若かりし頃 以前の会社の社長に「ディズニーでもハンナバーバラ、ピクサーでも何処でも良い。自分でコンタクト取って1年から3年くらい行って来い。」当時のCGでは米国では許される質は出来ても日本人を納得させるアニメーションは出来ない。特に「喜怒哀楽のモーフィングなんか無理だ。」その結論で広告界へと遅ればせで仕事を転職したのです。彼処で米国に行って入れば違う人生もあっただろう。人間誰しもターニングポイントはあるものです。 多くの大学や専門学校がアニメーション学科を作り、声優学校も多いのです。 そんなに作っても需要と供給がない。それと夢もない。 好きだから、低賃金でもやりたい。未来があればそれも良いでしょうが、その徒弟制度に脱落していく若い人を見ると忍びないのです。昔学校の依頼でミキサーを教えていた頃、「局に入れますか?」そういう若い希望を自分も騙してきたのかもしれません。どの業界であっても「好きだからなれるものでもなく、好きでなくてもなってしまうもの」話が逸れましたが、宮崎監督は、森羅万象の動くものに貪欲に探っていける。やはり稀有な、だから巨匠なのでしょう。 Adobeでの動画化で制作の労働時間を抑え、賃金もちゃんとアニメーターに支払える。 好きだからタダでもやれるものではありません。これはCMプランナーもコピーライターもアートディレクターも同じ事でしょう。この動画のプロセスをどう現在のデジタル化で補えるのか? これは各アニメ監督の技量に負うところが大だと思います。
宮崎監督は動画過程のCG化に頭から否定はしておりません。そこまでちゃんと考えているか?だと思います。 森羅万象の動きを描くのは不可能に近いでしょう。「これくらいでいいや、、。」「此れでは駄目だ!」この塩梅です。
今はなくなってしまったのか?シェルマン三兄弟 自動楽器を扱っていたショールームで、スタインウェイからパンチングカードでガーシュインの引いた打ち込まれ打ち込まれた「ラプソディー イン ブルー」の旋律、演奏者によって違うペダルと鍵盤を叩くタイミング。 これと同じだと思います。
だから各々の巨匠と呼ばれる監督の動画の分析をテンプレート化出来るか出来ないかでしょう。