気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2013-10-14 23:43:40 | 朝日歌壇
ただ回るだけの大きな水車あり食の駅というレールなき駅に
(前橋市 荻原葉月)

日本の文化だという居眠りを五割がしている真昼の電車
(甲府市 内藤勝人)

話さねばさみし話せばなおさみしすり抜けてゆく風を見ている
(福島市 美原凍子)

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一首目。食の駅というものを実際には知らないが、国道沿いに野菜などを売る店が集まって出るところのようだ。食の駅の「駅」はイメージの駅。そしてそこに回っているのは、水を動かさない飾りの水車。いまの世の中のイメージ先行を皮肉っている歌かと思う。
二首目。居眠りは日本の文化なのかと、改めて認識した。以前、アメリカへ旅行したとき、乗り物では、バッグの紐に腕を通してちゃんと抱えるように、と注意された。そうしないとひったくられる可能性があるからだ。荷物を横に置いて、のんきにしてるのは日本だけとも言われた。日本が平和だから居眠りするのか、働き過ぎで疲れて居眠りするのかは、わからない。とにかく電車の揺れに身をまかせて居眠りするのは、至福の時間ではある。
三首目。「話さねばさみし」は素直にわかるが、「話せばなおさみし」には辛く深いものがある。心が通じあわないのに、場をもたせるための会話が必要なときがあるが、しんどいことである。作者は、風になってすり抜けて行ってしまいたいのだろう。