(picture/Kazuo Shiraga -Bakumatsu power-)
才能というのは、ひょっとすると憤怒の首尾よく昇華された姿に他ならないかもしれない。
言い換えるなら、手に負えない対象物を破壊する目的のために無際限に増大していたエネルギーを精神を集中した辛抱強い省察に振り向ける能力、ちょうど幼少のむかし金切り声を出すまで玩具を痛めつけなければ気がすまなかったように、しつこく対象の秘密に食いついて離れぬ能力の別名であるかもしれない。
誰しも、外界の事物を没却して物思いに耽る人の面上に、ふだんなら経験の場で発揮される攻撃性があらわれているのを見た覚えがあるのではあるまいか。
何かの制作に従事する人なども、熱中するほどにけだものじみた凶暴性に取りつかれ、「憤ろしく制作に打ち込んでいる」わが身に心付くことがないであろうか。
もっと言えば、囚われの状態から自由になり、囚われていることへの憤怒から脱却するためにも、こうした憤怒が必要なのではあるまいか。
宥和的な要素にしても、破壊的要素の抵抗を経てはじめて獲ち取られるものではあるまいか?
ー切抜/Th.W.アドルノ「ミニマ・モラリア」より
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