南無煩悩大菩薩

今日是好日也

悟性について。

2011-03-26 | つれづれの風景。

大胆な考え方をするけれど、同時に自分自身の考えにも非常に批判的な人々がいる。
自分の考えが正しいことを示そうとするとき、彼らはまず、ひょっとして自分は間違っているのではないかと考えることから始める。
彼らは大胆な考えを持ち、その大胆な自分の考えを否定できないか真剣に考え始めるのである。-カール・ポパー-

自分を「否定」する事は、いやぁな逡巡をあえて自分に課すことになります。

しかし「真剣」に自分のあらを探すことほど、自らを慰撫し自らで成長の実感を得られる行為もありません。

ただ、その大前提としてもっとも大事なのは、私は悲観論者ではない、私には愛すべきものがあり愛を与えられている、そして私は不幸では決して無い、という基盤に立っていることだと思えます。
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