明日は如月

2012-01-31 | 日記

     影さへも氷るばかりの月の夜にとひ来る者は落葉なりけり

                           ( 前記、 『 山川登美子歌集 』 より )

 


白百合の歌

2012-01-30 | 日記

                            

岩波文庫の 『 山川登美子歌集 』 ( 今野寿美編 ) 。奥付を見ると初版発行が2011年12月16日で、未だ去年出版されたばかりの本であったから、ちょっと驚いた。岩波文庫といえば昭和二年の創刊以来、古今の名著を刊行することで有名だが、もうトックの昔に登美子の歌集はこの文庫の中にあるものとばかり思っていた。だから (?) きょう、新刊書店でこの文庫本を見つけた時、躊躇しつつ (?) 購入してしまった。登美子は福井県小名浜生まれ、記念館もある。そういえばパウル・クレーや永井荷風と生まれ年が同じであった、関係ないけどクレーと同じ年に生れてきたんですね…。与謝野鉄幹主宰の 『 明星 』 に掲載された歌から 「 石 」 三首。

      石に見よ花さくげにも身は病めど世に限なしわが思ふこと

      春雨や加茂の河原の千鳥なくなかに傘してよき石を撰る

        矢のごとく地獄におつる躓きの石とも知らず拾ひ見しかな

明治42年 ( 1909 ) 4月15日、登美子は29歳で逝った。彼女の歌はつつましく、真珠のような輝きの中にも命の諦念がある。 「 しら珠 」 とは真珠のこと。この一首には登美子の人生が抽象されているように思う。静かな歩みと品性と。

      しら珠の珠数屋町とはいづかたぞ中京こえて人に問はまし

珠数屋町 ( じゆずやまち ) とは京の町の地名で、登美子はこの町に数珠を求めに行くのか、抜き差しならない用でもあったのか。真珠の数珠がイメージするものは、すでに聖なるものである。初めて訊ねる町は不案内であるから、中京 ( なかぎやう ) の町を過ぎてから親切な方に聞いてみようかどうしよう。方向は確信しながらも、また逡巡しながらも、その歩行は静かでゆるぎない。 「 人に問はまし 」 とは、ためらいからの一つの小さな決心であろう。明治の爽やかな空気が流れてくる。一粒の真珠は瞬間きらめくように。

 

 


冬夜読書

2012-01-29 | 日記

江戸時代の詩人・菅茶山 ( 1748-1827 ) が、雪に埋もれた住い兼私塾 「 黄葉夕陽村舎 」 の一室で読書をしている。        

    雪 山堂を擁して 樹影深し

    檐鈴 ( えんれい ) 動かず 夜 沈沈

    閑 ( しず ) かに 乱帙を収めて 疑義を思う

    一穂 ( いっすい ) の青燈 万古の心  ( 富士川英郎著 『 江戸後期の詩人たち 』 より )

「 閑かに 」 とは孤独のことであろう、 「 疑義を思う 」 とは思索のことであろう。 「 一穂の青燈 」 とはゆらめく一本の蝋燭の灯りであり、 「 万古の心 」 とは古典の真意のことであろう。深更に及ぶ読書の後、大切に本を片付けながら、なおも疑問が残った。しかし、じっと夜の灯りを見つめていると、だんだんと古人の想いが伝わって来るのである。茶山は広島福山の人。

 


知らなかった…

2012-01-27 | 日記

                                                      

2011年12月25日、一人の偉大なクリエイティヴデザイナー・柳宗理が逝った。ということを僕は、今日知った。タウン誌 『 マイ・スキップ 』 来月号に柳宗理のことを書いた原稿を訂正するべく、編集者に連絡したけど、もう間に合わなかった。1915年生れだから、97歳にもなろうとするのに今も矍鑠 ( かくしゃく ) と活躍されているものとばかり思っていたのである。

彼のデザインで毎日使っているのは、バタフライ・スツール ( 冬は寒いので緑の座布団付きで ) くらいだろうか。たまにパンをいただく時は、乳白の小ぶりのプレートとバターナイフを使う。パンは休みの日の朝がいい。天気のいい早朝、バタフライに腰掛けて、パンにバター、ではなく雪印マーガリンをナイフで塗るのである。彼から今も豊かな時間をもらっている。心から感謝します。

 


小説家・野溝七生子

2012-01-26 | 日記

                       

野溝七生子 ( のみぞなおこ 1897-1987 ) という作家を最近知った。ここに掲載した本は 『 女獣心理 』 ( 昭和24年白搭書院発行 ) で、昭和6年に 「 都新聞 」 ( 「 東京新聞 」 の前身 ) に連載されたもの。この本の単行本としては3回目くらいものだろうか。最初のものは恋人の鎌田敬止が創立した 「 八雲書林 」 から昭和15年に出版されている。この時作家43歳、鎌田は47歳である。朱色と白抜きのオーバル形にタイトル文字がなんとも 「 女獣 」 といった雰囲気を出しているように思うが、それにしても 「 女獣 」 なんていう言葉があるのかないのか、作家の発想にはシビレル。書かれたのが昭和初期のモダニズムの時代であったから、野生と洗練の渾然としたタイトルが、またカストリ風でいい。