「 座右之銘 」

2014-02-28 | 日記

岩波文庫版 『 芭蕉俳文集 上 』 ( 2006年刊 ) に 「 座右之銘 」 というのがある。

          人の短をいふ事なかれ

          ( おのれ ) が長をとく事なかれ

     物 い へ ば 唇 ( く ち び る ) 寒 し 秋 の 風   芭蕉翁   

今日で二月も終る。明日から三月弥生である。またこの月の別名を、花月、花見月とも言うらしい。明日は新潟駅で東京の友人と三ヶ月ぶりの再会である。弥生の空の下、まだ雪の残る長岡から高速道をブッ飛ばして会いに行く。

 

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イマジネーション

2014-02-27 | 日記

       

今日は右足の親指が痛くて、何も書くことがない。というより、痛みに神経が集中して、沈静する神経が働かないのである。それで、目の前にある障子を撮ったりして、どうも落着きがなくなって、矢沢宰の詩集を読んでいても、どうも詩の情景がイメージできない。

“ 影 ” は少年の日の “ 痛み ” なのだろうか。ここに 「 少年 」 という詩がある。茫漠とした砂漠というステージで、一人の少年が演ずる一人芝居であるような … 。光る砂漠の真っ只中で、一本の濃い影を引いてひとりの少年が魚つりをしている、という情景は植田正治 ( 1913-2000 ) の写真を思わせてモダンな演出である。しかし、この詩はすばらしいイマジネーションであると思う。砂漠の砂の中には “ 光る魚 ” が生息しているのである。

              

             光る砂漠

             影をだいて

             少年は魚をつる

 

             青い目

             ふるえる指先

             少年は早く

             魚をつりたい  ( 矢沢宰詩集 『 光る砂漠 』 から )

 

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再録 『 彼女は考える 』

2014-02-26 | 日記

ちょっとズルをして、昨年 ( 2013年 ) の今日 ( 2月26日 ) のブログを再掲載します。スイス生れの建築家、ペーター・ツムトア ( 1943年生 ) の言葉がまた読みたくなったからです。こういう言葉は何回読んでも読みつくすことができない。精読だろうが熟読だろうが、それに積読 (?) だろうが、とうてい解読し切れるものでもないのですがね。熟読玩味、という言葉もありますね。だからいつも傍において置いて読み返すのです、だから “ 座右の銘 ” というのでしょうか。短い言葉ではなく、若干長いのですが …  。 まあ、別に長くったっていいとは思いますけど。そう言う訳でツムトアの言葉はいつも新鮮です。

彼女は美しい靴を好む。職人技を、素材を、そしてなによりも形を、ラインを愛でる。彼女は靴を眺めるのが好きだ。足に履いた靴ではなく、ひとつの物として。形は用の必然から生み出されたが、その実用の要請を美が上回り、その美がまた用をうながしている。“ わたしを使って。わたしを履いて ” と美しい靴は彼女に語りかける。実用品の美しさこそ、美の最高の形だと思う、と彼女がつけ加える。 とペーター・ツムトアは書く ( 2012年みすず書房刊 鈴木仁子訳 『 建築を考える 』 より ) 。

そこで僕は、 「 彼女の靴 」 を 「 椅子 」 に置き換えて、僕は美しい椅子を好む、と書く。僕は椅子を眺めるのが好きだ。ここに座って、と美しい椅子は僕に語りかける。ものが人に語りかけるというのは、美の最高の姿ではないだろうか。と僕は思う。

そして靴でも椅子でも、実用の美しいものが存在するところに自然の美もまた伏在するのである。今夜は満月だ。一昨日ひどく吹雪いていた神社の森のディテールが、月光の雪に光っている。

しかし、今年の今日の今夜は星の夜になりました。また、今日は暖かい日でもあったので、春がすぐ近くに来ているような気になりました。小川の水嵩も少し多くなったように思います。

 

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部屋の片付け

2014-02-25 | 日記

大きな額は “ PK22 ” のポスターである。ポール・ケアホルム ( 1929-1980 ) のポートレートが写っている。右上の時計はアルネ・ヤコブセン ( 1902-1971 ) のウォール・クロック “ バンカーズ ” 。天気が良かったので部屋の片付けをする。図書館から借りている本と自分の本とが混ざってしまって、またアチコチ知人からも本を借りているので忘れないようにしないといけない。今日はボーッとしていて、いい一日だった、ような気がする。まあ掃除もしたし … 。片付けると、スッキリと気持ちいい、になります。

        オッッと、 わがものにシチャァならねぇ人の本

 

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“ 第一に死が ”

2014-02-24 | 日記

             

矢沢宰の詩や日記がまとめて紹介された本 『 光る砂漠 』 ( 昭和43年刊 ) である。タイトルの下には 「 第一に死が 」 と言う言葉を書いている。これはサブタイトルということだろうか。本文では、その 「 第一に死が 」 という散文詩が、 「 序章 」 の次に掲載されている。少し長いけど紹介します。

第一に、そこに死があり、死と戦わなければならなかった。そこには死と自分だけしかなかった。そこから個人的な真実、祈りが生まれ、それが詩となって表わされた。だからそれはリアルな、最もリアルなものである。自分の命のために、愛を求め、生の真実を探るためにもがいていた。これは絶対に間違いではなかったし、今もこれが十分あてはまると確信している。

この詩は亡くなる前年すなわち1965年6月頃に書かれたものである。腎臓結核が再発し、入院後約3ヶ月経った頃である。彼の絶体絶命のポエジーは、不確実な生が絶対的である死を眼前にした、彼の真実な抵抗の姿ではなかったか。ベッドに横たわっていてさえ “ 絶対 ” を打ち壊そうと、彼は “ 努力 ” するのである。 「 序章 」 には矢沢18歳 ( 1962年 ) の時の文章 「 努力する人 」 がある。この時、彼の体は病気から一時生還していた。下記、長文の引用です。

僕の理想とする人、それは努力する人です。ぼくは努力する人になりたいと願っています。ぼくが努力家になりたいと思ったのは、それまで三年間のねたきりの生活から少時間でしたが学習に出られるようになった去年からです。ぼくはその三年間にいろいろなことを考えました。病気が重く、死という奴を一番真剣に考えていました。どうしたら生きられるか、生きるために自分はどうしたらいいのかというのではなく、目の前にちらつく死の恐怖からどうしたらのがれられるか、どうしたら安心して死ぬことができるかということでした。 ( 中略 ) このような訳で、その頃の僕にとって 「 どういうふうに自分は生きて行ったらいいか 」 などというのは問題ではなかったのです。だから僕が学習に出られるようになったと言うことは、夢の中の夢を見たような話で、もっと現実的に言えば、これは僕にとって大きな革命だったのです。

そこで自分の体をベッドの上からどういう風に病棟内へ、あるいは学校の中に持ちこんだらいいのか。又この革命をより一層確実なものから、より理想のものへとするには、ぼくはこれからどうすればいいのか。たとえ革命が失敗に終ってしまったとしても、悔いのないものにするにはどうすればいいのかと考えたのです。つまり学習に出られるようになって、はじめて、考えたことが現実的な方向に向きを変えたと言うことです。そしてぼくに出来ることは 「 努力することしかない 」 と思ったのです。 ( 中略 ) 神の問題も死の問題もまだ解決されていませんが 「 ぼくには革命が起きたんだ! もう一度自分の力をためす機会があたえられたんだ、あたえられたからには自分の力でやってみよう! それには体力的にも頭の方から言っても、とても普通人と同じ訳にはいかないから、コツコツと努力することしかない 」 と思ったのです。

( 中略 ) ところで努力して成功すると言うのは、はじめから成功するとわかっているものではなく、努力を積み重ねることによって、初めて成功するものだと思います。だから努力をしてもやっぱりだめだった。ということも十分考えられるのではないでしょうか。自分の力でもう一回生きてみようと決心していた頃、このことが大変気になっていました。というのは、いくら自分でがんばろうとか、努力してみようと実際にやったとしても、その努力に報いられるようなものが給 ( あた ) えられるかどうか。はっきり分からないと言うのでは、何のために生きているのか分からないではないか、と思ったのです。佐々木君が、先学期の文集の中で 「 人間、努力で解決することはできないんだ 」 と書いていましたが、あの頃のぼくも、そういう気がしていたのです。しかしやっぱりがんばることにしました。なぜなら 「 解決されない 」 と言った所で、では他に何の解決法があると言うのです。

「 なるようになる 」 と言うことがありますが、なるようになる、というのでは、今まであんなに苦しんで来たことが何にもならなくなり、生きることに味気がなくなると思います。だからやっぱり努力してがんばることにしました。どんなことがあっても、又報いられるようなことがないとしても、コツコツとやって行きたいと思いました。このような態度は、とかく人に笑われたり、いやがられることもあるとは思うけど、中にはぼくのこの気持ちをわかってくれる人もいると思います。 ( 以下略 )

最近何かのきっかけで、精神医学者であるヴィクトール・E・フランクル ( 1905-1997 ) の有名な著書 『 夜と霧 』 ( 池田香代子訳 みすず書房刊 ) をまた読み始めた。第二次大戦中、彼はナチスによってポーランド・アウシュビッツ強制収容所に収容された、その貴重な体験を、この本に綴ったのである。たった今殺戮されるかも知れないという極限状態の中で、彼は生きてきたのだった。暗澹たる恐怖の極限状態を作り出すのも人間であれば、その中でさえも人間性を持って生き抜くのもまた、人間であるのだった。人は自分の意志でどちらの人間にもなり得るのであり、またどちらの人間にもなり得ないのである。

人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な 「 被収容者 」 になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。 ( 中略 ) 最後の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。

そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。しかし、行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずである。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。 ( 本書P111-113より )

矢沢宰とフランクルの置かれた状況は異なるが、正に異なるが故に、彼らの言葉が共時性をもって迫るのである。矢沢宰の清澄な詩文が、リアリティをもって僕のこころを動かしてくるのはこの共時性の持つ普遍性に満たされているからである、と僕は思うのである。

 

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