気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2008-06-08 23:41:15 | 朝日歌壇
少女らは素足あらわに縄を跳ぶ逢魔(おうま)が刻(とき)の京の路地裏
(宇治市 山本明子)

まぼろしの少女を青く光らせて遺跡となりゆく電話ボックス
(相模原市 岩元秀人)

新型のテレビがわが家にやって来て新婚のごと家は明るむ
(東京都 丸木一磨)

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一首目。今も路地裏で縄跳びをする少女というのが居るのだろうか。それは作者の見た幻なのかも知れない。素足が生々しくて本当かと思わせる。逢魔が刻という言葉も効いている。
二首目。こちらもまぼろしの少女の歌。携帯電話の普及でとうとう電話ボックスは遺跡になってしまったのか!そこに青くひかる少女を立たせたのが面白い。少女というのは、一番電話ボックスを利用しそうにないから、幽霊のように思えてしまう。
三首目。新型のテレビが来ただけで、新婚気分に戻れるとは、なんともお幸せなご家庭。だんなさまが新婚と思っていてくれたら、家庭は平和なのだろう。熟年の夫婦にとっては、テレビは一番の緩衝材である。向き合って話すなんて、お互いにおそろしくて出来ない。

画像はうちの裏に遊びに来たカエルです。

いつしかに電話ボックス消えてゆき掌のうちで人と繋がる時代
(近藤かすみ)