展示替えです [Ⅱ]

2013-06-25 | 日記

   

手前の赤い裸婦デッサンもやはり四谷十三雄 ( 1938-1963 ) のドローイング。10年くらい前かもっと前だったかに購入したものである。 横浜にあった画廊が、 『 四谷十三雄画集 』 出版記念かなんかに因んで 「 四谷十三雄展 」 を開催していたことがあって、その結構前には毎月発行の 『 芸術新潮 』 ( 新潮社 ) に、洲之内徹のエッセー 「 気まぐれ美術館 」 が連載されていて、洲之内徹 ( 1913-1987 ) が彼を紹介していた。当時 「 気まぐれ美術館 」 は美術ファンには人気のエッセーだった。洲之内が紹介する画家はその後割と人気画家となったが、彼が亡くなるとその画家の人気は下降気味になっていったように思う。そうは言っても今でも洲之内ファンは僕の周りには多い。それで僕は、いつかは四谷十三雄の作品が欲しいと思っていたのだった。夭折の画家ということもあってか、彼の展覧会々場にはたくさんのファンが訪れていたのを覚えている。

ということで、当ギャラリーには主に、ほとんどはデッサンに過ぎないけど夭折の画家の作品を並べている。高見修司 ( 1950-1989 ) 、今西中通 ( 1908-1947 ) もそうである。今ではあまり知られない画家であろうと思う。しかし僕はこれらの作品から、彼らの芸術に対する一途なものに心打たれるのである。それに彼らが何の偶然か ( または必然に、なのか ) 一途になれるものに出会った喜びも伺えるようにも、思うのである。四谷十三雄のこのデッサンを見る時、背景に塗った単なる赤いパステルが、でもそれは四谷の情念の炎の揺らめきのようにも見えるのである。それはまた今見ればこそ、志 ( こころざし ) 半ばで死んだ若者の切なさ・無念さでもあるように思う。絵に向き合うとは、僕自身が正当な視線と向き合わなければならないのである。

 


金星に誘われて、ブログ再掲載です。

2013-06-24 | 日記

    

今夜、ウォーキング途中で蛍を見た。今年初めてかも知れない。午後7時半を回っていたが今の時期、日が長いからアスファルト道路の白いセンターラインが薄暗い中、クッキリ伸びている。西の空には金星が大きく輝いて、薄く流れる雲がまだ赤みをおびていて近景の林は黒い帯である。それで、金星の光がとても印象的だったので、去年の今日のブログに書いた、木彫の女性像の首飾りがリンクするのである。そこで去年のブログ 「 ルージュ 」 を再掲載する。

今日は中之島美術館でギターライヴがあった。このポートレートは館内に展示してある木彫作品です。材木が一人の彫刻家に刻まれて生命を得たのである。実はライヴより魅せられてしまった。

材木は紅さして可憐である。金の首飾りがアンドロメダの祝福のように輝く。

今夜は、この 「 アンドロメダ 」 を 「 金星 」 に替えてみよう。 「 金の首飾りが金星の祝福のように輝く 」 のである。そしてこの写真も去年のものである。作者名は忘れてしまったが、世間的名声とは無縁の彫刻家であることは間違いない。ゆかしい佳品であった。

 


トライアングル

2013-06-22 | 日記

夕方から天気が良くなって、開け放した画廊の窓から、遠くの山に厚い雲が速く流れていて、傾いた陽光が輝き始めるのが見える。夕暮れ鳥も鳴き始めたからもうそろそろ閉店の時間である。今日は小千谷から 「 西脇順三郎を偲ぶ会 」 の小千谷図書館々長はじめ三人の顧問の方々が画廊に見えた。。来年は西脇生誕120年ということで、三つのメイン事業を計画中ということである。今年8月18日 ( 日 ) には 「 学びのサロン西脇順三郎 」 で僕が講師をすることになっている。午後二時からということで、題は 「 星座としての言葉 」 にしようと思っていて、内容は … どうも … 、無いようである。

ところで今日のタイトルが 「 トライアングル 」 ということで、掲載写真についてである。開かれた本はウィリアム・ウェグマン ( アメリカのアーティスト 1943生 ) の絵本で、その前に置いたのは海岸で拾った碍子で、19世紀の洋書を台座にしたものである。絵本とオブジェと洋書の全く関係性のない三つの組み合わせが作る空気感がトライアングルなのである。犬の鼻に橙色の三角形が載っているからトライアングルである。ヨットの白い帆もトライアングルである。人間のトライアングル・リレーションは、これはちょっと難しい … かも。

 


苔のあるギャラリー

2013-06-21 | 日記

先日、西山町の古民家レストラン 「 舞待夢 」 の女将さんから、ご自身制作の “ 苔類 ” をいただいた。当ギャラリー空間がまた一段と涼しげになったのである。無機質な空間に、こういうコケ類のような自然発生的なものがあると、森の中の清涼を感じる。例えばガラステーブルのガラスは、湧き出る泉がつくる水面である。例えばまわりに見える書籍は、刻々変幻する森の形態文様を水面が映しているのである。例えば、エドワード・ウェストン、ミッドセンチュリー・モダン、ソニア・リキエル、ロバート・ロンゴ、etc.

 


展示替えです

2013-06-20 | 日記

絵の展示替えをしました。水彩画やドローイングを飾って見ましたが、どうでしょうか。軽装で涼しげな雰囲気が出たように思います。何といってもこれから暑い季節に向いますので、見た目にも清涼感あるものが気持ちも軽くしてくれます。そうかといって描かれているものには重いものもあるとは思いますが、画材などによって、インテリアとしては絵画は季節感を非常に醸すものですね。この写真のように、これは25歳で死んだ四谷十三雄 ( 1938-1963 ) の鉛筆デッサンで、女性のポートレートなのですが鉛筆で描かれたというだけで、すでに午後の室内を軽くしてくれます。それにしてもギャラリーは暇なので、一人この四谷十三雄の絵を見ていると、何故か切なくなってしまうんですね。デッサンだと言っても描かれているのは単に横顔に過ぎないけど、実は 「 切なさ 」 を描いたのではないだろうか。まあ、そういう感情移入することは、時としてありますね。絵は、見る人の時々の感情によって、いろいろな表情を持っていると思います。

書棚の横に掛かるこの水彩画は、西脇順三郎の 「 熱海 」 です。制作年は不明。 うっとうしい梅雨の季節、気分転換にぜひ絵を見にいらして下さい。