生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

無題

2008年01月05日 04時28分43秒 | 生涯学習
早寝をすれば、早起きとなる。これは、人類普遍の原理であろう。

昨日、6連休明けの仕事であり、しかも、月初であったため、少々、疲れてしまった。よって、早く就寝したところ、こんな、中途半端な時間に目覚めてしまったわけだ。

コーヒーのお湯が沸くまで、ヒンズースクワットをする。この辛さは、無制限にデブになってしまった自分への戒めでああり、ペナルティでもある。

この冬の寒空、窓を開けると、空気は澄み渡っている。正月の朝と同じ空気である。「何故、人は働くのであろうか」と疑いたくなるような、誰もいない、無機質な夜である。生命の躍動もなければ、活力も、何もない、ただ、ただ、静かな夜である。街の背景は違えど、地球は、幾千も、このような夜を経てきたのであろう。

寂しくもあり、慎ましくもある、そんな感じの風景。

そういう風景を眺めていると、無常にも、何故、私は、学び続けなければならないのかと、ふと、思い馳せてしまう。

もっと、自由に、遊び呆けてもよいのではないか?私が学習しようと、しまいと、世界が変わるわけでもなければ、時代が動くわけでもない。ならば、人生、楽しい方がよいではないか。それ以前に・・・

自分は何のために学ぶのであろうか?

そいういう、思いに苛まれる。

「学位をとって条件のいいところに転職を狙う」という野心があって入学したわけでもない。そして、学位をとっても、今の職場で評価されることはありえない。資格もそうだが、国内MBAなんぞ、将来の保険にもならなければ、場合によっては、履歴書に書くことがNGになることすらある。キャリアコンサルタントの私が言うのだから間違いない。

では、何ゆえに、私は学び続けるのであろうか。はっきり言って、自分でも良くわからない。本当にわからない・・・

自分的には、山でカブトムシやクワガタを採っているほうが楽しいし、土手で取ったツクシをてんぷらにして食べるほうが楽しいし、古墳や歴史的建造物を巡るほうが楽しいし、拙い韓国語や中国語を駆使して海外旅行するほうが楽しいし、家族と温泉に行くほうが楽しいし、仲間や同僚と飲み食い遊ぶ方がずっと楽しい。

でも・・・

「そんなに楽しいままでいいの?」と問いかけられると、心は凍てつき、恐怖心に苛まれる。

ピノキオは、楽しさに呆けているうちに、ロバになりかけてしまった。

あまりに好き勝手に楽しいことばかりに興じていると、「ロバになってしまうのではないか」なんて思ってしまう。

自分の人生、最後の床に伏せたとき、思い返して、「善く生きたか?」と言えるように、生涯学習を徒手空拳で続けているのが自分の姿である。

そう、生涯学習とは、「善く生きる」ために、続けていくものだと私は考えている。私にとっては、生涯学習とは、既に、「宗教」あるいは「哲学」に近い位置付けにあるのだ。

生涯学習に己の人生の救いを求める。他力本願ではなく、自分を究めていく中で、無の境地に到達すること。「悟り」のための「求道」である。それは、自分の「無知」であることを知り、その「無知」から脱却するための「求道」でもある。

さて・・・これだけの長文、書くだけで1時間半もかかってしまった。書いているときのBGMはベートーベン交響曲第7番第2楽章であった。どうしても、この曲を聴いていると、こんな、文章になってしまう。

そろそろ、勉強、始めるか!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする