天下の明治大学が司法試験漏洩問題で揺れている。
MARCHの一角、東京の名門私立大学で今回の司法試験でも53名の合格者を輩出し、合格者数では8位に位置する。でも、この合格者数は試験問題漏洩で信じることができない数字ともいえる。明治大学大学院の合格者は問題漏洩の上に成り立っているといわれても、反論することはできない。それが、1名であれ、不正の学生を作り出し、その大学院の教授が関与してしまった大学の立ち位置なのだから。
以前、STAP細胞で早稲田大学の博士の信ぴょう性が疑われた際、彼女一人かと思っていたところ、複数の切り貼り博士が発見されたのと同様である。
とはいえ、今回の司法試験漏洩問題は線引きが難しい。教え子にマンツーマンで、しかも、模範解答まで教えてしまった場合、確実にアウトだろう。しかし、出題者が法科大学院の教授であり、自身の授業で「出題に関連する授業」をした場合、どうとらえればよいのだろう。「ここ、出るところだからしっかり勉強しておくように!」な~んて言ったら試験問題漏洩なのか?
そもそも、授業で出題に関するテーマが取り上げられなければ、その先生の授業を取る必要がないし、取り上げられれば問題漏洩となるのなら、どちらにころんでも、その先生の授業を履修する必然性がなくなってしまう。
私も学生時代、司法試験の問題をつくっていた先生の授業を履修し、その後、先生と年賀状の交換をやっていた。そんな間柄で、もし、私が司法試験を受験し合格してしまったと仮定すれば、「先生と私的交流していた」と言われるのだろうか?そんなはずはないと思いつつも、ちょっと司法試験の話題を取り上げた年賀状とか書いてしまうと、疑われてしまったのだろうか?
結局、利益相反の立場である以上、いくらでも疑惑は生まれてしまうのだろう。「学生が欲しい大学」「たくさん合格者を出したい大学」といった大学サイドの事情と、「出題者としての教授」「指導者としての教授」という先生の事情、「問題を知りたい学生」「合格しなければならない学生」といった学生サイドの事情、三者三様の事情が入り乱れて、何に利益を出せば、必然的に何かが不利益となってしまうのである。
制度が悪いのは以前から言っているのだが・・・例えば、資格のスペシャリストとしての立場でいわせていただくなら、法科大学院を修了すれば、原則、司法試験合格にすればいいだけの話である。ただし、簡単には修了させない。大学院のバラつきをなくすため、年次を上がるためにクリアしなければならない共通試験をつくればいい。つまり2回~3回試験を受ける。故に、一発勝負でないから、今回のように、試験問題が漏えいしても、数回のハードルを越えなければならないので、不正の確率は低くなる。
こうすれば、修了生を出せない法科大学院が出てくる。自動的に大学院は淘汰される。逆に、どこの大学院で学んでいても、共通試験を受験することができるから、わざわざ、都市部の大学院に行く必要もない。故に、地方の大学院も生き残ることが可能となる。
本当、司法試験制度、危機感をもってなんとかしないと、信頼性を失い、破綻しかねないと思うのだが・・・
MARCHの一角、東京の名門私立大学で今回の司法試験でも53名の合格者を輩出し、合格者数では8位に位置する。でも、この合格者数は試験問題漏洩で信じることができない数字ともいえる。明治大学大学院の合格者は問題漏洩の上に成り立っているといわれても、反論することはできない。それが、1名であれ、不正の学生を作り出し、その大学院の教授が関与してしまった大学の立ち位置なのだから。
以前、STAP細胞で早稲田大学の博士の信ぴょう性が疑われた際、彼女一人かと思っていたところ、複数の切り貼り博士が発見されたのと同様である。
とはいえ、今回の司法試験漏洩問題は線引きが難しい。教え子にマンツーマンで、しかも、模範解答まで教えてしまった場合、確実にアウトだろう。しかし、出題者が法科大学院の教授であり、自身の授業で「出題に関連する授業」をした場合、どうとらえればよいのだろう。「ここ、出るところだからしっかり勉強しておくように!」な~んて言ったら試験問題漏洩なのか?
そもそも、授業で出題に関するテーマが取り上げられなければ、その先生の授業を取る必要がないし、取り上げられれば問題漏洩となるのなら、どちらにころんでも、その先生の授業を履修する必然性がなくなってしまう。
私も学生時代、司法試験の問題をつくっていた先生の授業を履修し、その後、先生と年賀状の交換をやっていた。そんな間柄で、もし、私が司法試験を受験し合格してしまったと仮定すれば、「先生と私的交流していた」と言われるのだろうか?そんなはずはないと思いつつも、ちょっと司法試験の話題を取り上げた年賀状とか書いてしまうと、疑われてしまったのだろうか?
結局、利益相反の立場である以上、いくらでも疑惑は生まれてしまうのだろう。「学生が欲しい大学」「たくさん合格者を出したい大学」といった大学サイドの事情と、「出題者としての教授」「指導者としての教授」という先生の事情、「問題を知りたい学生」「合格しなければならない学生」といった学生サイドの事情、三者三様の事情が入り乱れて、何に利益を出せば、必然的に何かが不利益となってしまうのである。
制度が悪いのは以前から言っているのだが・・・例えば、資格のスペシャリストとしての立場でいわせていただくなら、法科大学院を修了すれば、原則、司法試験合格にすればいいだけの話である。ただし、簡単には修了させない。大学院のバラつきをなくすため、年次を上がるためにクリアしなければならない共通試験をつくればいい。つまり2回~3回試験を受ける。故に、一発勝負でないから、今回のように、試験問題が漏えいしても、数回のハードルを越えなければならないので、不正の確率は低くなる。
こうすれば、修了生を出せない法科大学院が出てくる。自動的に大学院は淘汰される。逆に、どこの大学院で学んでいても、共通試験を受験することができるから、わざわざ、都市部の大学院に行く必要もない。故に、地方の大学院も生き残ることが可能となる。
本当、司法試験制度、危機感をもってなんとかしないと、信頼性を失い、破綻しかねないと思うのだが・・・