気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

天泣 高野公彦歌集 つづき

2008-06-25 15:45:06 | つれづれ
一つありし求肥(ぎうひ)を食ひて くきやかに<無>があらはるる夜の白き皿

天泣(てんきふ)のひかる昼すぎ公園にベビーカーひとつありて人ゐず

雷(らい)鳴れば鳴る方を見て教室のわが少女らは敏(さと)き水鳥

六月の滝のほとりに滝守のごとく日すがら濡るる羊歯の葉

母は亡く臍の緒も無しゆでたまごむきつつ思ふ伊予灘の青

月の夜をひつそりあらむなきがらのまだ入らざる白木の柩

滝、三日月、吊り橋、女体、うばたまの闇にしづかに身をそらすもの

(高野公彦 天泣 短歌研究社)

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高野公彦の歌はしんとしていて、叙情を感じさせて、読んでいて楽しい。
一首目。求肥はわたしも好物なのだが、食べた後に現われる皿の白が鮮やか。物がなくなるだけでなく<無>があらわれるという発想が痛快。
二首目。題にもなっている天泣は、雲がまったく見えないのに、雨または雪の降る現象を言う。このベビーカーには、赤ちゃんがいるのかどうかわからないが、天が泣いているという言葉とのつながりを感じさせる。あくまでも静かな光景を思うがどうなのだろう。
三首目。わが少女は、作者の勤務している女子短大の生徒のこと。敏き水鳥がうまい比ゆ。五首目。突如出てくるゆでたまごのつるりとした感触が、初句二句とよく合っている。そして結句は伊予灘の青と意外な展開になっている。
七首目。身をそらすものとして、いくつかあげていて、最後は女体。高野公彦の歌を読んでいて、何歳になっても「男性の目」を感じてしまう。まあ芸術として昇華されてるからいいんですが…。

銀紙を剥がしてチョコをもうひとつ食べる ぎんがみ一枚を生む 
(近藤かすみ)


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