生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

パソコン相談実施中!

2015年09月05日 18時47分07秒 | 放送大学
このようなサービスがあるとは知りませんでした。

でも、どんな相談をすればいいのかがわかりません。パソコンを完璧に使いこなしているわけではないはずなので、何かしら、相談した方がよいテーマがあるはずなのですが。
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まだ募集中?

2015年09月05日 18時42分42秒 | 放送大学
放送大学多摩学習センターに行って気が付いたのですが・・・

修士全科生は募集が終了したけれど、教養学部と修士選科生・修士科目生は募集しているのですね。知りませんでした。我はと思う方は是非挑戦してみてください。
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本日の機構!

2015年09月05日 18時21分14秒 | 大学評価・学位授与機構
図書館に本を返却する途中に機構の雄姿をおさめてきました。

受験したとしても、残すところあと1回。その後は大学正科生になる予定なので、当面、受験資格を失ってしまいます。まあ仕方がないです。機構の学位を取得することが私の目的ではありませんので。放送大学で学士の学位を目指して学習するなら、機構を諦めなければならないルールなのですから、それに従うべきでしょう。

10月期の理学(総合理学)の受験、迷っています。今の私の実力では、十中八九合格できないでしょう。しかし、学位を取得するのが目的ではないし・・・それより、どのような基準で判定され、何が根拠で不合格になるのか・・・というのも、非常に興味があるし、それはそれで、今後の貴重な研究データになるはずです。でも、3万2千円もかかるし、小論文試験で不合格になる場合は、相当、凹むコメント付で結果通知がなされるし・・・実際、復活するのに相応の日数がかかりましたから(笑)

とはいえ、こんな話ができるのも、自分自身が不合格の経験者だからこそ。不合格の皆さん同様に、不合格通知を頂戴しているし・・・しかも2回も頂いているのだから、1回の方より回数多く「厳しい洗礼」を得ているわけです。

前回、不合格の際のデータは放送大学の修士論文で活用したし、総合理学が不合格であったとしても、何かの糧になるかもしれないな。
コメント (2)
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満足度

2015年09月05日 09時10分13秒 | ちょっと立ち止まって・・・
フリージアさんのコメントへの返答を書いていて思ったことがある。

「大学の満足度ってなんだろう?」ってことである。今まで、私は通学制の大学1校、通学制の大学院を1校、通信制の短期大学を1校、通信制の大学を2校、通信制の大学院を3校卒業あるいは修了している。科目履修生等で在籍した大学も複数ある。そして、現役で通信制大学院に1校在籍中である。

その経験から、満足度の高い教育機関ってなんだろうと考えたわけである。個人的見解なので、万人に共通するものではないだろうが、満足度が高くなるものを列挙してみたい。

1.単位取得が困難である。
意外なことかもしれないが、単位が簡単に取得できる大学より、単位取得が困難な大学の方が達成した際の満足度が高いと感じる。その昔、大学で第二外国語を中国語で履修していた。8単位中2単位落とすと即留年決定。1単位を落としてしまい背水の陣。履修していた先生が講師を務めるカルチャーセンターの講座にも参加して何とか単位を取得。結果、中国語が好きになり、その後も中国語を学び続け、短期間名がら、中国で働くこともできた。単位取得が困難だと、それだけ深く、真剣に学習するので満足度が高くなるのではないだろうか。

2.面接授業である
通信制で、面接授業もなく、マークシートのレポートを提出した科目は、数年も経つと履修したことすら忘れてしまうくらい劣化する。私だけかもしれないが(笑)。「何がなんでも単位が必要」とか「最低限の労力で卒業することが目的」というのなら、単位が取得できるだけでもそれなりの満足度はあるだろう。しかし、長い目で見ると、それなりの学費を払ったにもかかわらず、知識が定着していないと人生のムダとしかいいようがない。その無念感を払拭するのが面接授業である。授業に参加する以上、それなりの緊張感がある。事前学習もするだろう。体を動かしたり、討論をしたものは特に記憶が定着する。時には、質問に答えられなかったり、間違って恥ずかしい思いもするだろう。でも、それがいいのである。そういう体験は忘れない。その結果、10年後も、「あの時の授業は刺激的だったな~」と振り返ることができるのである。

3.グループワークがある
産能大学や産能大学大学院、あるいは明星大学大学院でもあったのだがグループワークはわたし的には満足度が高い。これはグループのメンバーに恵まれたからなのだが。メンバーが低レベルだと悲劇である。低レベルというのは「学力」というより「人間性」においてである。非協力、批判的、無気力、不参加・・・等々、協力しないメンバーがいると最悪。協力しないどころか、足を引っ張る方もいる。宮子あずさ先生の名著「大学通信教育は卒業できる」という本に「ときにキョーフのグループワーク」に書かれているような「グループワークの困ったちゃん」と一緒になると最悪である。でも、いい仲間とグループになると幸せ!かつ、そのメンバーが生涯の友となることもあるのだ。そこまでいくと、満足度MAXなんだろうな~♪

4.先生が素晴らしい!
やはり、学ぶものとしてあらまほしきものは素晴らしい先生。面接授業にでて、いい先生だと幸せである。私自身、自由が丘産能短大での学びにおける満足度が今一つの理由も、履修した授業の先生が私にとって大ハズレだったから。産能の教授・准教授はゼロで、みんな外部の雇われ講師。しかも、とある先生は私と同じレベルの国内MBA修了の先生。なんせ、先生のご学友が私の産能大時代のご学友だったくらいだから。話す内容も、私にとっては月並みなもの。やはり短大に同じ分野の院生が参加してもギャップがあるわけで・・・その点、学び始めたばかりの時の産能大学の授業は新鮮でエキサイティングだった。先生も大学を代表する方が多かったし、グループワークも完成度の高いものだった。やはり、先生の個性というかキャラクターによるものが大きいのだろう。

5.ゼミナールである。
やはり、ゼミの友人は生涯の友ともいえる。大学で学ぶのならゼミには参加してほしい。無論、なくても卒業できるのだが、少人数のゼミで意見を戦わせることは非常に満足度の高い学びとなる。時には、戦いすぎて大嫌いになる学友もいるかもしれないが(笑)。正直、今でも産能大学時代のゼミのOB会に参加しているくらいであり、ゼミの仲間は代えがたい私の宝物といえる。

6.飲み会がある(笑)
飲み会がある授業って、それなりにフランクな授業なのだ。厳格な先生なら、飲み会なんか開催されないだろから。産能大学では3日あるSCの中日が飲み会になることが多かった。その飲み会の中で先生と会話をする、学生同士話をする。そこから師弟関係や友情が生まれる。SCが終わってからもつながりができる。時には「勉強会」「忘年会」「クリスマス会」「新年会」「新入生歓迎会」「卒業祝い会」等々で招待がある。そこからもつながりは広がっていく。

7.恩師や友人ができる
やはり一番満足度が高いのは友人ができることだろうか。私が産能大学での学びを高く評価しているのは、無論、産能の教育スタイルがアカデミックの環境から10年以上離脱していた私にとってなじみやすかったこともあるが、恩師や友人ができたことが大きい。ご存知のとおり、私は根っからのめんどうくさがりや。出不精だし、初対面の人に対しては人見知りが激しい。自宅でゴロゴロ本を読むことに幸福を感じる。でも、友人からお誘いがあれば、仕事と体調を天秤にかけながらも極力参加するようにしていた。さすがに、最近は飲み会の連荘は耐えれないのだが。今でも学校関係でよく飲み会のお誘いがある。すべて参加は困難ではあるのだが。

まあ、いろいろ満足度を上げる要因はあるのだが、やはり、わたし個人的にはちゃんとした先生がいて、仲間と一緒にやることが満足度アップに貢献していると考えている。ゆえに、入学即卒業が確定した放送大学の学修については、はっきりした記憶が乏しい。逆に、修士論文で苦しんだ産業能率大学大学院のゼミ、あるいは明星大学大学院のゼミは本当に鮮明に記憶されているし、振り返ると胸が熱くなる。

本当は自分の目標通り学びが達成されることが最大の満足要因なのだろうが、学部や修士レベルでは、思った通りの成果物を完成させることは難しい。それこそ、博士レベルで極めるといった感じなのだろう。しかし、その不完全な成果物でさえ、十分な満足感を与えてくれるものなのである。

何故、大学や大学院とった教育機関で学ぶのか?そんなことを考えながら、自分の学びを振り返ってみた。

コメント (4)
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