2014-05-30 | 日記

遠くで雷の音がする。今日は何も書かずに、おやすみなさい、です。窓を閉めるとき、カエルの鳴き声がにぎやかな夜の空が、微かに光る。破れ障子の紙がびらびら揺れて、風が少し入ってきたから、足元がスッとして気持ちいい。森田童子のCDをかけながらもう眠いのに、目がマダマダと言っている。本を読むにはあまりに頭が働かないし、ただボーっとして、ぼーットする他ない。遠雷と言うように、遠い光のことを遠光 ( エンコウ ) とでも言うのだろうか、そういう夜の遠い自然の現象を感じながら、PCの画面を見ながら、キーを叩いている。おやすみなさい、と言う文字を叩いてから、数分は経っただろうし、寝なければならないが … 。今夜はもう少し、夜更かしでも、いいかも、知れない。と、書き、つつ、頭が、もう、ついて、行け、なく、なって、きて … 。 ここら、あたりで、気を、取り、なお、して、お・や・す・み・な・さ・い 、です。

 


尾形亀之助 拾遺集

2014-05-29 | 日記

私家版 『 かなしい月 尾形亀之助 拾遺集 』 ( 2014年5月20日第一版100部、2014年5月30日第二版100部 ) 。これは第二版のものである。 『 尾形亀之助全集 』 ( 1992年 思潮社刊 ) にはない新発見の詩やエッセーを十七篇掲載。

 


続・ 「 サラリーマン川柳 」

2014-05-28 | 日記

先日コメントをいただいた 「 辛口サラリーマン 」 さんの、リクエストに応えて、ではないが勝手にその気になって、第二段を書いてみようと思う。そこでまた第一生命保険株式会社の 「 第27回サラリーマン川柳 」 の入選作から選んで、連歌にしてみよう。今日はまず第6位の川柳を選ぶ。

 「 イイネ 」 には 「 どうでもイイネ 」 が約五割

というのであるが、本音のようであり、思いやりのようでもあって、サラリーマンは付き合い上手なんでしょうか。もっともサラリーマンの世界だけに限らないと思うのであるが、心情は複雑である。複雑であるだけに、ここでは三首書いてみる。

 「 イイネ 」 には 「 どうでもイイネ 」 が約五割 心の奥の、奥の奥には

  「 イイネ 」 には 「 どうでもイイネ 」 が約五割 スタイル・年齢・上から下まで

 「 イイネ 」 には 「 どうでもイイネ 」 が約五割 人のことなど 「 どうでもイイネ 」

同じ言葉でも頭の中で思っているイメージと、書いてみて分かるイメージとは結構距離があるようである。しかし一応、書いてみて良かったかも知れない。妄想力に支えられて次に考えたのは、7位の句である。

 やられたらやり返せるのはドラマだけ

かなり難しいかも ?  ここで今夜はもう、考えるのに疲れ果て、おやすみしようと思う。

  やられたらやり返せるのはドラマだけ 今日も一日平身低頭

  やられたらやり返せるのはドラマだけ と思う君よ、一歩前へ !  ( 5/29改 )

 


『 idea アイデア 』 ( 333 2009.3 )

2014-05-27 | 日記

先日、ブログに書いたエミール・ルーダーの特集号で、その本文である。右ページのタイポグラフはTM誌1964年8、9月の合併号に掲載されたものを紹介したものである。TM誌は1952年、スイスで発行されたスイス・タイポグラフィ専門誌である。ルーダーのタイポグラフィ・デザインはこのTM誌で誕生し、世界のグラフィック・デザイン界に多大な影響を与えたのである。そしてルーダーは創刊なったばかりのTM誌1952年2号に岡倉天心の著、『 茶の本 』 を引用した 「 一服の茶、タイポグラフィ、歴史主義、シンメトリーとアシンメトリーについて 」 というエッセーを寄稿したのだった。その一部を引用してみる。

「 現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行われている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒涼を繕うために再び女禍を必要とする。われわれは大権化の出現を待つ。まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたてて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。 」 1906年、岡倉覚三の 『 茶の本 』 が出版された。これは彼が日本人として、東洋の文化の深遠と精緻を西洋に紹介するものである。この小さな細身の本を読み進むにつれて、わたしたち自身の問題のいかに多くが共通の基盤に拠っているかが伝わってきて、驚かされる。  ( 以下略 )

文字の青色の部分は、茶を勧める理由を記述して有名な箇所であるが、僭越にも、天心とうまいお茶を飲んでるような文章である。ルーダー自身も感激した部分だったのだ。

 


「 サラリーマン川柳 」 を連歌にする

2014-05-26 | 日記

先日、第一生命保険株式会社が募集する恒例の、 「 サラリーマン川柳 」 ベスト10が発表された。1位に選ばれた川柳は、

  うちの嫁 後ろ姿は フナッシー

と言うのだったが、この句に七、七の付け句をして連歌に仕立て上げて見ようかな、というものである。そうすればまた、趣の違った風情も出て来ようという按配であるが、ま、どうだろう。今の季節、サビシイ夜の時間を何とか面白げに持たせようと思う、ま、独り居のオトコゴコロである。それでこんなものができたのだが … 。

  うちの嫁 後ろ姿は フナッシー 前から見れば ヨシナガサユリ

なんて言うのはどうだろう。ま、深い意味があるらしく見せたもので ( ま、あんまり深くはないような感じもするが ) サユリストには申し訳ありませんが、ま、自分ではこれはこれで “ カネ三つ ” に相当するんじゃないか、なんて思い込んだりして … 。また3位の句では、

  妻不機嫌 お米と味噌汁 「 お・か・ず・な・し 」

  妻不機嫌 お米と味噌汁 「  お・か・ず・な・し 」  機嫌良くても 「 お・か・ま・い・な・し 」

ま、考えると眠れなくなってしまいそうで、夜がコワくなりそうである。便乗して駄句一句。

  独り居のサビシイ夜からコワイ夜

ま、今夜はこのあたりで、お休みなさい、である。 ( 「 ま、」 の多用、ご寛恕願います )