気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2010-09-20 11:29:33 | 朝日歌壇
観覧車回る晩夏の駅にいて呼びもどせないものに手を振る
(相模原市 岩元秀人)

陣痛のあいまに見やる夏花火もうすぐ会えるおまえに会える
(神戸市 小島梢)

病む猫の無心に化粧する朝よ一日延ばしぬ安楽死のこと
(オランダ モーレンカンプふゆこ)

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一首目。作者が思いだしている観覧車は、恋人と乗ったのか、家族と乗ったのか、いつのことかは詠われていない。しかし、観覧車は確かに人の遠い思い出を引き出すものなので、読む方も想像力を刺激される。「観覧車」、「晩夏の夏」が呼びもどせないものへの思いを喚起する。結句、「手を振る」と積極的になっているが、わたしなら「見てゐる」くらいにおとなしくしてしまうだろう。
二首目。お産の前の病院の窓から、花火が見えたのだろう。つらい陣痛に苦しみながら、産まれてくる子どもに会えることの期待を詠って共感を呼ぶ。この夏花火の思いでを、いつか作者は、子どもに話し、親子の思いでになっていく様子が想像される。「会える」を重ねたことが効果をあげている。
三首目。オランダでは安楽死が認められていると聞くが、病む猫であっても同じことなのだろう。猫が無心に化粧する様子から、作者の心に安楽死への戸惑いが生まれたのだろうか。短歌なので「病む猫の」となっているが、「病む猫が」「病む猫も」とする方が、強い表現になるような気がする。

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