書架の一部
森田童子の二枚のCDジャケットの、それぞれの表紙画である。セーラー服の少女は 『 たとえばぼくが死んだら 』(1993年)、ピンク色のシャツの少女は『 ぼくたちの失敗 』 (1993年)の、いずれも挿絵画家・風間 完 (1919-2003) が描いたものである。
昨日の『 朝活 』に参加された方から、僕が森田童子を好きだというので二枚貸してくれたのである。彼女のさびしく悲しい音楽に、似合う絵であると思う。少女にしてすでにオンナが春の風に揺れている、ような … 。または花の短命を知ってか、蕾のままでいる春の花のようでもある。例えば、『 たとえばぼくが死んだら 』のなかの一曲に「 菜の花あかり 」がある。
一 春はやさしい 今宵は満月
短い命の あなたは十七
淋しいあなたと どこへ行きましょう
二 夜風にゆれて 闇の夜に
淋しいあなたと どこへ行きましょう
三 春はやさしい 菜の花畑
あたり一面 菜の花あかり
ここにもう一人、篠山紀信撮影の少女のようなオンナのようなポートレートがある。以前に掲載した( 2014.1.18 )ことがあるが、ここに並べてみるのも悪くはないだろう、と思う。被写体はハルミ・クロソフスカ=ド=ローラである。
例えば、春の夜に刈谷田川の土手を歩いて、森田童子の音楽を思うことは、歌人・内藤鋠策(1888-1957)のさびしい歌を思うことでもあるのだった。それはまた、画家によって描かれた “ 一歩手前 ” の少女を思うことでもあるのである。またそれは、失われて行くものへの愛惜である。夜の川面は、複雑に黒い水脈の曲がりくねって、少ない光を集めている。若き日の鋠策は恋人を自死で失った。悔恨の歌だろうか、諦めの歌なのだろうか。生き残った者は悲しくも生きなければならないのである。「 夜風にゆれて 闇の夜 」の中を生きなければならない時がある。さびしく悲しい歌は時に慰めである。しかし時に、鼓舞でもある。
今、我何よりもかの小鳥の行為 ( おこない ) をなつかしくこそうちまもるなれ
恋人は死ぬばかりなる愛をねがはず底黄 ( ていわう ) の薔薇にうつつをぬかす
月光は牕 ( まど ) に来り、若葉にそそぎ、ガラス戸のかげに汝は睡る
うち見れば森の底よりうすうすと血を潮 ( さ ) し来り明けし夏の夜
( 昭和51年刊 短歌新聞社版『 内藤鋠策歌集 』より )
散会後の、今日の 『 朝活 』 開催時テーブルに飾られたツバキの花。花瓶にしているのはエットレ・ソットサス ( イタリアの建築家 1917-2007 ) デザインのガラス・ピッチャー。ツバキは今朝、隣の庭に咲いていたのをいただいたもの。10時から12時まで九人の参加者で 「 オススメ本 」 をシェアした。昼食は移動して、近くの土田くんの住まいである古民家でいただいた。春の山菜料理に、心身は満腹したのだった。そしてお茶をいただきながら、この古民家近くにある静御前のお墓の、悲しい伝説を聞く。静 ( しずか ) の墓は桜の花びらの散りゆく、苔むす石であった。帰宅したら白いツバキが一輪、落ちていた。
サイドミラーに映る夕陽。ものを直接見るより、間接的に見る方が興味を引く場合が多々あるように思う。例えば、月夜の月が田んぼに映っていたり、またバケツの底に沈んでいたりした時の方が、風情がある場合があるのである。これもそのひとつで、ドンドン後方に遠ざかって行く夕陽が一層落ちて行く速度を早くしているようである。日が長くなった田園風景のなかで、夕陽の朱色が際立つ。また昨日に倣い岩波文庫版 『 蕪村俳句集 』 より、 「 春景 」 句を書く。
菜の花や月は東に日は西に
けふのみの春をあるひて仕舞 ( しまひ ) けり