関東大震災のとき、避難してきた人々が、火災の炎の渦に巻き込まれて逃げ場を失い、推定3万8千の方が亡くなられた場所。
慰霊堂は、昭和5年に建てられました。
そして、太平洋戦争の東京大空襲のときの殉難者も併せて、現在、約163,000柱の遺骨が納められています。
↓こちらが東京大空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑
震災と空襲の被害と復興の資料(ほとんどは震災のもの)を集めた復興記念館
大正の関東大震災は、ついつい東京の被害ばかり取り上げられるけれど、余震含めて神奈川県の被害も甚大だったのかと認識。
鉄道写真で有名な白糸川橋梁で悲劇があったり、湘南の海に津波が押し寄せていたのは、初めて知りました。
慰霊堂は、昭和5年に建てられました。
そして、太平洋戦争の東京大空襲のときの殉難者も併せて、現在、約163,000柱の遺骨が納められています。
↓こちらが東京大空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑
震災と空襲の被害と復興の資料(ほとんどは震災のもの)を集めた復興記念館
大正の関東大震災は、ついつい東京の被害ばかり取り上げられるけれど、余震含めて神奈川県の被害も甚大だったのかと認識。
鉄道写真で有名な白糸川橋梁で悲劇があったり、湘南の海に津波が押し寄せていたのは、初めて知りました。