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北方領土返還を

2018年11月26日 23時28分06秒 | 社会・経済

またまたプーチンは期待持たせて…いや期待はしなかったか、返還はいつになるやら。

ちょうどニュースで日露首脳会談だっけ、安倍総理とプーチンが話し合った少し前にお母さんが択捉島の出身だという方の話を聞いた。

戦争前の択捉島はとても活気があり、景気も良くて島外から色んなものを販売に来ていて、島民の暮らしも豊かだった。

墓参団で行った択捉島の話や、ネットでも公開している島民の方の体験談も読んでみた。国後、択捉にソ連軍が侵攻してきて、しばらくは軍人と共に島にいたが、着の身着のまま島を追い出され、樺太に連れていかれたそうで、村長は村民の戸籍は隠して持ち出したという。

北海道に上陸してからはそれぞれ道内で暮らす事になり、国後、択捉にいつかは戻れると信じて島に近い根室などに居を構える人が多かったようだ。

毎年墓参団などのニュースは聞くが、テレビではあまり島民の生の声を聞くことは無かった気がする。新聞は? 特集記事とかあったのかもしれないが、記憶にはなくて島民の人の本当の気持ちはどうなのだろうと気になっていた。

子供の頃からテレビでは北方領土の日(2月7日)にはコマーシャルが流れていたが、ここ最近はそれもみていない様な気がするが、昔も多分道内限定の放送だったのだろう。

子供の頃は何も知らず、戦争を起こしたのも日本のせいで、戦争に負けたのも北方領土を取られたのも、日本が悪いから仕方なないのだろうくらいに考えていたし、そんなものソ連にくれてやれと思っていた。

本州よりは北方領土の事を知らなければならなかったはずなのに、島に日本人が住んでた事もよく知らず本当に無知だったが、学校では教えられることもなくそれも北教組のせいであろう。

鈴木宗男が色々動いていたが、どれだけ成果があったか? さっぱり分からないが、墓参できる様になったのは誰かの働きかけか?

今はロシアの実効支配で住んでいるロシア人もいる国後、択捉島。墓参に行っても自由に島を歩き回れる訳ではなく、撮影も制限されている場所もある。

返還より先に島民の方々だけでも島を自由に行けて、昔住んでいた場所を訪れる事ができる様にさせてあげられなかったのかと思う。

二、三ヶ月前の新聞で、北方領土返還運動はもっと進めた方が良いかというアンケートが掲載されていたが、全道平均より根室の人たちの意識が低い事に驚いた。

この理由は返還活動には、あまり大っぴらに話せない事もあるという事が原因なのかと考えてしまう。本当に利権とか面倒な問題もあるようで。

もっと北海道内でも議論が活発にできていて、国民が北方領土、ソ連(ロシア)の事をちゃんと理解していれば、もしかしたら、もう少し早く解決できたのかもと思わずにいられない。

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