AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

コンプレックスの質⑴

2017-07-25 19:48:45 | 出雲のお国その礼儀作法




昨夜 NHKプロフェッショナル 「宮沢りえ」
舞台「クヒオ大佐の妻 」夏子役 演出は「月の紙」で彼女をアカデミー主演女優賞に導いた
監督 吉田大八だ。



吉田監督は、TYOでCMディレクターでもあった。在職中 クライアントの代わりに彼女の誕生パーティに伺ったが、その時も彼女にはオーラが光っていた。滅多に光っている役者やモデルをみないが、初めて観たオーラだった。演出家 吉田はクヒオ大佐は「戦後 アメリカへのコンプレックスが生んだもの。」 と言う。このコンプレックスというものが、りえさん本人曰く「コンプレックスがない。」彼女には父オランダ人の血が流れている。それが演じる上で彼女の悩みとなっていく。
映画と舞台、その魅力は表も裏方もそれぞれ違う。映画界の巨匠小津安二郎監督は「終と言う文字が出てもスクリーンの中の人々の生活は延々と続いていく。」(高橋治著 絢爛たる影絵)演劇界の巨匠蜷川幸雄の稽古現場役者への怒り「もっと自分を疑えよ!」山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」で清兵衛の妻を演じてから何年が経っただろう。「天使の分け前」とはウィスキーやブランデーなど、時を重ねて熟成していき、水分やアルコールが、木の樽から気化していく事を指すが、天使が彼女に演じる言葉を降り注ぐのだろう。彼女のパースペクティブは更に深度を増している。深遠なオーラだ。