AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

コンプレックスの質⑵

2017-07-26 17:18:26 | ADレナリンのパーセンテージ



「クヒオ大佐の妻」に関して、演出家吉田氏が重要なポイントを言っていたが「 米国への憧れに似た日本人のコンプレックスが戦後ずーっと続いている」これも解るような気がする。実在の詐欺師 クヒオ大佐に多くの女性が騙された様に、京都と同じ古都鎌倉の商店街は、私が子供の頃 大半は横須賀ベースの米兵達で成り立っていた。道を訪ねられ、下手な英語で教えてあげれば、100円くれたものだ。ギブミーチョコレートが100円に変わっただけである。戦後 アメリカン ドリームを追いかけ 羨望とコンプレックスの入り混じった感情があったのだろう。
役者がハリウッド俳優を目指し、ブロードウエイを目指すように音楽の世界 特にクラシシック音楽でも海外で賞を取り凱旋公演を行うように、広告業界も同じだと思う。国内では電通賞、TCC 賞 ACC賞であるが、目標はカンヌライオンであり、NY ADC賞であろう。
事実海外では国際賞を受賞すれば、ヘッドハンティングで更に高見を目指せる。




数年前にラジオでカンヌグランプリと言う快挙を成し遂げたラジオCMのレベルはCMスクリプトを読んでも実は国内の方がレベルは高いと思う。 アメリカンドリームを追いかけ、追い越す努力をしてきた広告表現は既に
欧米を追い越していると思う。壁であった言葉の壁は既にないとも思う。サントリーやニッカウィスキーが、賞を総なめし本場 英国で高値となり、国内でも希少品となり、高値の花となっていく。明治維新後 日清 日露と一等国の仲間入りをし、見事に暴走し、戦後自由平等を履き違えたこのちっぽけな東アジアの島国は、そろそろコンプレックスの亡霊を振り払って良い様に思う。欧米の白人至上主義社会の差別は今もそうであり、多くが無智である。報道されるトランプ政権を観れば、その酷さは安倍政権どころではない。彼等は寛容ではない。同じ様にこの国もカメレオンの様に不寛容に染まってしまった。
政治家は3等国いや五等国以下であろうが、他は上質であろう。