お墓への山道

2016-08-16 | 日記

  

13日にお墓参りに行けなかったから、昨日の昼前に行ってきた。杉の森に囲まれた墓所で、少し不便なところにあるが、これはこれで墓所に相応しいところだと思う。墓所と言えば、スウェーデンの建築家・アスプルンド(1885-1940)がデザインした有名な「森の墓地」があるが、こんな田舎の雑木の森の中でもイメージは「森の墓地」である。そのアプローチがここに掲載した写真である。しかしこれは写真写りがいいばかりでなく、大分実際とはかけ離れているが、こういう過疎の寒村にもアスプルンドがデザインしたような墓地ができればおもしろいかな、と思う。という妄想を抱きながら、田圃のあぜ道を歩き、用水に架けられた朽ちた材木を渡り、熊の糞が落ちている狭い獣道の藪を通り、去年に落ちた杉の小枝に躓きながら、菊花と蝋燭と線香とヤカンに汲んだ水を持ちながら、薮蚊に刺されながら、小さな墓所へと急ぐのである。

 


待望の『第4巻』を入手

2016-08-14 | 日記

          

一昨日、ようやく高遠弘美訳の『失われた時を求めて④』を買った。奥付をみると、今年1月20日に発行されていたのである。第3巻の発行が2013年3月20日だから既に3年が経とうとしていた。長い間、今か今かと待ちわびていたことだった。書店にはよく立ち寄る方だが、長岡の大型書店でさえもなかなか置いてなかったのが現状だった。もう8月も半ばになるから、1月の発行ということだから長岡でさえ発行から半年以上も書店に並ばないのである。第4巻が出た、ということは聞いていたのだが、書店の棚に並んでから買おうと思っていたから、またアマゾンにでも注文すれば直ぐにでも入手できるのだが、今回も書店で手に取って、本の状態を確認してから、と思っていたのである。それにしても文庫本でさえ半年も書店に並ばないとは!驚きと溜息と嘆息と …。まだまだ長岡では、古典的文学の読書人口が少数なのが、知り得るのである。買って直ぐ読む読まないは別にしても、いくら大型書店とは言え、文庫本くらいは発行日くらいには書棚に揃えておいて頂きたいと思う … ナ。

たまたま昨日、関東方面の親戚に不幸があったから、その行き帰りの新幹線の車中、お誂え向きの読書になった。プルーストは書くのだった、「私たちは自分で思う以上に自然の法則に依存している」。朝、水面に立った漣も、夜、潮の動きが止まって穏やかになることは、これは「自然の」また人生の摂理である、と言う。

 


夏の日は …

2016-08-11 | 日記

       

このところ夜の寝苦しさが続いていて、どうも頭がボーっとしている。朝の早い時間は割と涼しいので読書するにはいい。でも頭がそうだから、あんまり言葉が入ってこないから活字の表面だけが滑ってゆく。この滑りがまた夏の朝らしいのである。

        夏の日は

        青梅の実の悲しき

        いたどりの国に生れ

        おどろの路に迷ふ

        鐘のない寺の屋敷を通りぬけ

        朝顔の咲く垣根を過ぎ

        もずの鳴く里を通り

        雨の降る町に休み

        たどたどしく歩み行く

        むぐらの里に

        茶をのみかはす

        せせらぎの

        女の

        情流れ流る    ( 西脇順三郎著 『 旅人かへらず 』 より )

ということを書いて、また慰みに絵を描いてみて、「夏の日」の暑さに一献を傾けることは、朝の涼しさを感謝するのである。家の前の道端には、今日もクッキリと電柱の影が濃い。