気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

中つ國より  田中教子  

2013-03-28 21:42:23 | つれづれ
原っぱのようにひらたくなった胸ためしにミカンをころがしてみる

喘息の子のかたわらに眠る夜ゆめに巨大な樹が生えてくる

とげだらけの言葉をうけてきた一日 鞄の奥のしめりが重い

見あげれば銀箔の葉の幾枚か「私、そろそろおいとまします。」

空に置く一冊の本すりきれた私の明日が記されている

助けてと叫びをあげた夢のなか星屑ばかりがうつくしかりき

冬の川にうつす我が影 きらきらと生れ日時の分らぬ石たち

「キスしたいと思わないか」と尋ねられ「いいよ」と答えたむかしのことだ

夢の中に見知らぬ少年あらわれて桃の実ひとつ我にくれたり

塩壺に水湧くようなさみしき日 島影は父海原は母

(田中教子 中つ國より 文芸社)

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歌友でアララギ派所属の田中教子の第三歌集『中つ國より』を読む。

田中教子は、すでに『空の扉』『乳房雲』という二冊の歌集を出しており、中城ふみ子賞も受賞した期待の歌人。
中城ふみ子賞受賞50首は、『乳房雲』に納められているが、彼女はすでに乳がんの手術を受けている。一首目はその事実を踏まえている。悲しいが、決して負けてはいない。一人息子を育てながら、万葉集研究などに励む。
三首目にあるように、どうも敵が多いようだ。学者の世界は、出る杭は打たれるようなところがあって、なかなか大変らしい。鞄の奥のしめりは、彼女の心そのものだろう。
五首目は詩情があって、とても好きな歌だ。「すりきれた」はどうかなと思うが、下句が魅力的。
七首目。川の辺に立って自らを思うとき、石がきらきら輝いて見えた。しかし、「生れ日時の分からぬ石」という表現は、いままで見たことがなく新鮮だ。
八首目は珍しく相聞だが、過去のこと。結句の「むかしのことだ」が突き放したような言い方で効いている。
全体に境遇を詠った寂しい歌が多いけれど、叫ばずにはいられない心を思うとき、読者に訴えるものは大きい。そもそも歌は「訴える」ものなのだ。

私が第一歌集『雲ケ畑まで』を出す前に、一緒に雲ケ畑まで車で連れて行ってくれたり、歌集について、いろいろ相談にのってもらった(愚痴を聞いてもらったのが正しいかもしれない)。

『中つ國より』は、ハンディな文庫版で値段も本体1000円と歌集としては、破格の安さ。
ぜひ、購入して読んでいただきたい。




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