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そんな、夢を見た。今の年老いた脳みそでありし日の若者の身体を持っているような。その時の誰やらも知れない夢の相方との会話を思い切り脚色してみるとこんな感じであったような気もするものの定かではない・・・なにしろ夢でも確かに酔っぱらいであった。
ーある種の人間関係の理想はバーで気付いたりする。なんていうか傍若無人と敬意とが両立する場所とでも言えるようなところや。
なるほど、たとえば人間関係を先験的に友・敵に分けるという意識は、好きなものと怖いものという二通りの反応しか知らない幼児の段階に後退しているようなものやからね。
せや、その結果、他人との関係が貧しくならざるを得んのですわ。他人を他人として認める能力、実り豊かな対立の才能、反対者を包み込むことによって自分自身を超える可能性といった面が退化することになるおもいます。
つまり、黒白いずれかを選び取るのではなく、所定の選択の圏外に出るのが酔いの良さであり、自由な関係の理想とするところもそこらへんあるんやろね。
その観点からすれば、最善の人間でも比較的ましな災厄のようなもの、逆に極悪人でも最大の悪ではないというようなところに落ち着いてしまいますわな。
ん、自然体の人間関係ほど愉快なものはおまへん。なぜなら、人間そのものの方が人間観で作った文化より上等やさかい。ー
おい、おい、じいさん、壊れかかってるんちゃうんかい、と思ったりしとる次第です。
Sinéad O'Connor - Downpressor Man (reggae)
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