諦めていた浄土教特講のレポートが2日遅れで返却されました!
点数は80点!「比較的よく書かれています」というコメント共に・・・なんと、予想だにしなかった課題がレポートに記載されていました。で、「質問があったら、私に直接メールください」というコメントに加え、先生のメールアドレスが記載されていました。
そして、採点が遅れたことに対するお詫びも書かれていました。
その他の科目で、なんとか修了のための単位はカバーできる予定でしたが、このタイミングで返却していただければ、ギリギリ12月25日の最終締め切りに間に合いそうです。そして、この締め切りに提出できれば、1月15日返却(予定)となり、最終レポートの期日である1月19日12:00に間に合う可能性が出てきました!
でも、最終レポートの課題は、単なるレポート訂正ではなく、アジャセ王の心理に関する問題と、親鸞聖人の考えに関する問題。奥が深すぎて、わずか4日で回答できるかどうか・・・あまり奥が深くないバージョンなら、今、この場で書けるのですが。
⇒そう言い切れるくらい、浄土教への造詣が深くなったことを実感しております(笑)
そう、この科目は、期限が間に合わなくても、憤りや失意はおこりそうにない科目なのです。それくらい、私の人生に大きな影響を与えてくれた科目。私の理解が間違っているのかもしれませんが、今回の課題は、アジャセ王と親鸞聖人について、重要なポイントを出題されているようで、涙がでてしまう。
読み漁った数十冊の本の、ところどころが想起されてくる。観無量寿経において、父王を殺したアジャセ王が救われる点(これは、無量寿経における法蔵菩薩の第十八願に反するのだが)及び、親鸞聖人が念仏を唱えることすら自力救済であると考えていた点(これも、無量寿経の第十八願に反するのだが)。その2つの点について出題されており、その出題こそが、私の悩んでいる五逆誹謗を行ったものさえ救済される矛盾に対する回答になるのではないかと期待している。
この科目自体、諸行無常であり、単位が取れるようが、単位がとれまいが、それは、それで、あるべき姿なのであろう。そういう考えに至れたことが、最大の学びであり、人間学研究科で学んでよかったと感謝している。
だからこそ、レポートの採点が遅れようが、成績が悪かろうが、感謝の気持ちで「南無阿弥陀仏」なのである。自分のできることをしたのだから、あとは、阿弥陀仏の慈悲におすがりするしかないのである。その結果は、阿弥陀仏のお導きによるものであるから、ありがたく受け入れるしか、私の選択すべき道はない。
そして、阿弥陀仏はあまねく世界を照らす光を以って、諦めていた科目にさえ、まだ、単位取得の可能性をもたらしてくださった。当に、弥陀の憐憫の情であろう。そして、最後の問題は、私が一番理解しなければならない問題であり、更に、単なるレポート科目の学生にもかかわらず、先生と直接コンタクトする術すら与えてくださったのだ。
なんとありがたいことであろう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・