AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

不寛容な広告表現のリスクマネジメント⑴

2017-07-17 18:05:50 | CGMの感染力


海外の国際賞で多く受賞する日本勢ですが、テレビからスポットCMから大企業が消え、なんだか判らないクライアントが訳のわからないCMを流しております。
先日も大手飲料 ビールのウエッブCMが不寛容ニッポンの餌食となりました。
クライアント そして制作者が関わる12.5秒程(残りはサウンドロゴ商品カット)です。




在職中 新橋にあるクライアントの味噌汁とふりかけ商品をやらさせて頂きました。
オールラッシュからラッシュ試写を制作会社でやりましたが、はじまったのが13時ごろです。
一コマ抜くか一コマ入れるか?2コマいれるか?なぜ抜くか?なぜ入れるのか?を論じるのです。








高橋治著「絢爛たる影絵」で著者が助監督についた名作「東京物語」の小津安二郎監督を捉えた目線です。映像を学ぶ若い方々には、「東京物語」を観てからこの本を読み、再度見直すと視えない監督の目線が視えてるので勧めてはおりました。この中でも監督が「一コマ入れたね?」「駄目でしたか?」「いやこの方が良いよ。」一コマは通常入れたか入れないか?先ずはわからない世界です。3コマ入れると凡そ判るものです。クライアントが口を出すと凡そ質が下がるものですが、この方が一コマ入れる、1コマ半入れるだけで良くなるのです。全ての編集が終わったのは、翌日の午後でした。勿論 ダビングでアオイスタジオでも音入れに伴う一コマ半コマと互いに言い合いました。
多くの企業の宣伝部の方々にいろいろな事を学びました。皆様プロでした。
「CMが文化と言われた頃、名作CMの多くが不寛容」だったと思います。「不寛容の何処がいけないのか?」そのくらいの気概を持って企画をし、タレントさんと対峙すれば誰も文句は言わないものでした。









関西の堀井組の作品は面白CMと評されましたが、面白CMではなく、制作費の少ない中で如何に商品を伝えるのか?基本に如何に忠実に伝えるのか?如何に毒を入れても、最終的にテレビサイズで毒が消えていき、良い塩梅になったのでしょう。名作は数知れませんが、アニメーターの月岡貞夫さんに世相を表しています。
曖昧な表現 悪く言えば、抜けが悪い表現というものは常に標的にされるのでしょう。

社会の価値観、倫理観が時代とともに大きく変化したことで、一昔前だったら、周囲や世間の目を気にして抑えていた感情や行動を、抑制することなく表に出す人が増えるようになりました。
昔は、世間や人様に迷惑をかけるというのは最大の恥という価値観が日本には存在していたように思いますが、今はそういった感覚は大分薄れているようです。
そうした変化には良い面もあるかもしれませんが、悪い面としては自己中心的で感情をコントロールできない人が増えたということがあります。(http://koganeisyobou.hatenablog.com/entry/2016/06/12/223722 小金井書房さんのブログから一部引用させて頂きました。)