然チェーンスモーカー。喫煙場面を抑える方向に行っているハリウッド映画などに真っ向からケンカを売っているような姿勢は、ある意味天晴れかもしれない(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アビス」

2007-10-08 19:42:01 | 映画の感想(あ行)
 (原題:The Abyss)89年作品。最近ほとんど消息を聞かなくなったジェームズ・キャメロン監督が「エイリアン2」等の勢いに乗って作った巨額の製作費を投入して描く深海アクション編である。謎の物体を追ううちに遭難してしまったアメリカの原子力潜水艦モンタナ号を救出するため現場に向かった深海調査施設「ディープ・コア」のスタッフが遭遇した想像を絶する事実とは何か・・・・とかいう話だ。

 まずSFXの見事さに圧倒される。いちおう舞台は近未来ということになっているのだが、いま現在世界のどこかでこんな事件が起こっているのではないかと錯覚させてしまうぐらいリアリティにあふれるセットと撮影である。また、原潜が座礁する冒頭からイッキに観客を引きずりこみ、それから2時間20分画面にくぎづけにするキャメロンの演出もノリにノッている。よくもまあ、次から次へと危機一髪の場面をこれだけ考えつくものだとあきれてしまうアクション・シーンのつるべ打ち。この点だけを考えると十分観て損はない映画といえる。少なくとも「リバイアサン」とか「ザ・デプス」とかいった同じ題材の作品よりはるかに見応えがあるといえよう。

 しかし、しかしである。観終わってみればどういうわけか「2001年宇宙の旅」と「未知との遭遇」をミックスしたような胡散臭い作品という印象しか残らない映画でもある。たしかにアクション満載ではあるのだが、「エイリアン2」ほど興奮しないのは相手が主人公たちの手に負えないほど巨大な存在であるからかもしれない。そいつが正体を現わすラスト・シーンなど大いにシラケたのも事実だ。

 それより面白かったのが「ディープ・コア」のスタッフを抹殺してでも機密を死守しようとする軍関係者と主人公たちとの戦いで、小型潜水艇同士の空中戦(?)も迫力満点。やっぱりこの監督は“野郎、てめえ、ぶっとばすぞぉぉぉ!”といった路線が一番いいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「プラネット・テラー in グラインドハウス」

2007-10-07 07:24:59 | 映画の感想(は行)

 (原題:Planet Terror)いわゆる“ゾンビもの”としては、ピーター・ジャクソン監督の「ブレインデッド」と並ぶお笑い路線の快作である。前に公開された「デス・プルーフ in グラインドハウス」(クエンティン・タランティーノ監督)に続く、胡散臭げなレトロ風B級活劇の第二弾だが、演出テンポの良さと出し惜しみしない見せ場の連続により、面白さが分かりやすいのは「デス・プルーフ」よりも本作の方だ。

 監督はタラン氏と仲が良いロバート・ロドリゲス。ゾンビの扱いは「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(正確にはあれはゾンビではなくヴァンパイアだったが ^^;)の後半部分で見せたように、実に手慣れたもの。ゾンビどもの出現の仕方から、どこをどうするとエグい描写になるか、何をやれば観客は喜ぶか、そういうことを完全に熟知したようなハデな場面の続出で、まったく飽きさせない。

 テキサスの田舎町を舞台に、米陸軍の隊長(ブルース・ウィリス)らが保有していた生物兵器のアウトブレイクによりゾンビが大発生・・・・という設定はどうでもいい(笑)。面白いのは、ゾンビの群れを蹴散らして疾走する主人公達のキャラの立ち具合だ。一見普通のアンチャン風だがイザとなるとやたら強さを発揮する札付きの前科者やら、見るからにマズそうなバーベキューを世界最高だと信じて疑わない食堂のオヤジやら、ガーターベルトにはさんだ多彩な麻酔薬の入った注射器を武器にする女医やら、男のキン○マを収集しているキ○ガイ科学者やら、どいつもこいつも実に濃くて良い。極めつけは、右足をゾンビに食いちぎられ、義足の替わりにマシンガンを突っ込んでいるゴーゴーダンサーのヒロイン(ローズ・マッゴーワン)である。身体の柔らかさを利用して、あらゆるポーズで撃ちまくるカッコよさは感涙ものだ(爆)。

 「デス・プルーフ」と同様フィルムに傷が付いたような画面処理とぶっきらぼうなカッティングは昔の場末の映画館でかかっているアクション作品の雰囲気を良く出しているし、主人公とヒロインのラヴシーンではそれを最大限に利用した“効果的な編集”がなされていて大笑いした。本編に入る前にデッチあげの“予告編”が流れるあたりも楽しい。

 本作は相当スプラッタ度が高く、ホラーに慣れていない“カタギの観客(謎 ^^;)”にとってはドン引きだろうが、こういう映画の正しい鑑賞方法を知っているコアな映画ファンにとっては、まさに必見の一作である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英国製RCAケーブルを繋げてみる。

2007-10-06 06:45:40 | プア・オーディオへの招待

 プレーヤー類とアンプとを接続するRCAインターコネクトケーブルを新たに調達した。すでに何本か持っているのに“またかよ!”と思われるかもしれないが、気が付けば手元にあるのはショップのオリジナル品やネット通販業者の手作りケーブルばかりで、ちゃんとしたメーカー製というのがなく、一応“これでひとまず最後”という手前勝手な意味付けで購入した次第である(笑)。

 買ったのは英国CHORD社の新製品、CRIMSONである。その名の通り赤いケーブルで、価格は1万4千円弱だ。本当は2万円程度の予算を見込んでいたのだが、取扱ディーラーである“けーぶる舎”の主宰者の“素晴らしいコストパフォーマンス。他メーカーの2倍の値段のものに匹敵する”との謳い文句につられてしまった(爆)。

 早速繋げてみたところ・・・・なるほど、これは良い製品である。まず音場の見通しがワンランク上がった。特に低域の音像配置が整理され、臨場感が高まってきている。特定帯域に不自然なアクセントを付けるなどの色付けは無く、輪郭をキレイに描出するキビキビとしたアキュレートな展開ながら、それでいてこのメーカーならではの明るさと当たりの柔らかさをも併せ持つ。長時間聴いてもまったく疲れない。確かに、大手家電店の店頭に出ている2万円以上のRCAケーブルに比肩しうる実力を持っている・・・・というより、それらとは一線を画した独自の価値観を見出せる。つまり素材の純度とか特殊メッキとかいったスペック上での謳い文句より、音楽に造詣の深い開発陣が徹底したヒアリングにより“耳に心地良い音”を追求したような、非凡な表現力を堪能できるのだ。

 CHORD社にはこれより上のモデルも揃っており、中には10数万円の製品もあるが、実質的に多くのユーザーが導入する1万円台前半までのモデルで、これだけのパフォーマンスを見せてくれれば十分だと思う。極端なドンシャリの音を好むリスナーなら別だが(笑)、中級クラスまでのシステムのオーナーならば、誰でも満足出来る仕上がりではないだろうか。

 もちろん、以前から持っているRCAケーブルである吉田苑の「LSSC」の高域の艶とか、MOGAMIのマイク用線材NEGLEX2534の厳格なフラットぶりも魅力的であり、中低域が重いBeldenのケーブルだって場合によっては使い道もある。CRIMSONを入手したからといってそれらをお払い箱にする気はまったくないが、しばらくはこの英国製のケーブルを使っていこうと思う。

 さて、先日某ディーラーの店長と雑談していたところ、オーディオシステムにおけるRCAケーブルの価格の上限はどの程度だろうかという話になった。彼曰く“3万円ぐらいじゃないですか。どんなに機器類が高価でも、ケーブルならばその価格帯が常識的に言ってハイエンドです”とのことだったが、それには全面的に同意したい。もちろんバカ高い(数十万・数百万もする)ケーブルはそれなりの魅力があるのかもしれない。だが、しょせんは電線だ。そんなのに金を注ぎ込むのなら他に使い道があるだろう。そんな常軌を逸した価格設定が罷り通っているからこそ、オーディオ業界が胡散臭い目で見られるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ファンタスティック・フォー:銀河の危機」

2007-10-05 06:39:47 | 映画の感想(は行)

 (原題:Fantastic Four Rise of the Silver Surfer)結局“ジェシカ・アルバって可愛いね”という感想しか言えない(笑)。基本的には「トランスフォーマー」と同じく、お子様向けのシャシンだ。大人がマジメに鑑賞しようとするとバカを見る。

 今回の(当初の)敵はシルバーサーファーと呼ばれる宇宙人だが、こいつが意味もなく人型であるのは御愛敬として、どういう能力を持っているのかよく分からないのには参った・・・・いや、実際にはその能力は披露されてはいるのだが、初めから計画通りに地面にクレーターを空けまくることに専念すればいいものを、こいつに触れた主人公達が“能力が入れ替わる能力(?)”を身につけたり、前作の敵役であるビクターの“皮膚金属化”を一発で治したりと、何やら能力を発揮するベクトルに筋が通っていない。

 実はシルバーサーファーのバックには、惑星のエネルギーを食い尽くす得体の知れないシロモノが控えているのだが、終盤こいつが地球に迫ってきた際のシルバーサーファーの行動にはクエスチョンマークが百個ばかり付いてしまう。

 本作には昔の我が国の「ウルトラシリーズ」の何とか警備隊が使っていた乗り物と似ている4人専用の飛行用メカが登場して画面を賑わせるが、そういえばファンタスティック・フォーの運営主体はいったい何なのだろうか。劇中で米軍と対立している場面があるから、国家組織のひとつではないようだ。ならば民間団体なのだろうか。それにしてはやっていることが派手で法律違反も日常茶飯事ではないように思える。

 そして最大の謎は資金の調達先だ。どっかの大財閥かヘッジファンドでも後ろに控えているのだろうか。そして、あれだけのメカ類を駆使していながら、4人以外のスタッフは出てこない。機器のメンテナンスには多数の人員を必要とするはずだが、それらの影も形もない。実に不思議である・・・・といった突っ込みを入れながら観ていないと、途中で眠ってしまうほど演出が平板。

 ラストにはハリウッド名物“えせ日本(えせアジア?)”も出てきて脱力するしかない。ここまでやるなら、日本語タイトルもアニメ版の日本放映時の「宇宙忍者ゴームズ」にすれば良かったのではないかと思う今日この頃である(爆)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする