道草、より道、まち歩き。

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北海道胆振東部地震

2018年09月11日 21時33分04秒 | ニュース

いつの間にかそういう名称になっていたのだなあ。

(いつの間にかライジングサンロックフェスティバルの会場に風車が建てられてあった。結構大きい。)

今回の地震…

数カ月前に何かのきっかけで防災グッズを用意しなきゃな〜と考えていて売っているものを見たら結構値が張る。

でも中身を見たら既にあるものとか自分で用意できそうなものばかり。まずは食料、防災の講演会で貰ったアルファ米とかいう保存食と、缶に入ったパン、これは味がちょっとなのだけれど食べられればよいと思い、飲料水もペットボトルで2本と会議などで貰うお茶も数本。賞味期限は半年先くらいなので、古くなったら入れ替えれば良いだろうなと思い、使わなくなったリュックに入れていた。

(考えると使わないキャリーバックに詰め込んでおいても良いかもしれない。)

他にランタンやティッシュペーパー、ビニール袋など順次揃えて入れていこうと思っていたが、その前に今回の地震が来てしまった。

幸い私の家は1日の停電で済んで、これらを使うこともなく、ロウソクはふんだんにありその他のものも直ぐに取れる場所にあった。ランタンがクローゼットに仕舞いこんでいたので、見つけるのに難儀したが電池式の懐中電灯も手回し発電ができるLEDライトもあったので、ランタンは通電後に鹿肉を焼く時に使うだけだった。

食料は米がちょうど切れていたので、もし買えなくなっていたらこれはちょっと困ったかもしれない。パンよりご飯党なので(^^


電気と共に戸建て住宅ということもあり断水にもならず、3時8分の地震後直ぐに風呂に水を貯め、水筒から鍋から水を貯められるものには水を貯め用意した。これも結局使わず、その後料理やお茶や洗濯に使う事になった。

地震当日、学校に様子を見に行き、校舎から出る時に携帯・スマホの充電がしたいと3組の家族が来たが、学校側には充電設備がないので困っていたようだった。彼女らはネットのニュースだったか、メールだかで避難所に行けば充電ができるという情報を見たという事で学校に来たそうだ。

また、お昼から断水になるとも言っている人がおり、私はどちらも出処の分からない情報は信じられなかった。実際避難所になった学校に市の職員が到着し準備を始めたのが7時前後で、9時くらいにそんな情報が出回るとは思えなかった。

断水にしても地震後30分で停電になり、暗闇で確認できるだろうか。どちらもネットの情報を鵜呑みにし過ぎだと感じた。その後学校は夕方に電気が点いたのだけれど避難してきた住民分くらいは充電できたようだ。

もし携帯・スマホの充電が殺到したなら家族で1台充電できれば十分ではなかろうか? というか親の電話だけとかにするべきだろう。駅や市役所には充電の列ができていたようだが、そんなに焦って連絡をしなければならないのだろうか。電気が通れば公衆電話でも電話だけでもできるだろうし。

と思ったが、微弱の電気で通じるはずの電話すら通じなかったのには驚いた。ファクスの電話が繋がらないと思ったが、古い電話もサブで繋いでいるのだがこれも使えなかった。きっとルーターから繋がっているからだろう、これは調べておかないといけないか。


まぁ、正直言って震源に近い厚真や今回被害の大きかった清田区以外は、停電や断水くらいでそんなに慌てるなよと思う。信号まで止まってちゃ普段の生活ができるわけがないのだから、腹をくくれって感じだろうか。

それでも午前8時には多くの車が行き交い慎重に交差点を通行し、コンビニには黙って列を作っている姿は日本人らしいなとも思った。

翌7日にはガソリンスタンドには長い列ができ、それで10リッターとか20リッター程度の制限でガソリンしか入れられず、一体何分くらい並んでいたのだろう。携帯の充電のためにガソリンが必要だったりする人もいたようだ。街を歩くと家族で車に乗り込んでいる人も結構見かけられた。

ガソリンを入れても停電の札幌の街を走るのは怖いと思ったし、緊急車両の邪魔になるかと思い車は使わなかった。

うちでは地震後9日まで車を動かさなかった。車にはスマホの充電器も付いているし、インバーターも持っているのでいざとなったらエンジンをかけて充電するかと思っていたが、結局それも使わず終いだった。

その代わり自転車は活躍した。地震当日から3日間、市内中心部までも行けたし移動には全然不自由しなかった。

しかしこういう状況でも小売側はいつも通りの価格で販売していたと思う(どこにも買物に行ってないので)が、外国だったら足元をみて何倍もの価格で売ったりして(これも想像だけれど)。その前に暴動になってあっという間にお店のものが無くなってしまったりして。


地震から1週間が経ち、未だに電力は不安定な状況のようで節電を求められ、スーパー、コンビニには12日の段階で豆腐・納豆、カップ麺、冷凍食品、アイス(〜はまあいいか)の棚はほぼ品切れ状態。

地震当日もスーパー、コンビニに長い行列ができていたが、そんなに焦って買物しなくても〜と冷ややかに見ていた。丸1日くらい何も食べなくても死にゃあしないし、家に食べる物が何もないって人がそんなに居るんだろうか? 我が家の冷蔵庫はスカスカだけれど取り立て1日、2日くらいなら買物しなくてもどうにかなった。

普段みんな痩せる事に必死なのだから、これを機にちょっと食べる量を減らせばいいのに〜なんて考えていた。

思えばもう10年以上前にプチ断食というのが流行って、水や人参ジュースなど栄養は摂るというようなのがあった。私も3日ほど人参ジュースでしのいだけれど、腹は減ったが特に体に不調が来た訳でもなく難なく乗り切った。

行列を作ってカップラーメンを買って2、3日をインスタント食品で繋ぐ方が不健康なんじゃないか?

住む所も無事で怪我もなく、水も普通に使えるとしたらどうにかなるって、今回本当に実感した。

また、日本は災害でも規律正しく行動するが、不確かな情報に惑わされる傾向にはあるのじゃないかと思った。

しっかり自分で考えて、誰が書いたか分からないようなネットの情報など信用しない方が良い。

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2 コメント

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災害の後で (きさら)
2018-09-13 08:22:00
台風・地震と
引き続き災害が起きて
今は ちゃんと対策しなくては~と
思っていますが すぐ危機感は緩んできますね。

台風の後 こちらでも停電になった所が多く
皆冷蔵庫の中身がダメになったと言っています。

やはり 非常食は乾物系・缶詰の方がよいのでしょうね。

阪神大地震のとき
翌日コープの配達でお米が届くことになっていて
本当に「 明日食べるお米がない!」という
危機に瀕しました。
でも 近所の友人が買い置きをプレゼントしてくれました。本当にうれしかったです。
あれ以来 余分に購入しています。

大倉山からの夜明けの街の風景
とっても素敵ですね。
返信する
助け合いは嬉しいですね。 (BEM)
2018-09-14 22:11:02
天災は忘れた頃にやってくる
というのはことわざだったでしょうか。最近はこの言葉も忘れられかけていたのかもしれません。
西日本の水害、東北の大地震。〜を見ても北海道は災害がないところだという意識がどうしてもあったと思います。
これが札幌直下だったとしたら阪神淡路に近い被害も出たかもしれませんね。

停電でみんな真っ先に冷蔵庫の心配をしていたような気もします。保存の効く食べ物を考えたほうがよいんでしょうね。うちはスパゲティ、インスタントラーメン、うどんはありましたが、缶詰は一個もなかったです。

こんな時だと嬉しい快晴も、なんだか嵐の前の静けさのように感じてしまうところがありました。
それだけ気が緩んでいたんでしょうねえ。
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