『定本・富永太郎詩集』

2019-09-23 | 日記

             

河上徹太郎が、この詩集ではない筑摩書房版昭和16年発行の『富永太郎詩集』に「富永太郎君の詩について」という序文を書いている。

富永太郎君は私と東京府立一中時代の同級生で、機械体操のうまい白皙長身の美青年であつた。海軍士官になるのが目的で中学時代から高等数学などマスターしてゐたが、結局高校へ入学したやうだつた。要するに私は彼の親友と自分のとが共通であつたが、直接は餘り識らないといふやうな間柄であつた。
然し彼の死後、その遺稿集は、当時形を求めてさ迷つてゐた私の感受性にとつて、唯一無二の霊典であつた。彼の詩がユニツクであるといふことは、それが私にとつて「かけがへがない」といふことゝ同義であつた。「私はあまりに硬い、あまりに透明な秋の空気を憎まうか?」此のボードレール的な人為性の美の中に、私は意識して堕ちて行つた。そして「実在」の愚劣に対する嫌悪と倦怠を彼から教はつた。あの、あらゆる芸術家にとつて一先づはどうしても潜らねばならぬ地獄の門である所の現実嫌悪を。
私個人にとつて非常に大切な此の洗礼を彼から受けたといふことは、然し考えて見るとどうも私にはたゞ単に彼が身近だつたからといふだけではないと信じられるのだ。日常の会話などで直接彼から何も教はることがなかつた私にとつて、彼の作品がかくも私の感受性の糧であつたことは、その世界が既存の詩の中で単なる一新境地であつたのではなく、わが詩壇が持たなかつた未知の「新しき戦慄」を創つたものであることを示してゐると思ふのである。私は信ずるのだが、彼はわが文壇が到達し得なかつた抒情の一形式を創造した先駆者なのである。例へば佐藤春夫が「田園の憂鬱」で試み、梶井基次郎が「檸檬」で試みたやうに。(以下略) 

掲載した写真の本は昭和46年発行の『定本・富永太郎詩集』(中央公論社) で、総皮革の特装本である。装丁は武井武雄 (1894-1983) 。僕は、学生時代に富永 (1901-1925) の詩を知って以来今日まで訥々に読み継いで来たが、この河上徹太郎 (1902-1980) の序文を読み返すと、今となっては愛しいほどにわが暗鬱な学生時代の思い出が彷彿とするのである。それで、今日まで生き長らえてやっと富永の限定版『詩集』を手にすることができて、ここで僕はこのささやかな幸福を噛みしめている。

    いつも変わらぬ角度を保つ錫箔のやうな池の水面を愛しよう …………… 私は私自身を救助しよう。(「秋の悲嘆」より)

 


表紙絵

2019-09-21 | 日記

                   

『みづゑ』の表紙絵は、僕の大好きなモジリアーニ (1884-1920) である。フランス語で “ DECEMBRE 1946 ” とあるから、もう73年も前の『みづゑ』である。たまにブラっと寄った古本屋で物色するのは楽しい。こういう雑誌がまだ捨てられずに残っていて、実に偶然に僕と出会いするのである。嬉しい限りだ。

絵の中に “ 1915 ” とあるから、まだモジリアーニがジャンヌと出会う前の作品だと思われる。額に入れて飾ってみようか … また楽しみができた。

 


PK22に座る助言者

2019-09-20 | 日記

          

今日制作した絵画一点、タイトルは『MENTOR』( 助言者 ) である。だから、PK22に座る助言者なのである。

                

僕のいつも座る椅子に、今夜は『助言者』が座っているのだ。なので、今夜はもう、うんざりして休むしかないから、いつかの機会にはこの席を奪還しなければならないから今夜はたぶん、もう、そろそろなのである。深まって行く夜の彼方に、虫の音に吸引されて、静かな黒い余白が生成されて行く。音階はまた上昇して、音階はまたまもなく下降するだろう。そして、もはや下らないことはなくて。 

(21日朝の追記) 上記の文は、書いてる途中、眠くなってしまって止めてしまったのだったが、その日のうちに『助言者』を完成してよかった、というのが僕の安堵であったからである。だから以下の文章が途中で終わっていて、この「もはや下らないことはなくて」の続きを書けなかった。

もはや下らないことはなくて、上昇と下降の振幅はしっかりと記憶されるのである。そしてここでいう「音階」とは僕の過去とこれからの人生の五線譜に書き込まれる音符のことである。というようなことが秋の夜の黒い余白に包まれて、思うことであった。『助言者』を描いてる最中、僕はベートーヴェンの弦楽四重奏曲をかけていたのだったから、きっとこういうタイトルが着想されたのだろう。夜の時間は、長くて暗くて静寂であるほうがいい。

 


夕陽射す

2019-09-14 | 日記

          

                      

                  母逝きて夕陽が射して秋の日の 石仏千年語らず立てり

 

僕の家の周りもすっかり稲刈りを終わって、いつの間にもう秋になってしまった。なのに、今日も暑い日だった。このところ30度超えの日々が続いている。日中はクーラーがないとどうしようもないが、しかし、夕方の風は気持ちのいい秋風であり、朝晩は涼しくて、つい一昨日の朝には涼し過ぎて毛布をかけたくらいである。夕方の虫の音は一段と賑やかになって来た。天気もいいから、見上げる夜の星空の下で深呼吸をすると生き返るのである。そう言えば昨夜は「中秋の名月」だったそうで、そう言えば昨夜の満月の深呼吸は実に気持ちよかった。

仏壇の母の写真にも夕陽が射しているが、あまり眩しそうでもなくて、ただ僕を見つめているだけである。オシャベリだった母はもう、8ヶ月語らず、になった。そしていつかは千年になるのだろう。やがては僕も、 “ 以下同文 ” になる。